弐-3
ㅤ一コマ目が終わった休み時間、瓏衣は勇気を出して千鶴に歩み寄っていった。無論謝るためである。
ㅤしかし、それを拒んだ千鶴は瓏衣が近づいてくると気づくや否やトイレに逃げてしまった。避けられたとショックを受けた瓏衣はその場で撃沈。トボトボと席へ戻ってしまった。
ㅤ小太郎はやれやれと肩をすくめる。
ㅤ二コマ目が終了すると、あとから自己嫌悪に陥った千鶴は謝ろうと瓏衣のもとに駆けていったのだが、すっかり弱気になってしまっている瓏衣はさらなる非難と追い打ちを恐れてダッシュで逃げてしまった。なぜか瓏衣の隣にちゃっかり座っていた紅羽昴は首を傾げる。
ㅤそして三コマ目が終了し昼休み。食欲をそそる料理の匂いを漂わせ、生徒や教師で混雑する広い食堂の片隅で、
「幼なじみとのケンカかぁ…」
ㅤふむふむと頷く昴。その向かいには和柄の包みに包まれた柚姫お手製の弁当を出しながら覇気の無い青白い顔でうなだれている瓏衣がいる。
ㅤ千鶴と顔を合わせることが怖くて、先に食堂まで逃げてきてしまった瓏衣に一人ならついでにお昼も一緒に食べようよとついてきた昴に千鶴とケンカしたことだけを話したのだ。
「そっか~。珍しくイズナくん一人で座ってるな~って思いつつお隣にお邪魔してたけど、そういうことか~」
ㅤいただきまーす!と箸を手に無邪気に手を合わせる昴の前には食堂で提供される日替わりランチが湯気を立てながらそこにある。ちなみにメニューはご飯にみそ汁、副菜にキャベツとコーンのサラダ、主菜はコロッケであった。
「もう、生きていけない…」
弁当の包みも開かずに、瓏衣は机に突っ伏した。ずずず、と熱々のみそ汁を啜って、昴は言う。
「謝るしかないでしょ…」
「むり…。顔合わせらんない…。こわい…」
「まあとりあえずお弁当食べなよ。いらないならくれても、いいんだゾ☆」
「やだたべる…」
ㅤむくりと体を起こし、のそのそと動きながら包みを解き、黒い弁当箱を開けた。中には白いご飯と卵焼き、小さな鮭の切り身やエビフライ、ミニトマトにブロッコリー、ごぼうと人参のきんぴらなど、バランスのいいおかずが詰められている。
ㅤすると昴が色めき立った。
「なにそのおいしそうな完璧なお弁当!ㅤいいな!!ㅤイズナくんが作ったの!?」
「いや、一緒に住んでる伯母が作ってくれたんだ」
「いいなぁ。ボク一人暮らしだからさぁ…。…その卵焼きいただき!」
昴の手がすばやく伸びてきて、二つ詰められた卵焼きのうちの一切れがさらわれる。
「あっ!ㅤてめっ!」
ㅤ取り返す間もなく卵焼きは彼女の口に飲み込まれた。むぐむぐと咀嚼する昴の顔が不意に綻ぶ。
「んー!ㅤおいしい!」
ㅤ落ちる頬を押さえるように右手を右頬に添えて笑う。
「当たり前だ。柚姫さんの料理はとても美味いからな」
ㅤ瓏衣はまったくと悪態をつきながらエビフライを口に放り込んだ。お返しにコロッケ食べる?と訪ねられたが、いらんと一蹴する。
「…なあ、一つ聞きたいんだけど…」
「なにー?」
ㅤ神妙な面持ちで切り出す瓏衣に対しキャベツとコーンのサラダを食べながら首をかしげる昴には緊張感が無い。
「昨日のアレ、どういう意味だったんだ…?」
「昨日?ㅤボクなんて言ったっけ?ㅤはっ!ㅤそういえばボク、イズナくんに告ったんだっけ!!?」
ㅤ的外れな返しに口に含んだミニトマトを噛み潰す瓏衣の眉間が険しくなる。紅潮する頬を押さえながらきゃー!と騒ぐ昴のその様子はわざとふざけているような、でもなんだか素で覚えていないような反応にも見える。
「…そうじゃなくて、昨日別れ際に、今日の夕方気を付けろって忠告してきただろ」
ㅤ気になっていたのだ。あの忠告は、まるで最初から瓏衣たちがあの通り魔と、黒い大きなモヤに遭遇することを知っていたというようにも取れる。仮にそうだとして、なぜ、彼女がそんなことを知っていたのか。どうしてあんな抽象的な忠告だったのか。
ㅤ思い出したのか、昴はああ、わかった!と声を上げる。
「なんで、あんなことを…」
ㅤもしかしたら、こいつも敵なんじゃないか。一抹の不安が胸をよぎり、瓏衣は少し身を強張らせる。弁当はあと四割ほど残っている。
ㅤとそこで、昴は急に真顔になり、箸を静かに置いた。
「イズナくん、実はね…」
ㅤ深緑の双眸が瓏衣を見据える。周囲の生徒たちの喧騒が遠ざかり、彼女の声だけが響く。瓏衣もまた箸を置いて彼女の言葉を待った。
ㅤ唇が、動く…。
「ごめんっ!」
ㅤぱんっ。勢いよく両の手のひらが打ち合わされ、乾いた音を立てる。
ㅤ対し、瓏衣は昴からの唐突な謝罪に呆気に取られて目を丸くしていた。
「…は…?」
「それが今はまだ話せないんだー。ホントにごめんね…!」
ㅤ八重歯を覗かせながら、にゃはは…と独特の苦い笑い声を出す彼女の表情はついさっきまでと同じ気の抜けた無邪気な笑顔に戻っていた。
「どうしても、なにも話せないのか…?」
「うん。なにも話せない」
ㅤできることなら無理やりにでも吐かせたい心境だが、彼女がそういうのなら無駄だろう。
「今は、ということは必要な時が来れば教えてくれるんだな?」
「さすがイズナくん目の付け所がいい!ㅤそうだよ。時期が来たら話してあげる!」
ㅤ指きりげんまんする?と小指を差し出してくる彼女の笑顔を凝視する。胡散臭い気がしなくもないが、今は彼女に詰め寄らずともまだ事情を聞ける人間がいるのだし、ここは引き下がることに決めた。
「そのときが来たら、絶対に吐いてもらうからな」
ㅤ箸を握り直し、残りの弁当に手を付ける。
「うん。いいよ。あ、でも忠告じゃないけど本当に仲直りは早くしといた方がいいよ」
「うっ」
ㅤ再び箸を手にコロッケを頬張る昴の言葉が耳に痛い。
ㅤ謝らなければ事が済みも進みもしないことはわかっている。弁当を食べ進めながら、瓏衣は視線だけを動かし幼なじみの姿を探した。
ㅤすると二分も経たずに姿を見つけた。長机を六つ挟んだ向こうに、千鶴と小太郎が向かい合って座っていて、千鶴もまた肩ごしにこちらを見ていた。が、目が合うや否や勢いよく逸らされる。
ㅤショックで白くなる瓏衣。
ㅤ晴れない表情で昼食を続ける千鶴。
ㅤ二人を見てどうしようもないと首を振る小太郎。
ㅤご飯粒一つ残さずすべての皿を空にして、礼儀正しく手を合わせ、ごちそーさまでした!と元気な挨拶をする昴。
ㅤ四者四様の昼休みは残り四十分。
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