月 第三話

 サンの鋭い聴覚が、ドアの開く音を捉えた。それと共に、駆け寄ってくる足音も捉えた。それはナポだった。その後からゆっくりと歩いてくる足音も捉えていた。それはナオキで、幹部分の輪状空間に置いていた遺物の確認をしながら、こちらへ向かっていた。

 駆け付けたナポは、遺体の前に腰を下ろすと、手首に巻き付けている携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れた。

 「バイテクスキャナーを出せ」

 ナポの指示を受け、携帯バイテクコンピュータから蔓が伸びた。蔓を掴んだナポは、その先に付いた葉で、遺体にスキャンをかけていく。

 「人物の特定はできそうか? 一人はミカだ」

 ターシャが発した名前に、反応したナポがターシャの顔を見上げた。複雑な表情のナポに、ターシャは言った。

 「犯人を捕まえてやれ」

 ナポは気を引き締めると、再びスキャンをかけていった。

 「なんとかゲノム照合ができそうだ」

 先のターシャの問い掛けに、ナポはスキャンをかけながら答えた。

 ナポは遺体の隅から隅までスキャンをかけている。スキャンされたデータは全て、携帯バイテクコンピュータに記録保存され、指示で簡単に照合できる。

 ターシャが近寄って来たナオキに気付いた。指示していないのに来たナオキを、叱責するような鋭い目付きで見た。だが、当のナオキはターシャを見ることもなく、横を通り過ぎ、枝部分の空間にも置かれている遺物の損壊を確認しに向かった。ナオキはリンと同い年で若年だが、気後れすることもなく、いつも飄々とマイペースだ。

 「バイテク追尾髪に記録保存されている心理データを作動。感情が急激に変化した時の、その遡っての時間とその感情を表示せよ」

 ターシャが携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れ、指示を出した。バイテク追尾髪の種には、時々の心理も記録保存されているのだ。

 腰を屈めたターシャは、携帯バイテクコンピュータから出る子葉を摘み取り、それをバイテク床に置いた。子葉はバイテク床に根付き、茎を伸ばして頂に蕾を付けた。その蕾が細胞分裂し、ミカの顔に分化した。

 「今から三時間前」

 分化したミカの顔が喋ったと同時に、その顔がとても悲しい表情になった。

 三時間前といえば、コスモスバイテクドームが崩壊した時刻だ。

 「今から二時間三十分前」

 分化したミカの顔が喋った後、その顔が怒りの表情になった。

 「今から一時間三十分前」

 分化したミカの顔が喋った後、その顔が不安そうに顔を曇らせた。

 「今から五十分前」

 分化したミカの顔が喋った後、その顔が驚愕で震えた。

 「今から三十分前」

 分化したミカの顔が喋った後、その顔が硬直した。

 顔付きから考えられのは、万事休すだ。

 「訳が分からんな」

 腕組みをしたターシャが、戻ってきたナオキを、当て擦るように見遣った。

 ナオキは素知らぬ顔だ。だが、サンの持っている金属片が遺物の破片だと気付いたナオキは、一言も発せずにサンの手から金属片を奪い取った。

 「バイテクコンピュータ。警察隊月本部から無断外出した隊員はいないか確認せよ」

 ターシャが指示を出した。

 「確認します。お待ち下さい」

 ターシャの指示を受け、ルーム1バイテクコンピュータの音声が響いた。その時、ナオキが一重の目を覆い隠していた前髪を掻き上げ、バイテク天井を見上げた。思わずサンも釣られて仰いだ。だが、変わった様子はない。サンはちらりと横目でナオキを窺った。ナオキはそのままの状態でぴくりとも動かず、バイテク天井を見つめている。再び仰いだサンは、ナオキが見つめている辺りに目を凝らした。

 「確認しましたが、無断外出した隊員はいません」

 ルーム1バイテクコンピュータの返答に、ターシャは少し安堵した。ミカ以外のもう一人の遺体は、隊員でないことが分かったからだ。

 「だったら、もう一人の遺体は犯人か?」

 ターシャは顔をしかめて考え込んだ。

 「あれはバイテク立体ホログラム装置ですね」

 ナオキがバイテク天井を指差し、抑揚のない声で言った。目を凝らしていたサンは、バイテク立体ホログラム装置を捉えることができていた。バイテク立体ホログラム装置は、バイテク天井に遮蔽して設置されているのだが、バイテクコンピュータの音声によって露出していたのだ。

 ターシャはナオキが指差すバイテク天井を見上げた。だが、遮蔽に影響を与える音波が出ていない為、バイテク立体ホログラム装置は遮蔽していて見えない。同じように見上げたナポも捉えられていない。

 「バイテクコンピュータ。バイテク天井にあるバイテク立体ホログラム装置を排除せよ」

 ナオキの指示を受けて、バイテク天井が波のように起伏した。大波のようにバイテク天井が動いた時、バイテク天井に根を張っていた球体のバイテク立体ホログラム装置が、抜けてバイテク床に落ちた。

 そこへ向かって逸早く駆け付けたのはナポだった。

 「このバイテク立体ホログラム装置は種型だな」

 「種型か」

 吐き捨てるように言ったターシャは、ゆっくりと近寄った。

 「種型はバイテク天井ならば簡単に根付いて育つ。だが、これは今まで見たことがない種型の新種だ」

 ナポの説明に、ターシャはバイテク床に転がっている新種のバイテク立体ホログラム装置を覗き込んだ。

 「ナポさん。遺体は誰だか分かりましたか?」

 突拍子もなく、側に立ったままのナオキが質問した。

 「ああ」

 ちらりとナオキを見上げ、ナポはすくと立った。背の低いナオキを見下ろす。

 「直立の恰好の主はミカだ。両手を上げた恰好の主は……」

 言葉を止めたナポの顔を、ターシャが急かすように覗き込んだ。

 「ミカだ」

 「二人ともミカとはどういうことだ?」

 あまりにも突拍子な答えに、非常に驚いたターシャは怒鳴っていた。だが、すぐに冷静になる。

 「だからか。たかがバイテク立体ホログラムに、ミカが驚愕で震えたのは、自分のバイテク立体ホログラムだったからだ」

 ターシャの発言は、サンが思い付いたことと同じだった。

 「新種のバイテク立体ホログラム装置が見つかったことで、少し謎が解けた。

 「どちらもミカと言ったが、一人はバイテク立体ホログラムのミカだ。と言っても、通常のバイテク立体ホログラムとは少し違う」

 ナポの説明に聞き入るターシャとは違って、ナオキは意に介せず、新種のバイテク立体ホログラム装置を手に取ると、一回転させて放り上げた。ボール遊びでもするかのように数回放り上げた後、新種のバイテク立体ホログラム装置を片方の手でしっかり持つと、バイテク床から伸びたままのミカの顔を、もう片方の手で根から引き抜いた。そのままドアへ向かい、バイテクバブルモーターに乗った。

 聞耳を立てながらも目で追っていたサンは、ナオキの行動に驚き呆れた。ターシャも気付いたが、一瞥しただけで取り合わず、ナポの説明に聞き入っている。

 「通常のバイテク立体ホログラムは分子構造を利用しているが非実物だ。見た目は実物と同じだが、物を掴んだり触れたりすることはできない。だが、このバイテク立体ホログラムのミカは、非実物ではなく実物だ」

 「物を掴んだり、物を触ったりできるというのか?」

 「そうだ。バイテク立体ホログラムのミカからも、ゲノムなどの分子が検出されたからな」

 「新種のバイテク立体ホログラム装置で、それが可能になったということか?」

 「そうだ。新種のバイテク立体ホログラム装置は、実物を作り出す。と言っても、脳や血管、心臓などの臓器はないがな」

 「そんな技術はまだないはずだ」

 「現にここにあった」

 否定するターシャに、ナポが語調を強めて反論した。

 「宇宙の置き換えが関係していたとしたら?」

 割って入ったサンは、思わず口にしていた。

 一斉にターシャとナポが、驚きと当惑した目でサンを見つめた。

 「ナオキから話をちらりと聞いたのです」

 サンは取り繕う為に、嘘を吐いてしまった。ちくりと胸が痛む。

 「ターシャ」

 抑揚のない声が聞こえてきた。ナオキからの音声通信だ。

 「ナオキ。なんだ?」

 ターシャは携帯バイテクコンピュータから伸びる蔓先の葉に向かって声を出した。

 「ルーム3に来て下さい。バイテク立体ホログラムの正体が分かりました」

 怪訝な顔でターシャがナポを見た。ナポも似た表情で首をすくめた。

 「わかった。そっちへ行く」

 答えたターシャはドアへ向かった。携帯バイテクコンピュータから伸びていた蔓は枯れていった。ナオキが通信を終了させたのだ。

 「バイテクバブルモーター」

 声を上げたターシャは、開いたドアから中に入った。ナポとサンもバイテクバブルモーターに乗り込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る