火星 第五話

 体育室である空間は、奥行ばかりでなく横幅もかなり広く、高さもかなりある。ここの枝は相当の太さを有していることが窺えた。また、バイテク床はかなりの強固な作りだ。

 サンはルーム1バイテクコンピュータが設置されている枝先に向かった。巨大なヒマワリが咲いている。この花がルーム1バイテクコンピュータだ。携帯バイテクコンピュータから伸びる蔓を引きちぎり、案内を終了させたサンは、ルーム1バイテクコンピュータに接近した。

 「萎れている」

 ぎょっとしたサンだが、バイテク建築樹木の枝葉を確認した時に推測したことを思い出した。

 「外部バイテクコンピュータにアクセス」

 携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れて指示を出すと、携帯バイテクコンピュータから蔓が伸びた。その蔓先を持ったサンは、ルーム1バイテクコンピュータの茎に突き刺した。

 暫くして、携帯バイテクコンピュータに蕾が付き、ツバキが咲いた。これが意味するのは、ゲノム認証が必要だということだ。サンは失望した。だが、この携帯バイテクコンピュータを託したナオキを思い出し、もしかしたらと考えた。思い切って、花の中央に拳を当てた。花弁が拳を包み込み、暫くすると、花弁が開いた。サンが拳を退けると、ツバキは凋落し、そこに小さなヒマワリが咲いた。サンのゲノムが認証され、アクセスに成功したのだ。

 ナオキはゲノムまで盗んでいたと、思わずサンはにこりとなった。だが、すぐに表情を引き締めると、携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れ、絵本の表紙に書かれてあったタイトルと作家名を言い、日本国の絵本だと名乗って検索の指示を出した。

 「サン!」

 トトの叫びにも似た声に、サンは振り向いた。

 「何か聞こえないか?」

 トトはバイテク天井に耳穴を向けている。サンも耳穴を向けて澄ました。

 「羽音だ」

 トトとサンが同時に声を上げた。

 「何? どうしたの?」

 不安気にミャムがサンにくっついた。

 「バイテク天井の外側に蝶の大群がいます」

 上を指すサンの手を、リンはきりりと見遣った。

 「青色の蝶と赤色の蝶が一緒に、枝先を集中攻撃している」

 耳穴を上に向けて観察するトトは、じっと聴覚で捉えている。

 「表示されました」

 サンは携帯バイテクコンピュータから伸びた、八インチの葉状画面を見つめた。

 葉状画面に表示されている絵本の表紙を確かめたサンは、指先で触れ、ページを捲っていった。最後まで捲ったサンが首を捻る。緑鬼の所在も手掛りもキーワードも、ヒントとなるようなことは描かれていなかったのだ。

 「青鬼と赤鬼と緑鬼は出てくるのですが……」

 「絵本って、作り物?」

 サンにくっついたままのミャムがぽつりと呟いた。

 「はい。作り物ですが、現存するものをヒントに作られているものもあり……」

 サンの頭脳が閃いた。携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れて指示を出す。

 「絵本作家の情報を表示せよ」

 葉状画面に映っていた絵本が消え、絵本作家の情報が表示された。

 「一世紀前の絵本作家で、凄い遍歴の持ち主です」

 「サン。蝶が枝先の一カ所に的を定めたみたいだ。代わる代わる一カ所を徹底的に攻撃している。このままだと、早い段階で穴が開く」

 腰を折るトトだが、サンは絵本作家の情報に気を取られている。

 トトは耳穴を上に向け観察し続け、リンはラティを刀に分化させた。

 「絵本作家は先駆的な分子生物学者で、晩年に考古学にのめり込み……考古学界から除名され……その後に書き上げたのがこの絵本です」

 サンが何かに気付き、葉状画面に触れた。

 「初回限定版の絵本に書かれていた、あとがきが載っていました」

 「サン! 穴が開いた!」

 トトが叫んだ。だが、サンは全く動じなかった。トトとリンを信頼しているからだ。

 「こんな小さな穴じゃあ、一斉には襲って来られないわ」

 穴を仰ぎ見るリンが刀を構えた。

 「私に任せて」

 「わかった」

 トトは開いた穴に耳穴を向けたままで、リンを見て頷いた。

 「ミクロはマクロに通じ、マクロはミクロに通じる」

 サンが首を傾げるような声で読んだ。

 「来るぞ!」

 トトが叫んだと同時に、一匹の赤色の蝶が進入してきた。

 刀を振ったリンの足元に、真っ二つになった赤色の蝶が落ちる。再び、リンは刀を振った。青色の蝶が真っ二つになってバイテク床に落ちる。次から次へと、蝶は一匹一匹進入してくる。その一匹一匹の蝶を、リンは素早く確実に刀で斬っていく。

 「一人の勇敢な男子によって成敗される島の鬼を、私は絵本にして書き残した。なぜ一部の鬼がヒトを襲ったのかという疑問を持ってもらいたかったからだ。鬼からの視点、鬼の真実に、耳を傾けてもらいたかったからだ」

 胸がつまったようにサンは音読を止めた。と同時に、蝶の進入も止まった。

 「仕舞った!」

 耳をぴくぴくさせたトトが気付いた。

 「何?」

 リンが心配気にトトを見下ろす。

 「バイテク天井が一気に崩れそうだ。枝先の天井となっている部分は、かなり腐っていた。それが蝶の攻撃によって、崩壊を加速させた」

 トトは崩壊寸前のバイテク天井の音を聞き取っていく。

 「島で発見した遺跡には、知的生命体である鬼の真実がある」

 「サン! まだか?」

 読み上げるサンに向かってトトが聞いた。だが、サンは無視するかのように読み続けた。

 「この真実に耳を貸す者はおらず、私は変り者の烙印を押されてしまった」

 サンは葉状画面に舞い落ちてきた塵を何気に払った。

 「ラティ。強化膜に分化せよ」

 リンの指示で、ラティの刀は脱分化した後、透明な強化膜に再分化した。

 トトとリンはミャムと同じようにサンの傍らにくっつくと、サンとルーム1バイテクコンピュータ、ミャム、トト、リン共々に、強化膜をすっぽりと被った。

 「崩壊する!」

 トトの声と同時に、真上のバイテク天井が崩れ落ちた。その衝撃を強化膜が吸収する。強固なバイテク床は持ち堪えている。

 「彼らを追放した上、彼らのことを歴史に残さない我らヒトは、いつしか彼らに復讐されても仕方無い」

 読み上げるサンがぎくりと語尾を上げた。

 「リン。蝶に取り囲まれたようだ」

 舞う塵で強化膜の外は見えない状態だが、トトの耳は捉えている。

 「だったら、やるしかないわね」

 リンが意味深にトトを見つめた。

 「ラティが刀に分化するまで、時間を稼いで」

 「わかった」

 理解したトトが攻撃姿勢になった。

 リンは強化膜のラティに触れ、そのまま指示を出した。

 「ラティ。刀に分化せよ」

 強化膜が脱分化を始めた矢先、アポトーシスで開いた強化膜の穴から、トトが飛び出した。

 ソニックブーム!

 トトが取り囲んでいる蝶に奇襲をかけた。翻弄して誘き寄せる。

 ソニックブーム!

 トトは枝先の狭い空間から、枝の中央の広い空間に向かって駆けた。狙い通り、青色の蝶も赤色の蝶も、全ての蝶が追い掛けていく。

 ソニックブーム!

 広い空間で、音速を超える速さでトトの耳が蝶を斬っていく。

 ソニックブーム!

 トトがまるで席を譲るかのように身を翻した。刀を握るリンが蝶の真っ只中に入った。

 気流が起る。

 リンが起こした刀の気流だ。気流は渦巻き、全ての蝶を捕らえる。次から次へ、一瞬のうちに全ての蝶は斬られ、バイテク床に落ちていく。

 サンはルーム1バイテクコンピュータの茎に繋げていた蔓を引き抜いた。蔓は枯れ、携帯バイテクコンピュータから伸びる葉状画面も枯れた。

 「リン! トト!」

 サンはミャムの手を引っ張って駆け寄った。

 「サン! 戻るよ!」

 叫んだリンが駆け出した。トトもサンもミャムも後を追って階段を駆け下り、遊歩道を突っ走り、バイテクドームの穴を抜け、オープンカーに乗り込んだ。

 アクセルを踏み込んだミャムが、猛スピードで丘を登っていく。

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