弐-10
ㅤ無数の長方形の白紙が空を切って宙を舞い、目の前に群がっている
ㅤ前方の視界と間合いを確保し、次に右側の影の群れに向かって右手を突き出す。
「吹き荒べ、
ㅤ右手を中心に、澄んだ水色の雪の結晶が陣のように展開し、その中心から粉雪の混じった冷たい吹雪が吹き荒れる。
ㅤまともに受けた影たちは吹き飛び、その後ろや周りにいた影は体の一部が凍り付いていた。それを再び無数の紙が切り刻む。
ㅤだが、消し去ったはずの影は、一呼吸の間隔も置かずすぐに再び湧いて出る。
ㅤそれに気をとられ、雪羅は左から迫る影に気づかない。
ㅤしかし、それが腕を振り上げきるよりも前に、背後から切り倒された。
「払え
ㅤ右足を軸に大剣をぶん、と大きく水平に振ると、赤い光を纏った衝撃波が放たれ、目の前の影の群れを消し去り、道ができる。
ㅤしかし、瓏衣に合流すべくその活路を駆けようとすれば、それを阻むようにしてすぐに再生する。
ㅤカイナと雪羅はゆっくり後退し、背中合わせになる。
「さっき助けてくれたやろ。おおきにな」
「構わないが、それよりも今はこいつらだ」
「倒しても倒してもキリ無いなぁ……」
ㅤすでに参っているような声だった。少しずつ、ジリジリと距離を詰めてくる靄たち越しに、カイナは瓏衣の様子を見る。
ㅤちょうど飛び上がって
ㅤ瓏衣から聞いた柏田なる男は切れていない左肩を庇って痛みを叫びに変える。
ㅤ
ㅤ報復と言わんばかりに
「瓏衣!!」
「っ!」
ㅤ叫んだカイナに、肩ごしに振り返った雪羅も彼の視線の先を見た。
「ぐっ、うぅ……!!」
ㅤ体中が圧迫され、息が苦しい。身動きが取れない。
ㅤ刀を握る右手が緩みそうになるが、手放してしまってはあとは本当に殺されるだけだ。なんとか滑り落ちないよう堪えた。
「アなタガ死ネば、彼女は僕ノモのでス。サア、僕ト彼女のたメ二死んデくだサい!!」
「ぐぁ、ああぁあぁっ!!」
「瓏衣くんっ!!!」
ㅤみしみしと肉や骨が軋むほどに体を圧迫する力が強くなり、瓏衣が一際顔を歪め、千鶴が悲鳴にも似た悲痛な叫びをあげる。
ㅤそれでも刀が手からすり抜けなかったのは瓏衣の根性だった。
「サア!ㅤアト何分持チマスカネェ?!ㅤアハハハ!!ㅤアッハハハハハハ!!!!」
ㅤ何が楽しいのか、柏田は狂気じみた笑い声を上げて苦しむ瓏衣を眺めている。
「やめて…。お願い…!ㅤもうやめて…!!」
ㅤ絶望に心を支配され、見ていられなくなった千鶴は頭を垂れ、なすすべもなくただ静かに涙を流す。瓏衣の苦しむ声も聞きたくなくて、耳を塞いだ。
ㅤこんなことなら、喧嘩なんてするんじゃなかった。自分が捕まってしまったせいで、一番傷ついてほしくない人が傷ついている現実に、もう耐えられない。
「…ち、……ぃ…」
ㅤ霞む視界の端で、また、千鶴が泣いている。起きなければ。
ㅤそばへ、行かなければ。
ㅤなに泣いてんだよって、頭を撫でて、宥めてやらないと…。
ㅤそうだ。千鶴を、小太郎を、柚姫を、守ると決めた。武器を手に、戦うと今しがた決めたばかりじゃないか。
ㅤあの日だって、傷だらけになった瓏衣の酷い姿を見て泣いてくれた柚姫と千鶴に約束したのだ。
まだこんなところで、死ぬわけにはいかない───!!!
「…っ……」
「…?」
ㅤまだかすかに隙間のある気管から息を呑み、歯を食い縛る瓏衣に、柏田がまだ生きているのかと猟奇的な笑みで
「なかなか粘りますね。しかし、これでおしまい───」
「悪いけど、」
ㅤさっきまで痛みと苦しみに叫ぶことしかできないでいた瓏衣が、不意に柏田のセリフを遮るほどに大きくハッキリとした声を出した。
ㅤ乱れた黒髪の間からのぞく蒼色が、鋭く彼を捉え、驚いた柏田はわずかに目を丸くする。
「……オレみたいなののために……、泣いてくれるヤツがいるんだよ……。だからオレは……」
ㅤ右手の刀を強く握り直し、
「抗う道を選ぶ───!!」
ㅤ拘束を抜け出そうと体に力を入れもがく。例え意味がなかろうと、諦めることだけは絶対にしない!
ㅤ折れない瓏衣の意思に呼応するように、黒い刀が青い光を帯びる。
「…こ…、のっ…!!」
ㅤ声に合わせて体に力を入れたその瞬間、青く鋭い光が瓏衣を捕らえていた
ㅤ真下に落下した瓏衣はすぐに動こうとするが、限界まで圧迫されていた影響か体中が痛んだ。しかしこのチャンスを無駄にするわけにはいかない。
ㅤ無理やり体を突き動かして立ち上がり、反撃に出る。
「いくぞ、
ㅤその言葉が合図であるように左手の中に鞘が現れた。一度刃を収め、目を閉じながら静かに、大きく息を吸いこんで構える。
ㅤ不意に、刀が光を帯びる。淡い、青色の光。
「オノレ…、オノレ飯綱瓏衣イイィッ!!!」
ㅤもはや憎しみのみがこめられた這うような声を出しながら、今度こそ瓏衣を捻りつぶそうと右手を伸ばす。
ㅤその指先が残り二メートルまで迫ったところで、瓏衣は目を開けた。
「一迅一閃!!!」
ㅤ繰り出すのは抜刀術のような技。
ㅤ鞘から勢いよく抜刀しながら斬りあげる。その勢いと刀の力をのせた大きな衝撃波が飛び、まずは迫っていた指先を、それから腕、肩を斬り裂いて、間髪入れずそれは
「ガアアアァアアァアァァッ!!!」
ㅤ体を反り返らせ、柏田と
「ガアアァ…!!ㅤア、アアアァッ!!ㅤグアアァァアアアァッ───!!!!」
「……っ!」
ㅤ異変に気付いた千鶴が押さえていた耳を放し、柵に手をかけて下を見る。
ㅤ
ㅤが、間もなくして
「消えた…」
「思ったよりも、やるやんあの子…」
ㅤ刀を鞘に収める瓏衣の背中を見つめながら、雪羅が笑う。
「ふう…」
ㅤ瓏衣が体から力を抜く。
ㅤまるでテレビを見るように、その光景をぼうっと見ていた千鶴は瓏衣が
「瓏衣く───きゃああっ!!?」
ㅤ勢いよく立ち上がるが足がもつれてしまい、千鶴の体が柵を乗り越えてしまった。
ㅤそれに気づくや瓏衣の顔が青くなる。
「ちょっ!ㅤバカなにしてんだっ!!」
ㅤ腕を広げながら走り、なんとか抱きとめてやる。
「こわかった…」
「心臓に悪いわ…」
ㅤなんとか間に合ったからよかったものを、と瓏衣は肩を落として安堵する。
ㅤ半日ぶりにまともに見た瓏衣の顔に、千鶴は安らぎを覚えてクスリと笑う。
「瓏衣くん、今朝はごめんなさい…」
ㅤ瓏衣の背中に腕を回して、抱きつく。
「いつも守ってくれて、あの人たちの仲間に加わろうと思ったのも、私や小太郎くんや柚姫さんを守ろうと思ってくれたからだよね…」
ㅤそんな瓏衣らしい、単純な思いにも気づかず、一方的に強く言葉を投げてしまった。
ㅤそのうえ言いたいことだけ言ったら勝手に拗ねて無視までした。
「違うよ。オレが千鶴たちのことをもっとよく考えなくて、怒らせただけだ。本当にごめんな」
ㅤ頭を撫でてやりながら、瓏衣も千鶴を抱きしめた。彼女は腕の中でフルフルと首を振る。
「お互いにちゃんと謝ったから、これで仲直りだね。私のために必死に戦ってくれた瓏衣くん、すっごくかっこよかった!」
ㅤ顔を上げ、千鶴が笑った。今朝の泣き顔とは違う眩しくて晴れやかなその笑顔が、小さな頃からそばでずっと笑っていた彼女には一番似合っていた。
「おかえり、千鶴」
「ただいま、瓏衣くん。助けてくれて、ありがとう」
ㅤ笑いあう二人の姿を離れたところから見ていたカイナと雪羅、そして合流したセレンも、もう心配はなさそうだと顔を見合わせあう。
ㅤ和やかな雰囲気の中、不意に乾いた音が響いた。
ㅤ気づいた瓏衣たちが一斉にそちらを向く。音がしたのは、千鶴がいた倉庫の二階のスペース。
「友愛を胸に、悪しきを蹴散らし友を救う。ああ、じつに美しい光景だ」
ㅤ両手をゆっくりと打ち合わせて拍手をしながら、賞賛の言葉を口にするそれは人の声だ。しかし、灰色の軍の礼装に似た衣服に身を包み、鈍い金色の髪の毛に赤い瞳、そしてなによりも、背中に生えている闇のように黒い翼がそれが人ではないことを物語っている。
「美しいあまりに、───反吐が出る」
ㅤ瞬間、氷のように冷たい無表情になり、赤い瞳が蔑むように瓏衣たちを見下ろす。
ㅤ瓏衣は背筋が凍るのを感じた。とてつもない殺気に体が固まり、ごくりと固唾を呑む。
ㅤそして、自ずと悟った。
ㅤ千鶴を背中に隠すように庇いながら言う。
「その黒い羽、お前が堕天使だな」
ㅤ答える代わりに、彼は二ィと笑った。
「君、新しい子だよね。俺はルシフェル。さっきの戦い、見事だったよ」
ㅤルシフェルと名乗った彼は柔らかな笑みを浮かべて再び両手を打ち合わせる。
ㅤカイナたちが後ろから駆けてきて、瓏衣の隣に並び武器を構える。
「でも、この先もあんまり邪魔すると、」
ㅤくるりと後ろを向いて、肩ごしに顔を半分ほど振り向かせる。
「容赦なく潰すよ」
「っ!!」
ㅤその瞳に見られた瞬間、誰もがぞくりとした。
気圧され、言い知れぬ恐怖に心も体も支配され、震えそうになる足をこらえる。
ㅤ背後で千鶴が怯え、きゅっと服を握ったのがわかった。彼女のためにも、瓏衣は精一杯ルシフェルと名乗った彼を睨みつけ、肩を張る。
「じゃあ、俺はいくよ。命が惜しければ、おとなしくしていることだね」
ㅤルシフェルが右手を前にかざすと、ブラックホールのような、先が見えないワープのようなものが現れた。
ㅤ手を出さなくていいのかと瓏衣は左右の雪羅とカイナに目配せするが、二人とも首を横に振ったので、警戒は解かないまま彼がワープの向こうに去るまで、瓏衣たちはまるで釘づけになったように一度たりともルシフェルから目を離さなかった。
ㅤやがて黒い翼もワープの向こうへすっぽりと飲み込まれ、ワープはゆるく渦を描いて消えた。
ㅤ瓏衣たちが構えを解いたのはそれから十分に時間が経ったあとだった。
ㅤ風船に溜めた空気が一気に抜けるように、その場にいた全員が一斉に肩の力を抜き、だらりと腕を下げ、構えを解いた。
「怖かったです……」
ㅤセレンがその場にへなへなと座り込む。
「やっぱ、敵さんの大将ともなると怖いわぁ…」
「運よく見逃してもらえたようだな…」
ㅤ雪羅がしゃがみこみ、カイナは腰に手を当ててふう、とため息とともに肩を下ろした。
「瓏衣、初陣ご苦労。見事なものだった」
ㅤ未だ呆然と突っ立っている瓏衣に、カイナが声をかける。しかし、ぴくりとも動かない。
「瓏衣?ㅤどないした?」
「瓏衣くん?ねえ瓏衣くんてば、」
ㅤ誰が呼びかけても瓏衣は反応を返さない。
ㅤ千鶴が強く袖を引くと、それを合図に、瓏衣の体は前へ傾いていき、まもなくどさりと音がした。
「る、瓏衣くん!?ㅤしっかりして瓏衣くん!!」
「瓏衣さん!!」
「落ち着きぃ。寝てもうとるだけや。限界が来たんやろ…」
ㅤ今にも泣きそうな顔をする千鶴とセレンをなだめ、雪羅は瓏衣を抱き起す。口と鼻からは空気が出入りを繰り返し、規則正しいリズムでゆっくりと胸が上下している。瓏衣はやはり、傷だらけの顔で穏やかに寝息を立てていた。
「大事につながるほどの傷は奇跡的に負っていないようだから、今は寝かせておいてやろう」
ㅤそう言うと、千鶴とセレンは安堵し、胸をなでおろした。
「せやな。千鶴ちゃんは体どないや?痛めつけられたりしてへんか?」
ㅤかわいらしい服装に少々埃や砂がかかってしまっているが、体に異常はみられない。千鶴は大丈夫ですと頷くが、でも彼は…と言葉を繋いで、数メートル離れたところで倒れている柏田に目を向ける。
「
「ほいほい。ほな、帰ろか」
「はい」
ㅤカイナは柏田を運びながら、雪羅は瓏衣を抱きかかえ、外へ歩いていく。
ㅤようやく外へ出るころには、夕日は水平線よりも下へ沈み、頭上の星たちが輝き始めていた。
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