第2話 シュリーとスティーブ

「シュリー、日本に行ってくれないか。」

「日本?」

「そうだ。日本に大規模なエンタテイメント施設を含むリゾート開発を行うことに決めた。コンサートホールや音楽をメインにした新しいアトラクションも企画したい。」

 スティーブの突然の依頼にシュリーは驚いた。

「今は、日本人も仕事だけでなく、余暇を楽しむ人々が増えているからね。しかも、アジアの近隣諸国やロシア、オーストラリアからの観光客も多くなっているだろう。この開発にはカジノも導入して、アジアでトップクラスの集客を狙うつもりだ。日本の景気は回復しつつあるが、都市と地方の格差は激しい。それを改善するためにも、われわれが力を貸すことは効果が大きいと判断した。アメリカにとっても日本の景気が健全であることは好ましいからね。」

 S&F社のCEO、スティーブ・ロードは、十五年ほど前にIT企業を立ち上げ成功を収めた。主に、コンピュータソフトの優れた開発により世界のシェアを占め、最近では、新規のコンテンツ事業も順調に発展させてきた。特にゲームソフト開発、音楽コンテンツ開発、ロボット事業に評価を得ている。

 シュリーがアメリカに渡って数年後、ある人物を介して二人は出会った。学生時代から音楽が好きだったスティーブは、シュリーが十代の頃に参加していたロックグループの音楽も好んで聴いていた。出会った当時は誰に対しても、プライベートな付き合いを避けていたシュリーだったが、なぜかスティーブとは気が合い、少しずつ打ち解けていった。7歳年下のシュリーをスティーブは気にかけ、アメリカでの彼の音楽活動を陰で支え続けた。S&F社が軌道に乗り、音楽関連の事業を開始した時、スティーブはシュリーにプロデュースを依頼し、新しい分野での事業を成功に導いた。

 シュリーは、「日本行き」という言葉を聞き、心の奥底に封印していた思いに揺さぶりをかけられた。そして普段はほとんど見せることのない動揺の表情を見せた。スティーブはそれに気づいた。

「日本に何か嫌な思い出でもあるのか。」

 シュリーは一瞬間をおいて、その質問には直接答えなかった。

「プロジェクトは、いつから始まる?」

「来年の夏過ぎには着手したい。それまでにこちらでの準備を進める。君には音楽分野全般をプロデュースしてほしい。今までにない新しい音楽エンタテイメントの空間を作って欲しいね。」

 S&F社は、中国やインドといった成長目覚しい地域にもすでに進出をしていたが、自社の企画を海外で浸透させることができるのは、アメリカの文化にも影響を受け、独自の形で成熟しつつある日本が最適であると判断していた。日本には子どものための遊戯施設は多くあるが、大人が気軽に楽しむことのできる社交的なエンタテイメント施設は少ない。あったとしても常にいかがわしさがついて回る。日本人の生活の中に本物のゆとりをもたらしたい、働き蜂だった日本人が自分たちのライフスタイルを追求する時代になった、とスティーブは説明した。その事業の要にシュリーを起用したいと考えたのは、音楽に実績があるということと、あとは直感だった。

 どこかでシュリーの創造するものが、日本人に通ずるものを持っていると感じ取ったのかもしれない。

 かつての日本での記憶を封じ込めて生きてきたシュリーは、スティーブの提案によって、自ら解くことのなかった封印を思いがけず解かれ、こみあげてくる思いが抑えられなくなっているのを感じた。その思いの中心は、日本人の母との数少ない思い出や、フォックスをめぐってのさまざまな出会いが綯い交ぜになって強い磁力を発していた。そして前回の旅で打ち解けることのできなかった義弟のエイジの姿が、今ここで自分自身と通じ合っているように実感を伴って目の前に現れた。シュリーにとって英次は、母とフォックスの両方に直接つながる最も羨む存在でもあった。

(おまえはまだフォックスを探し続けているのか)

 シュリーは目の前の英次に問いかけた。しかしエイジの幻影から答えは得られない。過去のすべての出来事を忘れて、心を通じ合わせたい衝動にかられた。シュリーは迷いながらも、自分自身の存在をこの世に自ら許すために、もう一度日本へ行ってフォックスや英次たちに再会することをどこかで期待した。

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