第12章 the lost garden



 なにも無い村だった。


 ほこりっぽくて、のどかで、貧しくて、


 石炭以外は何も無い、ちっぽけな村。


 そこで、僕らはいつでも一緒だった。 




『ほら~、いつきくん、だいちくん、でっかいおしろができたよ!!』




 まあるい眼鏡をかけた女の子が僕らを呼ぶ。僕らはバケツ一杯にした水を手分けして持って、その娘の待つ砂の庭に急いだ。


 他には何にも無い村だから、砂だらけの裏の庭が僕らの遊び場。サラサラな砂を井戸から汲んだ水で湿らせて、トンネルを掘ったり、この村にはない建物――例えば行ったことも無い大都会、ミッドガルの格好良いビルディング――を3人で協力して造ったりしていた。飽きる事無く、毎日。そこは、僕らの夢が一杯詰まった魔法の庭。



『ほんとだね。すてきなおしろだ』


『うん。こんなおおきなおしろ、ぼくもすんでみたいなぁ』


 僕らは思い思いに感想を告げると、少女はニコッと微笑む。


『これは、わたしたちのおしろだよ』


 そうなんだ。ここでは僕らは何にでもなれる。この村ではあり得ないほどの豪奢な邸宅の主人にも、月の向こうまで行ける神羅のロケットのパイロットにも。




『いいねぇ。じゃあ、おれはこのいちばんたかいとうの、てっぺんのへや!』


『ダイチくん、ずるいよ、そこはぼくんだい』


『え~! わたしのへやだよ~~』


 完成した途端に言い争いを始める僕たち。時々取っ組み合いになるのも含めて、いつもの事だった。そして――




『――もういいよ。じゃあ、そこは3人みんなのへやでいいよ』


『うん、それがいいよ』


『そうね、みんなでつかうのがいいね』


 すぐに仲直りするのもいつもの事。そうして僕らは、残りの部屋についてあれこれ想像をめぐらしていく。赤絨毯がいっぱいに敷かれた大広間、世界中のご馳走が並べられた端まで見えない食堂……夢がどんどん砂のお城に詰められていく。


『ほんとうに、こんなおしろ、みんなですめたらいいよね』


 ふと、少女が僕に微笑みかける。


『そうだね』


 僕は素直に答えるけれど、隣にいた少年は、


『ばかいうなよ、このむらはビンボーなんだぜ。そんなのできるわけないじゃないか』


 とちょっと怒った調子で言う。でも、少女は微笑を絶やさない。


『ふふふ。でも、どんなおうちでも、3人でずっといっしょにいられたらいいよね』


『うん!』


『ま、まあな』


 今度はその少年も素直にそう答えたのが僕も嬉しかった。それからしばらく、僕らはその夢に庭に建てられた夢の城を眺めながら、陽が暮れるまで笑いあった。






 なにも無い村だった。


 ほこりっぽくて、のどかで、まずしくて、ちっぽけで――


 でも、


 僕らはこのちっぽけな庭で、いつまでも一緒にいる――そう信じていたんだ。






『HARUHI FANTASY Ⅶ -THE NIGHT PEOPLE-』


第12章 the lost garden






 古泉の様子がおかしい。


 ――いや、元からおかしい奴だとは思っていたが、近頃輪にかけておかしくなってきている。いつからかと問われれば、西の大陸に向かう神羅の運搬船に密航した時からで、コスタ・デル・ソルを出てコレル山に近づくにつれ、それがより顕著になっていった。いつもならウザい位に話し掛けて長ったらしい講釈を垂れる奴が、このところ無口で、あの小憎たらしいニヤニヤスマイルさえ影を潜め、心ここに在らずという風にぼうっと考え込む様子をしばしば見せるようになった。俺がそれとなく指摘してやると、奴はいつもの笑みに戻って「何でもないですよ」と返してくるものの、どこか言葉を濁している様は隠しきれていない。


 ハルヒも朝比奈さんらも薄々勘付いているようで、コレル山への道中、事あるごとに古泉に話しかけているが、「ええ、そうですね」と生返事をするばかりで、暖簾に腕押しと言ったような状態。ハルヒとは別ベクトルで五月蝿い奴だったりするので、たまには静かになるのはいい事のような気もするのだが、どうにも気味の悪さを感じてしまうのは、俺の頭がおかしくなってしまったのか?

  今日も古泉は必要最小限のことしか喋らず、ハルヒと橘の声だけが喧しく響く我がパーティーは、急峻な上り坂の入り口に差し掛かろうとしていた。


「こんにちわ!」


 『コレル山登山道入り口』――そう書かれている古びた木製の立て看板の根元で休んでいた、麦藁帽子を被った登山服姿の男にハルヒが声を掛ける。するとその男は嬉しそうに顔を綻ばせる。


「ふぅー……おっ! あんたたちはちゃんと話しかけてくれるんだな」


「何のこと?」


 ハルヒの問いに、男性は少し目を落とす。


「少し前にすれ違った黒マントの奴がよ、人が親切に、この先は危険だって教えてやってんのに無視しやがってよう」


 恨み節のようなこのおじさんの台詞にも、あの例のフレーズが――


「朝倉……か」


 コスタ・デル・ソルで聞いた情報は間違いなかったようだ。情報通りにゴールドソーサーに入ったのかまでは疑わしいが。とにかく先を急ぐぞ。


「ええ、そうね。――おじさん、ありがと!」


 ハルヒはおじさんに礼を言うと、そのまま山道を駆け上がりだした。……それにしてもハルヒ、コスタ・デル・ソルから4日も歩き通しだったのに、どこにそんな元気があるのやら。ほんの一欠けらでも分けて欲しいものだね。そんな事を思いながら後に続こうとすると、


「この先は危険だよ。道中気をつけてな! 旅先で出会った見知らぬ旅人にあったかい声を掛けて挨拶を交わす。ふう~~旅の醍醐味ですなあ。――あれ、君は一緒に行かないのかい?」


 後ろから聞えたおじさんの声に後ろを振り返る。すると、古泉がさっきの場所に所在無げに突っ立っていやがった。


「古泉君! 何してるの! 早く来ないと置いて行くわよッ!」


 坂の上から響くハルヒの怒声に、古泉はようやく我に返ったのか、俺たちに向けて顔を上げた。


「すみません……今、行きます」


 それだけ言って坂道を上がり始めるが、その声はいつもよりはるかに小さく、覇気が無い。けれども、ハルヒも俺も、それ以上追求することも無く、俺たちは夕陽が射す山の中へと勢い良く駆け出した。――前言撤回。ハルヒだけじゃなく、俺にもあったんだな。そんな元気。






 これまでとは比べ物にならない急峻な山道を登りきると、突然視界が開けてくる。その先には、四方を聳え立つ山々という天然の要塞に囲まれた、蒸気とエメラルドグリーンの光を放つどす黒い塔――魔晄炉が見えた。


「こんな所にも魔晄炉、あったのね」


 山の上から見下ろし、少し息を弾ませながら言うハルヒの感慨深げな言葉に続いて、


「………………コレル魔晄炉」


 古泉は苦々しげに一言だけ呟き、塔から眼を背けた。その声音、表情、どこかで見聞きしたような――俺は半ば反射的に古泉に声を掛けようとしたが、


「行きましょう」


 奴はそれだけ言い捨てて、さっさと魔晄炉に続く下り坂を降りていく。瞬間見えたその横顔は、やけに冷たく思えた。それを奇異に感じながらも、その後に続く俺たち。無論、魔晄炉には警備の神羅兵がいるはずだ。各々武器を構えることを怠らない。


 ところが、拍子抜けした事に、魔晄炉の入り口にすら警備兵の姿が見えなかった。


「丁度いいわ! ここも破壊していきましょうよ!!」


 嬉々として叫ぶハルヒだが、そこは俺が手で制す。


「待て待て。俺たちは今、朝倉を追っているんだ。こんな所で目立つ真似して余計な手間を増やしたくない」


「…………」


 ハルヒは不服そうに口を尖らせる。こういう時にこいつをなだめる筈の古泉は、上の空で黙って魔晄炉を眺めていた。もちろん朝比奈さんや橘はこのシチュエーションでは全く役に立たないことは実証済みだ。さて、どうするか、と思案していると、


「………彼の話が正しいとすれば、星を守るには、魔晄炉を破壊することより、セフィロスを倒すこと方が有効であると思われる。そうであるならば、ここで神羅に追われるリスクを更に追加する必要性は感じられない」


 普段全く口を開かない長門が助け舟を出してくれた。それにはハルヒも虚を突かれた様で、


「ま、まあ、ユキがそう言うならそれでいいわよ」


 少し不満を残してはいたものの、納得顔で頷く。が、


「それより、ここから先にどう進むのですか?」


 橘が周囲を見渡しながら疑問を呈す。……確かに、ここより先には道らしい道は見当たらない。あるのは最早人間が歩けないレベルの断崖絶壁の谷ばかり。だが朝倉はこの山を越えた先にいるのは確実だ。引き返すわけにはいかない――とその時。


「……こっちです。ついて来てください」


 それまで黙りこくっていた古泉が淡々とそう告げると、魔晄炉正面まで延びていた鉄道橋を渡り始める。って、大丈夫なのかよ。見たところこの線路は単線だ。もし列車が来たら、この人数で果たして避け切れるのか。しかし、その疑問にも古泉は歩みを止める事無くさらりと答えた。


「先に進むには、ここしか道は在りませんよ」


 古泉は俺たちに振り返りもせず、自嘲気味に言葉を続けた。


「――それに、列車は来ませんよ。その必要なんて、もう無いですから」






 まるでコースターのように峡谷を縫って走る線路を、俺たちは延々と駆け抜けた。あまり使われていないのだろう木製の橋脚は所々朽ちかけており、何度か足場が崩れて落ちそうな場面にしばしば遭遇したが、何とか無事に切り抜ける。また、浴びると約一分で石になってしまうという煙を吐くダチョウみたいな鳥にも遭遇したが、制限時間いっぱいで撃退。さらに、列車の重みに果たして耐えられるのか不安に駆られる木製の長大な吊り橋を越えた先には――




 ――瓦礫ばかりの荒れ果てた村が、そこにあった。




 『あの戦争』が終わったのは結構前のことだ。なのに、まるで戦禍からそのまま時が止まったかのような光景が目の前に広がる。ボロボロの服を着た住民たちは、絶望に捉われてしまったかのように生気を失った目をしながら歩き、佇んでいた。その中で、比較的俺たちに近い位置で焚き火を囲んでいた数人の男が俺たちの姿を見咎める。


「おい、見ろよ!」

「ああ、間違いない。奴だ!!」


 男たちはゆっくりと俺たちに近づく。鋭いその眼光は明らかに敵意を宿している。俺は半ば反射的に剣に手を掛けるが、すぐ前にいた古泉が銃になった右腕でそれを制して一歩前に出た。


 古泉と相対した男たちの一人が、開口一番こう吐き捨てた。


「ケッ! また、お前に会えるとは思ってもみなかったぜ」


 どこをどう聞いても歓迎の言葉ではない。さらにもう一人が、


「フン! また、どこかの町を追い出されてきたんだろう? 何せ、貴様は死神だからな」


 何とも穏やかで無い言葉まで飛び出すが、古泉は何も言い返しもせずに、無言のまま俯いてその場に立ち尽くしていた。反応を返さない古泉に苛立ったのか、真ん中に立っていた男が更ににじり寄って古泉の胸元を乱暴に掴み、


「どの面下げて、戻ってきたんだ? 見てみろ! てめぇのせいでコレルは無くなり、俺たちはこんな瓦礫の町に押し込められちまった……何とか言ったらどうなんだ!」


 あらん限りの声で叫ぶと、そのまま右の拳で古泉の頬を殴り飛ばす。


「自分がやったことを忘れたんじゃねぇだろうな?」


 周りの男たちもそう言いながら、砂利の上に倒れた古泉に容赦なく蹴りを浴びせた。――流石にこれ以上見ていられない。俺が剣を構えようとしたその時だ。


「ちょっと、止めなさいよ!」


 ハルヒが古泉にリンチを加えている男の一人の肩を掴む。もう片方の拳はいつでも殴れるように準備を整えている。だが当の古泉が、


「……す、涼宮さん……いいんです。……手を……だ…さ……ないで……」


 何度も蹴られ、殴られながらも真摯な眼でハルヒを見詰めながらそう懇願する。ハルヒは当惑したように目を見開いて掴んでいた手を放す。それと同時に男たちも、興を削がれたのか、暴行を止める。


「チッ、面白くねぇ!」

「こんな奴に構ってると、碌な事がねぇな!」


 男たちは古泉に唾と罵声を吐き捨ててその場から去っていく。


「古泉君、大丈夫ですか?!」


 その場に倒れたまま起き上がらない古泉に朝比奈さんが駆け寄って『ケアル』を唱えようとするが、古泉は首をふるふると横に振ってそれを制し、静かに立ち上がる。


「古泉君……」


 心配そうに見詰めるハルヒや朝比奈さんに、古泉は背を向けたまま、


「聞いたでしょう……僕のせいで、この町は……壊れてしまったんです……」


 呻くような言葉を残して、一人あても無く歩いて行く。そんな奴を放っておける筈も無く。俺たちも慌ててその後を追おうとする。その時、背後からさっきの男たちとは別の奴が声を掛けてきた。


「よぉ、あんたら都会から来たんだろ。都会の方じゃ数字の刺青を彫るのが流行ってるのか?」


「いや、知らないな」


 そう答えつつ、どこかで見たような感覚がよぎる。俺は自身の記憶を検索してみる。あれは……そう、朝比奈さんと一緒に伍番街で――


「そうか……ロープウェイのほうに行った奴の手の甲に大きな『Ⅰ』が見えたんだ。黒マントの格好良い女だったぜ」


 男のその言葉に、つい先日コスタ・デル・ソルで水着美女から聞いた話をさらに思い出す。




『昨日のことなんだけど、海から黒マントの女が上がってきたの。ザバザバってさあ。ゴールドソーサーのチケット持ってたような気がしたけど……』




 ……断じてグラマーな水着姿じゃないからな、ハルヒ。何でそんなに睨むんだ? とにかく朝倉がここに来たことは確実だ。早いとこ古泉を捕まえて奴を追わなければ。すると、男は続けてこう言った。


「ロープウェイ乗り場はこっから右の道を行けばあるぜ! ロープウェイに乗ればゴールドソーサーに行けるんだ。まっ、俺たちビンボー人には関係の無い話だけどな……」


 俺たちはその男に簡単な礼を述べると、教えてくれた道へ向かう。古泉が向かった方角と同じだったのは幸いだ。案の定、古泉は『ゴールドソーサー行き』と古ぼけた看板が立てられたロープウェイ乗り場に一人佇んでいた。


「……古泉君、どうしたの?」


「すみません、涼宮さん」


 力無く微笑む古泉に俺は問う。


「何があったんだ?」


「この辺りに僕の故郷があったんです」


「あった、とは?」


「今はもう、ありません。砂の下に埋もれたらしい……たった4年で」


「だからって、どうしてさっきの連中、あんな酷いこと言うの?」


 すかさずハルヒは頬を膨らませ、さっきの連中にいた方に眼を向けて憤慨するが、古泉は俯きながら首を横に振るだけだった。


「僕のせいだからですよ。全部、僕のせいなんです…………」


 半ば自嘲気味に嗤って、古泉はゆっくりとその過去を話し始めた――






 古くからの炭鉱の村、コレル。そこが僕の故郷だった。


 ほこりっぽくて、のどかで、まずしくて、ちっぽけで……でも、みんな家族のように温かく結ばれていた、そんな村――




――『魔晄炉』という名を耳にする、その日までは――




 とある日の事。僕はいつものように鉱夫服に身を包み、コレル山の奥深くの穴倉の中で朝から晩まで石炭を掘り続け、それを終えるとトロッコに揺られながら家路についていた。一日中働き通しで疲れた身体を車体の壁にやつしていると、隣から僕の名を呼ぶ声がした。


『イツキ、今日もお疲れ』


 幼馴染の榊ダイチだった。と言ってもこんな田舎だ。この村に生まれた子供はみんながみんな幼馴染みたいなものだったけれど。それでも、彼は同い年ということもあり、それこそずっと一緒に時を過ごしてきた無二の親友だった。


『ああ、そっちもね』


 石炭を掘る現場は違ったけど、こうして帰りのトロッコで一緒になることが多く、いつも仕事の苦労話や面白かった話などを交わすのがその日一日の楽しみ。しかし、この日のダイチは少し様子が違って神妙な顔つきでこう話してきた。


『なぁ、最近、採掘量が妙に減ってきてないか?』


『……ダイチのところもか? 確かにこのところ、石炭がメッキリ採れなくなってるような……そろそろ鉱脈が尽きてきたのかな』


『それにしても、あの減り具合は異常だ……それに――』


 歌でも歌えばあらゆる人間を魅了してしまう程の声を、ダイチは陰鬱に響かせて続けた。


『――石炭も全く売れなくなった』


 神羅という兵器会社が生み出した『魔晄』――汎用的でしかも効率的な夢のエネルギー――が世界を席巻し出してから、煤煙を出すばかりで効率の悪い古いエネルギーとされた石炭は誰も使わなくなり、その値は、急激に落ち込んだ。今では村の女子供が内職をすることでようやく食い繋いでいる有様だった。


『採れなくなったら新しい鉱脈を探せばいい。でも、売れなかったら意味が無い。それに、その鉱脈も粗方掘り尽くしてしまった。村はこれから、どうなっていくのかな』


『……そうだなあ』


 僕とダイチは互いに溜め息を吐き合って、遥か頭上に煌く満天の星空を揺れるトロッコからしばらく眺めていた。




 ――村のこれから、か。小さい頃は全く考えもしなかったな。ほこりっぽくて、のどかな、あのちっぽけな村で、僕ら石炭を採りながらずっと一緒に暮らしていくものと思っていたから……



 ………あ。




『しまった!!』


 突然トロッコの上で立ち上がって叫ぶ僕を、ダイチは怪訝そうな眼で見詰めた。


『どうしたんだよ、いきなり』


『プレゼント! 明日の誕生日会のプレゼントだよ!!』


『ああ、アヤノの。俺はちゃんと用意できてるけど、まさか、お前……』


『ごめん。ダイチ、先に帰ってて! 後は歩いて帰るよ!』


『お、おい、イツキ!!』


 ダイチの叫び声を後ろに聞きながら、僕はそのまま走るトロッコから今では使われない炭鉱への旧道へと飛び降りた。




 村のほうへと走り去るトロッコを眺めながら、僕はふぅと一息吐く。


『危ない危ない。こんな大事なことを忘れているなんて』


 僕にとってもう一人の親友で幼馴染の女の子、成崎アヤノ。明日は彼女の誕生日で、村でちょっとしたパーティーを開くことになっていた。毎年僕と榊でそれぞれささやかなプレゼントを渡すことになっていたけど、それを用意しておくのをすっかり忘れていたのだ。最近めっきり採れなくなった炭鉱で、一日の生産量の最低ラインを確保するべく、規定の労働時間を遥かに越えるほど残業していていたから、用意する時間も無かったというのもあるけれど……。


 多分、用意し忘れたと言っても彼女は怒らないだろう。いつもの控えめで優しい、でも少し寂しげな微笑で許してくれるのだと思う。でも、それに甘えるわけには行かない。ダイチだって時間をやり繰りしてきちんと用意しているのだから。


 僕は古い山道を奥へ奥へと歩いて行った。実は、彼女へのプレゼントには前から目星をつけていたんだ。炭鉱への行き道から見える崖に咲いていた、この地方では珍しい、白いライラックの花。何の拍子か知らないが、一輪だけひっそりと咲いていた。小さく可憐なその花は、彼女に良く似合っているような気がした。


 10分ほど歩くと目的の場所に辿り着いた。暗がりであまりよく見えなかったが、目を凝らして見ると、月明かりに照らされて白く輝く花弁を見つけることが出来た。


『よかった。まだ咲いててくれていたんだ』


 ライラックは崖の少し下のほうに根を下ろしていた。その崖はゆうに百メートルを越えており、落ちたらまず助からないだろう。しかし、花は手を伸ばせば何とか届きそうな位置だ。僕は道に這いつくばって慎重に手を伸ばし、数分の格闘の末、ようやく摘み取ることが出来た。


 僕はゆっくりと立ち上がって服に付いた土を払うと、右手に持っていた戦利品を眺める。これを受け取ったアヤノはどんな顔をするだろう。いつものように、いや、いつも以上に微笑んでくれればいいな。そんな彼女の表情を思い浮かべながら帰路につこうとしたその時だった。




『キャァァァァーーー!!!』




 土が崩れる音と共に、崖上の方――そこにも古い山道が走っていた――から女性が悲鳴を上げながら落ちてくるのが見えた。僕は咄嗟に落下点と思しき場所に走り、腕を広げて――この時、僕の右腕はまだしっかり付いていた――その人を受け止めた。腕に予想よりも強い衝撃が走り両の腕が痺れる。だが、炭鉱労働で鍛えた腕は、何とか彼女が地面に叩きつけられるのを防ぐことが出来た。


 僕はその女性を抱えながら呼びかけてみるが返事が無い。息をしているところを見ると、ただ単に気絶しているだけみたいだ。怪我も擦り傷程度で大したことも無いようだった。


 その時、ふと見てしまった彼女の顔。アヤノのように清楚で、彼女よりも大人びた落ち着いた表情。僕は一瞬見惚れそうになったのに気付き、慌てて首を振ると、彼女をそのまま背に負ぶさって元来た道を帰っていった。





 しばらく歩くと、背中にもぞもぞと何かが動く感覚がした。


『あ、あの……わたし……』


 どうやら彼女が気付いたようだ。


『大丈夫ですか? 崖から落ちて気絶してたんですよ。ちょっと怪我もしてるようですし、僕の村、近いですから。そこまで運んでたところです』


 彼女は『そう……ごめんなさいね』と申し訳なさそうに呟くと、


『……ところで、あなた、コレル村の人?』


『ええ。古泉といいます』


『そう……わたしは森ソノウといいます。神羅の仕事でコレル村に行こうとしてたの。だけど道に迷っちゃって、挙句の果てに崖から落っこちるなんて…………でも、助けてくれて、本当にありがとう』


 その声に振り返って見た彼女の顔は、想像通りの美しい微笑を浮かべていた。その時まで、僕は気付かなかったんだ。あのライラックの白い花が、僕の右腕の中で無残に潰れていたのを――






「森、ソノウ……って、もしかしてあの『森ソノウ』?!」


 ハルヒが驚きを隠せないのも無理は無い。朝比奈さんや橘、それに長門だって、個人差の程度はあれ一様に衝撃を受けているように見える。森ソノウ――彼女は、朝比奈さんを神羅ビルから救出する際に重役会議室で見た神羅の兵器開発部門統括だ。その時の、呻くようにその名を呼ぶ古泉の表情は今でも忘れられない。――だからだろうか。俺は、今の話を聞いて妙に納得していた。


 古泉はハルヒの問いに、口元を少し苦々しげに歪めながら頷いて肯定する。


「……ええ、そうです。その時は、都市開発部門・魔晄開発部所属の調査員と名乗ってました――コレルに魔晄炉を建設するための調査、それが彼女の目的だったんです――」






 ――彼女の怪我はそれ程大したものではなかった。だから2、3日もすると、村や炭鉱のあちこちを歩き回りようになった。コレルはどちらかと言えば閉鎖的な村で、最初は村人たちも警戒していたけど、都会から来た人は珍しくて憧れめいたものもあり、村の子達もすぐに懐く位に人当たりが良く、僕や、僕が頼み込んで家で彼女の介抱をしてくれたアヤノ――さすがに独り身の男の家に連れ込むわけには行かなかったから――の口添えもあって、しばらくするとほとんどの村人がこの異邦人を温かく受け入れてくれた。


 僕はと言えば、最初に彼女を助けたことが縁になったのか、彼女によく頼られて、仕事の合間に彼女を村や炭鉱やコレルの山々を案内して一緒の時間を過ごすようになり――そして――






『ねえ、イツキ。わたし、あなたにとっても感謝してるわ』


『何故ですか?』


 ――あれから3ヶ月くらい経った頃だっただろうか。夕闇迫る中、村や炭鉱を見下ろす丘の上で、僕と彼女は寄り添って座り語り合っていた。


『だって、あなたがいてくれたから、わたしここまで出来たんだもの』


 そう言って、彼女は僕の右手をそっと握ってくれた。少し気恥ずかしくて言葉は返せなかったけど、その手を何とか握り返してそれに応えることが出来た。――そう、僕らはいつしか「そういう」関係になっていた。


 彼女は改めて僕を見るとにっこりと微笑んだ。


『イツキが協力してくれたから、コレルに立派な魔晄炉が建てられる。そうすれば、あなたも、あなたの友達も、きっと幸せになれるわ――わたしは、みんなが幸せに微笑って暮らせる世界をつくりたい。……魔晄ならそれが出来るって信じてるから』


 僕も微笑んで頷いた。出逢ってから何度も熱っぽく聴かされた彼女の理想。このところぼんやりと将来への不安を抱いていた僕には、天からの救いの言葉のように思えたのだろう。いや、もしくは出逢ったその瞬間から彼女に惹かれていたのか。瞬く間に彼女の思想に傾倒し、村に滞在する彼女を陰日向に支え――今に至っていた。


『あとは、村のみんなが賛成してくれれば……』


 その話題になると彼女の顔が少し曇ってしまう。魔晄炉建設は基本的に地元の合意がなければ不可能だった――この時はまだ。村人の多くは、石炭産業の将来と神羅から貰える途方も無い土地使用料を量りにかけ、魔晄炉に村の未来を託してくれた。が、ダイチを含む少数の村人は僕や彼女の説得にもかかわらず、頑強に反対し続け、議論は平行線をたどっていた。


 粘り強くも真摯な彼女の説得に、反対派も次第に折れていった。それでもダイチら数名がまだ彼女の持ってきた契約書――炭鉱を廃して魔晄炉を建設する――にサインをしていていない。彼女によると神羅の定めた期限を守るためには、今夜の説明会で全員の署名を得なければならなかった。


『大丈夫ですよ。ダイチも悪い奴じゃない。……ただ、あの炭鉱に、鉱夫という仕事に深い愛着があるだけです。あなたの思い、きっと分かってくれますから』


 僕は彼女の手を握ったまま、ゆっくりと立ち上がった。


『さあ、行きましょう。……僕、ずっとあなたの傍にいます、から』


 顔が火照ってしまうのが自分でも分かった。彼女は一瞬両の眼をちょっとだけ大きくすると、あの一輪の花のような静かな微笑みを僕に向けてくれた。


『――ええ、そうね』






『時代が変わるんですよ! これまで大気を汚し続けていた石炭燃料に頼ることなく、さらに豊かな生活を、魔晄エネルギーが叶えてくれるんです』


 その夜の村長の家。村の有力者から若者まで集まった部屋は、言いようの無い期待感と緊迫感に満ち満ちていて、僕の隣で熱く演説をする彼女以外、誰も声を上げる者はいなかった。その彼女の言葉に圧倒されたのか、残された反対派の村人も一人、また一人とサインをしていく。彼女も、そして僕も、嬉しさに顔を綻ばせた。だが、


『俺は絶対反対だ。コレルの炭鉱を捨てるなんて出来ない相談だからな!』


 ダイチは左の拳で机を強く叩いて立ち上がった。 


『しかしな。反対してるのは榊、お前さんだけになってしもうたが……』


 すると、彼女や僕と相対してソファーに座っていた村長が――今思えば何処となく悲しげに――ダイチを諭したが、彼は憮然とした顔で続けた。


『コレルの炭鉱は、俺たちの爺さんたち、親父たちが命がけで守ってきたものだ。それを時代が変わったからといって捨てることなんて出来ない!』


『でも、ダイチ。今の時代、石炭なんて誰も使わない。時代には逆らえないんだ』


 僕も榊を説得しようと口を開くが、途端に彼の目が吊り上る。


『――お前もお前だ、イツキ! 何をその女に誑かされた!! 色目使われてすっかり神羅の味方になりやがって。見損なったぞ、この裏切り者ッ!!!』


『!!』


 口汚く僕を罵るダイチの鋭い叫び。僕も堪らず立ち上がった。


『今の言葉取り消せ、ダイチ!!』


 ダイチは親友だった。それは、今この時においても変わりは無かった。だから喧嘩することはあってもここまでの物言いをされることもなかった。それ故に信じられず、許せなかった。


『いや、取り消すものか。お前はその魔女に騙されてる。村のみんなもだ!!』


 僕は衝動的にダイチの襟首を掴み上げた。


『……僕のことなら何言っても構わない。でも、彼女のことは悪く言うなッ!!』


 彼女は一生懸命だった。ただ、自分の、みんなの夢のために一生懸命なだけだったんだ。それを魔女とか、騙してる、とか、何なんだ。僕の頭に血が一気に上り、右の拳がダイチの頬にめり込んでいた。ダイチもすかさず僕を左拳で殴り返した。


『何が「彼女」だ!! ――あいつの……あいつの気持ちなんか知りもしないくせに!』


『何言ってんのか分かんないんだよ!!!』


 カッとなっていた僕は、ダイチのその言葉がどんな意味なのか考えもしないで、ただただ彼と拳の応酬を繰り返し――最後には村長命令で僕だけ家から追い出されてしまった。




 村長の家も落ち着きを取り戻したらしく、ダイチを説得しようとする彼女の声だけが夜空の下に漏れていた。僕はそれを外から見つめることしかできずにその場に立ち尽くしていたが、


『――イツキ君?』


 か細くも優しげな少女の声に振り向いた。そこには、まあるい眼鏡が可愛らしい幼馴染――アヤノが立っていた。会合には村人全員が参加できるわけが無いので、彼女の父が参加しており、彼女は家で留守番のはずだった。


『どうしたの? まだ、お話、終わってないよね』


『僕だけ、追い出されたんだ。……ダイチと喧嘩しちゃって。ハハハ』


 乾いた笑い声を立てながら、僕は無意識に殴られた後を摩った。それをアヤノは見逃さず、まじまじと傷跡を見詰める。


『頬、腫れてるよ……大丈夫? 手当て、しないと』


『大丈夫だよ、このくらい』


『ダメだよ。……こっち、来て』


 アヤノは僕の手を取って、普段の彼女らしくない強引さで彼女の家まで引っ張って行った。




 そうしてアヤノの家で切れた唇などに軟膏を塗ってもらった後、僕らは彼女の家の裏の庭に立っていた。


『……懐かしいね。イツキ君、覚えてる?』


『忘れるわけ、無いよ』


 そう、ここは子供だった頃、僕とアヤノ、そしてダイチの三人で陽が暮れるまで遊んでいた思い出の場所。荒れた砂ばかりで砂遊びしか出来なかったが、大きくなるにつれてアヤノが手入れしてくれたお陰で、今では色とりどりの花が咲いていた。


『おっきなお城、みんなで作って遊んだよね』


『……ああ』


『あんなすごいお城には住めないけれど、三人ずっと一緒にいれたらいいねって……』


『……ああ』


『でも……何でこうなってしまうのかな…………』


 悲しげに呟く彼女に、僕は何となく責められてるような気分になって、心ならずも声を荒らげてしまう。


『僕だって!!……僕だって、ずっとみんなと一緒にいたいから……だから……ッ!!』


 それでも、アヤノは笑っていた。いつもの、少し寂しげなあの微笑で。


『分かってるよ。分かってる……イツキ君も、ダイチ君も、村のこと、みんなのこと、一生懸命考えてるの。――でもね、そのために言い争ってるの、見るの、つらいよ……』


『…………』


 僕だって、辛い。大好きな親友とこんなことで争いたくなかった。みんなでずっと幸せに暮らすにはこうするしかないと信じてたからこそ余計に。


『これを見て』


 アヤノの指差す先に、今にも蕾を出そうかという植物が生えている。どこかで見たことがあるような葉の形――


『――これは……ライラック?』


『うん。イツキ君から貰ったあの花の種を植えたの』


 あの花を摘んだ日――それはつまり「彼女」と出逢った日――僕は彼女をつれて帰ることばかりに気をとられてしまい、折角摘んだライラックは手の中で潰れていた。その事に気付いたのは、その翌日、アヤノの誕生日会の当日だった。尤も、その誕生日会も予期せぬ異邦人の出現で無くなってしまった訳だけれど……


『……あの時は、本当にゴメン』


『いいよ。全然気にして……ないから。……それに、素敵なお花の種が手に入ったんだもの』


 アヤノは愛おしそうにそのライラックを撫でた。


『私ね……お願いしてるの』


『何を?』


『このお花が……白いライラックの花が咲いたら、イツキ君とダイチ君が仲直りしてくれますようにって……昔のようにみんな仲良く暮らしていけますようにって……』


『…………』


 そう言って微笑む彼女に、僕は何も言うことができなかった。でも、この花が咲く頃には、きっと全てが上手く行ってるはず。僕は、そう信じていたんだ。





 そして、その間に最後まで抵抗していたダイチも、孤立無援の状態では如何ともし難くついに折れ、結局、住民全員合意の下でコレル魔晄炉は建設され……完成した。


 彼女は仕事の後始末をするために一旦ミッドガルへと帰っていった。でも、それが終わり次第コレルに戻ってきて一緒になる約束をしていた。あれ以来ダイチとは口もきかなくなってしまったが、あのライラックの花が咲くまでにはお互いわだかまりも解けるだろう。それに炭鉱は無くなってしまったけれど、神羅の土地使用料、新しく用意してくれた仕事……僕たちはみんな一緒に豊かな生活を送ることが出来る、そう夢見ていた。




 ――しかし、




 コレル村はある日突然、神羅の軍に焼き払われてしまった。大勢の村人も、家族も、そしてアヤノも。みんな、一緒に――






「神羅の軍? 一体何のために!?」


 あまりの唐突な展開に、俺は訳が分からず古泉に尋ねる。


「魔晄炉で爆発事故が起こったんです。神羅はその事故の責任をコレル村の僕たちに押し付けました。反対派の仕業だと言って……恐らく、莫大な土地使用料を払えなくなったのか、それとも……最初から払う気が無かったのか――」


「非道い!!」


 古泉の言葉が終わらない内に、ハルヒが声を上げる。その顔は明らかにいっぱいの怒気で真っ赤になっていた。いつも怒ってばかりのこいつだが、ここまで怒りを露わにするのもまた珍しい。すると、朝比奈さんがおずおずとした声で尋ねた。


「……それで、その森さん、は…………?」


 ――古泉は無言で首を横に振るだった。それだけでも何を言わんとしているか、想像がついてしまう。……場を重苦しい空気が支配した。それを打ち破ろうとハルヒが両手で古泉の肩を掴み、意識的に力強い口調でこう言った。


「古泉君、自分を責めちゃダメよ。その頃はみんな神羅の甘い言葉に踊らされていたんだから」


 しかし、古泉は目を伏せるばかりでハルヒと目を合わせようともしない。


「ええ、確かにそうです。でも、僕は神羅以上に自分を許せなかったんです。あの女に騙された挙句、魔晄炉を造る片棒を担いで、結果村を滅ぼしてしまった。僕が……僕が魔晄炉に賛同さえしなければ……」


 誰もそれ以上掛ける言葉が見つからない。そのまま永遠に続くのではないかと思われた沈黙を破ったのは意外な声だった。




「オーイ、あんたら!『ゴールドソーサー』に行くなら早く乗っておくれ。料金は、必要ないからね!!」




 古泉の長話で完全に忘れていたのだが、俺たちが現在立っているこの場所は、ゴールドソーサー行きのロープウェイ乗り場。目の前には青色にカラーリングされた大きなゴンドラがあった。朝倉の手掛かりを掴むためにも、今すぐにでも乗るべき事は分かってはいたが……古泉は元より、俺もハルヒも誰もその場から動こうとしな――いや、ここまで長門よろしく全く発言しなかった橘が口を開き、


「……あたしは、古泉さんに同情しないのです。神羅の女なんか信じたのが悪いのです!――あたしは先に乗りますから」


 そう言い捨てると、そのままスタスタとゴンドラに乗り込んでしまった。


「おい、橘!」


 さすがにそれは言い過ぎだろうと咎めるべく後を追おうとした俺の腕を古泉が掴んだ。


「……彼女の言う通りですよ。…………とにかく先を急ぎましょう」


 古泉は、呆然としている俺やハルヒたちを残し、ゆっくりとゴンドラの中に入った。俺たちは暫くの間そのまま突っ立っていたが、


「…………そうね。早く乗らなきゃ、ね」


 我に帰ったかの様なハルヒの台詞で、俺たちも漸くゴンドラに乗り込み、その直後、エンジン音を響かせながら、巨大なゴンドラは遥か上空で光り輝く娯楽の殿堂に向けて発進したのだった。






 ゴンドラは雲を突き抜けるまでに高く高く昇る。その先で俺たちの眼前に、楽しげな音楽に包まれながら姿を現したのは、ジェットコースター、観覧車、そしてそれらに取り囲まれるように聳え立つ、世界樹を彷彿とさせる煌びやかな巨大な建造物だった。これが神羅の粋を集めて造られた世界最大のテーマパーク「ゴールドソーサー」か。


「……まるで城だな」


 俺の言葉に返す奴は誰もいなかったが、俺たちに背を向けて外を眺めていた古泉が、一瞬自嘲気味に笑ったような気がした。





「ようこそゴールドソーサーへ!団体様ですね?入園チケットは1回3000ギルです。何回でも入園できるゴールドチケットは30000ギルになります」


 何度もここで遊ぶ気なんぞない――と言うより1回分の入園料を払うのも実は結構ギリギリだったので、3000ギルだけ受付の女の子に払って、俺たちは『ターミナルフロア』と看板に書かれた虹色に光る大きな部屋へと入った。そこは円形の空間で、人一人がゆうゆう入り込める穴が全部で七つ開いていた。取り敢えず俺は中央にあったコンピュータ制御の案内板を操作してみる。




『ゴールドソーサーへようこそ!ゴールドソーサーでは、様々なアトラクションがあなたを待っています。感動と興奮、スリル&サスペンス。あなたを未体験ゾーンへご案内!一生の思い出をあなたに……

                                   神羅』


『イベントスクェア』

 楽しい演劇があなたを待っています


『チョコボスクェア』

 チョコボレーシングが君をバーチャル空間へご案内。クエっ!クエっ!


『ゴーストスクェア』

 こちらにはホテルがございます。お泊りの際はこちらへ……ひょひょひょひょひょっ


『バトルスクェア』

 熱き戦いへ君をいざなう!いま必殺のゴールドアタック!!


『ラウンドスクェア』

 園内を一望できます。美しいゴールドソーサーの夜景をあなたに……


『スピードスクェア』

 あなたを興奮の中へ。シューティングコースターが君を待つ!


『ワンダースクェア』

 数多くのゲームがあなたを待っています。ワンダースクェアでGPを貯めてたくさん遊ぼう!




 ――なるほど。この穴はウォータースライダーみたいな滑り台になっていて、各スクェアに通じているんだな。ちなみに『GP』とははゴールドソーサーでのみ使うことの出来るお金みたいなものらしい。しかし、これからどうやって朝倉を探すのか。俺が少し思案に暮れていると――


「ねぇ、折角来たんだし、色々回ってみましょう!」


 ハルヒが呑気な提案をしてきた。


「おい、ハルヒ。コスタ・デル・ソルでも言ったが、俺たちは遊びに来たんじゃないんだぞ」


「分かってるわよ。でも、どうせセフィロスの手掛かりを追って園内をくまなく見回るんだから、楽しまなくちゃ損じゃない。――さぁ、みんな行くわよっ!」


 俺の言葉なんか当然聞く耳持たず「まずはジェットコースターなんかがいいわね」とのたまいながら、スピードスクェアに通じるスライダーにみんなを引き連れていこうとするハルヒだったが、古泉だけはその場から動こうとしなかった。


「――古泉君? どうしたの?」


「すみません、涼宮さん。暫く……一人にさせてくれませんか?」


「ちょっと、古泉君!?」


「……大丈夫ですよ。暫くしたら戻りますから。それまでは……」


 ハルヒが止める間も無く、古泉は別のスクェアのスライダーへと飛び込んでいった。それを見届けたハルヒは一つ溜め息をついた。


「……やっぱり無理あったかな。ちょっとでも元気出てくれたら、って思ってたんだけど……」


「ハルヒ……」

「涼宮さん……」

「……………」


 俺も朝比奈さんも長門も目を丸くしてハルヒを見た。……こいつもこいつなりに考えていたんだな。さっきのはちょっと言い過ぎたな、と心の中で反省することにする。


「とにかく、ここでジッと陰気な顔してても仕方ないわっ! 古泉君の分まで思う存分楽しむわよ! 帰って来る頃には問答無用で笑顔にさせる位にねっ!!」






 ――反省なんかするんじゃなかった。


 と後悔した時には既に遅く、さっきまでのしおらしさは何処へやら。例の百ワットの笑顔を輝かせながら、この女、その元気は何処から出てくるのか、俺や朝比奈さんの腕を文字通り振り回すかのように引っ張ってスピードスクェアを経てシューティングコースターへと突進して行きやがった。


 シューティングコースターというのは、その名の通りジェットコースターに乗りながら次々と出現するターゲットをレーザーで撃破していく、絶叫マシンとシューティングゲームを兼ね揃えた、この手の乗り物好きは狂喜し、苦手な人は恐れ慄く「ゴールドソーサー」を代表するアトラクションだそうだ。ハルヒは当然前者だし、最初に乗った時の成績が芳しくなかったことから奴の負けず嫌いに火をつけて一人で乗るならまだしも、


「いい、これは団体戦よ! 我がSOS団は何者にも敗北は許されないわ!!」


 とかいう訳の分からん理屈で全員エンドレスエイトのコースターに付き合わされる羽目になった。




 ――そして小一時間経過。




 さすがの俺も目を回す程、何度も乗らされてやっと飽きたのか、ハルヒは「じゃあ、次行くわよ!!」と最早恐怖と平衡感覚の麻痺でその場から立ち上がることも出来ない朝比奈さんの手を引いて、意気揚々とコースターのプラットホームから出て行った。後を追って歩く俺も、さすがに呆れて久々にあの口癖が口をついて出てしまう。


「やれやれ。――橘、どうした? 早く来いよ」


「は、はい!…………」


 浮かない顔してぼうっと突っ立ていた橘を促す。こういう所では真っ先にはしゃぐ奴なのに、変だな。そんな違和感を抱きつつスピードスクェアに出たところ、


「そこの少年」


 薄水色のジャージ服を着たマッチョで変な男に呼び止められた。……てか、『少年』て。


「どうだね? 楽しんでいるかね? ん、そうか、楽しんでいるか。よかった、よかった、なあ、少年よ」


 質問の返事も聞く事無く、俺の肩をバシバシ叩きながら一人で勝手に納得している。あまりの事に呆れ返るばかりだが、取り敢えずこの事だけは言っておこうか。


「……俺は、「キョン!!」だ。少年というのはやめてくれ」


「ん? 私か? 私は、ここゴールドソーサーの園長、岡部という。気軽に『ディオちゃん』と呼んでくれ」


 ………全く聞いちゃいない。それより、今の「岡部」という名前の何処から「ディオ」なんて単語が出てくるんだ? そしてまたも俺の名前が表に出るのを妨害したハルヒが、未だ目を回している朝比奈さんを連れて戻ってきた。


「もうキョン、早く来なさいよ。――で、そいつ、誰?」


 自称ここの園長らしい、とハルヒに答えようとしたが、


「そうだ、少年。『黒マテリア』を知っているか?」


 この岡部(自称ディオちゃん)が勝手に話を進め出した。だが、「黒マテリア」なんか知ってる訳も無い。一応そう返事すると、岡部(自称ディオちゃん)は高らかに笑い出した。


「ははははははは、少年! 嘘はいけない。この私の目は誤魔化せないぞ」


 そう言われても知らないものは知らん。それに、何故俺に訊いた?


「少し前に、少年くらいの少女が来て『黒マテリア』は無いかと訊いて行ったのでな。同じくらいの少年なら知っているのかと思ってな」


 ――ちょっと待て。その女は黒いマントの……


「その通りだ。それに手の甲に『Ⅰ』のタトゥーをしていたぞ」


 ……ひょんな所からヒントという物は出て来るらしい。


「その女、何処へ行った!?」


「はははははは、そんなことは流石の私も知らんよ! では」


 肝心の所だけ何も言わず、ジャージ男は颯爽と去っていった。


「――おお、そうだ少年よ。よかったら、闘技場に寄ってみてくれ。君なら気に入ってくれると思うよ。私のコレクションの数々も飾ってあることだし。はははははは。……ちなみに、ハンドボールはいいぞぉ! 『中東の笛』や宮﨑大輔効果で知名度も一気にアップ(初版執筆当時)! 始めるなら今だッ!!」


 ……最後によく分からん台詞を残して。


「で、結局誰だったの、アイツ?」


「自称ディオちゃん……?」


 他にも何か言ってた気がするが、朝倉の事以外は正直どうでもいい。「黒マテリア」……ね。一体何のことか分からんが、覚えておくに越した事は無いだろう。とにかく、朝倉がここに来たことは確実だ。園内を捜索する価値はあるだろう。しかし、


「まぁ、いいけど。さぁ、次は観覧車に乗るわよっ!――ホラ、ミクルちゃん!! いつまでも目を回してないで、シャキッとしなさい!!」


 完全に手段と目的が本末転倒してるような。だが、こうなったハルヒには何を言っても無駄……なんだろうな。本当に「やれやれ」だぜ。




 ――で、ラウンドスクェアにやって来た俺たち。


 ここには「地上○百メートルからの大パノラマ」を謳う大観覧車があって、格好のデートスポットになってるというのはハルヒから聞いた話だが、当のハルヒは「こんな密室空間で愛を語り合うなんてありきたり過ぎてぜんっぜん面白く無いわ!」と、その話に続けて一蹴していたけどな。


 ちなみに、この観覧車のゴンドラは最大4人乗りだ。俺たちは5人だから、乗るとするなら2人・3人に分かれる必要があるな。さて、どうするのか。……朝比奈さんと二人っきりなら願っても無いことだが。


「じゃ、じゃあ、行くわよキョン!」


 しかし俺の左手を取ってゴンドラに入ろうとしたのはハルヒ。ちょ、ちょっと待て! 何で俺がお前と二人っきりで観覧車に乗らねばならん!!


「だって、エロキョンをミクルちゃんやユキなんかと二人っきりにするなんて猛獣の檻にウサギを投げ入れるようなもんだし、かと言って3人のゴンドラなんかに乗せたら、カワイイ女の子に囲まれてだらしな~いニヤケ面を晒すに決まってるじゃない! だから、あ・た・し・がきちんと監督する必要があるって事っ!! 何か文句ある!!?」


 などと長台詞を早口で捲くし立てるハルヒだが、何故か俺と目を合わせようとしない。背けた頬が妙に赤く見えるが、気のせい……だよな? しかしそれに気を取られている内に、俺の右手が何者かに掴まれた。


「あ、あのっ! 別に涼宮さんが無理する必要ないですよ。あ、あたしは別に平気ですからっ!」


 何と朝比奈さんが、普段の彼女から想像もつかない力で俺を引っ張っている。


「ちょっとミクルちゃん!? 今の今までヘバッてたのに何急に元気になってるの?!!」 


 何に対抗してるのか、負けじとハルヒが更に力を込めて俺を引っ張り返す。


「す、涼宮さんも疲れたでしょうから、どうぞ長門さんや橘さんと……ごゆっくり、観覧車を、……満喫してくださいっ!」


「み、ミクルちゃんこそ……さっきまで動けないほど疲れてたんだから、……ここでのんびりしたらっ!」


 両者一歩も譲らず勝負は平行線に――


「――っつうか、痛い、痛いって!! 腕が千切れる!!!」


 人間綱引きになってる俺の腕が悲鳴を上げたため、二人とも仕方なく手を放したものの、ゴンドラの組み分けに関してまだ議論の応酬が続いている。いや、普通に籤でいいじゃないか。『いつもみたいに』さ。


「キョンうるさいっ!!」

「キョン君、ちょっと黙っててくださいっ!!」


 しかし俺の提案はあっさりと一蹴される。……しかし、自分で言って何だが、籤で何かを決めたことってあったかな。すると、今度は長門が俺の服の裾を握ってゴンドラの方向へこっそりと歩き出した。


「……ここでコントしている時間が勿体無い。早く行くべき」


「こらぁユキ!! 何こっそり抜け駆けしようとしてんのっ!!!――それにコントって何よ!!」

「ずるいですよ、長門さん!!」


 こういう時だけ息の合った二人に目敏く見つかってしまう。


「ち……」


 ……長門さん? 今ちょっと舌打ちした音が聞えたような……。で、こんな所で変なことでモメてるもんだから、見かねた係員のお兄さんが、


「……あのう、お客さん。4人だったら1台に乗れますよ。後ろつかえてんだから早く乗ってくださいよ」




「へ?」

「あれ?」

「4人?」

「…………?」


 その言葉に改めて周りを見渡す俺たちだが、確かに4人しかいない。――そう言えば橘はどこだ?


「キョウコ?!」


 ハルヒが呼んでみるが返事は無い。ったく、何処をほっつき歩いてるんだ、あいつは。相変わらず団体行動の出来ない奴だな。


「……仕方ないわね。とにかく早く観覧車乗ってキョウコを捜しましょう」






 ――どうやら気付かないうちに陽も暮れたらしい。ここは雲の上だから夜空に瞬く星もよく見える。石炭の煤煙で年中空が覆われていたコレル村とはえらい違いだ。


 僕は、ゴールドソーサーの園内を見渡す展望台に一人立ち、人々が有らん限りの享楽を味わう「娯楽の殿堂」をただただ眺めていた。――こうしていると、ふと幼い頃のアヤノの言葉を思い出す。




『ほんとうに、こんなおしろ、みんなですめたらいいよね』




 ――そう言った彼女は、もうこの世の人ではなく、僕らがそんな夢を語り合ったあの庭も、もう無くなってしまった。そして、その「失われた庭」を覆い隠すかのように、神羅が建てたのがこの豪奢な娯楽の殿堂。ここに来る途中のロープウェイで「彼」はここを「まるで城だ」と評したが、そうであるならば何とも皮肉な話では無いか。


 ……結局、これが僕の罪の証なのだろう。だから、涼宮さんの気持ちはありがたかったけれども、やはり今の僕はここでみんなと一緒に「楽しく」過ごすことなど出来そうにない。そして――


「……古泉さん」


 ――ふと聞き覚えのある声に振り返ってみると、橘さんが普段とは違う神妙な顔つきで立っていた。


「橘さん……? おや、涼宮さんやみんなは?」


 当然の疑問を口にすると、彼女は少し慌てた素振りを見せた。


「え!? いや、あの……その、そ、そうです!! 皆さんちょっと迷子になってるみたいなのです」


 ……迷子なのはあなたなのでは? というツッコミは喉の奥に納めることにするが、不覚にもちょっと可笑しくって苦笑いを浮かべてしまう。それを見た橘さんは――


「よかった。やっと笑ってくれたのです」


 不意に普段あまり見せないような穏やかに微笑を見せる。遠い昔に見たようなそれは――




 ――しかし、それが何なのか思い出し切る前に、


「あ、あのですね! さっきは、その……言い過ぎました!――だから……ごめんなさい!!」


 唐突に橘さんは物凄い勢いで頭を下げる。


「さっき……って?」


「ほえ?? あの、覚えて……無いんですか? ほら、あれですよ。ロープウェイ乗り場で……」




 『……あたしは、古泉さんに同情しないのです。神羅の女なんか信じたのが悪いのです!』




 ……ああ、なるほど、あの事か。漸く思い出して少し苦笑する。そんなに気にする事ではないのに。それでも、橘さんは地面につきそうな位に下げた頭を上げようとしない。


「……さっきの古泉さん、とっても落ち込んでるように見えたから、ずっと、気になって――」


「……橘さん、顔、上げてください」


「え……」


 橘さんは目尻に少し涙を浮かべつつ戸惑った表情を僕に向けた。


「あの時も言いましたけど……コレルがああなったのも、全て、あなたの言う通りですから」


 自分でも分かるくらいに自嘲的に響かせた僕の言葉。それを聞いた彼女の眼に、途端に怒りの色が宿った。


「……どうして……どうして、そうなんですか?!」


「…………」


「もっと怒ってもいいんですよ! あの森とかいう人にもっ!!『よくも裏切ってくれたな』って!!――好きだったんでしょ、あの人のこと!!!」


「!!…………」


 「好き」。その言葉を突きつけられて、僕は何も彼女に言い返せない。だって「彼女」を愛していたのは……事実だったから。だから、もう僕には笑うしか――


「何でそうやって微笑っていられるの?! 肝心な時だけ曖昧に微笑って、誤魔化して、逃げて……それじゃあ――」




「――それじゃあ…………パパと同じじゃないッ!!」




 橘さんはそのまま僕に背を向け、何処かへと走り去ってしまう。僕はそれを呼び止めることも、追いかけることもしなかった。そんな気力なんてなかった。その時、僕の頭の中でさっきの彼女の笑顔が、ようやくアヤノのそれに重なった。あの二人に共通点なんか欠片もないのに……妙に可笑しくなって、また笑ってしまった。そんなシチュエーションでもないというのに。



 ――でも、彼女の言葉でようやく踏ん切りがついた。僕は、相棒とも言える右腕の銃をそっと握り締めた。






 さて、観覧車もそこそこにラウンドスクェアを出た俺たちは、橘を捜してチョコボレースゾーンに出る。その入り口にあるものを見た俺は手で後ろのハルヒたちを制し、物陰に隠れた。


「キョン、いきなりどうしたのよ!?」


「シッ! 神羅兵……こんな所まで……」


 そう、チョコボレース場に通じる大階段に階段に神羅兵が集結していたのだ。恐らく十人位いる神羅兵たちは赤服を着た隊長に何事か指示を受け、


「よし、散れ!!」


 という号令と共に各スクェアへと走り去って行った。……どうやら見つからずには済んだみたいだな。


「……キョン。あたしたちを追ってきたのかしら」


「少なくともそうではなさそうだが……油断は出来ないな。橘が心配だが、ひとまずここを離れよう」




 そうして入ったワンダースクェア。そこでまたしても変な奴に声を掛けられる羽目になった。


「そこのキミ。どうも暗い顔しているようだが。どうかな? キミたちの未来を占ってあげよう。明るい未来、愉快な未来……悲惨な未来が出た場合は勘弁して欲しいがね」


 朗々たるバリトン声のする方を見ると、そこには一人の少女が立っていただけだった。どう見てもそんな声を出すようなキャラでは無い。だが、状況からしてどう聞いてもその少女から出されたとしか考えられなかった。それだけでも十分変な話だが、その少女の外見も明らかに変わっていた。つや消しスプレーを噴き掛けた烏よりも暗い色のその髪は、腰よりも長く伸び、おまけに波濤の様に波打ってる。まるでやたらと重くてモップのような、翼の様に羽ばたいて空飛んでも不思議で無いようなあまりにも特徴的な髪――そう言えば、以前にこんなのを見たような……


「聞えないのか? そう、大きな剣を背中にぶら下げているキミだ」


 それを思い出す前に、再びバリトンボイスが聞こえ、その声の正体に驚き、すっかりその事が頭から抜けてしまった。――そう、その声はあのボリューム過多な少女の髪に隠れ気味になって少女の肩に乗っかっていた三毛猫から発せられていたもの、のように思えた。少なくとも俺には。


「猫よね、これ」


 ああ、ハルヒ。お前もそう見えるんだな、よかった。


「言葉、喋りましたよね……この猫さん……」


 朝比奈さんが心底驚いたようにまじまじとその猫を見ている。どうやら伍番街スラムでも猫は喋らないものらしいのでホッとした。だが、


「私にはキミたちが何故驚いているのかが分からない」


 現実は容赦無かった。明らかに喋ってるのはこの猫だ。人様の言葉を喋るなんざ、肉球付きの分際で生意気な。


「――何故なら、私は猫の姿形をした占いマシーンだ。今の科学技術なら人間の言葉を操るロボットがいても何ら不思議はなかろう。とにかく自己紹介だ。私はこのゴールドソーサーの占いマシーン・シャミセン。この子はアシスタントロボットの――」


「――ああ……わたしは――――観測する。ここは――――とても……時の場所が遅い場所。温度が――――退屈」


 シャミセンの言葉を遮るように、それを肩に乗せていた少女が言葉を発する。しかし、その声色は眠たさが極限に達したあまり死にそうでもあるかのような声で――これも以前どこかで聞いた気がするな……。


「――今度は……間違いない――――あなたが……?!」


 間延びした少女の言葉を、シャミセンは慌てて前足で遮る。何なんだ。


「今は自己紹介をしておるのだ。キミも名を名乗りなさい」


 少女は「了解した」と言わんばかりに首を縦に振ると、変わらぬ間延びした口調で、


「――――わたしは――――クヨウ――――スオウ――――」


 とその名を告げた。えっと、クヨウ・スオウでいいのか?


「……――周防――クヨウ――」


 何なんだ。どっちなんだよ。……しかし、この娘もロボットだというのか?


「その通りだ。私のサポートメカでもある」


 シャミセンは事も無げにそう返事したが、髪の量が異常なこと以外どっからどう見ても人間であり、ロボットには見えそうに無い。頭のギアは五枚ほど欠けている様だが。しかし、シャミセン自体も見た感じオスの三毛猫にしか見えないので、科学技術もそこまで進んだ、ということなんだろう。


「ところで、占いの件なのだが、どうするかね。初回ということで特別にただで占ってやろう」


 そうだった。喋る猫とか髪とかに驚いていて忘れていたが、本題はそれだったよな。ところで、占うのは未来だけか?


「バカにしてもらっては困る。失せ物、失せ人、何でも構わないぞ」


 そうか。ならば物は試しだ。


「セフィロス――朝倉リョウコという女は何処にいる?」


「セフィロスだな。では――」


 シャミセンは周防に目配せすると、周防は右手を前に差し出し、シャミセンがその掌まで伝え歩く。すると、シャミセンはその掌の上でくるくると変なダンスを30秒ほど続け、糸の切れた人形のようにパッタリと倒れる。そしてその背中からカタカタと白い紙が一枚プリントアウトされて出てくる――やっぱりこいつ機械だったんだな。その紙を周防が取り出し、


「――――どうぞ――――」


 と差し出したので、受け取って読んでみる。


「……中吉。活発な運勢になります。周りの人の好意に甘えてひと頑張りしておくと、夏以降にドッキリな予感。……何だこれは?」


 全然見当はずれな占いに、いつの間にか復活していたシャミセンは、


「変だな。もう一度やってみよう」


 再び妙な踊りを始めて白い紙を背中から吐き出す。


「忘れ物に注意。ラッキーカラーは青?……もういい。世話になったな」


 これ以上は流石に付き合ってられん。まだ橘も見つけて無いんだからな。今の状況なら古泉とも早めに合流しないとマズイしな。俺たちはその場から去ろうとしたが、


「待ってくれ。最後にもう一度だけ、頼む」


 猫の癖に前足をまるで手のように合わせて懇願するので、もう一度だけその妙な踊りを見ることにした。そして出た紙を見てみると――





『求めれば必ず会えます。しかし、最も大切なものを失います』





「何、これ……」


 横から覗き込んできたハルヒも何と言っていいやら分からないみたいだ。そしてシャミセンもどうも不満顔だ。


「いいのか、悪いのか、よく分からない……こんな占い始めてだ。気になる……では、行こうか」


 『行こうか』って、おい、突然何を言い出す?


「占い屋シャミセンとしては、こんな占いは不本意だ。しっかり見届けないと気持ちが治まらない。キミたちと一緒に行かせて貰おう。もちろんこの子も一緒に」


「……どうするの、キョン」


 流石にハルヒも困り顔で俺に尋ねてきたが、当のシャミセンはすまし顔で、


「何言われても付いて行くので、そのつもりでな」


 もはや俺には「やれやれ」と呟くしかないみたいだな。……やれやれだ。





 こうして突発的にロボット一人と一匹(?)を連れて行くことになった俺たちは、朝倉はもうここにいないと判断し、橘や古泉を捜してバトルスクェアに入った。


 だが、その入り口に神羅兵の姿を見つけた俺は、さっきと同じように慌てて物陰に隠れる。しかし――


「!!」


 ――神羅兵はその場で急に崩れ落ちた。


「ん!?」


 俺やハルヒがその兵士に駆け寄るが


「死んでる……」


「え!? どうして?」


 その時ハルヒや悲鳴を上げる朝比奈さんの声がやけに遠くに聞えた。ただ、一つの思考だけが頭の中を駆け巡る。まさか、これは……


「キョン!? 何処行くの!!?」


 ハルヒの制止を振り切って階段を駆け上がり、ロビーに入ると、そこには――神羅兵や受付嬢、客らがみんな、頭や胸からおびただしい血を流して……死んでいた。


「朝倉がやったのか!」


 俺は近くの神羅兵の死体の傍にしゃがみ、傷跡を調べた。


「これは……違う……銃で撃たれている……朝倉は銃など使わない……」


「キョン君!!」


 後から追いかけてきたのだろう朝比奈さんの声のする方に行ってみると、


「……う、うう」


 虫の息だがまだ生きている受付嬢がいた。


「おい、何があったんだ!」


「ウ…ウ…片腕が銃の男……」


 それだけ言い残して彼女は事切れた。だが――片腕が……銃?!!


「ま、まさか!!!?」


 ハルヒも俺と同じことを思ったのか信じられないという面持ちで叫ぶが、それとほぼ時を同じくして、


「そこまでだ! 大人しくしろ!!」


 警備員と共に現れた園長・岡部の怒号がロビー内に響き渡った。




「お前らがやったのか!?」


 さっき会った時の妙にフレンドリーな態度など微塵も無い調子で俺に問いかける岡部は、自称ディオちゃんなんてものでなく、正しくこの場所の責任者たる「園長」だった。


「ち、違う、俺たちじゃない!」

「そうよ、あたしたちが来たときにはもうこうなってたわよ!!」


 俺たちは身の潔白を証明しようとするが、岡部は全く聞こうともしない。


「私の見込み違いという訳か……」


 これは、あれか? 殺人事件で何の罪も無い善良な市民が第一発見者になったばかりに犯人に仕立て上げられるという、余りにベタな――


「早く逃げないとまずいぞ」


 そんなややこしい時にシャミセンは周防とホールの奥へと勝手に逃げ出した。お、おい! そんな事すると「自分が犯人です」と言ってるようなモンだろうが!!


 俺たちは慌てて追いかけるが、よくよく考えると、これで俺たちも「同罪」ってことになったんだよな……


「捕らえろ!!」




 闘技場まで逃げてきた俺たちだが、その先を警備メカに塞がれてしまう。背後から岡部が腕を胸の前で組みながら、これまた警備メカを従えて悠然とやって来た。


「ここまでだな」


「待て、話を……」


 しかし、三方を警備メカに囲まれ、その包囲網はどんどん狭められていく。 


「どうやら何を言っても無駄なようだな……」


 ……シャミセンよ。その半分はお前のせいでもあるんだけどな。




 ――そして。




「あと、一人だな」


「はい」


 警備メカに捕らえられた俺たちはそのまんまゴールドソーサー最下層のゲートにまで連れて行かれた。職員が岡部の指令どおりに機械を操作すると、ゲートがゆっくりと開き、下から冷たい風が吹き込んでくる。


「おい! 少しは、こっちの話を聞け!!」


 俺の最後の叫びも空しく響くだけで――


「聞くことは無い。『下』で、罪を償うのだ!!――やれ!」


「はい」


 ――俺たちはメカに捕まれたまま、娯楽の殿堂の遥か底の底へと落とされていった。

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