壱-3




 頭のカタイ雇われ教師の講義という名の念仏にうんうん言いながら頭を抱え、昼食という幸せの時間をかみしめ、そして睡魔と大乱闘を繰り広げた末に訪れた放課後。

 力尽き机に突っ伏した瓏衣とその隣に座っている小太郎に千鶴が声をかける。


「ねえ瓏衣くん! 小太郎くん!」


 二人を呼ぶソプラノはやけに弾んでいて、上機嫌であることが窺い知れた。


「どした?」


 顔を千鶴の方へ向ける瓏衣に倣い、突っ伏したままの瓏衣の背中に小太郎が肘をついて顔を向ける。


「二人ともこのあとご用事無い?」


 用事の前に《ご》がついたり、話の前に《お》がつくところが、千鶴のかわいさの一つである。

 やっぱりオレの幼なじみかわいいふへへ…と心の中で呟きながら先を促す。


「今日は早く終わる日だし、ちょうどもうすぐ三時になるからみんなでスイーツ食べに行こ!」


 気合を入れすぎて力んだ小さな手が拳を握る。

 普段から仕草や衣服まで全てが女の子らしい彼女はもちろん食や物の好みまで女の子そのもので、かわいいものが大好きなのはもちろんのこと、スイーツには目がないのである。

 中学の時は一度帰宅してから、高校からは帰路や休日の際にはよくスイーツ巡りをするのも欠かすことのない三人のいつもの日常といえよう。


「今日はどこ?」


 瓏衣が問うと、千鶴は鼻歌まじりに鞄の中をごそごそと漁り始める。

数秒の間が空いた後、彼女はなにかを鞄から勢いよく引っこ抜き、じゃじゃーん!!というセルフ効果音付きで二人の目の前にそれを突き出した。


「今日はここです!」


それは一枚の紙。広告紙ビラである。

それを右手に受け取った瓏衣は小太郎とともに上から広告を読んでいく。


「駅前に、新しいクレープ屋さんができたんだって!」


二人が無意識に読み上げるよりも早く、目を輝かせた千鶴がやや興奮気味に口を開く。おそらく宣伝に配られたのであろうA4サイズのやや大きめのビラには販売メニューと、季節限定の謳い文句を目立たせた限定メニュー、詳しい営業時間や場所などが記載されている。

今朝は例によって三人で登校したにも関わらず瓏衣がその広告ビラを見たのは今が初めてだ。

たぶん今朝合流する前に千鶴が街角でもらったのだろう。


「へえ。ちょうど小腹減ってきたし、行ってみっか!」

「だな」


 頷き合う瓏衣と小太郎はビラを千鶴に返し、三人は荷物を持って教室を出る。廊下は次の教室へと急ぐ生徒や同じように本日の講義を終え、寄り道について楽しそうに話し合う生徒達で賑わっていた。

三人が横一列に並ぶと邪魔であるため、瓏衣が先頭を歩いてぶつからないように注意しながら棟の出入口にむかって歩いていると、


「あ。イーズナくーん!」


 明るいが、どこかへにゃんと力の抜けた脱力感を漂わせる声が瓏衣の名字を呼び、瓏衣は足を止め、振り向く。

 一応、とつくのは、その声の主に原因がある。


「……やあ、アカハネさん」

「やほやほー。今日も三人仲睦まじいねぇ」


 挙手のように右手を上げてこちらへ歩み寄ってくる人物。

 タイツとロングブーツを履き、薄手のタートルニットと黒いショートパンツにロングカーディガンを重ねて、瓏衣に似た中性的な顔立ちに肩につかない長さの浅緑色の髪と、抹茶色の瞳を持つその人、紅羽あかはねすばるはいつもの通り人懐っこい笑顔だが、対する瓏衣は少し苦笑に近い表情である。

 いつもこの三人でいるためセットで覚えられているのは納得だとして、


「……なぁ、」

「なにー?」


 妙に笑顔でじっと凝視され、居心地が悪い瓏衣は肩をすくめる。


「オレたちってさ、この大学で初めて会ったよね……?」

「うん。そだよー?」

「なぜか、よく話しかけてくれるよね……?」


 嬉しいのは嬉しいけど、続けると、昴はそだっけー?と首をかしげ、左側の襟足から垂れた三つ編みが揺れる。


「んふふー」


 体の後ろで手を組んで、百六十と数センチの瓏衣とあまり変わらない背をほんの少しかがめて、そしてにっこり笑いながら、昴は品定めするように瓏衣の周りをゆっくり一周。

 二周。

 回り回って三周。


「あの、アカハネさん……?」


 ぱちぱちと瞬きをしながら問いかけると、昴は嬉しそうにいっそうにこりと笑って、口を開く。


「うんうん! やっぱりキミは、おもしろいカタチしてるね!」

「はい?」


 なにがどうおもしろいカタチなのだろうか。

 顔?頭?体?いやそれとも耳か?


「じゃ、ボクもう行くね! さらばっ!!」


 右手を高く上げて、立ち去ろうと昴は踵を返す。

 よかった解放されると内心胸を撫で下ろしていると、


「あ。そだ。イズナくん、」

「なん───わっ!?」


 服の裾と髪を揺らしてくるりとこちらを振り返ったかと思えばすぐ側まで駆け寄ってきて、瓏衣の首に腕を回し、抱きつくような形になる。

 そして耳元に唇を寄せて、


「───今日の夕方、気をつけてね」


 トーンがわずかに違ったからだろうか。その一瞬だけ、周りにあった全ての人や物、音が遠のいて、その場に自分と彼女しかいないような錯覚に陥った。

 顔を見ると、彼女は変わらず笑っていた。

 口元は確かに弧を描いていて、けれどいつも目にするソレとは異なって、細められたその瞳の奥には、向かい合っているはずの瓏衣ではないなにか別のモノを視ているように見えた。


「じゃあ今度こそ! サヨナラさんかくまた来てしかくぅ!」


 パッと手を離して瓏衣から離れると、まるで儀式かなにかのようにその場で器用にくるくると回って謎の呪文を唱えたかと思えば、気が済んだのか、ぴゅーん、と効果音でもつきそうな勢いで、昴は瞬く間に棟の玄関口へ走り去っていった。

 取り残されたようにしてその場に立ち尽くす瓏衣たち。


「紅羽さんて、やっぱりちょっと変わってるよね……」

「電波だな」


 千鶴と小太郎が背後でうなずきあう。だが瓏衣はそれどころじゃない。


───今の、いったい……?


 冗談、にしては違和感を感じるそぶりだった。

次の授業まで残り一分。だんだんと人の通りが少なくなってきた廊下で、さっきの言葉の真意を掴み損ねてしばし固まる瓏衣に首をかしげながら、小太郎がその肩を叩いた。


「おーい、どした。行くぞ」

「え、ああ……」

「ほらほら瓏衣くん早く!」


 千鶴と小太郎に半ば引きずられながらも、胸に妙なモノが引っかかったまま、瓏衣は大学をあとにしたのだった。

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