第13章 僕が死ぬまで


 ――目の前に広がっていたのは、余りにも信じられない光景だった。




 村の家という家に火が放たれ、村人たちの死体――ある者は背後から頭を撃ちぬかれ、またある者は首から先が無く、そしてある若い娘は腹を裂かれて子宮だけが抜き出され――が無造作に打ち捨てられる凄惨な地獄絵図。


 俺は左の、その先が最早無い手首からどくどくと溢れ出す血を右手で押さえながら、その地獄のただ中を一縷の望みを懸けて走った。止め処無い出血に何度も気が遠くなりそうになりながらも、「彼女」の笑顔――控えめで、儚げで、それでいて何よりも優しい――を心に何度も思い浮かべて。




 もう少し、もう少しで辿り着くはず。


 そう、この角を曲がれば――


 いつも三人で遊んだあの庭と、


 愛らしい微笑を浮かべる少女が、いつもの様に…………






 ――しかし、現実はかくも残酷なものなのか。






 燃え上がるレンガの家。その中で焼け落ちていく――恐らく食事時の団欒中の不意を襲われて撃ち殺されたのだろう――「彼女」の父、母、兄弟たちの骸。炎の赤、血の赤に塗れながら俺は、閉じかける眼を必死に凝らして「彼女」の姿を捜すが、何処にも見当たらない。


 もしや、と思って猛烈な炎を上げる家の中を決然と突っ切って、その裏にある「あの庭」へと駆けた。――そこに「彼女」はいた。




 身体中を切り刻まれ、頭から、胸から、腹から、至る所から鮮血を流して。




『―――――アヤノ!!!』


 俺は己の怪我に構う事無く、倒れていた彼女を抱き起こし、何度も揺さぶる。触れてみると、まだ温かい。俺は、彼女自身の血で真っ赤に染まった花畑の中で、何度も愛しいその名を呼んだ。すると、彼女はピクンと身体を震わせ、虚ろな目で俺の姿を捉えた。


『…………ダイ……チ君、…………来て、くれたんだ―――――』


『ああ、ああ!! だから、もう喋るな!!』


 まだ生きていた。その喜びに、痛みを堪えつつ笑顔になる俺だったが、もう長くないことは誰の目にも明らかだった。それでも、俺は万分の一でも奇跡に縋り付きたかった。だが、アヤノはもう言うことを聞かない身体を懸命に動かして周りを見渡すと、絶え絶えの小さな声でこう尋ねた。


『イツキ…君……、は?』


 俺は無言で首を横に振ると、彼女は寂しげな笑みで「そう……」とだけ呟いた。――ああ、それでもお前の瞳が捜し求めるのはあいつなのか。お前の気持ちに気付きもせずに裏切ったあいつに、命の灯が消え去ってしまいそうな今においても、向け続けているのか……俺が求めて止まないその微笑を。


『アヤノ! アヤノ!!…………アヤノッ!!!』


 段々と光を失っていく瞳に、俺は叩きつけるように叫ぶしかなかった。すると、彼女は血も熱も失った左手を震わせながら伸ばし、一輪の花を摘み取って、今までで一番綺麗な笑顔で、


『……お願い…………イツキ……くん…を……うらまないで……』


 その血に塗れた白いライラックを俺に渡すと、彼女の手は力無く地面に落ちた。




 永遠とも思えた一瞬の沈黙の後、




『ウアァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!』




 ――声にならない声で叫んだ。涙が枯れ果てて瞳が乾き切ってしまう程に。肘の先から溢れる紅い紅い血。それを涙に変えられたら、どれだけ良かっただろうか――






「――――!!……はぁ、はぁ……」


 気が付くと、いつものロッキングチェアの上。いつの間にか眠ってしまったらしい。俺はゆっくりと立ち上がって、誰もいない廃屋を一通り見渡す。窓から陽光が差し込む。もう昼なのか。身体中に冷たい汗が纏わり付いて気分が悪い。どうやら「あの日」の悪夢をまた見たらしい。あの光景は頭の奥底にこびり付いて離れない。まるで、あの時感じた悲しみ、怒りを決して忘れるなという命令のように。


 だから、目覚めた後はたまらなく苛つく。そんな時、廃屋の壊れかけたドアがギイと音を立てて開き、怯えきった囚人服の男がおずおずと入ってきた。


「あ、あの、榊さん……手島さんが、その、榊さん…に知らせて……来いって」


「………」


「さっき……その、新入りがぞろぞろと、上から――――ギャッ!!」


 俺は起き抜けの小便でもするが如く、欠伸交じりで左腕のショットガンを放つ。男は頭蓋を破裂させてその場に崩れ落ちた。……ああ、そう言えばこいつ何を言おうとしてたんだっけ。まあ、いいか、どうでも。どうせ今日も下らない一日になりそうだからな。何か、まだ苛立つ。


 俺は廃屋――かつてのアヤノの家の中で、そっと煙草を一本取り出して火を付ける。 一服吸うと鼻を突く硝煙と、――血の味がした。







『HARUHI FANTASY Ⅶ -THE NIGHT PEOPLE-』


 第13章 僕が死ぬまで






 体の節々に走る痛みを堪えつつ、俺はゆっくりと立ち上がり身体中についた砂を払う。――あのポンコツめ。乱暴に地面に落としやがって。俺はともかく、朝比奈さんの骨が折れたらどうするつもりだ。


「キョン君、だいじょぶ?」


 しかし当の朝比奈さんは無事なようで、俺を気遣う言葉をかけてくれる。大丈夫ですよ、朝比奈さん。あなたのその言葉があれば、俺はたとえ全身複雑骨折からだって立ち直って見せますよ。見るとハルヒや長門、周防にシャミセン、そして――


「いたたたた……。んん……! もうっ!! いきなり何なの?! 有無も言わさず捕まえてこんな所に落とすなんて!! ――あ、キョンさんに涼宮さん! みんなも無事だったんですね、よかったぁ」


 橘も岡部に捕らえられていたらしく、俺たちの傍に同じように落とされていた。


「ちっとも良く無いわよ! もう……一体どういう訳? まぁ、キョウコも無事に合流できたのは良かったけど……」


 能天気な橘にツッコミを入れた後、ハルヒは周りを見渡す。俺もそれに倣った。砂ばかりの土地に、立ち並ぶ廃屋や古びたコンテナ。そして四方を延々と取り囲む果てしない砂漠。遥か直上の楽園と180度違う景色に呆然とするばかりだ。……一体ここは何処なんだ。そんな俺の疑問に答えたのは、周防の肩に乗るシャミセンだった。


「ここは砂漠の監獄……コレルプリズンだな」


「砂漠の監獄?」


「そうだ、砂漠の流砂に囲まれた自然の監獄。一度入ったら、出る事は叶わないとて聞いている」


「ちょっと、それじゃあどうすんのよ! 一生こんな所で暮らせっての?!」


 シャミセンの言葉に怒り出すハルヒだが、シャミセンは全く意に介さず考え込む素振りをしている。


「だが、確か何か特例があったような……」


 しかし、その思考がまとまる前に朝比奈さんが声を上げる。


「あっ!! 古泉君!!」


 彼女の美しい指が指し示した先には、何と古泉が右腕の銃を構え、険しい表情を浮かべて立っていた。


「古泉……お前、まさか本当に……」


「来ないで下さい! これは僕の……僕がカタをつけなくてはならない事なんです!!」


 俺の問いに対する、古泉の全てを拒むかのような叫びに、その場にいる一同が呆然となる。こんなに取り乱す古泉なんか見た事が無かった。……さっきの惨劇、本当にお前の仕業なのか?


「古泉君!!」


 ハルヒの呼びかけにも古泉は背を向け、


「放って置いてください……」


 それだけ言い残して走り去って行ってしまった。――仲間を信じたいという思いと抑えきれない疑念のせめぎあいで、誰しも口を開けない静寂に水を差すかの如く言葉を挟んだのは、これまた事情を知らないシャミセンだ。


「彼もキミたちの知り合いかね? 何か危なそうな雰囲気を纏っていたが……」


「キョン君、どうしよう? 古泉君、いつもと違う……」


 不安げに古泉の消えた方を見る朝比奈さんに、俺はとにかく追い掛けて話をしましょう、と言うしかなかった。






 古泉の後を追ってコレルプリズン内を走る俺たち。どうやら立ち並ぶ廃屋やコンテナが天然の留置所になっているらしく、多くの囚人たちが出入りしていた。建物の造りからして、ここはかつて人が暮らしていた村か何かと思うが――ひょっとして。


「そう、キミの推察通りここはかつてのコレル村だ。神羅のテロリスト討伐で焼き払われて廃村になって以来、ここは更正不可能な凶悪犯、神羅に反対する政治犯などが収容される刑務所として使われている。周りは果ての無い砂漠で脱獄は到底不可能。だから特殊な設備もほとんど必要ないまさに天然の監獄だ。そんな神羅の闇を覆い隠すかのように、真上に建てられたのが、世界最大の娯楽の殿堂という訳だ。何とも皮肉な話だがね」


 長い解説どうも、シャミセン。このパーティーに解説好きがまた一人増えたみたいでやれやれだが、なるほどね。つまりここが古泉の故郷、ということか。それならば、古泉がここで暴挙に及ぶのも説明が付くが……。そんな事を考えていると、


「ねぇ、キョン。さっきから変な奴があたしたちの後付けて来るんだけど……」


 横からハルヒが小声で話し掛けてくる。そう……みたいだな。敢えて無視していたんだが、さっきからここの囚人らしき男が後ろから付けて来ている。本人はバレてないつもりなのだろうが、はっきり言ってモロバレだ。だが、相手がどういう目的なのか分からないのではどうしようもないからな。


「取り敢えず放って置くしかないな。――目を合わせるなよ」


「キョンさん……動物園のサルじゃないのです……」






 そうして、古泉が入ったと思われるこのプリズンの中では一番大きな廃屋の扉を開けた途端、機関銃に弾を込める冷たい音が響く。


「来ないで下さいと言ったじゃないですか!」


 ――古泉が俺たちに銃口を向けていた。


「!――古泉、やめろ! 話せば分かるって!!」


 俺の説得に耳を貸す事無く、古泉は容赦無くマシンガンをぶっ放した。だが、俺たちには何の危害も無い。すると、ドサッという鈍い音と共に、さっきまで俺たちをつけていた囚人が焼け爛れたソファの裏で倒れた。――そう言う事か。なんかのジョークかと思ったぜ。古泉は漸くいつもの微笑を見せた。


「驚かせてすみません。ここはならず者の溜り場。特に新入りは真っ先にカモにされます。生き残るためにはそうやって自分で身を守るしかないんです。――本当はあなたたちを巻き込みたくなかったのですが……」


 その言葉に、朝比奈さんやハルヒはクスッと笑った。


「それ、キョン君の台詞ですよ。『危険だ、巻き込むわけにはいかない』とかなんとか、ね」


「そうそう。それにあたしたち、もう思いっきり巻き込まれちゃってるんだから。さあ古泉君、きちんと説明してよね」


「皆さん……」


 古泉は両の瞳を丸くして俺たちを見遣る。そこで長門が一歩前に出て、


「闘技場の事件は、片腕が銃の男の仕業だと聞いた。……古泉イツキ、あなた?」


 彼女らしい核心を突く質問をぶつけると、


「もう一人いるんです……片腕に銃を持つ男。4年前の『あの日』から……」


 漸く観念したのか、古泉はあの昔話の続きを語り始めた――。






『イツキ。久し振りね。元気してた? あなたが傍にいない日々はやっぱり寂しくて、コレル村での日々を思い出しては泣きそうになってたけど、ミッドガルでの仕事もようやくかたが付きそう。そうね。あと二週間だけ待って。必ずあなたの元へ行くわ。これからはずっと一緒に、ね。


                         ――愛を込めて 森ソノウ』




 ――ちょうど二週間前に貰った手紙を僕はもう一度読み返し、自分でも分かる幸せいっぱいの笑顔を浮かべた。指折り数えて待ち焦がれていた今日がその日。どうやって彼女を迎えようかと思ったその時だ。家の外が妙に騒がしいことに気付いて僕は扉を開けて家から出た。


『どうしたんだ?』


 僕は近くにいた鉱夫仲間に尋ねる。彼はかつて無いほど狼狽しているようだった。


『あ、古泉! 大変なんだ!――魔晄炉が……魔晄炉が爆発した!!』


『何だって?!!』


 僕も狼狽して、無意識のうちに彼の両肩を強く掴んでいた。


『痛ッ……とにかく爆発だ!! それも相当な規模らしい』


『嘘だ……そんなの、嘘だッ!!』


 その言葉を発した瞬間には、僕はもう既に魔晄炉に向けて走り出していた。




 断崖の山道を、今はもう使われなくなったトロッコの線路を、何度も転びながらも必死に走って魔晄炉へ向かった。そんな馬鹿なことがあってたまるか! 彼女がここまで苦労して造った魔晄炉だ。それがこんなことで全てが水泡に帰すなんて……。


 そして、魔晄炉がもう少しで見える所まで来た時、横から息を切らした男の声がした。


『イツキ……大変な事になったな』


『…………ダイチ』


 あの夜以来、僕と彼は意図的にお互いを避けていたから、こうして言葉を交わすのは久方振りだった。けれど、それ以上話す事も無く、僕たちは無言のまま魔晄炉まで走った。そして――




『どういう事だ!?』


 聳え立つ巨大な魔晄炉を前にして、ダイチは叫んだ。僕も訳が分からずその場に呆然と突っ立っていた。――そう、魔晄炉は無傷だった。いや、確かに爆発の余韻であろう白煙は上ってはいたものの、村で聞いたような大規模なものではなく、魔晄炉は何事も無かったかのように、エメラルドグリーンに輝く魔晄を吸い上げ続けていた。


『とにかく、無事でよかった……のか』


『いや……俺が村で聞いた話と明らかに違いすぎる――何か、嫌な予感がする。イツキ、急いで村に戻ろう』


 踵を返して村へ駆け出すダイチに続いて僕も走った。魔晄炉に何ら被害が無かったことに安堵している筈なのに、この心の底から湧き上がる黒い予感に、心臓が押し潰されそうになるのは何故だ!? そのどうしようもない不安感を増幅させるように、村の方角から聞こえる砲撃音と銃声――!!?




 突如聴こえた在り得ない音に、耳を澄ませようと立ち止まった僕たちの前に、村の長老とも呼ばれていた老人が血塗れになってヨタヨタと走ってくるのが見えた。


『古泉! 榊! 大変だ! 村が襲われた! 神羅の兵だ!』


『え…………』


 長老は、そう叫ぶとそのまま前のめりになって倒れた。慌てて彼に駆け寄るダイチ。僕は――というと、その言葉のあまりの衝撃で、間抜けな一言しか発する事しか出来ず、その場に呆然と立ち尽くしているだけだった。ダイチは長老を抱き起こし、応急処置を試みるが、もう駄目だというのは僕もダイチも分かっていた。それでもダイチは諦めずに長老に呼びかけた。


『長老、しっかりしてくれ!!』


『榊、古泉――――村を……頼んだ……ぞ』


 長老はそのままダイチの腕の中で事切れた。ダイチは長老の瞼を閉じると、まだその場に突っ立っていた僕の腕を強引に引っ張った。


『――イツキ!!』


 僕はダイチに腕を引かれて村を見下ろす高台――かつて僕と「彼女」が愛を語った場所――へ向かった。そこで僕らが目にしたのは、





 ――――燃え盛る故郷の姿だった。






『ど……う…して……』


 村が襲われた。神羅の兵に。神羅に。村が……じゃあ、「彼女」は……? 僕の所に帰ってくるって約束したじゃないか――信じられない事態の連続に、僕の頭の中で同じ言葉が何度も何度もぐるぐるぐるぐる回っていた。するとダイチが、そんな僕の肩を掴んで力を込めて揺さぶった。


『おい、イツキ! しっかりしろ!! まだ終わってなんかない! みんなが、待ってる!! 俺たちの村へ帰るぞ!!!』


 ――そうだ、帰らなきゃ。みんなが、村のみんなが、アヤノが、待ってる。僕と彼女の「未来」をしゅくふくするためにみんなまってる……




 ……そんな在りもしない希望を打ち砕いたのは一発の銃声――既に息をしていない長老の頭に打ち込まれ、その脳髄を撒き散らした、森ソノウの放った銃弾だった。


『――で、村人は全員始末したの?』


 たった今の自分の行いに何の感動も無く、周囲の兵士に問う森ソノウの声は、これまで聞いたことが無かった冷徹なものだった。それだけでもショックだったのに――


『……いえ、あと2名…ほど』


 震える声で答えたその兵士の頭を有無を言わさず撃ち抜き、


『何やってんのよ、このノロマ! もし逃がしたりなんかしたら、こいつみたいにドタマぶち抜くわよ!!』


 と周囲の兵士たちに向かって叫ぶその姿に、ああ、これは夢だ、そうに違いない、などと現実から逃避するような思考が頭を支配していく。――いや、これがタチの悪い夢だったらどんなに良かっただろうか。ついに僕たちを見つけた神羅兵たちが銃口を向けて容赦なく銃弾を放ってくる。その風切音、腕を掠めるその痛みが、状況のリアルさを教えてくれる。


『嘘……だろ……』


 だが、僕は何をしていいのか、何を考えればいいのか一向に分からず、その場に立ち尽くしていた。すると、僕の右頬が乾いた音と共に一瞬熱くなる。


『イツキ! しっかりしろ!! とにかくここから逃げるんだ!!』


 ダイチはそのまま僕の腕を引いて、神羅兵と逆方向だが、村へと降りる回り道のルートへと向かった。僕も右頬の痛みが引くに従い、段々と己を取り戻していく。そうだ、早く村に戻って、みんなを助けないと。家族が、アヤノが、みんなが……


 僕らは後ろから唸るような着弾音に追われながら、村への道を急いだ。足に、腕に、鋭い痛みが走るが、それにも構わず走り続けた。だが、


『キャハハハハハ!! 下手な鉄砲はいくら撃っても当たんないのよ!!』


 村へと続く崖道。業を煮やした森ソノウが兵士の一人を崖下へ蹴り落とした時、ちょうど僕らは曲がりくねった道の関係上、神羅兵の斜線上に立ってしまっていた。


『キャハハハハハ!! ほら、遊んでないで援護しなさい!!』


 落ちた兵士の銃を自ら手に取って森ソノウは兵士に号令を掛けた。奥へと逃げようとする僕たちに容赦無い鋼鉄の弾の雨が降り注ぐ。それにバランスを崩したダイチが――


『危ない!!』


 崖から落ちかけたダイチの左手を、僕の右手が辛うじて掴んだ。僕は道に這い蹲り、崖から宙ぶらりんの格好となったダイチを必死に引き上げようとする。


『ダイチ!! 決して離すな!! いいか、村へ帰るんだろ!!』


『ああ……。離す訳がねえ……。俺たちの村に帰るんだ………皆が待ってる……親父が……お袋が……アヤノが……俺たちの帰りを……』


 だが、そんな僕たちを見る森ソノウの眼は冷ややかなままで、あの何よりも愛しかった唇が、醜く歪んでいた。


『キャハハハハハ!! 何とも美しい友情ゴッコだこと。そのまま仲良くあの世に逝ったらどう?』


 僕は渾身の力で榊を支えながら、森ソノウを睨み付けた。


『ソノウさん! 何故だ! どうしてこんな事を?!! あの約束は何だったんだ!!』


 僕の呻くような叫びに、森ソノウは怖気の走るような笑い声で返した。


『キャハハハハハ!! あんた、本気でそんな事を信じてたの? お笑い種ねえ。これだからド田舎人は騙しやすいのよね!!』




『―――――――!!!』




 嘘――? あれが、全部、偽り? 好きだ、って言ってくれたあの時も、交わした甘い口付けも、村や世界の人に役立てる事をしたいという理想も、全てに片が付いたら一緒になるっていう約束も、みんな、みんな――


『勘違いしないで。魔晄炉を造るのは神羅のため。神羅が栄えれば世界はますます発展し、人々はもっと幸せになる。翻って見れば、これは人々のためになるのよ。あんたたちはその為の尊い「生贄」って訳』


 混乱して喚き散らす僕に、森ソノウはそう言い放つと、何の躊躇いも無く銃口を向けた。僕が手で支えていたダイチがそれに気付いて僕に叫んだ。


『イツキ、俺の事はいい! お前だけでも、早く!!!』


 余りのショックで思考が停止していた僕は、その声で現実に引き戻された。僕は、首をブンブン横に振る。


『そんな事、出来る訳無いだろう!! お前を見捨てて、自分だけ生き残るなんて――それこそ本物の馬鹿野郎じゃないか!!!』


 正直、悲しさと、情けなさで一杯だった。ここに来て漸く僕は理解した。ダイチが全て正しかった。あの女の甘い言葉に浮かれて、神羅の片棒を担いで……僕が村を破滅に追い込んだんだ。


 僕は更に腕に力を込める。そして、少しずつではあるが、ダイチが上がって来るのが分かった。そうだ、もう少しだ。――しかし、


『もう、死になさい』


 森ソノウの散弾銃が、鋭い銃声と共に、繋がれた僕と榊の手を吹き飛ばした。僕は、右肘の先から零れる血と、榊が谷底へ堕ちて行くのを、黙って見ているしかなかった――






「――僕の右腕は、もう使い物になりませんでした……」


 古泉は右腕に触れながら、悲しげに呟く。誰も彼も無言で聞いているしかなかった。あのロープウェイ乗り場の時よりも重苦しい雰囲気に支配されながら。古泉の話はなおも続く。


「しばらく悩みました。けど僕は右腕を捨て、この銃を手に入れました。僕から全てを奪っていった神羅に復讐する為の新しい右腕……その時、医者から聞いたんです。僕と同じ手術を望んだ男がもう一人いるという事を。ただし、彼は左腕が銃になっています」


 つまり、そいつが榊ダイチって奴なんだろうな。ここで、口を開いたのは意外なことに朝比奈さんだった。


「でも……それなら榊さんも古泉君と同じ、ですよね?」


「そうよね。神羅に騙されたんだもの。きっと、一緒に神羅と戦ってくれるわよ!!」


 やけに明るい調子でハルヒが言うが、古泉は無言で首を振るだけだった。


「……それは、分かりません。けれど、僕はダイチに謝らなければいけない気がするんです。だから……一人で行かせて下さい」


 古泉の強い意志を秘めた瞳に、ハルヒは不安げな表情で俺を見たが、俺の答えは既に決まっていた。


「好きにすればいい――と、言いたいところだがダメだな。ここで、お前に死なれると夢見が悪そうだ」


 俺が言い放った言葉に、一同が頷いた。


「古泉君。ここで終わりじゃないですよ」

「星を救うんでしょ?」


 それでも古泉はその流れに抗うかの様に叫ぶ。


「――涼宮さん、もうお分かりでしょう? 星を救うなんて格好付けた事を言ってますが、僕は神羅に、森ソノウに復讐したいだけなんです。自分の罪滅ぼしをしたいだけなんです!」


 するとハルヒは、悲しげにこう呟いた。


「……いいじゃない、別に。あたしだって似たようなものだわ」


 と言う訳だ古泉。これ以上の抗弁は団長命令で却下だからな。古泉は、「すみません」とだけ言って、それ以上何も告げることは無かったが、その両目尻に小さな雫が浮かんでいたのに俺は気付いた。でも、俺は敢えてそれは黙ってやることにした。多分、他のみんなもそういう気持ちだったに違いないさ。






 古泉の話によると、その榊なる男はこのコレルプリズンに居るとの事だが、正確な居場所までは分からないという。そこで、俺たちは今居た廃屋――かつての村長の家――を出てプリズンを探索することになった……のだが。ここが無法地帯だと言うのはやはり本当らしい。


 突然ハルヒの後ろから囚人服の男がぶつかって来て、鞄の中から小さな小瓶を手にそのまま逃げ出した。


「?!――ちょっと、何エーテルターボ盗んでんのよ!!」


 ちなみに『エーテルターボ』というのは、マテリアで魔法を使う時の精神力を全回復させる薬で、コレル山を登る途中の宝箱で発見した貴重品だ。強力な敵と対峙した時のために取って置いていたのに、こんな所でむざむざ盗まれる訳にはいかん。


「キョン、早く追いかけなさい!!」


 言われんでもそうしてるが、こいつ、逃げ足だけは速すぎる! それどころか同じ様な囚人たちがあちこちから現れ、朝比奈さんや長門たちからもアイテムを奪おうとしている。このパーティーの財布を握っている古泉は言うまでも無い。これはまずい――賊を追いかけるか、引き返すか一瞬迷って立ち止まったその時だ。


「♪~~♪~~♪~~」


 何とも間抜けな音がした方を見ると、シャミセンが手にしていた黄色いメガホンを通して何かを唄っているようだった。すると、周防があの長ったらしい髪の先端を瞬時に四方八方に伸ばし、全ての囚人どもをそのまま縛り上げてしまった。呆気に取られる俺たちの前で、周防は取られたアイテムを、ぎゅうぎゅうに締め上げられたショックで気絶した囚人たちの手から無言で回収していった。


「……何だ、今のは?」


 盗られたマテリアを無表情で俺の掌に置いてくれた周防に問いかけたが、代わりにシャミセンがこう答えた。


「だから言ったであろう。この娘は私のサポートメカ。このメガホンを通して命令を伝えれば、その通りに戦ってくれる」


 メガホンを掲げ、やや自慢げに語るシャミセンだが、俺が聞きたいのはそんな事ではなく、あの髪の毛は一体何なのかという事なのだが。それをもう一度問い返す前に、危うく後ろから現れた別の男に背中のバスターソードを盗られそうになったので、すかさず真一文字に斬って捨てた。……この盗っ人共、ゴキブリのように湧いて出てくるな。




 ようやく囚人服の盗賊を粗方片付けた頃、少し離れた所から様子を眺めていた別の囚人服の男が、俺たちを讃えるかの様な拍手をしながら近づいてきた。俺たちは若干警戒した眼でそいつを見たが、男は臆する事無く快活に笑って見せた。


「いやあ、お見事。普通新入りは、ここに落ちたら半分は半日経たずに身包み剥がされて、次の朝には野垂れ死ぬモンだがな。あんたたちは相当出来ると見たぜ。来な。手島さんに会わせてやる」


 男はそれだけ言うと村の中央に不自然に停まっている巨大なコンテナ付きのトラックの方へと歩いて行く。


「……キョン、どうする?」


 ハルヒがやや不安げな面持ちで俺を見る。確かに罠かもしれんが、手島とか言う奴は恐らくここの牢名主、言わばボスみたいな存在なのだろう。ひょっとすると榊の事について何か知ってるかもしれない。


「とにかく行ってみよう……いいか?」


 俺は了解を取るように古泉を見たが、奴は何も言わずに首を一度だけ縦に振った。

 



「そこの奴らは嘘しか言わねぇんだ。嘘だけだ。本当の事なんて何一つ言わねぇよ。何回か聞いてみな、呆れてくるぜ」


 手島なる男がいるというトラックのコンテナへ行く途中、案内人の男が道端に並んで立っている三人の囚人を指して、呆れ返るかのような溜息を混ぜて吐き捨てる。その囚人たちは、まるでオウムかインコのように生気無く同じ言葉を繰り返していた。




「ここは天国だぜ」

「ここは天国だぜ」

「ここは天国だぜ」




「余りに長い間、ここに居過ぎたせいで狂っちまったんだな。上へ登れるほどの『才能』も『度胸』もなかったみたいだしな」


 余りにもシュールな光景に、どうリアクションしていいか迷っていると、男が頼んでもいないのに解説してくれた。けれども俺たちにしてはどうでもいい事だ。まさしく、興味無いね。


「おっ、分かってるじゃねぇか。そうだ、ここでは他人なんかに構ってやる余裕なんて無いんだ。生き延びて、そして娑婆に出る権利を勝ち取るためにな。……もうすぐだ。付いて来い」




 何故かやたら上機嫌になった男の後に付いて、手島がいるというコンテナまでやって来たが、その入り口付近でも囚人服の男が死んでいた。これも、ゴールドソーサーの時と同じく銃で撃たれた後だった。榊がここにいるのはやはり間違いない。後は居場所を手島から聞き出すだけだ。俺たちは男に言われるままコンテナの中へと入って行った。


「手島さん。なかなか有望な新入りを連れて来ましたぜ」


 男の言葉に、それまで背を向けていた緑色のスーツという何とも悪趣味な格好に身を包んだ茶髪の男が振り返る。切れ長の眼を吊らせたいかにも不良っぽい外見をしたその男――手島は俺たちを値踏みするかのようにジロジロと眺め回す。


「こいつらが、か? 女子供も混じってるじゃねぇかよ」


 その言葉にハルヒが憤慨して手島にづかづかと詰め寄る。


「女子供とは失礼な言い草ね!」


 ハルヒの勢いに多少気圧された様だったが、手島はやや乱れた襟を直して俺たちに向き直った。


「……まぁ、度胸があることだけは認めてやるがな。おめえ、ここがわかってねえな。ここはゴールドソーサーのゴミ捨て場。てめえらもクズなんだよ」


 クズ……ねえ。ここに落とされた理由は冤罪以外の何者でも無いし、その真犯人だってここの人間だろ? あんたの監督不行き届きを棚に上げてそんな事を言われる筋は無いってもんだが、それをここで主張してもしょうがない事ぐらい分かりきっていたので、俺たちは手島の台詞を黙って聞いていた。


「娑婆へ戻りてえんなら、チョコボレースで優勝するしかねえ。だがな、てめえらみたいな新顔がすぐ出られるほど甘かねえよ。ま、ボスの許可でも取れたら別だがな。取れるわきゃあねえか? はははっははっ」


 成る程、これがシャミセンの言ってた『特例』という奴か。だが、それ以上に俺には聞き逃せない台詞があった。


「あんた、ボスじゃないのか?」


 すると手島は大げさに手を振って、


「とんでもねぇ。ここのボスは榊ダイチ――ああ、名前出すだけでも恐ろしい、悪魔みてぇな奴だ。あいつはここでも上でも、気分次第で他人を平然と撃ち殺しやがるから、俺が上との仲介役とここの管理役をやってるって訳さ」


 心なしかブルブル震えながら話してるところを見ても、その榊ってボスは相当おっかない奴らしい――ん?


「――『榊』、ですって?!!」


 俺が『そのこと』に思い至った時には既に、ハルヒが手島の襟首を掴んでシェイクし始めていた。


「そいつ、左腕がマシンガンかなんかになってる男なんでしょ! そうでしょ!!」


「ぐああああ、止めろ止めろ!! マジで首が絞まる――っ!!」


 ……いいけどハルヒ、やり過ぎるとそいつ、死ぬぜ?




 興奮するハルヒを俺が何とか抑え、何とか息を整えた手島は「その通りだ」と認めた。


「ふん、てめぇら奴を探してたのか。そりゃ丁度いいじゃねぇか。どうせここを出るには奴の許可を得ないといけないんだ。――けどな。榊は危険だ。機嫌が悪けりゃ話しかけただけで死ぬことになるぜ。今朝も俺の手下が一人やられた。そうそう、てめぇらが来た事を報告しようとした時さ」


 ハルヒに見事にやられて悔しいのか、精一杯の悪態をつく手島だったが、そんなのはどうだっていい。古泉の意思を尊重するなら、その榊って野郎は避けては通れないらしいからな。


「ま、せいぜいお陀仏にならない様にな。死体埋めるのだって結構手間掛かるんだぜ――――ほらよっ!」


 榊はボロ紙に何かを書き付けてハルヒに渡した。横から覗いてみると、どうやらこのプリズンの地図らしい。


「プリズンの外れの髑髏印が描かれている小屋が奴の住処だ。……多少はできるみたいだからな。『期待』してるぜ」






 手島から貰った下手糞な地図を見ながら、俺たちは先程と同様に囚人服の飢えたコソ泥共を撃退しながら、もと来た道を引き返し、さらにプリズン内を北上して行く。古泉は榊のアジトへの道を辿りながら何か考え込むような表情を見せた。


「この道は……――まさか」


「どうした、古泉?」


「いえ…………とにかく先を急ぎましょう。恐らく、彼はこの先です」


 古泉はそう言うと、先頭を歩くハルヒを追い越してどんどん先へ先へと進んで行く。まるで、目的の場所が分かっていると言いたげに。果たして――




 ――古泉がふと立ち止まった廃屋の裏手に、『その男』が立っていた。




「……ダイチ、……お前なのか?」


 榊は古泉の呼び掛けに、俯く顔をゆっくりと上げた。今気付いたが、榊の立っている場所――それは花畑だった。花も咲かないような砂漠の荒野なのに、何故かそこだけライラックの白い花が咲き乱れていたんだ。


「懐かしい声だな……」


 そんな在り得ない幻想的な光景に俺たちが目を奪われている中、榊はゆっくりと古泉に近づく。


「忘れようにも忘れられない声だ……」


「いつか会えると信じていた……僕と同じ手術を受け、どこかで生きていると……」


 古泉も呼応するかのように榊に向け歩みを進めた。しかし、


「聞いてくれダイチ。お前に――」


 古泉の台詞が言い終わらぬうちに、榊は表情を一つも変える事無く、左腕の散弾銃を一発、古泉の足元に放ち、抑揚の無い声でこう言った。


「声が……聞こえるんだ」


「……?」


「ずっと聞えてくるんだよ、『あの時』のアヤノの声が。『お願いだから……イツキ君を恨まないで』ってさ……だから、あんたを追っかけるのは止めといた……」


 肩を落としながら話す榊の眼は、古泉への憎悪に彩られていた。それでも古泉は対話を試みる。


「……自分の愚かさは知っている。許してくれとは言わない。でも……こんな所で何をしてるんだ? 関係無い人間を殺してどうなる? 何故だ?」


 その言葉に榊は両目を見開いて叫び出す。


「……何故!? 理由を聞いてどうする!? それで殺された人間は納得するのか? 神羅の言い分を聞けば、コレル村の人間は了解するのか!? 理由なんてどうでもいい! 与えられるのは銃弾と不条理……残されるのは絶望と無の世界……それだけだ!!」


「…………」


「それでも訊きたいか?……なら教えてやろう」


 榊は再び古泉に銃を向けた。そして、


「俺はな、壊してしまいたいんだよ」


 銃声。


「この街の人間を!」


 再び銃声。


「この街の全てを!!」


 さらに銃声。


「この世界の全てを!!!」


 ――全く動けなかった古泉の足元には、3つの弾痕が綺麗に横一線に並べられていた。


「……この世界にはもう何も無い。コレル村、家族も……そしてアヤノも……」


 虚ろな表情で気味の悪い笑みを見せる榊。こいつ……かなりヤバイぞ。経験上分かる。こういう奴は話し合いなんて通じないぜ、古泉。覚悟を決めないとお前が死ぬことになる。だが、古泉はそれでも言葉を続ける。


「けど……それで何もかも壊して何になる?! ダイチ、そんな事、アヤノや村のみんなが望むわけ無いだろう!!」


「黙れ!! お前が……お前がアヤノを語るな!! あいつの……あいつの気持ちを裏切ったお前がッ!!!」


 鋭い銃声と共に、古泉の足元に弾痕がもう一つ付け加えられる。けど、成崎アヤノ――古泉たちの幼馴染の少女だと聞いているが、その名前が出る度に、榊が感情を乱している気がするのは俺だけではあるまい。


「僕は……僕は確かに村を滅ぼしてしまった。アヤノも死なせてしまったんだ。死神と蔑まれても仕方が無いと思ってる。でも――」


「違う! それだけじゃない!! お前、気付かなかったのか? アヤノがお前に向けていた微笑を! お前だけに向けていたその微笑を!! 俺がずっと求めてやまなかった微笑を!!!――お前はそれに気付きもしないで――!」


「ダイチ……」


 全く予想だにしなかった言葉だったのか、古泉は呆然と己にあらん限りの感情をぶつけてくる榊を見詰めた。


「……俺はあいつが幸せになるなら、お前となら……それでも構わなかった。二人の傍で見守って、ガキの頃約束したみたいにずっと3人で一緒にいようって、そう思ってた。それなのに……」


 榊は何度も銃を古泉の足元に向け放つ。既にその地面は蜂の巣だ。しかし、榊はその行為とは裏腹な柔和な表情をふっと見せ、右手で後ろのライラックが咲き乱れる庭を指した。


「なあ、イツキ。……綺麗だろう? ここまでなるのにかなりの時間が掛かったんだ。こんな砂漠に咲く筈も無いライラックがこんなにも綺麗に――きっと『向こう』にいるアヤノだって喜んでくれる。…………そうだ。ここでお前を『向こう』に送れば、もっと喜んでくれる――よな?」


 榊は花園の横に立つ十字架――多分、成崎の墓だろう――を優しく撫でながら、左腕の銃口を古泉に向け、銃弾を装填した。


めろ、ダイチ! 僕はここで死ぬ訳にはいかない!」


 ようやく自我を取り戻した古泉の必死の叫びも、傍目にも狂気に捉われていることが分かる榊に届く筈も無く、奴は口元を自嘲めいた笑みで歪める。


「そうかい。俺はあの日から命は捨ててるぜ」


「止めてくれ! お前とは戦いたくない!」


 あくまで戦う事を拒もうとする古泉。――チッ、仕方ない!


「古泉!!」


 右手に剣を取って今にも古泉を撃とうとしている榊に斬り掛かろうとした俺だったが、


「手を出すな!! これは、僕の問題なんだ!!」


 それに気付いた古泉は、いつもの丁寧口調を捨てて俺やハルヒたちを制し、覚悟を決めたのか、無機質な右腕を榊に向けて弾丸を込めた。それを見た榊は満足そうに高らかに笑う。


「そうだ、それでいいんだイツキ。決着を付けようぜ。あの時のなっ!!!」


 その言葉と共に左腕の散弾銃が火を噴き、ついに死闘が始まった。




「くっ!!」


 榊の放ったのは小さな弾が放射状に広がる散弾ではなく、先程までと同じ近接戦闘ではかなりの威力を発揮するスラッグ弾。しかし今度は古泉の心臓を目掛けて飛んでくる。古泉はその弾道を読み切り寸での所でかわすものの、弾は右肩をかすめ、その傷口から血が噴き出す。


「古泉君!!」


 堪らずハルヒが加勢しようと駆け寄るが、古泉は無言で左手を出してそれを留める。それでも止まろうとしないハルヒを、すかさず俺は羽交い絞めした。


「何するのよ、バカキョン!! 離しなさい! このままじゃ古泉君が!!!」


「いいから、黙って見てろバカ!! ――これは古泉の戦いだ。俺たちにはもう、口を挟む権利なんて無いんだ……」


「…………」


 ハルヒは尚も不満げに俺を睨むが、やがて納得したのだろう。俺の腕の中で大人しく戦いの行方を息を呑んで見守っている。その間にも古泉は、榊の放つスラッグ弾の雨を掻い潜りながらアサルトガンを構えて銃弾を榊に向け放った。


 だが、その弾道は榊の腕や脚を掠めるだけで、それだけでは、全力の殺意で挑んできている奴を止める事など到底出来ない。


「何だぁ?!! そんな弾じゃ、俺を倒すことなんて出来ねぇぜ!!!」


「…………」


 榊の挑発に無言を貫き通した古泉は、もう一度アサルトガンから無数の銃弾を放つが、そのどれも致命傷を外したコースだ。榊は両肩から血を滴らせながら、失望した表情で古泉を見遣り、


「死ねぇぇぇ!!!!!」


 叫び声を上げながら装填する弾をスラッグ弾から散弾に換え、古泉に向け放つ。古泉は上空に飛び上がり致命傷を受けるのを回避したが、それが罠だった。すかさず第二弾が放たれ、古泉の両腕、両足、そして脇腹を貫いた。古泉はそのまま地面に激突し、そのまま動かない。榊は銃口を無慈悲に向けて止めを刺そうとしている。


「古泉君!!!」


 ハルヒが俺に羽交い絞めされたままの状態で叫ぶが、このタイミングでは、俺とハルヒの物理攻撃は元より、マテリア詠唱の魔法、そして長門の呪文ですら間に合わない。古泉は呻きながら顔を上げ、己に向けられた銃口に気付いて静かに眼を閉じた。――このまま仲間が嬲り殺しにされるのを黙って見ているしか無いのか――そんな思考が脳裏を掠めたその時だ。






「――――止めてぇぇぇぇ!!!!」






 刹那、古泉と榊の間に一つの影が入り込む。気が付くとツインテールの少女――橘京子が古泉を庇うかのように両手を広げて立ち塞がっていた。


「橘……さん、……どうして…………?」


 驚愕に目を見開いた古泉の言葉に、橘は首を激しく振って、幼子が泣き叫ぶかのように答える。


「わかんない! わかんないよ!! でも……でも、こんなの間違ってる! 二人とも悪くないのに、神羅に大切なものを奪われたのは一緒な筈なのに、どうして殺し合わないといけないの!!?」


「「…………!!!」」


 古泉も、そして榊もその少女の言葉に、まるで雷に打たれたかの様に何も返すことが出来ず、その場に固まってしまう。




 ……暫しの沈黙。僅かな均衡。




 それを打ち破るかのように、榊が銃口を橘に向け、低く声を上げる。


「……退け」


「イヤ!」


「退けと言ってるだろ!」


 恫喝の言葉にも、橘は首をブンブンと振って拒んだ。


「あたしは……あたしはちゃんと古泉さんに謝ってない。古泉さんだって……それに……そこに眠っているアヤノさんは、きっと……きっと、泣いてるよ!!」


 十字架を指しながら喚く橘の台詞は支離滅裂だが、それに何を見たのか、榊は明らかに取り乱し始めた。


「……止めろ……止めろ!! お前ごときが、アヤノの名を語るなぁぁぁ!!!」


「……………!!!」


 橘は強い意志をこめた瞳で榊を精一杯睨み付けた。今にも震えそうなのを堪えながら。それを目の当たりにして、榊は――


「うおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!」


 ――雄叫びを上げ、橘に向けて左腕の引き金を引こうとした――そのコンマ数秒前。


「―――橘さん!!!」


 古泉は渾身の力を込めて橘を横へ突き飛ばし、右腕の銃が榊に向けて火を噴いた。




 放たれた弾丸は、相対する男の喉笛を目掛け、空を切り裂き一直線に進む。榊は驚異的な反射力で首を横に倒すが、避けきれず、銃弾は彼の頚動脈を貫き――鮮血が荒野の空に向けて噴出した。


「―――!!!」


 膝をつく榊にフラフラになりながらも駆け寄ろうとする古泉。だが、榊は顔面が蒼白にしつつもそれを押し留めた。


「……そうだよ、それでいいんだ。イツキ。やっと……やっと、本気で…俺を……殺そうとしてくれた……」


「ダイチ…………」


「……尤も、あの女を庇ってというのが、少し……腹立たしいな……結局、アヤノは最後までイツキの味方だった……ってこと、かな」


 榊は自嘲めいてクスッと笑うと、途端に真剣な表情を見せて立ち上がる。


「――イツキ、最後の勝負だ」


 ――!! この期に及んでまだやる気か!? 古泉もかなりの傷を負っているが、榊は頚動脈からの出血が激しく、恐らくもう助からない。――まさか道連れにする気か?


「俺の……見立てでは多分、お前の残弾は1発。……俺も丁度1発だ。……最期は早撃ちでケリを着けようぜ……」


 ……一瞬とも長いとも思われた沈黙の後、古泉は静かに頷いた。


「……分かった」






 溢れ出る紅い血を、赤茶けた荒野の上に流しながら二人の男が背中合わせで立っている。ある意味荘厳な光景に、俺たちは――情けないことだが、一歩も動けず、ただただその結末を見守る以外なかった。


「いいか、10歩目だ。10歩……進んだ時点で……すかさず、お前を……撃つ。お前も……その心算で、……な」


「ああ……10歩だな」


 突風が二人の間を吹き抜け、それを合図に、男達は一歩、歩みを進め始めた。




 1、静寂。




 2、鳴く様な風を切る音。




 3、突然の凪、無音。




 4、…………




 5、「……古泉君」ハルヒの呟き声。




 6、…………




 7、…………




 8、不気味な沈黙。




 9、「――――古泉さん」祈るような橘の声。




 そして、―――――10。






 二つの銃声が荒野に響き渡る。――直後、何かが崩れ落ちる鈍い音が一つ。






「ダイチ……どうして……」


 『何の傷も受ける事無く』立ち尽くしていた古泉は、信じられないというような面持ちで、胸に大きな銃痕を受けて倒れた榊を見詰めた。榊はゴボッと口から血の塊を一度吐いて掠れた声で語り出した。


「……俺はあの時、片腕と……あいつと……一緒に……かけがえの無いものを失った……どこで……食い違っちまったのかな……」


 古泉はやっとの思いで榊の傍に寄り、倒れていた彼を抱き起こす。


「ダイチ……分からないよ――僕たち……こういうやり方でしか、決着を着けられなかったのか?」


「言ったはずだ……俺は……壊してしまいたかったんだよ。何もかも……この狂った世界も……俺自身も」


「―――!」


「何驚いた顔してやがる。――本当は、神羅よりも、お前よりも、憎んでいたのは他ならない俺自身だった……のかもな。お前の代わりにすらなれず、アヤノを守ることも出来なかった……俺自身を」


 古泉は首を激しく横に振って否定しようとするが、言葉が声になって出てこない。すると、榊は首につけていたネックレス状の何かを最期の力を振り絞って取り、古泉の左手に握らせた。


「これ、……は……?」


「そのネックレス……アヤノが今際の際に……俺に渡した……ライラックの…………」


「ダイチ……もういい、喋るな!!」


「……それは、お前が……持てよ……それを持ち続けるには……俺の手は……少々汚れ過ぎちまったのさ……」


 そして、やっと穏やかな表情を見せ、そっと天を仰いだ。


「――――ああ、今日は下らなくない、最良の一日だった……そうだろ、アヤノ……」






 ――それが、榊ダイチの最期の言葉となった。






「ダイチ!! ダイチ!!! ダイチぃぃぃぃ!!!!!」


 古泉は冷たくなった榊の手を握り締めて何度もその名を叫んだ。しかし、もうその男は言葉を返さない。


「ダイチ。お前と同じなんだ……僕だって……僕の手だって……汚れてしまってる……汚れきってるんだ……うわあああぁぁぁぁぁーーー!!!!」






 銃声と憎しみと悔恨が飛び交うこの不毛な戦いで、最後に荒野でこだましたのは、古泉の心の底からの慟哭、それだけだった――






 ――それから。満身創痍の古泉は、朝比奈さんのケアルを受けた。みるみる傷が塞がっていく古泉は心配そうに見守る橘に気付くと、最早珍しくもなくなった荒々しい声を上げる。


「何であんな無茶なことを!! もう少しで死ぬ所だったんですよ!!!」


「ご、ごめんなさい……なのです」


 こっちはこっちで珍しくシュンとなって殊勝な顔を見せる橘。すると、古泉は左手を伸ばし橘の頬に触れた。


「……でも、お陰でまた、生き続ける事が出来ました。それは、感謝します」


 その言葉に、橘は一転して輝くような笑顔を見せた。


「は、はい!!!」




 そうして回復した古泉と俺たちは、冷たくなった榊の亡骸を、ライラックの花畑の傍らにある成崎アヤノの墓の傍に埋め、急ごしらえだが木の十字架を立てた。全てを終えた後、古泉は榊の墓標の傍にしゃがみ込んで、静かに語り掛けた。


「ダイチ……結局伝えなきゃいけない事、伝え切れなかった気がするよ……。僕はあれ以来、自分の過ちを、罪を雪ごうと闘って来た心算だ。……でも、それが正しかったんだろうか。また、たくさんの罪の無い人を殺し、傷つけて……きたから」


「…………」


 ハルヒはその言葉に息を呑んだ。自分にも感じるところがあったのだろう。古泉の独晦はまだ続く。


「でも、僕は今ここにいる仲間と星を救うために旅をする。それが正しいことなのか今はよく分からない。けれど……僕は、ダイチと、アヤノと――叶えられなかった夢の分まで、きっと戦い抜くよ。神羅と、そして決して拭い去ることの出来ない僕の罪と。そう――」


 二つの十字架にそっと手を伸ばし、万感の思いを込めて古泉は言った。


「――僕が、死ぬまで」

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