地球 第十六話
「カイ。何があったんだ? 退避とはどういうことだ?」
一向に呼び掛けに答えないカイに、ナポは心配と苛立ちの声を上げていた。
「遺物のゲノムの遺伝子欠落の糸口をつかんだというのに……」
「ナポ。わかったのか?」
カイが声を上げた。
「ああ。遺伝子欠落はアポトーシスに似ている」
「細胞自身が計画的に死ぬというあれか?」
「ああ。それに似ている」
ナポの答えに、カイは首を捻った。だが、今はそのことに付いて考えている暇は無いと、頭を切り替える。
「ナポ。全てを話すだけの余裕と時間はない。掻い摘んで言う。雷はバイテク武器だった」
絶句するナポに、カイは静かに続けた。
「バイテク雷は、進化する為に遺伝子を探している」
「遺物か? 遺物の遺伝子か?」
勘がいいナポは察した。
「たぶんそうだ。だからナポ。早く逃げろ」
「わしが遺物を持って逃げればいいのか?」
「駄目だ。それだとおまえを追い掛けてバイテクフューチャーラボから出てしまう」
「わかった」
同意するナポの声を聞きながら、カイは思い出した。
「ナポ。トト……いや、ウサギとクマを連れて逃げろ」
沈黙があった後、悩んだナポの声が聞こえてきた。
「わしだってそうしたい。だが、それは無理だ。あの子達は試作品の上に、プロテオームが不安定なんだ。危険性に問題がないとは言えない。バイテクフューチャーラボから出すわけにはいかない」
科学者としてナポの決断は正しいと分っていながらも、カイは命令口調で言った。
「俺が責任を持つ。連れて逃げろ」
「侵入者の速度は秒速五ミリです」
ルーム3バイテクコンピュータの音声が、カイの声を遮るように響いた。それと共に、蔓は枯れていった。ナポが通信を終了させたのだ。
カイは速度が速まっていることに舌打ちした。
「俺が作り上げたバイテクペットクローン2の遺伝子だけでなく、遺物の遺伝子まで盗もうというのか」
腹立たしいと言わんばかりの口調で、声を上げたカイは思い当たった。
「遺物のゲノムがアポトーシスを起こしたのは、ルーム1に落雷した時だ。あの時、遺物のゲノムに放電したバイテク雷が、アポトーシスを起こさせたんだ」
「侵入者はルーム1のドアの反対側に到達します」
ルーム3バイテクコンピュータの音声が響いた。
「ルーム0の出入口がある、鳥の囀りが鳴るバイテク樹木に近い。やはり遺物の遺伝子か……」
口惜しくて顔をしかめながら、カイは推測した。
「アポトーシスを起こさせたのは、遺物はただの骨の欠片だからだ。そんな骨を乗っ取って進化しても仕方ない。だから、アポトーシスで開けた穴に、バイテクジャンピング遺伝子が組み込まれ、そこにある遺物の遺伝子を盗み取って、バイテクペットクローン2のゲノムに戻るんだ。そして……進化する」
拳を握ったカイの耳に、凛としたサンの声が聞こえてきた。
「サンが進化を阻止する。バイテクペットクローン2が遺物に辿り着く前に、サンが仕留める」
すくと立ったサンが、片耳に指を当てて弾いた。にこりと笑う。その表情に、カイは諦めかけていた自分を恥じた。気合を入れて立ち、サンと向き合った。
「その前に、解読した虹の数式のことを話しておくよ」
再び凛と言ったサンの表情は貫禄があった。いつの間にか一回りも二回りも成長していたサンを、カイは誇らしく思った。
「虹の数式は、共同論文にあったもので、ナオキの理論だよ」
「どんな理論だ?」
「別宇宙がこの宇宙を置き換えているという、宇宙の置き換え理論だよ。それを表わした数式が、虹の数式と完全に一致している」
サンの説明に、カイは戯言かと言いたげな表情で眉間に皺を寄せた。
「パラレルワールドか?」
冷やかに笑ったカイは、パラレルワールドさえも仮説の域を出ないと言いたげな表情だ。
「パラレルワールドは並行宇宙だけど、宇宙の置き換え理論はゲノム操作に似ていて、別宇宙がこの宇宙を置き換えるんだ」
サンは真剣な表情でカイを見つめた。カイは思い出した。
「現象とは何だ?」
「宇宙の置き換えで生じる時空の歪みによって起こることだよ」
「共同論文にはどういったことが書かれていた?」
カイはサンが現象と言った未知の細菌を思い出し、ペタが言っていた共同論文の、月裏で発見された遺跡は地球に存在していた遺跡、を思い出していた。
「地球に存在していた遺跡が月の遺跡として存在していることは現象であり、宇宙の置き換えを証明するものである。現象は、考古学者リンのように、現象である月の遺跡を詳細に調べたことで判明するが、疑わなければ、忽然と地球のものが月に存在しても、忽然と月のものが地球に存在しても、地球や月に存在していたものが忽然と消えても、過去にあったものがその当時のまま存在していても、私達は全く気が付かない。それは、宇宙の置き換えによって、私達の記憶も置き換えられているからだ」
サンが発した共同論文の内容に、度肝を抜かれたように身震いしたカイは、何処を見るとでもなく視線を遠くにやり、火星にいるリンのことを思い遣った。
「火星でも同じ現象が生じているんだな?」
心配そうに呟いたカイの横顔を見つめながら、サンは頷いた。
「侵入者は六分後にルーム1に到達します」
ルーム3バイテクコンピュータの音声が響いた。
カイはゆっくりとサンに目を向けた。サンはにこりと微笑むと、片耳に指を当てて弾いた。くるりと反転する。
「バイテクバブルモーター」
サンが声を上げると、修復機能で再生していたドアが開いた。
「サン……」
カイが言葉を詰まらせている間に、サンの姿は見えなくなった。カイは複雑な思いに駆られていた。
「リン。おまえは言ったよな。バイテク製品作りは、いつかきっと、とんでもないものを作り出すと……ヒトの欲望は果てしないものだからと……。弱い俺は妻の死を乗り越える為に、そんな欲望の虜になっていた。復讐を止める勇気を出せなかった。こんなことになったのは俺の所為だ。遺物を盗んでまでバイテク武器を作ろうとした俺の……」
「侵入者はルーム1に到達しました」
ルーム3バイテクコンピュータの音声が響いた。
ドアを見つめるカイの目が閉じられた。
「俺はおまえのいる天国に行けるだろうか?」
亡き妻を思い出しながらカイがはにかんだ。
「おまえがこの言葉を聞いたら……あなた天国って言った? あなたは天国なんて理論的にあるわけないって言っていたじゃない。って、おどけた瞳で眩しいほどの笑顔で笑うんだろうな」
思わず微笑んだカイだが拳に力を入れ、かっと目を見開いた。バイテク床に転がっている、バイテクペットクローン2の尻尾の分化である、先の折れた刀を手に取る。
「バイテクバブルモーター」
声を上げたカイは、ドアの開いたバイテクバブルモーターに乗り込んだ。
「ルーム1へ」
バイテクバブルモーターに指示を出してから数秒後、ドアは開いた。さっとドアから出たカイは指示を出した。
「バイテクコンピュータ。真昼の明かりに設定」
カイが指示を出した直後、尖った物体がカイの顔面目掛け猛スピードで迫ってきた。素早く顔を右にずらすと、尖った物体が頬すれすれで通り過ぎ、閉まったドアに突き刺さった。その物体はバイテク樹木の破片だった。
カイはバイテク樹木の破片をドアから引き抜いた。修復機能を速やかに作動させるためだ。
軋みに似た声が聞こえてきた。バイテクペットクローン2の叫びだと気付いたカイは、聞こえてきた声の方へ、一直線の遊歩道を歩きだした。遊歩道の上にはバイテク樹木の破片が幾つも転がっていた。これらは遊歩道脇にあったバイテク樹木の破片だった。引っこ抜かれた跡が穴となってバイテク床に開いている。はたとカイは、ルーム0の出入口がある鳥の囀りが鳴るバイテク樹木は大丈夫だろうかと考えて、大丈夫だと思えた。それは、サンがバイテクペットクローン2を、到着した場所から誘導して引き離していることから窺えたし、なによりもサンを信頼していた。
再びバイテクペットクローン2の叫びが聞こえてきた。直後、カイの眼前にバイテク樹木の破片が迫ってきた。手にしていた刀を素早く下から斜め上に振り上げる。破片は真っ二つに割れた。その時、カイの視界の隅にトトが入った。
「ナポ。連れて行かなかったのか」
憤怒で大声を上げたカイは、生え残るバイテク樹木の背後に隠れているミャムも見つけていた。
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