月 第十話

 「アポロバイテクドームに入りました。T商業地区へ向かいます」

 いつの間にか眠っていたサンの耳に、バイテクバブルモーターの音声が入ってきた。凭れていた体を起こすと、ナオキと目が合う。

 「ターシャPZP737に音声通信」

 ナオキが携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れて指示を出した。

 「ターシャ。間も無く到着します。詳細な青鬼の位置情報を送って下さい」

 携帯バイテクコンピュータから伸びた蔓先の葉に向かって、ナオキは声を上げた。

 「わかった」

 ターシャの返事の後、携帯バイテクコンピュータから芽が出て子葉となった。

 「転送されたデータを表示せよ」

 ナオキの指示で、携帯バイテクコンピュータから出た子葉から、茎が伸びて一枚の葉が付いた。その葉が細胞分裂をし、八インチの葉状画面に分化した。

 「青鬼はドアから出た反対側にある、枝部分の空間の、枝先にいます」

 葉状画面を見つめて告げたナオキの後に、バイテクバブルモーターの音声が響いた。

 「T商業地区へ入りました。S倉庫のルーム1へ向かいます」

 程無くして、ドアが開いた。と同時に、S倉庫のルーム1のバイテク天井の明かりが灯る。

 サンは何も告げず、楯になる為にナオキの先に立った。訝ることも抗弁もしなかったナオキは、サンに従おうとしていた。

 サンは先導して、ドアから出ると右回りで、幹部分の輪状空間を半周し、奥行きの長い枝部分の空間を、枝先に向かって歩いた。

 S倉庫のルーム1は、倉庫とは思えないほど、がらんとしていた。

 サンが足を止めた。ナオキも足を止めた。青鬼が見えてきたのだ。

 青鬼はサン達の存在に気付いているはずだった。なぜなら、サンの鋭敏な聴覚の遺伝子を持っているからだ。だが、気付いていない振りをしているのか、背中を向けて座っている。

 サンは後方にいるナオキに、左手で止まるように指示を送り、左手で携帯バイテク通信機を指差した。理解したナオキは、ゆっくりと青鬼に向かって行くサンを見送った。

 サンが九メートルの距離まで近付いた時、座っていた青鬼が立ち上がり、振り返った。サンを見て、にやりとする。

 「おまえ。僕のことが分るのか?」

 サンはぎくりとした。完璧な変装をしているのに、見抜かれたからだ。

 青鬼が再びにやりとした。

 サンは耳を青鬼に向けて警戒しながら、半身だけナオキの方に体を向けた。そして、ターシャが見ている監視映像を意識した。

 「ずっと黙っていてごめんなさい」

 サンは謝った後、静かに告白を始めた。

 「僕は、バイテクフューチャーラボで作られていた、バイテクペットのオリジナルです」

 さっとサンは角刈りの頭を掴むと、帽子を脱ぐような感覚で、覆面を剥ぎ取った。

 サンの長い耳が、覆面を剥ぎ取った慣性で右に靡いた。

 「刀に分化せよ」

 手に持つ覆面が脱分化した後、物凄いスピードで刀に再分化した。その柄をサンはしっかりと握り、青鬼を睨んだ。

 「おまえは絶対に許さない。僕がおまえを倒す」

 激しく朗々と言ったサンは、毅然と刀を構え直した。

 「言っておく。おまえも進化しただろうが、僕も成長した。前回戦った僕とは違う」

 顎を上げ横目で睨んだサンは挑発した。

 「来い! いや、待て!」

 突如サンが左手を突き出し、飛び掛りそうになった青鬼を止めた。サンの発した声は、刀と同じように鋭かった。

 サンがナオキに目を遣った。だが、耳だけは青鬼の動向を監視している。

 気付いたナオキが、上腕に巻き付けている蔓を解き、一本ずつ放り投げた。

 掴み取ったサンは、左右の上腕に、それぞれ巻き付けた。

 「サン。私は今の君の姿が好きです」

 ナオキの声が、サンの手首に巻き付けている携帯バイテク通信機から聞こえてきた。

 サンが見遣ると、ナオキが不器用に微笑んでみせた。ぎこちないその笑みは、まるで旧式のロボットみたいだ。だがサンは、その気持ちがとても嬉しかった。心に勇気が湧き上がってくるように感じられた。それと共に、ヒトを守りたいという気持ちが益々湧いてきた。そのとき、サンはふと、この感情はバイテクペットとしての遺伝子のせいだろうかと思った。だが、それは違うと、青鬼に鋭い視線を向けた。

 ――これだけ科学技術が進歩しても、まだ解明できていないものは心だ。僕の心もおまえの心も……

 「全く違う! 来い!」

 呼ばれた青鬼がにやりとしてバイテク床を蹴った。武器も持たずに突っ込んでくる。それも真っ直ぐに……

 サンは刀を構えた。間合いが詰まるのを待つ。

 だが、青鬼は既の所で止まり、せせら笑った。

 弄んでいるとサンは腹立たしく思ったが、惑わず冷静に判断して動こうと、気持ちを静めた。ナオキの様子を窺おうと、耳穴だけを背後に向けた。鋭敏な聴覚を益々研ぎ澄ませる。

 ――ナオキは青鬼をスキャンし終え、分析を始めている。

 耳穴をナオキから青鬼に向けたサンは、刀を構えたまま、そっと瞼を閉じた。青鬼を誘き寄せる為だ。

 暫くして、間合いが詰まった。

 かっと目を見開いたサンは、刀を振り下ろした。

 青鬼の頭頂から真下へ一気に斬る。

 青鬼の顔が真っ二つに割れ、左と右に離れていった。体も左右に引き裂かれていく。

 だが、サンは顔をしかめた。斬ったという手応えがなかったのだ。また、真っ二つになった青鬼だが、様子が変なのだ。

 「サン。今の青鬼の状態は、バイテク立体ホログラムです」

 携帯バイテク通信機から聞こえてきたナオキの声に、サンは驚嘆した。

 「実物にしか見えないですよ」

 「見た目では全く分りませんね。青鬼の分析が済みましたので、これから随時、青鬼の状態を伝えます」

 「わかりました」

 サンが答えたと同時くらいに、ナオキが警告した。

 「危ない」

 サンは連続バク転で離れた。

 「変態します」

 緊張したナオキの声が聞こえてきた。

 閃光。

 青色に輝くプラズマ発光体が宙に浮かんでいた。

 「この状態の時に投与できますか?」

 不安になったサンが聞いた。

 「できます。プラズマ発光体の中心にあるのが、ゲノムの巣窟です。プラズマといっても低温プラズマですので、蔓を鞭のように扱い、蔓先をヒットさせて下さい」

 「わかりました」

 返事をしたサンは鋭い視覚で、青色に輝く球体のプラズマ発光体の中心で、もっと色鮮やかな青色で輝く部分を捉えていた。

 「変態します」

 ナオキの声が聞こえてきた。

 閃光。

 青鬼が現れた。

 にやりとした青鬼が飛び跳ねた。物凄いスピードでサンの元に駆け寄ると、サンの顔をストレートパンチ。だが、サンはそれを躱して、青鬼の胴体を斬った。直後、サンは腹に痛みを感じ、前屈した。斬った手応えがなかったサンの刀は、青鬼の胴体をすり抜けていた。バイテク立体ホログラムだったのだ。

 「青鬼は部分的にバイテク立体ホログラムと実物への移行ができるみたいです」

 ナオキは意外だったのか、伝える声が微かに震えていた。

 サンを前屈させたのは、青鬼の実物の拳がサンの腹を殴ったからだった。

 「左右の前腕だけが実物です」

 早口で伝えてくるナオキの声を聞き取りながら、サンは顔を右に傾けた。殴ってきた青鬼の拳を避けたのだ。そして瞬時に、その掠めていく拳を斬った。だが、躱された。そのまま青鬼は間合いをとった。

 「刀に分化せよ」

 青鬼が軋みに似た声を出した。

 「左右の前腕が分化します」

 ナオキの言葉にサンは驚いた。

 「尻尾をもぎっていないのに分化とはどういうことだ?」

 「え?」

 サンの声を聞き取ったナオキが疑問の声を上げた時、青鬼の左右の前腕が刀に分化した。

 「これも青鬼が進化した形態か」

 悪態を吐くように言ったサンに向かって、青鬼は突進してきた。

 青鬼の左の刀を、サンは刀で受け止めた。と同時に、サンは足に痛みを感じた。青鬼の右の刀がサンの足を斬っていたのだ。サンの向う脛の毛が真っ赤に染まっていく中、再び斬り付けてきた右の刀をサンは飛び跳ねて避けた。それと同時に、サンは刀で受け止めていた左の刀を弾き、身を捩って青鬼から離れた。間合いを取る。

 悔しそうに顔を歪めたサンに対し、青鬼は得意気に笑った。サンは不愉快な顔付きで、斬られた向う脛を再生していく。

 「前腕である実物の刀と、上腕であるバイテク立体ホログラムの境目は、不安定です」

 ナオキの言葉に、サンは素早く青鬼に向かって行った。右の刀が斬り付けてきて、サンは仰け反った。右の刀はサンの鼻上を掠めていくが、左の刀はサンの顔目掛け斬り付けてきた。サンは体を沈ませ、耳を横に寝かせ、左の刀を避けた。そのことで、左の刀もサンの頭上をぎりぎりで掠めていった。ほっとしたのも束の間、右の刀が再び斬り付けてきた。右の刀を刀で受け止めたサンは、そのままの状態で刀を下に滑らせ、実物の右の刀とバイテク立体ホログラムの右上腕との境目を斬った。

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