火星 第十話
閃光。
再び、上下左右前後にバイテク立体ホログラムが現れた。
「これは……」
目を見張ったリンがぐるりと見回した。涙声になる。
「これが本当の鬼の姿だわ」
四方の壁には、楽しそうに走り回る鬼の子供達と、子供達を優しく見守る鬼の大人達が居た。彼らの笑顔はとても幸せそうだった。
「絵本作家が発見した当時の遺跡では、バイテク立体ホログラムは見ることができなかった。だから、知的生命体であることだけは分っても、本当の鬼の容姿を知ることはできなかった。そのため、鬼を迫害し蔑むヒトが誇張して描いた似顔絵を、絵本作家はそのまま信用した」
「これが本当の鬼の容姿なんですね」
サンは気が動転していた。
二足歩行の彼らの全身を覆う青色、赤色、緑色といった色彩鮮やかな被毛。頭上には三角耳や丸い耳や長い耳がある。丸っこい目に丸っこい鼻。大きな口は楽しそうに笑っている。
「サンやミャムに似ているわね」
リンがサンを見た。
「絵本に描かれていた鬼の顔とは全く違う柔和な顔。こんな彼らが迫害されたなんて……」
サンの心は痛んだ。
「見掛けや思想が違っても、分かってあげようとする心が、ヒトにあったなら……」
リンの心も痛んだ。
閃光。
天井が輝いた。
閃光。
上下左右前後、全てのバイテク立体ホログラムが消え、暗闇に包まれた。
つと、サンの鋭敏な耳が異変を捉えた。サンがリンを両腕で包み込むと、そのままの状態で体が宙に浮いた。直後、吸い込まれる。
「宇宙ひもだ」
直感したサンだが、すぐに思考はなくなった。
「サン」
呼び掛けるリンの声と腕を突っつかれる感触で、サンは目を覚ました。
「何物だ?」
サンは俊敏に立ち上がって身構えた。目の前には得体の知れないロボットみたいな物がいた。その背後からリンが出てきた。
「サン。大丈夫よ。彼らが私達をアームで捕獲してくれたの。ちょっと荒々しかったけど。でも、それで軽症ですんだわ」
にこりと笑ったリンの背後から、もう一台のロボットみたいな物が出てきた。
「彼らは何物ですか?」
ちょっと不機嫌そうにサンは彼らを見つめた。彼らの足は六つの車輪で、平べったい胴体には太陽電池パネルが広がっている。
「火星探査車よ」
微笑んだリンは、思い出したことを喋る。
「火星探査基地に展示されていたんだけど……サンが言っていた宇宙の置き換えで動き出したんだと思うわ。名前はスピリットとオポチュニティよ」
名前でサンは、知識の中にある彼らを少しだけ思い出した。
「なぜ彼らは僕達を捕獲したのでしょうか?」
「ただの調査対象よ」
「彼らに意識があるのですか?」
「意識はないけど、精密なコンピュータが組み込まれているわ」
リンが彼らに目を遣った。スピリットとオポチュニティは去るように遠ざかりながら、調査対象物を見つけるとアームを伸ばし、突っつくように調査していた。
「あれは何ですか?」
サンは見たこともない光景に気付き、彼らの背後に見えるものを指差した。
「崖よ」
答えたリンは、そびえ立つ壁のような崖を見遣った後、思い出したように崖のもっと上を仰いだ。
「この山頂は、トサカ状の五つの山頂の一つだわ。でも、この山頂が左から何番目にあたるのか……」
仰いだままで見回したリンは、近付きすぎて見当がつかないと、視線を下ろして何か思い出せないかと見渡していて、頭痛に襲われた。目を瞑ったリンは、頭痛の痛みを堪えるというより、懸命に思い出そうとしていた。
ソニックブーム!
びくりとしたサンは振り返って見上げた。開いた宇宙ひもから、紫色の蝶が大群で飛び出してきた。
「紫鬼だ」
拳を握ったサンの背後から、リンの声が聞こえてきた。
「サン。崖に向かうよ」
サンは振り向いた。
「大丈夫ですか?」
「もう大丈夫よ」
返したリンが崖を見つめた。その横顔は何処と無く変わっていた。サンはリンの全ての記憶が戻ったのではないかと思った。だが、聞いてみることはしなかった。なぜなら、記憶が戻るということは感情も戻るということだから、大事なヒト達を失ったリンの悲しみを思い遣ったからだ。
リンはブレスレットを外し手に持った。
「ラティ。刀に分化せよ」
ブレスレットは脱分化した後、刀に再分化していく。
サンも尻尾をもぎった。
「刀に分化せよ」
尻尾が刀に分化していく。
閃光。
上空から紫色の光が降り注いできた。
サンとリンは仰いだ。上空で紫色の蝶が集まっていた。
閃光。
集まった紫色の蝶が、絵本に描かれていた鬼の顔を模った。
「なぜあの顔を模るのでしょうか?」
不思議そうにサンは聞いた。
「あの顔しか、歴史に残っていないからよ」
閃光。
リンの言葉を遮るように、一段と強い紫色の光が放たれた直後、鬼の顔を模っていた紫色の蝶が融合し、巨大な紫色の蝶になった。ふわふわとサン達目掛け、舞い降りようとしている。
「サン。少しでも崖に近付くわよ」
呼び掛けるや否や、リンは駆け出した。
そびえ立つ壁のような崖までは、草木が一本も生えていない不毛の平坦な大地が続いている。
サンはリンを追い掛けて走った。
暫くして、巨大な紫色の蝶はサンの頭上を通り越し、リンの頭上も通り越し、行く手を阻むようにリンの前方に舞い降りた。
立ち止まったリンが、その場に腰を下ろし、目を瞑った。足を止めたサンは、リンの邪魔にならないように背後から見守る。
閃光。
巨大な紫色の蝶が、球状の巨大なプラズマ発光体に変態し、宙に浮かんでいた。
はっとしたサンは、ナオキの誘導で青鬼と戦った時のことを思い出し、携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れて指示を出した。
閃光。
紫色に輝くプラズマ発光体が、リンの真正面に移動した。だが、リンは目を瞑ったままで、ぴくりとも動かない。
携帯バイテクコンピュータから伸びた蔓先の葉が細胞分裂をし、八インチの葉状画面に分化した。急いでサンは覗き込んで確認する。ナオキと同じことをしていると、思い出したサンの胸がちくりと痛んだ。
閃光。
プラズマ発光体の紫色の輝きが鈍くなっていた。
サンはリンを見遣った。
「気流だ。リンの周りを取り囲む空気の流れが、プラズマ発光体を翻弄している」
閃光。
プラズマ発光体の紫色の輝きは鈍いままだ。
サンは葉状画面に視線を落とした。変態に気付き、叫ぼうとした。
閃光。
ソニックブーム!
サンの耳が背後に靡いた。
見張ったサンの目に、リンが握る刀が頭上で、斬り付けてきた紫鬼の左右の刀を受け止めていた。
「紫鬼だ」
青鬼の二倍の図体がある巨体だが、その顔や姿形は色が違うだけで青鬼と同じだ。
紫鬼は変態と同時に左右の前腕を刀に分化させ、リンの頭頂目掛け左右の刀を同時に振り下ろしたのだ。同時に振り下ろした為、リンは一本の刀で左右の刀を受け止めていた。
「速すぎる。こんな刹那で分化までやってのけるとは……これがもし青鬼と赤鬼だけの融合ではなく、青鬼と赤鬼と緑鬼の融合だったなら、リンでも太刀打ちできなかっただろう」
サンはリンの動きを見守る。
リンは刀で左右の刀を受け止めたまま、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。だが、抑え込む紫鬼によって立つことができない。
ソニックブーム!
サンの耳が風に弄ばれるかのように揺れた。
「気流だ。それも荒れ狂う気流。リンが怒っているからだ。大事なヒト達を奪ったものに対する強烈な怒りだ」
リンの心に同調したサンは、ぎゅっと拳を握った。
ソニックブーム!
紫鬼が巨体を仰け反らしていた。リンは弾き飛ばされていた。
荒れ狂う気流によって紫鬼の抑え込む力が緩んだ矢先、リンは一気に立ち上がった勢いと力で、受け止めていた左右の刀を刀で弾いたのだ。だが、その反動で、軽量なリンは弾き飛んでしまった。
身軽なリンは、地面に叩きつけられる前に、身を翻し地面に着地した。すぐに、毅然と刀を構える。
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