火星 第四話

 オープンカーは再び、トサカ状の五つの山頂の左から二番目の山頂を目指して向かって行った。

 心地よい風と草花が生い茂る草原は、サンの記憶からカオスという単語を忘れさせようとしていた。だが、オープンカーが丘を登って頂に来た時、サンは再びカオスという単語を思い出してしまった。

 「現象だ」

 サンは呼吸が止まるほどに驚いた。なぜなら、よく知っている物だったからだ。

 「これが現象?」

 聞いたリンは知っているはずの物だが、懐かしいと感じていないのか、頭痛には襲われていない。

 「はい。月にあったティコバイテクドームです」

 麓にある巨大なバイテクドームを指差したサンは、バイテク追尾髪の作動をした時に見た、ティコバイテクドームの俯瞰映像を思い出していた。

 「あれは何だ?」

 トトが驚嘆し、ミャムも驚いたのか、オープンカーを停止させた。

 後足で立ったトトが仰け反るようにして見上げる空には、陽光で輝く物が小さく見えていた。

 「あれは宇宙ステーションです」

 サンは目を凝らした。

 「宇宙ステーションから垂れ下がるロープ状の物は、宇宙エレベーターです」

 ――破壊された物が現象となって火星に存在している。紛れも無くカオスだ。

 サンはカイのことを思い出し、胸が抉られるように痛んだ。それと共に、カイが転送してきた絵本の表紙に、緑鬼も描かれていたことを思い出した。絵本の表紙の中央で大きく描かれていた青鬼の顔の左右に、小さく赤鬼と緑鬼の顔が描かれていたことを……

 「カイが幼少の頃に見たという絵本の表紙に、緑鬼が描かれていました」

 思いも寄らない発言に、リンは振り返ってサンを見た。

 「絵本の表紙には青鬼と赤鬼も描かれていて……もしかしたら、絵本には緑鬼の所在が書かれているかもしれません。書かれていなくても、手掛りやキーワードがある可能性があります。だから、ティコバイテクドームに行って下さい」

 サンは眼下にあるティコバイテクドームを指差した。それを見たミャムがアクセルを踏んだ。丘を下って行く。

 「ティコバイテクドームの、バイテク建築樹木にあるルームバイテクコンピュータにアクセスできれば、絵本を見ることができます」

 サンは希望に満ちた表情で、近付いてくるティコバイテクドームを見ていた。

 オープンカーが下った先は、草が一本も生えていない赤土の平地だった。そこを真っ直ぐ進んで行くと、ティコバイテクドームの透明なバイテクドームが、そそり立つ壁となって見えてきた。それは左右にずっと続いていて、その終わりは見えない。それ程の巨大なバイテクドームの一部分に辿り着こうとしていた。

 「これがバイテクドーム?」

 思い出すこともないリンが目を丸くしていた。

 「でも、死にかけているみたい」

 リンの言う通り、透明なバイテクドームは腐りかけ、大小の穴が開いていた。

 心配になったサンは、透明なバイテクドームの中に見える、一番手前にそびえ立つバイテク建築樹木の枝葉を見渡した。枝に付く葉は一割程度しか残っていなかった。だが、一株のルームバイテクコンピュータを動かすだけなら、光合成によって作られるATPという化学エネルギーを確保できると、胸を撫で下ろした。

 「出入口は何処?」

 停車させたミャムがサンを見た。

 「バイテクドームに出入口はありません」

 ミャムがぽかんとなった。サンは慌てて、眼前にある透明なバイテクドームを指差した。

 「出入口が無くても、バイテクドームに開いている大きな穴から入れます」

 「そうね」

 リンがドアを開けてオープンカーから降りた。

 「行くぞ。ミャム」

 声を掛けたトトが、後部座席から高々と飛び跳ね、地面に着地した。我先にと前方にあるバイテクドームに開いている大きな穴に向かった。サンがその後を追う。ミャムやリンも後に続いて駆け、大きな穴から中に入った。

 「透明なバイテクドームの天井は高すぎて、空と一体化しているし、巨大な樹木は頂が見えないよ。凄くデカイ」

 トトが仰け反るようにして見上げていた。

 リンやミャムも、トトと同じように驚嘆し、時折足を止めて仰いだり、きょろきょろ辺りを見回したりしている。

 「巨大な樹木は、バイテク建築樹木です」

 サンは説明しながら、立ち並ぶバイテク建築樹木の中で、一番手前にあるバイテク建築樹木を目指した。ヒトが居ないことに気付き、ターシャ達を思い出す。

 ――みんな何処かに避難したのだろうか?それとも。

 最悪の事態が頭を過ったサンだが、希望を感じていた。

 ――ナオキも言っていたように、鬼と宇宙の置き換えは切り離すことはできない。だから、緑鬼の所在を掴み、進化する為に融合する鬼を止めれば、宇宙の置き換えを阻止し、全てを元通りに戻せるはずだ。

 「めちゃくちゃデカイ幹だ」

 バイテク建築樹木に迫ったトトが、幹に向かって突進した。

 「バイテク建築樹木には出入口はあるの?」

 リンがバイテクドームの件を思い出している。

 「遊歩道や公園に行けるよう、出入口はありますが、小さいです」

 サンが答えた時、木が折れるような音が聞こえてきた。それと共に、どさりという音も聞こえてきた。目を向けると、バイテク建築樹木の幹に穴が開いていた。

 慌てふためくトトが駆け寄ってきた。

 「こんな脆いとは思わなかったよ。後足で軽く蹴っただけなんだよ」

 「バイテク建築樹木も腐りかけているみたいですね」

 憂慮するサンだが、口元は綻んでいた。リンはトトの行動に呆れていた。

 「ティコバイテクドームの地図を表示せよ」

 サンは携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れながら指示を出した。携帯バイテクコンピュータから伸びた蔓先の葉が細胞分裂をし、八インチの葉状画面に分化した。ティコバイテクドームの詳細な地図が表示される。

 「位置情報をオン」

 表示されたティコバイテクドームの詳細な地図に、現在地が表示された。サンは目指すバイテク建築樹木を指先で触れた。

 「現在地からルーム1バイテクコンピュータまで案内せよ」

 サンの指示で、葉状画面に道筋が表示された。

 「行きましょう」

 先頭に立ったサンは、道筋の通りに、バイテク建築樹木の出入口に向かう。

 「開いた穴から入ると近道かもしれないよ」

 最後尾を行くトトが大きな声で言った。

 「このバイテク建築樹木のルーム1は、幹部分と枝部分の広い空間となっています。ですから、開いた穴の高さにルーム1はありません」

 遊歩道を歩きながらサンは説明した。

 「あれが出入口です」

 指差したサンが駆け出した。それも凄い勢いで走っていく。幹の一部分に白色をした長方形の部分が見える。幹とは思えない色合いで、出入口だとすぐに判別できる。そこに向かって、跳ねたサンが飛び蹴りした。木が折れる音と共に、どさりと出入口が崩れた。

 「サン。やるじゃん」

 トトが笑った。だが、リンやミャムは冷やかだった。

 穴となって開いた出入口から中に入ると、上がる階段があった。サンは階段の腐り具合を確認する。

 「バイテク建築樹木の外側から外側寄りは腐りかけていますが、内側となる階段などは大丈夫です」

 サンは先頭に立って階段を上がって行った。途中から、穴となった出入口から差し込んでくる光が途絶え、暗闇になった。サン達バイテクペットの目は暗闇でも平気だが、リンは大丈夫だろうかと、サンが思い遣った矢先、背後から明かりが差してきた。

 「それは何ですか?」

 ラティの分化ではない、別のブレスレットを翳しているリンに、サンは驚いた。

 「蛍光バイテク蔓よ」

 リンは蛍光バイテク蔓のブレスレットを見せ付けながら微笑んだ。頷いたサンは、階段を上りきった所で、葉状画面の道筋を確認した。

 「ルーム1に入りました」

 このバイテク建築樹木は学校で、ルーム1の幹部分の輪状空間には三つの小部屋が配置されていて、その内の二つが更衣室で、一つが休憩室だ。枝部分の奥行の長い空間は体育室となっている。ルーム1バイテクコンピュータは、体育室の枝先部分に配置されている。

 サン達の現在地は休憩室前の廊下で、バイテク維管束が内部にある中央の巨大な円柱状のバイテク壁付近だ。ここから半周すれば、輪状空間の一部分を含む体育室に辿り着ける。

 サンは体育室に入った所で、ふと思い出した。

 「蛍光バイテク蔓は宇宙旅行者の必需品で……」

 喋り出したサンが口を閉じた。足も止め、耳穴を背後に向ける。

 「僕も感じている。尾行されているみたいだ」

 サンの足元に駆け寄ったトトが、飛び跳ねて耳打ちした。

 「サン。暗いからって神経質にならないの」

 トトは尾行してくるものを煙に巻くように大声で言い、最後尾に戻った。

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