月 第九話
「バイテク立体ホログラムだ。それもぼやけたバイテク立体ホログラムで……ヒトに似ている。これが青鬼か?」
「その映像をこっちにも回して下さい」
「わかった。転送する」
携帯バイテクコンピュータから芽が出て子葉となったのを確認したナオキは、指先で携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れて指示を出した。
「転送された映像を表示せよ」
子葉から茎が伸び、付いた葉が細胞分裂をし、八インチの葉状画面に分化した。そこに映像が映る。
「確かにぼやけたバイテク立体ホログラムですが、徐々にはっきりしているみたいですね」
覗き込むサンに、ナオキは手を伸ばして見易いようにした。
「まさに青鬼だ」
葉状画面に映る、はっきりしてきたバイテク立体ホログラムを見たサンが呟いた。青色の被毛で覆われているバイテクペットクローン2の体に、鬼の顔の絵と全く同じ顔が付いている。顔は青色で、縮れ毛の短髪も青色をしていて、頭には二本の角が生え、大きな口には二本の牙が生えている。
「まさか……」
思索していたナオキが閃いたとサンを見た。
「青鬼はバイテクジャンピング遺伝子によって、様々な形態になることができるのかもしれません。いや、できるのだと思います。短時間で地中からここまで移動できたのは、バイテク雷の遺伝子を利用したプラズマで移動したからだと推測できます。青鬼は、プラズマ発光体にも、非実物のバイテク立体ホログラムにも、実物にも、変態できると言えます」
とんでもない進化を遂げた青鬼だが、ナオキは青鬼を倒そうとしていた。
「さっきシミュレーションで失敗したのは、バイテク破壊酵素を阻害する遺伝子発現があったからです。ですから、その遺伝子発現を抑制したいと思います」
ナオキはバイテクニューロコンピュータに対峙すると、イメージした。
バイテクニューロコンピュータの茎から伸びる葉状画面に映る、先程行ったシミュレーションが終了し、再び青鬼のゲノムが表示された。それをナオキは食い入るように見つめ、イメージした。
葉状画面が縦に二分割され、右に青鬼のゲノムが映ったが、左には何も映っていない。
暫くして、左の画面に分子構造が現れた。バイテク破壊酵素を阻害する遺伝子発現を抑制する為の、バイテク分子を組み立てているのだ。
バイテク分子が組み立てられると、右の画面に映る青鬼のゲノムの、所々の遺伝子が赤色に染まった。シミュレーションされたのだ。だが、赤色に染まらない遺伝子があるということは、まだバイテク破壊酵素が完全に効いていないのだ。
ナオキは怯まず、すぐにまた新たなバイテク分子を組み立てていく。そしてシミュレーションする。それを物凄い速さで何度も繰り返していく。それはバイテクニューロコンピュータと、ナオキのニューロンが繋がっているならではの速さだ。
サンは緊張した面持ちで、葉状画面を覗き見していた。
「ナオキ。指示はまだか?」
ターシャの大声に、サンはびくりとなった。携帯バイテクコンピュータから伸びる蔓先の葉を見遣ると、その葉はナオキの手で覆われていなかった。
「青鬼は動きましたか?」
ナオキの問い掛けに、サンは素早く反応し、青鬼の位置情報を表示している葉状画面を見た。ナオキはバイテク分子を組み立てたところだった。シミュレーションが始まる。
「いいえ」「まだ青鬼は同じ所にとどまっている」
答えたサンの直後に、ターシャも答えた。その時には、シミュレーションの結果が表示されていた。
「青鬼が動かないのは、月裏遺跡から発生している時空の歪みのせいだと思います。青鬼の向かう先は月裏遺跡でしょうから」
「それはどういうことだ?」
ナオキの発言に、ターシャが聞いた。
「青鬼は進化する為に、月裏遺跡に残っている遺物にある遺伝子を探しているからです」
絶句したかのように一拍おいて、ターシャが聞いた。
「何時、時空の歪みは止まるんだ?」
「それは分かりません。ですが、準備は整いましたので、これから私とサンで青鬼の元へ向かいます。青鬼の監視をお願いします」
「直接行くのか?」
気が気でないと言うようなターシャの声が聞こえてきた。ナポを喪った記憶が蘇ったからだと、察したサンは割って入った。
「ターシャ。大丈夫ですよ。僕がナオキを守りますから」
力強く言ったサンの声に、ナオキが振り返った。その表情が嬉しそうに見えたサンは微笑んだ。ナオキは照れ隠しでもするかのように、バイテクニューロコンピュータに向き直った。
「まずは青鬼に、バイテク破壊酵素を阻害する遺伝子発現を抑制するバイテク分子を投与します。その後、バイテク誘導物質を投与してバイテク破壊酵素を作動させます。ですが、青鬼を破壊できる確率は、九十七パーセント」
「百パーセントではないのですか?」
失望するサンの声を無視して、ナオキはイメージした。
バイテクニューロコンピュータの茎から一本の蔓が伸び、まるでゼンマイのように、先端からくるくると巻き上がった。生成されたバイテク分子だ。
それを確認したナオキは、再びイメージする。
バイテクニューロコンピュータの茎からもう一本の蔓が伸び、先程と同じように巻き上がった。生成されたバイテク誘導物質だ。
それらの蔓先にあるトゲは、蚊の口の分子構造を利用して作られていて、トゲ自体がバイテク分子でありバイテク誘導物質だ。
確認したナオキは指示を出した。
「バイテクニューロコンピュータ。終了せよ」
ナオキの声紋に反応し、ナオキの右耳に進入していた蔓は抜かれ、枯れていった。
「蔓状の携帯バイテク通信機を生成せよ」
ナオキは携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れて指示を出した。
携帯バイテクコンピュータから芽が出て子葉になり、子葉から蔓が伸びた。伸びが止まった蔓を、子葉から摘み取ったナオキは、サンに差し出す。受け取ったサンは右手首に巻き付けた。すると、携帯バイテクコンピュータの摘み取った部分に、スミレが咲いた。携帯バイテク通信機との通信が可能になったことを示している。
「君は左利きだったんですね」
いつものように抑揚のない声だったが、思い掛けないナオキの発言に、サンは喜んだ。
「いいえ。両利きです」
茶目っけにサンが言うと、ナオキの顔が綻んだように見えた。サンは嬉しくなった。
「なぜ青鬼を百パーセントの確率で破壊できないのか……」
唐突にナオキが説明を始めた。喋りながら、バイテクニューロコンピュータの茎から伸びる二本の蔓を、一本ずつ摘み取ると、上腕に巻き付けていった。
「それは、シミュレーションすることが不可能な、バイテクジャンピング遺伝子があるからです」
サンはバイテクジャンピング遺伝子の特性を思い出し納得した。
「行きましょう」
ナオキがいつもとは違う、力んだ声を上げた。緊張しているのだ。
「バイテクバブルモーター」
ドアが目に見えてきた所で、ナオキは声を上げた。開いたドアから、ナオキに続いてサンは乗り込んだ。
「アポロバイテクドームのT商業地区のS倉庫のルーム1へ」
「アポロバイテクドームのT商業地区は退避モードです。S倉庫は隔離封鎖されています」
ナオキの指示に、バイテクバブルモーターの音声が響いた。S倉庫であるバイテク建築樹木には行くことが出来ないのだ。
「ナオキSPH694」
声を上げたナオキが促すようにサンを見た。識別番号と一致する声紋が必要なのだ。
「サンBOP111」
「二人の緊急入室許可を設定せよ」
「ゲノム認証が必要です」
ナオキの指示に、バイテクバブルモーターの音声が響き、バイテクバブルモーターのバイテク床から、芽が出て茎が伸び、ツバキが咲いた。
サンはぎくりとなっていた。バイテクペットであるサンのゲノムは登録されていないからだ。
サンが戸惑っている間に、ナオキが花の中央に拳を当てた。花弁が拳を包み込んだ。
「ゲノムを認証しました。S倉庫のルーム1への緊急入室許可を設定します。お待ち下さい」
バイテクバブルモーターの音声に、サンは胸を撫で下ろした。代表者だけで済んだのだ。
ナオキの拳を包んでいた花弁は開き、ツバキは凋落し、茎は枯れていった。残骸はバイテク床が分解し吸収する。
「緊急入室許可を設定しました。アポロバイテクドームのT商業地区のS倉庫のルーム1へ向かいます」
バイテクバブルモーターの音声が響いた。
暫くして、再びバイテクバブルモーターの音声が響いた。
「ティコバイテクドームを離れます。アポロバイテクドームまで五十六分です」
バイテクドームの中央にあるバイテク建築樹木の、巨大な根の中にある巨大なバイテク維管束に入ったのだ。巨大なバイテク維管束だけが、他のバイテクドームと繋がっている。
「体が包まれる大きさの丸いクッションを生成」
ナオキが指示を出すと、バイテクバブルモーターのバイテク壁の一部分が細胞分裂を始めた。あっと言う間に、丸いクッションに分化した。それに腰掛けるように座ったナオキの体はクッションに包まれた。
目を瞑ったナオキを見て、サンも指示を出した。
「分厚くて四角い座布団を生成」
指示を受けて、バイテク壁の下部が細胞分裂を始めた。突き出るようにして、四角い座布団に分化した。その上に座ったサンは、足を投げ出し、バイテク壁に凭れた。すると、鋭敏な聴覚が音を捉えた。
「せせらぎ」
口にしたサンだが、未体験の音だった。知識としてあったこの単語が、頭の中から自然と出てきたのだ。この音は、バイテクバブルモーターが、水分や養分が流れる中を猛スピードで移動する音だ。
サンは心地良いせせらぎの音を耳にしながら目を瞑った。
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