火星 第六話
「斬った蝶に異変があったわ」
リンが後部座席のサンを振り返った。
「もしかしたら、背中に現れた映像が現実になるかもしれない」
強張るリンの表情に、サンは疑問を口にする。
「緑鬼がいなくて?」
「真っ二つにした青色の蝶と、真っ二つにした赤色の蝶が、一つになろうとしていたの」
「青鬼と赤鬼が融合しようと試みていたということですか?」
頷いたリンに、サンは身震いした。
「進化する為に、まずは青鬼と赤鬼が融合するということでしょうか?」
「その可能性が高……」
「景色が変わっている感じがする」
リンの言葉を遮って、首を傾げるミャムの声が聞こえてきた。オープンカーは丘の頂で止まっている。
「僕も景色が違う気がするよ」
垂直に飛び跳ねたトトが麓を見下ろした。
「私もそんな気がする」
振り向いて見下ろしたリンも首を傾げた。
「あれは現象です」
指差すサンは言い切った。
「僕は記憶が置き換えられることは無いので、はっきりと認識できています。あそこの麓を通った時には、草原しかありませんでした。それが今では、草原の中に、樹木が生い茂った丘の周りに砂浜……」
言葉を止めたサンの脳裏に絵本が蘇った。
「あれは島です。島が現象となって存在しています」
「もしかしてその島って……」
リンはサンが読み上げていた内容を思い出した。
サンはダンゴムシに似た形をした島の頭と尻にある、各二本の角に似た巨大な岩を指差した。
「あの特徴的な岩と島の形、砂浜……。まさしく絵本に描かれていた島です」
サンは携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れて指示を出した。
「バイテク遠方スキャナーを出せ」
携帯バイテクコンピュータから蔓が伸び、その先に葉が付いた。蔓を持つと、葉を島に向けた。
「スキャンし、表示せよ」
サンの指示で、携帯バイテクコンピュータから伸びた蔓先の葉が細胞分裂をし、八インチの葉状画面に分化した。そこにスキャンされた島が表示される。
「絵本作家が発見したという遺跡が、島の中央にあります。案内しますので、島へ向かって下さい」
サンに答えてミャムがアクセルを踏んだ。ぐんぐん丘を下って行く。
「遺跡?」
呟いたリンが頭痛に襲われた。
「宇宙ひもだ」
後足で警戒音を鳴らしたトトが、前足で上空を指した。
ソニックブーム!
開いた宇宙ひもから、紫色の蝶が大群で飛び出してきた。
「なんだあの色は?」
トトが顔をしかめた。
「青鬼と赤鬼が融合したんだわ」
元気のない声で言ったリンは、依然頭痛に襲われていた。
「光の三原色で言うと、青色の光と赤色の光が混ざると紫色の光になります」
「青色の蝶と赤色の蝶が融合して紫色の蝶になったということか?」
「そうです。紫鬼です」
サンとトトの会話の間に、紫色の蝶はかなり間合いを詰めてきていた。だが、オープンカーも島に近付いていた。
「島の森林はちょうどいい隠れ蓑になります」
「島の中央付近から入りたかったけど、ここから島に入るよ」
サンの提案に、ミャムは二本の角に似た巨大な岩近くの砂浜から島に入った。思い切りアクセルを踏み込み、砂浜から森林の中に突入した。
道なき道をオープンカーはどんどん進んで行く。前後左右上下に体は揺れまくるが、ミャムの運転技術は大したものだと、サンは感心した。
「紫鬼は追ってこないみたいだが……」
トトは森林の葉叢から見え隠れする、上空を舞う紫色の蝶を捉えていた。
「紫鬼の監視をお願いします」
「あいよ」
サンの依頼に、トトは軽快に請け負った。
「位置情報をオン。スキャン画像に現在地を付加せよ」
サンが携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れながら指示を出すと、島のスキャン画像に現在地が反映された。
「右に行って下さい」
葉状画面を見つめながら、サンは遺跡を目指し、ミャムを導いていく。
「今すぐは無理だけど……あそこを右に行ってみる」
運転するミャムは、通れそうな場所を見極めていた。
ミャムがハンドルを右に切った。
「一キロ程直進し、左に行って下さい」
「わかった」
ミャムが返事をした直後、オープンカーが大きくバウンドした。半分埋もれている倒木に乗り上げたらしい。だが、そのまま進んで行く。
「リン。大丈夫?」
「大きく揺れても私は平気よ。気にしないで遺跡に向かって」
気遣うミャムに、依然頭痛が続くリンだが、元気さを装っていた。
「サン。紫鬼は僕達をまだ探しているみたいだ」
トトは葉叢の隙間から見える上空を監視し続けている。
「そろそろ左に行って下さい」
サンが知らせた直後、オープンカーがすとんと落下した。段差があったのだ。だが、そのまま直進し、いきなり左に折れる。
「このまま真っ直ぐ二百メートル程行った所が……」
「遺跡ね」
サンの言葉を奪うようにしてリンが言った。サンを振り返ったリンの顔は、胸を躍らせるような表情だった。頭痛は治まっている。
「もしかして記憶が戻ったのですか?」
サンは期待した。
「全てではないけど、考古学者としての記憶は戻ったわ」
「そっか。だったら、全ての記憶が戻るのも遠くないかもしれないよ」
飛び跳ねたトトがリンの目線に入って微笑んだ。
「そうね」
リンは微笑み返した。
「サン」
ミャムの呼び掛けで、葉状画面を見たサンが慌てて言った。
「止めて下さい」
「衝撃に備えて!」
ミャムは叫びながら急加速した。一瞬オープンカーが飛び、着地したと同時に、斜面を登って止まった。
「突然、深い窪みが見えて……」
ミャムは申し訳なさそうに首をすくめた。
「大丈夫よ、ミャム」
労ったリンが立った。ゆっくりと三百六十度、見渡していく。その目付きは考古学者だ。
「僕の案内が遅かったからです。ごめんなさい」
謝ったサンに、振り返ったミャムが微笑んだ。ほっとしたサンは、周りを見渡した。だが、月裏遺跡とは感じが全く違っていた。樹木で一杯だったからだ。
ふとサンが腰を曲げ、座っているトトに顔を近付けた。
「また感じました」
「うん。尾行されているみたいだ」
トトが鬱陶しそうに顔をしかめた。
「今回は懐かしい感じがするんです。この感覚は僕が知っているヒトのような気がして……」
サンは気が気でないような複雑な表情をした。
「サン。たぶんこの遺跡は約二千年前のものよ。現象として存在する月裏遺跡と同じ文明よ」
リンがサンを見下ろした。背筋を伸ばしたサンは、リンの言葉に、尾行してくる懐かしいヒトのことなど、忘れ去ってしまう程に驚いていた。また、全てが繋がっていくようで身震いした。
「停車中のこの場所は、丘状の遺跡の頂と裾の中間あたりよ。サン。あそこを見て」
リンが指差す方向を、サンは立って見遣った。
「頂となるあの一本の巨木を中心に、左右はなだらかな傾斜で、樹木は同心円状に並んでいる」
リンの指先がなだらかな傾斜を頂から左に下っていく。
「裾が樹木と樹木の隙間から見えるんだけど、わかる? さっきミャムが言っていた窪みよ」
「あの窪みが裾ですね」
サンは捉えた。
「深さと幅が一メートル程の窪みが、裾の全周に作られていて、そこの何処かに遺跡の出入口がある。出入口は一メートル四方の石垣よ。周りは土だから、石垣である出入口は、見ただけですぐに分るわ」
リンの説明を耳にしながら、サンは見える範囲の窪みを確認していった。
「出入口をみんなで探したいところだけど、ミャムはここにいて」
「リン。僕もここにいるよ」
意外な発言をしたトトを、リンが見下ろした。
「ミャムは怖がりだから、一人にしておけないよ。怖がりすぎて、何をしでかすか分からないからね」
考えるようにリンの目が、トトから逸れた。その間にトトは、意味ありげな表情でサンを見上げた。サンは尾行されていることを思い出し、了解という意味で親指を突っ立てた。
「じゃあ、トトとミャムはここに残って」
リンを見上げてトトは頷いた。
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