壱-4




 彼らが通う大学は町の端っこの、小高い丘の上にあり、背後は緑生い茂る山が連なっている。登校時は坂が少しきついが、帰りは下りとなるため楽である。

 他愛もない話をしながら、ほかの帰宅途中の生徒や散歩を楽しむ通行人たちにまぎれ、三人は朝通った桜並木の遊歩道を歩きながら駅がある北方面へと歩いていく。

 街の中心部に位置する駅は人が多く集まるが、月曜日の昼間であれば人はまばらであった。しかし駅前の脇、バス乗り場の近くではカラフルな水玉模様が装飾されたキッチンカーが停車していた。

 A型スタンド看板を車の両サイドに立たせ、近くにはすぐに食べられるよう日除けのパラソルと白いプラスチックの簡易な丸テーブルと椅子が三セット用意されている。

 ちょうどおやつ時にかかっていることもくわえ、クレープ屋は女性客や子連れ客を中心に列を成し、繁盛しているようだ。周囲のベンチやテーブルにはすでにクレープを購入した客たちが腰を下ろし、会話をまじえながらクレープを味わっている。

 とりあえず先に、空いているベンチを荷物で占領して確保するや否や、千鶴の興奮がピークに達したようで、遊園地に来た子供のようにはしゃぎ始める。


「どれにしようかな~! どれも美味しそうだなぁ! ねぇねぇ瓏衣くん小太郎くん! どうしようどれにしよう!!」


 広告ビラの裏側に書いてあるメニューを上下左右クマなく見回しながら、頬を紅潮させる千鶴は瓏衣の服の裾を引きながらぴょこぴょこと跳ねる。

 小動物のようなその姿がたまらなく愛おしくて、瓏衣はだらしなく緩む頬を制しながら微笑みかけ、頭を撫でてやる。


「どのみち順番待ちもあるし、並びながら考えよう。コタは決まってんの?」

「おう。ブルーベリーのやつ。荷物番してっから、俺の分頼んだ」


 言いながら、小太郎は置いた三人分の荷物の横に腰を下ろし、ひらひらと右手を振った。


「わかった。行こ、千鶴」

「うん!」


 カバンから財布を取り出し、二人は列の最後尾に並んだ。左手に瓏衣の右腕を抱き込んで、千鶴はビラから目を外さずに声をかける。


「あ! 瓏衣くんの好きそうなチョコのクレープもあるよ! どれがいい?」


 ビラに刷り込まれたメニューの一覧の、右下あたりにチョコレートを主にしたクレープのメニューが並んでいた。生地にチョコを混ぜたものや、チョコのアイスがトッピングされたものなど、バリエーションは様々だ。

 その中でも特に瓏衣の目を引いたのは、


「これがいい、かな……」


 指さしたのは二十一というメニュー番号に続いてトリプルチョコレートバナナと書かれたクレープだった。通常のクレープ生地に生クリームとバナナ、そしてチョコチップの入ったチョコレートアイスに真四角の少し小さい生チョコが少しと、とどめのチョコレートソースが網目状にかけられた、おそらくそのメニュー名の由縁なのであろうクレープだった。

 チョコが特別好きでなければいささか喉の渇きが気になりそうな、ほかのものよりも数十円高いメニューだが、瓏衣は三度の飯よりチョコレートが大好物である。目を輝かせたまま、そのメニューから目を離さない。


「小太郎くんはこっちのブルーベリーチーズでいいかな?」


 番号で言えば八番らしいそのクレープは生地に生クリームの上にブルーベリーの実とブルーベリーのソースが乗り、そこにクリームチーズが加えられたメニューだった。

 彼の言う通りブルーベリーのメニューなので文句はないだろう。


「あとはちぃだな。順番までまだ余裕があるけど、早めに決めなよ?」

「んんん~……! あ~ん!!決めきれないよぅ……!」


 ちぃ、とは瓏衣がたまに呼ぶ千鶴のあだ名である。

 まるで責め苦に苦しむようにうーんうーんと唸り続ける千鶴が微笑ましくて、瓏衣は彼女の頭を撫でて目線を外す。手持ち無沙汰に意味も無く小太郎に目をやってみると暇そうに携帯をいじっていた。

 それから瓏衣は腕を組んで、さきほどの昴の言葉の意味を再び考え始める。彼女は、なにを伝えようとしていたのか。何か言うなら、あんな抽象的にではなくもっと具体的に言えばいいものを……。


───今日の、夕方……。


 あの口ぶりでは、まるでこのあとになにが起きるのか知っているようだった。身近な危険について心当たりはないが、強いて言うなら、最近この近くで多発している連続通り魔事件ぐらいか……。


───あとは……、


 不意に視線を動かして、少し離れた位置にいる二、三羽の鳩に目が止まった。

 餌を探しているのか、ときおり足元にくちばしを落として、それから揃って動くこともなくそれぞれ思い思いの方向へとちょこちょこ歩いていき、そこにまた別の数羽の鳩が降りてきたかと思えば、そのなかからまた数羽が飛び去っていく。


───鳥……。翼……。羽……。


 脳裏に、朧気になっていた今朝の夢の記憶が断片的にだがよみがえる。

 まるで窓からこちらを覗き込むような、赤く光る大きな月。その月明かりに照らされた暗闇の一室に、人影が一つと、その下に転がる二つの───。


───あれ……。なんだっけ……?


 なにが、転がっていたのだったか……。

 布、袋、食べ物、ぬいぐるみ、クッション。いろいろなモノを思いつく限りそこにあてがってみるが、どれもしっくりこない。

 ならほかに、思いつくものは……?


───……ひ───?


「───瓏衣くんてばっ!!」

「うびゃあっ!?」


 名前を呼ばれると同時に思い切り右腕を強い力で引っ張られ、瓏衣は我に返った。


「もう! やっと気づいた! 私たちが注文する番だよ!」


 右腕を引っ張られて体が右に傾いた瓏衣の眼前には、幼子のように頬を膨らませてこちらを見る千鶴の顔があった。

 彼女の言葉で状況を確認した瓏衣は弾かれたように前を見る。するとそこには、苦笑いでこちらの注文を待っているクレープ屋の店員。

 そして瓏衣は、


「あっ! すいません! えっと……!」


 慌ててメニュー表に目を走らせ、注文と会計を済ませて受け取り口となっているキッチンカーの後ろ側のカウンター前によける。

 それからさらに十分ほど待ち、お待たせいたしましたという営業スマイルと共に注文したクレープを受け取った瓏衣と千鶴は小太郎が待つベンチへ戻った。


「ほい、ブルーベリーな。金は千鶴に」

「サンキュ」


 クレープを受け取った小太郎の隣にあとでいいからねと声をかけながら千鶴が腰掛けた。荷物も置いているので二人も座ればさすがに瓏衣の座る隙間はなかった。


「あ、ごめんね瓏衣くん」

「いいよ。コタとちぃは座ってな」


 気づいた千鶴が立とうとするが、手で制して止める。買ったばかりのクレープをひと口かじりながら、瓏衣は再び物思いに耽る。


───でも、例えなにがあっても、小太郎と千鶴と、柚姫さんだけは絶対に守ってみせる……。


 小太郎が千鶴に何のクレープにしたのかを問いかけ、彼女は至福の笑みをうかべてイチゴだよ!と返した。それからひと口食べるかとお互いにクレープを交換して味見しあい、どちらも美味しいと笑い合う。

 もうすぐ日も傾き、夕方だ。昴の言葉は気がかりであるが、大事な友人であるこの二人と、両親を同時に亡くした自分を引き取って居場所をくれた伯母である彼女だけは、命に代えてでも……。


「ん?」


 そこで、違和感を覚えた瓏衣は我に返った。

気づくと右腕を引っ張られ、その手に持っていたクレープに小太郎が齧り付いていた。


「っておいこらっ!?」

「やっぱチョコか。好きだなお前」

「やかましいっ」


 彼の手を振り払うと、小太郎は呆気なく手を離して知らん顔でもぐもぐと口を動かす。

 そして飲み込んでからジト目でこちらを見上げて、


「声かけてんのに反応しねぇからだろーが」

「え、す、すまん……」


 おそらく嘘ではないだろう。となれば彼に非は無い。すると、千鶴が眉尻を下げてこちらを見る。


「瓏衣くん、さっきからぼぅっとしてるけど大丈夫? あのとき、紅羽さんに何か言われたの?」

「ああ。なんでもない。大丈夫だよ」


 笑みで返すが、彼女は納得していないような表情だった。


「ならいいんだけど……。はい。あーん」


 千鶴が落とさぬように両手でクレープを持って、こちらに差し出してくる。瓏衣は遠慮なく顔を近づけてひと口。


「ん。ちぃも」

「わーい! あーん!」


 千鶴は無邪気に笑いながら差し出したクレープにかぶりつく。続いて小太郎から差し出されたクレープを預かり、イチゴの味をしっかり堪能してからブルーベリーのクレープをかじる。

 同じベリーでもまったく味か違うのでどちらもおいしい。


「ここのクレープおいしーねー。また来ようね!」

「ああ」

「おう」


 柚姫が家で待っていて、三人で過ごすこの日々こそが、かけがえのない宝物だと分かっているのだから。

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