肆-2




 カランカランと鐘鈴ドアベルが鳴いて、振り返った千鶴の目に待ち人が映り込む。姿を見るなり居ても立ってもいられなくなって、その人物に駆け寄った。


「おかえり瓏衣くん! 小太郎くん!」

「どぉふ!!」

「おわっ!」


 勢い余って半ば突進と化した抱擁に対応が遅れた瓏衣は思わず声を上げ、傾いた体が真後ろにいた小太郎にぶつかる。しかし悲鳴に反してダメージはそれほどでもない。ほとんど条件反射だ。傾いた体を正しながらしっかりと千鶴を抱きとめて頭を撫でてやる。


「ただいま。千鶴」


 声をかけても、千鶴はしばらく瓏衣に抱きついたままだった。危険だからと一人喫茶に残してきたが、不安だったのだろう。彼女の右手は瓏衣の背に回されているが、左手は存在を確かめるように小太郎の腕をがっしりと掴んでいる。苦笑しながらも、小太郎も千鶴の頭を撫でた。


「安心しろ。生きてっから」

「気持ちはありがたいが、一々そんなに心配してたらこの先身がたないぞ」


 カウンターの中から微笑ましそうにこちらを見ていた春乃が口を開く。


「おかえりなさい。皆コーヒーでいいかしら?」

「おお。頼むで~」

「ほら千鶴、座ろうぜ」

「うん……」


 遅れて入ってきた雪羅が陽気に軽く手を挙げる。店のすぐ入口に立っていることを思い出し、瓏衣は千鶴の肩を軽くたたいて、奥の四人がけのテーブル席に移動した。例によって、その隣の四人席に雪羅たちが腰を下ろす。

 店の主の姿が見えないのでどうしたのかと春乃に問えば買い出しに出かけたとのこと。


「小太郎さん、戦いには慣れましたか? 不調などは……?」


 セレンが気遣わしげに問いかけると、小太郎はしばし目線を上にやり、心当たりがないかを考える。


「いや、今んとこはなんもねぇな。力の使い方もだんだん分かってきたとこだし」

「お前の場合、力使っても倒し方は人間相手のときとそう変わんねぇしな」


 瓏衣がニシシと笑うと、向かいに座った小太郎が無言で瓏衣の頭を鷲づかんだ。


「いだだだだ」

「お前にだけは言われたくねぇ」


 小太郎のアイアンクローがぎりぎりと瓏衣の頭を締める。瓏衣は痛みに顔を歪め、彼の腕を掴んで自身の頭部から引き剥がそうとするが、彼は放さない。


「で、でも小太郎くんもあんまり危ないことしたり、無茶したりしないでね」

「さーて、それはこのバカが突っ走り続ける限りできねぇ約束だな」


 言いながら頭を前後にゆっさゆっさと揺らし、放るように手を放すと、瓏衣はうっ、と呻いて頭を押さえた。


「はーい、コーヒーお待ちどおさま」


 丸い盆にコーヒーを乗せて、春乃がカウンターから出てきた。ソーサーに乗っていることもあり、盆に乗るカップの数は三つが限度だ。春乃は先に瓏衣たちの座る席にコーヒーを運んできた。

盆からそっとコーヒーを持ち上げ、瓏衣の前に置きながら、彼女が不意に口を開く。


「あ、そうそう。危ないことといえば、最近この辺りでストーカー事件が起こってるそうよ。でも被害者は全員男の人らしいの。今のところ実害は無いようだけど……」


 男を狙ったストーカー。

 ストーカーに遭うといえば、半ば固定概念のように大多数が女性を被害者として思い浮かべるだろう。実際、それを聞いた瓏衣たちは訝しげに首を傾げている。

 最近は男女関係なく危ない目に遭うから怖いわよね、と言いながら春乃はカウンターへ戻っていく。

 まあ、とにもかくにも、


「気をつけろよ」

「気ィつけろよ」


 重なる瓏衣と小太郎の声。その顔はお互いを見つめていて、そして同時に何を言っているんだと言うように眉をひそめた。


「なぜオレに言うよ。この場合、狙われるとしたらお前だろ」

「お前こそ狙われそうだし、狙われても狙われなくても首突っ込むだろ」

「か弱い女性ならともかくなんの関わりもねぇヤローを助ける気なんざねェよ」


 小太郎の言葉に同調しつつも千鶴は、性別関係なく困ってる人は助けてあげてほしいなぁ……、と苦笑する。


「何言ってるの。瓏衣くんだって狙われるかもしれないじゃない。いくら強いって言ったって変に危ない目に遭う前に逃げなきゃダメよ?」


 盆に再びコーヒーが注がれたカップを三つ乗せた春乃が今度は瓏衣達の隣席に座るカイナたちにコーヒーを差し出す。すると、瓏衣はコーヒーを飲もうとする手を止め、キョトンとした顔で春乃を見る。


「どうして? オレ女だから狙われないよ?」

「えっ!?」

「えぇっ!?」

「ウソやろ!?」

「ぶっ……! げほげほっ!」


 春乃たちから揃って頓狂な声が上がり、加えてコーヒーをせる声が一つ。カイナである。


「誰も気づいてねぇのかよ」

「無理も無いとは思うけど……」


 小太郎は呆れたようにコーヒーに口をつけ、千鶴は苦笑したまま呟く。

 オレという一人称、肩につかない黒髪、凹凸おうとつが少なくほっそりとしながらも引き締まった体躯、男性のような言動。それら全てを鑑みて、中性的な印象を受けはしても、誰が瓏衣をひと目で女性だと思うだろう。


「ともかく、今は実害が無くてもそいつがいつどんな理由で影堕ちして、行動がエスカレートするかはわからない。小太郎も千鶴も、あまり一人で遅い時間や人気ひとけの無い場所を出歩くなよ」

「お前もだっつの」

「いて」


 まるで他人ひと事としか捉えず、こちらにしか警戒を促さない瓏衣の頭に軽いチョップを入れ、小太郎はため息をつく。


「まあ、そいつが影堕ちして負影シェイドが出た場合にゃあ俺らが叩き潰すとして。瓏衣、千鶴、買いモン付き合ってくれ。お袋から頼まれた」


 コーヒーを飲み終えた小太郎が席を立つ。それに続き、千鶴も荷物をまとめて腰を上げる。


「うん。いいよ。行こ、瓏衣くん」

「おう。じゃあまたな、カイナ、セレン、雪羅。春姉、会計頼む」

「はーい」


 瓏衣も残りのコーヒーを飲み干して、荷物から財布を取り出しながら春乃に声をかけると、彼女はパタパタと店の出入り口のそばにあるレジに駆けてくる。

 それぞれに会計を済ませ、瓏衣たちは喫茶の扉をくぐって外に出た。日差しは暖かくも瓏衣たちを迎える外の風はまだわずかに冷たく、冬の名残りを感じる。


「ほなね、瓏衣、千鶴ちゃん、小太郎」

「気をつけて帰るんだぞ」

「お疲れ様でした!」


 順に簡易な挨拶をかわし、それに手を振って応えると、瓏衣は先に出た千鶴と小太郎のあとを追った。


***


 投入口に百円を入れ、大きく丸いつまみを捻るように回すと手応えと共にガチャンと音がする。取り出し口に突っ込んだ手をすぐに引き抜いた瓏衣の手には半透明の球体が収まっていた。

 早速パカリと開いてみると、中からくじ引きの紙のような取扱説明書と、景品が出てくる。


「やったあ!」


 目を輝かせる瓏衣の手元を、隣にいた千鶴がのぞき込んだ。


「どうしたの?」

「欲しかったやつが当たった」


 そう言って瓏衣が見せたのは、小さな、


「お弁当……?」

「唐揚げ弁当」


 きちんと値段のシールまで貼られた蓋の中には黒い容器に黒ゴマと梅干しが乗った白飯、パスタか敷き詰められた唐揚げに、レタスが添えられたポテトサラダらしき副菜と、たくあんだろうか、黄色い半月状の漬物が二枚並んで入っており、容器の角の出っ張りに数珠のようなチェーンが通されているそれは、まさしくよく見かける市販の惣菜弁当、を巧妙に模して作られた模型玩具。いわゆるガチャガチャである。

 レジの奥の壁際に縦に二段、それが横に並列したガチャガチャの左から三つ目にあるその台にはTHE・弁当というなんの捻りもない商品名を冠したガチャガチャがあった。他には丸い容器に入ったカツ丼や、焼肉弁当などがあるようだが、瓏衣は見事一回で目当ての景品を当てることが出来たらしい。


「なにしてんだ?」


 レジで会計を終えた小太郎がナイロン袋片手に歩いてくる。


「おもしろそうなガチャがあったからやってみた」

「買うものは全部買えた?」

「おう。えーっと、もやしと味噌と……」


 千鶴に返事を返すも、念の為持っていたメモを再度取り出し、ナイロン袋の中身と照らし合わせる。すると、不意に小太郎が訝しげに眉をひそめた。


「なんだコレ?」


 買ったものに紛れて、覚えの無いものが入っている。ガサガサとナイロン袋を揺らして引っ張り出してみると、それは何の変哲もない一枚のチョコレートだった。もちろん封はまだ切られていない。


「こんなもん買ったっけか?」

「あ、それオレの。さっき買い物カゴに紛れ込ませたやつ」

「はぁっ!?」


 まさか紛れていたとは思わずにレジを通して袋に突っ込んでしまっていた。

 思わず声を上げる彼をよそに瓏衣は涼しい顔で彼の手からチョコを取る。


「これでこの前のはチャラにしてやんよ。ありがたく思え」


 ニシシと笑って瓏衣は板チョコを持った右手を揺らす。

 この前の貸し、とは先だっての影堕ちした件のことだろう。小太郎はぐぬぬと唸るが、借りであることは認めているらしく何も言い返しはしなかった。それをいいことに瓏衣は千鶴にもまた何か奢ってやれよー、と言いながら先に店を出ていく。


「……えと、私は大丈夫だよ……?」

「……いや、まあ、確かに余計な心配かけたのは事実だしな。欲しいもんとか食いたいもんとか、また考えといてくれ」


 遠慮がちに言う千鶴にそう言って、小太郎は瓏衣のあとを追ってガラスの自動ドアをくぐった。


「おかえり。三人とも」

「お買い物は終わりましたか?」


 外へ出るなりそう三人に投げかけられた声。瓏衣は早速板チョコを齧りつつ顔を顰めながら声がした方を、出入り口横の自販機のそばに立つ二人を見やる。


「で、なんでお前らまでついてきてんだよ……」


 缶コーヒーを手に持ったカイナと、ジュースを飲み干し空になった缶をゴミ箱に捨てるセレンが、そこにいた。


「堕天使たちのことを差し引いても、近頃はなにかと物騒だからな。もうすぐ夕方だし、子供たちだけで帰らせるわけにはいかんだろう」


 無駄に整った顔が、愛想よく笑う。女性なら誰もが耳まで真っ赤に染めてときめくものを、瓏衣にかかれば白い目としかめっ面で片付けられるのだから形無しだ。


「そうですよ! いくら瓏衣さんが元々強くて小太郎さんも仲間になったとはいえ、瓏衣さんだってまだ新入りさんです! 万が一この前のように堕天使が現れたりしたら、今のお二人ではまだ太刀打ちできません! 危ないです!」


 両手に拳を握るセレンが前のめりになりながら得意げに言うと、瓏衣は白い目のままセレンに目をやる。


「お黙りへなちょこ天使」

「ぴぎゃっ!?」


 瓏衣の右手がセレンの額にデコピンを決める。痛かったのか、セレンは悲鳴をあげて痛む額を押さえる。

 ちなみに雪羅は用事があるらしく先に帰ったそうだ。


「ま、まあまあ瓏衣くん、もしも本当にまた危ないことが起こったときに、人手は多い方がいいということで、ね?」


 千鶴が宥めて、瓏衣は渋い顔のままチョコを齧る。しかし何も言わなかったので、了承したと受け取ったカイナがでは決まりだな、と笑う。


「好きにしてくれ……」

「では、そうさせてもらおう」


 呆れたように呟く瓏衣が自宅方向へ歩き始め、千鶴と小太郎が瓏衣を挟んで並び歩く。

 その後ろに涼しい顔のカイナとセレンが続いた。


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今宵、紅月の下で鴉が嗤う 威勢ヱビ(いせえび) @221Bookmarker

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