月 第八話

 「バイテクバブルモーター」

 叫ぶターシャの声を耳にしながら、サンはナオキの背後から葉状バイテクモニターを覗き込んだ。

 「この古代文字ですが……」

 促すようなナオキの声に、サンはナオキの横に立った。

 葉状バイテクモニターの中央に、古代文字の中に入っていた鬼の顔の絵だけが、小さく映っている。

 「逆さにせよ」

 ナオキが携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉を指先で触れ、指示を出すと、葉状バイテクモニターに映る鬼の顔の絵が逆さになった。

 「拡大せよ」

 ナオキの指示で、逆さになった鬼の顔の絵が拡大された。サンは目を見張った。

 「鬼の顔の絵は、ゲノムで形作られていたんですね」

 「鬼のことを知っている君も、日本国のヒトなのですね」

 抑揚のない声でぼそっと言ったナオキに、サンはぎくりとなった。

 「君はこのゲノムに心当りがありますか?」

 覚悟を決めたサンは、ナオキに聞かれれば、自分の正体を明かす決意で答えていく。

 「このゲノムは青鬼のゲノムだと言えます。青鬼はバイテク雷が進化した形態です」

 ナオキが息を呑んだ。表情はさほど変わっていないが、手が震えている。

 「バイテク雷は、バイテクフューチャーラボで作られたバイテクペットクローン2のゲノムを置き換え、遺物である首飾りの一部に使われていた動物の骨の遺伝子も組み込んで、青鬼に進化しました」

 目を見開いたナオキは、慌てるようにしてサンに聞いた。

 「バイテクペットクローン2のゲノムは、どのようにして置き換えられたのですか?」

 「ナオキさんがバイテク雷に組み込んだ、バイテクジャンピング遺伝子の作用です」

 思わずサンは怒りの籠った声で答えていた。ナオキが動揺した。こんなナオキの表情は初めてだった。だがナオキが動揺したのは、サンの怒りに対してではなく、違う意味だった。

 「バイテク雷にバイテクジャンピング遺伝子が組み込まれていたなんて、そんなはずはない。私はバイテクジャンピング遺伝子なんて作っていないし、そんな遺伝子を組み込んではいない」

 自問自答するように否定したナオキが、はっとする表情になった。

 「君が言っているように、ここに映っている鬼の顔の絵のゲノムが、青鬼のゲノムならば……」

 ナオキは葉状バイテクモニターに映る青鬼のゲノムを指差した後、それに触れると捲るようにして、変異したバイテク雷を最後にスキャンした時のゲノムを引き出し、縦に二分割して、青鬼のゲノムの横に並べた。左右の画像を両手で押さえた後に交差すると、左右の画像が重なった。

 「一致しない部分を赤色で表示せよ」

 ナオキが指先で携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れて指示を出すと、ゲノムの所々が赤色に染まった。

 「染まっている赤色の遺伝子が、バイテクジャンピング遺伝子ということになります」

 ナオキは再び両手を使って二分割にし、左に青鬼のゲノム、右に変異したバイテク雷のゲノムを並べた。

 「青鬼のゲノムで、赤色に染まっている部分がバイテクジャンピング遺伝子。変異したバイテク雷のゲノムで、赤色に染まっている部分がミアキスの遺伝子です」

 「これらは何を意味しているのですか?」

 サンは目を丸くして聞いた。

 「一致しなかった部分が赤色の部分だけということから、この変異したバイテク雷のゲノムは、既に青鬼のゲノムであると言えます。そして、そのことから、バイテクジャンピング遺伝子は、複製に似た機能を持っていると言えます。それは、これらのゲノムにはミアキスの遺伝子が種々存在する故、バイテクジャンピング遺伝子が必要なミアキスの遺伝子を複製できる環境にあるからです。また、一方はバイテクジャンピング遺伝子で、一方はミアキスの遺伝子になっていることから、バイテクジャンピング遺伝子は複製だけでなく……」

 「バイテクジャンピング遺伝子は、ミアキスの遺伝子になったり、バイテクジャンピング遺伝子に戻ったりするということですか?」

 ナオキの言葉を遮って、サンはとんもない遺伝子だと、身震いする声を上げた。

 「はい。そして、君の発言から考えると……私がバイテク雷を作った時に使用したミアキスの遺伝子が、バイテクジャンピング遺伝子だったということになります」

 苦い顔付きになったナオキが、はたと深刻な事態に気付いた。

 「バイテクペットクローン2と遺物の遺伝子が組み込まれている青鬼には、バイテク破壊酵素は効かないかもしれません」

 ナオキは指先で携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れた。

 「終了せよ」

 指示を受けた携帯バイテクコンピュータは、葉状バイテクモニターの茎に繋げていた蔓先を抜くと、携帯バイテクコンピュータから伸びている蔓を枯らした。すっかり蔓が枯れたのを確認したナオキは、バイテクニューロコンピュータがある所へ駆けて行った。巨大なシャクヤクの前に立つ。

 「バイテクニューロコンピュータ。起動せよ」

 ナオキの指示で、シャクヤクの花弁の端が細胞分裂を始めた。そこから一本の蔓が伸び、蔓先がナオキの右耳の中に進入する。バイテクニューロコンピュータとナオキのニューロンは繋がった。

 ナオキはサンの横に立った。左耳でサンと会話をする為だ。

 「これから、青鬼のゲノムでバイテク破壊酵素が効くかどうか、シミュレーションします」

 ナオキが何かをイメージしている。

 バイテクニューロコンピュータは言葉を発せず、イメージするだけで操作ができる。

 バイテクニューロコンピュータの茎に葉が付き、その葉が三十インチの葉状画面に分化した。そこに、青鬼のゲノムが映る。

 再びナオキが何かをイメージしている。

 暫くして、葉状画面に映る青鬼のゲノムの僅かな部分だけが赤色に染まった。赤色に染まっている遺伝子は破壊されているのだが、殆どの遺伝子は赤色に染まっておらず破壊されていない。

 「やはりバイテク破壊酵素は効きません」

 シミュレーション結果を見つめたまま、ナオキが拳を握った。口惜しがっている。

 「ナオキ」

 携帯バイテクコンピュータから伸びた蔓先の葉から、ターシャの声が聞こえてきた。

 「バイテク雷の位置を特定した。そっちに位置情報を転送する」

 携帯バイテクコンピュータから芽が出て子葉となった。

 「ナオキ。幸運なことに、バイテク雷は同じ所にとどまっている。全く動く気配がない。まるで思案でもしているかのようにな」

 ターシャの言葉で、サンは思い出した。

 「まるで、ではなく、青鬼は本当に思案しているんだ。遺伝子を探しているんだ」

 咄嗟にサンは呟いていた。

 「それはどういうことですか?」

 耳にしたナオキが問い掛けた。サンはバイテクフューチャーラボで目にした数式と古代文字の話をした。

 「ナポさんの手の平にも同じものが刻まれていました。その古代文字は、進化する為に遺伝子を探す、です。バイテク雷が進化する為に遺伝子を探していたのと同じように、青鬼も進化する為に遺伝子を探しているんだと思います」

 喋り終えたサンの鋭敏な聴覚に、ターシャの声が入ってきた。携帯バイテクコンピュータを見遣ると、通信は終了させていないが、会話が聞こえないようにと、ナオキが葉を手で覆っていた。

 「ナオキさん。ターシャさんが……」

 気付いたナオキが葉から手を離した。

 「ナオキ! バイテク雷がとどまっている間に指示を出せ!」

 ターシャが苛立つ声を上げた。

 「もう少し時間を下さい」

 「わかった」

 聞き入れたターシャだが、苛立つ声で返していた。

 「転送されたデータを表示せよ」

 ナオキの指示で、携帯バイテクコンピュータから出た子葉から、茎が伸びて葉が付く。その葉が細胞分裂をし、八インチの葉状画面に分化した。

 「青鬼は月裏にあるアポロバイテクドームの、T商業地区のS倉庫にいます。アポロクレーターの外周壁北西にある月裏遺跡に近いです」

 青鬼の位置を確認したナオキは、その葉状画面を茎の根元から摘み取ると、腰を屈めて足元のバイテク床に置いた。葉状画面はバイテク床に根付き、転送してくる位置情報を表示し続ける。

 「やはり月裏遺跡の遺物にある遺伝子を探しているのでしょうか?」

 サンの問いに、ナオキは首を傾げる。

 「発掘した遺物は全てルーム1に保管……もしかしたら、発見されず発掘されなかった、遺伝子を内包した遺物が残っているのかもしれません」

 はたとナオキがサンに問い掛けた。

 「大気のないこの月で、青鬼はどうやってあそこまで移動したのでしょうか?」

 「地中を移動することができます」

 サンの答えを聞いたナオキは、携帯バイテクコンピュータから伸びる蔓先の葉を覆う手を離した。

 「ターシャ。バイテク雷は進化を遂げ、青鬼になっています」

 「青鬼?」

 ターシャの不思議そうな声が聞こえてきた。ターシャにとっては聞いたこともない単語だったからだ。

 「青鬼の形状を見ることはできますか?」

 「少し待て」

 ターシャはナオキの意向を受けて動き出した。暫くして、ターシャの声が聞こえてきた。

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