地球 第十五話

 ドアが開いた瞬間、疾風がカイの横を通り過ぎた。

 ソニックブーム!

 爆音が響き、ドアの周りが霞んだ。

 息を呑んで見つめるカイは、晴れた霞から出てきた光景に愕然となった。

 バイテクペットクローン2の拳が、半開きのドアに当たっていたのだ。半開きということは、ドアが完全に開かない間に、バイテクペットクローン2の拳が当たったということだ。

 「考えられない速さだ」

 カイは目を見張った。

 半開きのドアから身を出したサンは、バイテクペットクローン2の腕を取って背負い投げた。

 バイテクペットクローン2はバイテク床に叩きつけられる寸前、長い耳をバイテク床につけて弾かせ、くるっとバク転して着地した。だが次の瞬間には、バイテクペットクローン2の腹部を、サンは蹴り飛ばしていた。

 バイテクペットクローン2はカイの眼前を飛び、強化ガラスを割って突き破り、バイテク生産ライン側のバイテク床に転がった。

 すぐに立ったバイテクペットクローン2はサンを睨んだ。その表情は胸元にある青鬼の刺青と同じように、目尻を吊り上げ、裂けんばかりに口角を上げている。その為か、左右の耳が二本の角に見えてきた。

 「青鬼だ」

 ぽつりと呟いたカイに反応したのか、バイテクペットクローン2の目が青色に輝き、足元を中心点として波紋が広がるように、バイテク床が波打った。

 カイは足を掬われ、尻餅をついた。そこに疾風も襲ってきて、上半身が倒れそうになり、両手をバイテク床について耐えた。気が付いた時には、毛を逆立てたバイテクペットクローン2の拳が、サンの腹部に当たっていた。サンは前のめりで崩れ落ちかけている。

 バイテクペットクローン2は愉快だと言わんばかりに腹を抱える仕草をした後、バイテク床に接触しそうになったサンの顎を足で蹴り上げた。サンの口から大量の血が飛び散り、上半身が反る。そこを今度は拳で右頬を殴った。サンが左に傾倒していく。

 愉快気にバイテクペットクローン2は、拳でサンの左頬を殴った。だが今度は当たらなかった。僅差でサンは躱していた。

 余裕の表情だったバイテクペットクローン2の表情が強張った瞬間、サンの拳がバイテクペットクローン2の右頬を殴っていた。と同時くらいに、サンのもう片方の拳が左頬も殴っていた。

 バイテクペットクローン2がよろめいた。ふらつきながらサンとの間合いを取る。ダメージをかなり受けたのか、すぐに反撃できない。

 それを見ていたカイは気が付いた。

 「バイテクペットクローン2はバイテク植物から出てきたばかりだ。腕力ではサンが上だ。だが、なぜあんなに敏捷なんだ? バイテク雷の遺伝子のせいか? まあいい。この戦いはサンが有利だ」

 ほくそ笑んだカイの目が異変を捉えた。サンの鼻が乾いているのだ。その上、この程度の低い戦いで、サンの呼吸が荒くなっているのだ。

 「まさか発熱? だとしたら感染の症状だ。だが……」

 カイは頭を悩ました。その時、サンの絶叫が轟いた。気を高めているのだ。

 「刀に分化せよ」

 軋みに似た声が響いた。初めて発したバイテクペットクローン2の声だ。いつの間にかもぎった尻尾を掲げていた。その尻尾が刀に分化していく。

 サンの足が力強くバイテク床を蹴った。

 息を呑んだカイの目に、バイテクペットクローン2の横っ腹にサンの拳が当たっているのが見えた。

 ぽろりとバイテクペットクローン2の手から、分化した刀が落ち、体はバイテク床に崩れ落ちた。

 サンはバイテクペットクローン2の後頭部を足で押さえ付け、バイテク床に這い蹲せると、落ちている刀を手に取り、息の根を止めるべく、刀を振り翳した。バイテクペットクローン2の首目掛け振り下ろす。

 硬い物に当たった音が響き、刀の先が折れて宙に舞った。

 バイテクペットクローン2の姿はなかった。

 敏捷が取り柄のバイテクペットクローン2は、押さえ付けている足の力が僅かに緩んだ所で、伏したままの恰好で両手足を使い、くるくるとバイテク床を転がって逃げていたのだ。

 離れた場所で立ち上がったバイテクペットクローン2が、サンに向かって手を振った。

 「バイバイ」

 再び発した軋み声の後、バイテクペットクローン2は、バイテク壁にある丸い空洞に、するりと入っていった。その空洞はエマージングルートの入り口だ。

 「しまった」

 舌打ちしたカイは大声を上げた。

 「バイテクコンピュータ。カイBD492。エマージングルートの消滅」

 「識別番号と声紋が一致。認証しました。エマージングルートを消滅させます」

 ルーム3バイテクコンピュータの音声が響く中、サンは駆けていた。バイテクペットクローン2を追って丸い空洞から入ろうとして、空洞は閉じられた。

 「なぜサンを行かせない? エマージングルートを消滅させても無駄だ」

 サンがカイを睨み付けた。カイはバイテク壁に近寄りながら言った。

 「いくら腕力が上でも、あんな狭いエマージングルートの中では発揮できない。それよりもエマージングルートを消滅させ、バイテクペットクローン2を封じ込める方がいい。意外に封じ込められるかもしれん。そうでなくても時間は稼げる。それに……」

 バイテク壁から突き出ている取っ手を掴んだカイは、バイテク救急箱を引き出した。バイテク床に胡坐をかくと、サンを手招きした。

 「なによりもサンの治療をしないとな」

 カイの言葉に、サンは気恥かしそうに、嬉しそうにカイの前に腰を下ろした。カイの言う通りに、サンはバイテク床に仰向けで大の字になった。

 カイはバイテク救急箱から万能バイテク救急を十数匹取り出すと、サンの体の上にどさりと乗せた。バイテク救急はもぞもぞと動き出し、半分は体の上を這い回って治療を始め、もう半分はバイテク床と接触する背中に潜り込んで治療を始めた。

 「ダンゴムシだあ。くすぐったい」

 頭をもたげたサンは、万能バイテク救急を見て笑った。

 「ダンゴムシは十年前に全滅しちゃったんだよ」

 「ああ。そうだな」

 適当に返したカイは、バイテク救急箱の上面に表示された文字を見て驚いていた。その文字表示は、万能バイテク救急から送信される情報を受信して処理し、処置の内容などを知らせてくれる。

 「未知の細菌に感染? ゲノム解析の結果。未知の細菌は、生命が発生して分岐していく初期の頃のもの?」

 仰天するカイだが、サンを思い遣るように言った。

 「万能バイテク救急はサンの免疫細胞を活性化した。これでもう大丈夫だ」

 カイはサンを覗き込んで笑って見せた。

 「サン。すぐに治癒するぞ。暫し寝ろ」

 笑顔を返したサンが喋り出した。

 「あのね。サンの中にいた未知の細菌。これも現象だと思うんだ」

 「現象? バイテク雷の進化のことか?」

 カイの顔付きが怪訝になった。

 「解読した虹の数式のことだよ」

 「共同論文にあったという虹の数式のことか?」

 サンは頷いて答えた。

 「バイテク壁の内部に侵入者がいます」

 ルーム3バイテクコンピュータの音声が響いた。

 「バイテクペットクローン2がバイテク壁を突破し始めたか。くそ」

 罵ったカイが指示を出した。

 「バイテクコンピュータ。カイBD492。警戒態勢を発令せよ」

 「識別番号と声紋が一致。認証しました。全ルームのバイテクコンピュータに警戒態勢を通知します」

 ルーム3バイテクコンピュータの音声が響き、続いてアナウンスが流れ始めた。

 「直ちにバイテクフューチャーラボから退避して下さい。直ちにバイテクフューチャーラボから退避して下さい。直ちに……」

 アナウンスは単調に繰り返し流れる。

 「バイテクコンピュータ。侵入者の状況を逐次報告せよ」

 「実行します」

 カイの指示に、ルーム3バイテクコンピュータの音声が響いた。

 「侵入者は下へ向かって進んでいます」

 ルーム3バイテクコンピュータの報告に、カイは胸騒ぎがした。サンが解読した虹の化学式である古代文字が頭を過ったからだ。

 「バイテクコンピュータ。侵入者の速度を逐次測定せよ」

 「侵入者の速度は秒速二ミリです」

 ルーム3バイテクコンピュータの音声の直後、ナポの声が聞こえてきた。気付くとカイの右頬近くに蔓先の葉が接近していた。

 「カイ」

 ナポの呼び掛けを無視して、カイはバイテク救急箱の表示を見た。接近している蔓先の葉を手で押し退けてカイは言った。

 「サン。治癒しましたと表示されているが、少し眠るんだ」

 「うん。わかった」

 素直に頷いたサンは少々疲れているようだった。すぐに寝入ったサンを横目に、カイは万能バイテク救急を一匹残らずバイテク救急箱に仕舞い、バイテク壁に戻した。バイテク床から伸びている蔓は、カイの後を追って伸びていく。

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