月 第十三話
「僕らの星」
携帯バイテク通信機から聞こえてきたナオキの声を、サンは聞き逃さなかった。きょろきょろと辺りを見回し、鋭い視覚と聴覚で探っていく。立ち並ぶバイテク建築樹木の間には遊歩道があり、それに沿って植えられているバイテク灯樹木の明かりが、あちらこちらに見える。
「ナオキさん」
見つけたサンは駆けた。障害物の間を飛び跳ねて向かう。
サンは仰向けで倒れているナオキを抱え起こそうとして、胸を突かれた。破片がナオキの腹部を突き刺し、そこから血が滲み出ていたからだ。
「サン。私はあの事件以来、星を見上げることも、空を仰ぐことさえも止めていました。彼女に対しても無関心な態度を貫きました」
喋り出したナオキを、サンは後ろから抱きかかえて座った。ナオキは安心したようにサンに寄り掛かり、透明なバイテクドームを介して見える、輝く無数の星を見上げた。
「あの事件とは、バイテク製品反対暴動ですか?」
サンはカイを思い出していた。
「バイテク製品反対暴動に巻き込まれて亡くなった脳科学者は、私の実父です」
星を見つめるナオキの瞳が哀しそうだった。
「ペタはその事実を知っています。INPのペタを利用する為に、そのことを話したからです」
喋り終えた途端、ナオキが悶え始めた。サンは狼狽えた。
「鎮痛の葉を一枚……」
ナオキが自分の足首に巻いている蔓草を指差した。
急いでサンは蔓草に付く小さな葉をもぎった。既に一枚の葉がもぎ取られていた。
「ナオキさん。ターシャは動いていて、すぐに救助隊が駆け付けてくれますよ」
サンは声を掛けながら、そっとナオキの口に葉を含ませた。
「君に言っておかなければいけないことがあります」
ナオキは星を見つめたままで喋り出した。
「バイテク製品反対暴動を仕掛けたアイツは、ミカでした」
サンは意外な事実に呆然となった。バイテク製品の仲介商人であるミカが、なぜそんなことをしたのか、思い当たらないからだ。
「バイテク製品反対暴動は、バイテク製品反対派を一掃し、バイテク製品反対の思想を根絶やしにする為の、策略でした」
「涙を誘ったということですか?」
気付いたサンは聞いた。
「そうです。事件後ミカは、得意のネットとバイテクネットを操り、同情心を利用し、バイテク製品の長所を吹聴し、バイテク製品の購入を煽り、バイテク製品反対の思想を封じ込めました。ミカは自分の利益の為にあんな事件を起こしたのです。私はそんなミカが許せなかった」
怒りの籠もった声を上げたナオキだが、もう恨んではいなかった。
「私はミカを殺す為に、新種のバイテク立体ホログラム装置を作りました。そして、披露目だと称してミカを呼び出し、バイテクニューロコンピュータを介し、バイテク立体ホログラムであるリキヤと私のニューロンを繋ぎ、ミカの首を絞めようとしました。ですが……」
ナオキは言葉を止め、ゆっくりと言葉を継いだ。
「私はミカを殺すことはできませんでした」
ナオキの言葉に偽りはないと、サンは捉えた。
「丁度その時、青鬼が進入したんですね」
「はい。侵入されたのは、バイテクニューロコンピュータと繋がっている私のニューロンを切った直後でした。私が新種のバイテク立体ホログラム装置を設置しなければ……」
ナオキの語尾には悔恨が詰まっていた。
「葉を一枚……」
悶える前に頼んできたナオキに、サンは素早くナオキの足首に手を伸ばし、蔓草に付く葉をもぎった。その時サンは、ナオキの腹部から滲み出た血が、地面に滴っているのに気付いた。胸が張り裂けんばかりの思いになりながら、ナオキの口に葉を含ませた。
「あの蝶ですが……」
ナオキが群れている青色の蝶に視線を向けた。とどまっていた青鬼と同じで、青色の蝶もさっきから同じ上空で舞っている。月裏遺跡から発生している時空の歪みが持続しているせいだ。
「私が為したことは、青鬼を増やしただけなのかもしれません」
「あんな小さな蝶に何ができるでしょうか」
「小さくても、その一匹は、青鬼と同じゲノムを持っています。それが群れれば、何をしでかすか分りません」
宥めるように言ったサンだが、ナオキは厳に言い切った。
「サン。別宇宙によるこの宇宙の置き換えの最終段階として、カオスの世界になります。月ではまだ最終段階になるまでに時間がありますが、もしかしたら……」
ナオキが切なそうに言葉を切り、火星の方角を見遣った。
「カオスとはどいうことですか?」
「現象によって様々なものが入り混じって存在している状態です。カオスになった火星には、地球のものや月のものや……様々なものが混在しています。ですが、カオスの世界になる前に、私達の記憶は完全に置き換わるので、私達が認識することはありません」
答えたナオキが苦しそうに息をした。
「サン。君が言っていたように、宇宙の置き換え理論を示す数式を刺青として刻んだ青鬼と、宇宙の置き換えは切り離して考えることはできません。ですから、青鬼を倒せば、もしくは青鬼の進化を止めれば、宇宙の置き換えを阻止でき、全てを元通りに戻せる可能性があります」
「全てを元通りにですか? それはどの時点の?」
「それは分かりません。もしかしたら百年前の時点かもしれませんし、一週間前の時点かもしれません」
ナオキの答えに、サンの心は騒ついた。それは忌むべき直感だった。もしかしたらバイテクペットという自分の存在がなくなるかもしれないという……
「葉を一枚……」
葉という単語だけでサンはナオキの足首に手を伸ばしていた。蔓草に付く葉をもぎり、ナオキの口に含ませる。
「サン。これをリンに渡して下さい」
ナオキの手が最後の力を振絞るようにして動いた。携帯バイテクコンピュータに付く巻き上がった葉を解き、納めていたものを取り出した。
「これはなんですか?」
サンは首を傾げた。直径三センチの丸い球根に一本の根が出ている。よく見ると、覗き穴がある。バイテク製品に間違いないが、どんな製品なのか全く見当がつかない。
「私にとって最大の大切な思い出です」
答えたナオキは、丸い球根を愛しく見つめた後、再び葉に納めて巻き上げた。そして、手首に巻き付けている携帯バイテクコンピュータを外した。
「サン。この携帯バイテクコンピュータには、私以外にサンの指紋と声紋と識別番号を登録しています」
「いつの間に? 僕はナオキさんの携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉を指先で触った覚えはありませんよ」
目を見開いて驚くサンに、ナオキが弱々しいながらも茶目っ気に笑った。その笑顔が嬉しくて、サンは登録方法なんかどうでもよくなった。
「それは窃盗ですよ」
冗談っぽく返したサンに、再びナオキが弱々しいながらも茶目っ気に笑った。
「登録、ありがとうございます」
サンは思いっ切り微笑んだ。それに応えるように、ナオキは軽く微笑んだ後、ゆっくりと空に手を伸ばした。
「僕らの星」
「僕? 僕ら?」
首を傾げたサンは、ナオキが伸ばした手の先の空を見上げた。その方角に火星はないが、沢山の星が光っていた。
「いつも一緒」
ナオキの伸ばしていた手がすとんと落ちた。
はっとしたサンは、ナオキの全身から力が抜けていくのを感知した。
「うわああああああああああああああああ」
泣き喚くサンは、ナオキをより一層強く優しく抱きしめた。
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