地球 第十話

 閃光。

 枝部分にある透明なバイテク天井から入ってきた青色の光が、ここまで差し込んできた。

 次の瞬間、雷鳴が轟く。

 「また青色の雷か」

 カイが苦々しい顔付きで吐き捨てるように言った。そんなカイの胴体に、怖がったクマが抱き付いた。びっくりしたカイだが、そのままにし、声を上げた。

 「バイテクコンピュータ。ルーム9に音声通信」

 カイの指示で、バイテク床から蔓が伸びる。カイの顔に近寄ると、蔓先に葉を付けた。

 閃光。

 ソニックブーム!

 青色の光が差し込んできたと同時に雷鳴が轟き、足元のバイテク床が地震のように揺れた。

 カイはクマを抱き締め、足を踏ん張った。揺れが収まったのを見計らって声を上げる。

 「サン」

 「なに?」

 すぐさまサンが応答した。徒ならぬ状況を感じ取っているのだ。

 カイはサンに尋ねようとして、つと口を閉じた。目に入ってきた光景に首を傾げる。いつの間にか遊歩道の上に畦が出来ていたからだ。その畦は、まるでモグラが地表面近くを掘って進んだかのように、輪状に伸びている遊歩道の上にぐるりと出来ていた。もしやとカイは、ドアに向かった。バイテク床から伸びる音声通信の蔓も、カイと一緒にぐんぐん伸びて付いていく。やはり、ドアから前方に続く一直線の遊歩道にも、畦が出来ていた。

 「なに? カイ。カイ」

 呼び掛けるサンの声で、カイは我に返ったかのように尋ねた。

 「虹の数式は架かったか?」

 「うん」

 「同じ数式か?」

 「うん。でも……」

 「でもなんだ?」

 カイはせっついた。その時、カイの視界の隅に、伸びてくる蔓が入ってきた。別の音声通信だ。その蔓先に葉が付くと、切羽詰まったように呼び掛けるナポの声が聞こえてきた。そんなナポは初めてだ。カイはサンの音声通信を保留にせず、そのまま喋り出した。

 「ナポ。どうした?」

 「さっきの落雷で、ルーム0バイテクコンピュータが停止し、すぐに立ち上がったが……」

 ナポが言葉に詰まった。

 カイはルーム3の出来事をまざまざと思い出し、胸が騒いだ。

 「遺物を管理するバイテクスキャナー装置と同期しているバイテクディスクから、遺物のゲノムを表示したら、ゲノムが変化していた」

 焦った声でナポが言った。

 「変化とはどういう変化だ」

 「表示されている遺物のゲノムに、遺伝子欠落ができていた。DNAの二重螺旋構造を見ると、所々、まるで虫に塩基対を食われたかのように、ごっそりと塩基対が無くなっていて、穴が開いているんだ」

 「それはただのバイテクディスクの異常じゃあないのか? 一旦同期を解除し、再度同期した後に、再度遺物のゲノムをスキャンしろ」

 ナポを叱咤したカイは、蔓を掴んで引きちぎって通信を終了させた。

 「サン。でもなんだ?」

 カイが大声で聞いた

 「虹の数式だけじゃなく、虹の化学式も浮かんだ」

 サンの答えに、カイは顔をしかめた。

 「どんな化学式だ?」

 「わかんない」

 「写真は撮ったか?」

 「うん」

 「虹の化学式がはっきり写っているデータをここに転送しろ」

 「わかった」

 サンが返事をして数分も経たないうちに、バイテク床から発芽し伸びた茎の頂に蕾が付いた。蕾状バイテクモニターだ。カイは歩み寄ると、蕾直下に付く葉を指先で操作し写真を表示した。

 注視するカイが怪訝な顔付きになる。

 「今までに見たこともない化学式だ。それに、化学式といえば化学式だが、化学式でないといえば化学式でもないような……」

 カイは首を捻っていて、はたと鬼の顔の絵を思い出した。

 「サン。これから画像をそっちに転送する」

 「わかった」

 サンの返事を遮るように、カイは指示を出した。

 「バイテクコンピュータ。カイBD492の画像保存データより、絵本の表紙Aのデータをルーム9に転送」

 間を置いてカイはサンに聞いた。

 「数式と化学式が浮かんだ虹が、消えかかる時、何か見えたか?」

 「何も見えていないよ」

 「さっき転送した画像で、中央に大きく描かれている青色をした鬼の顔を見たか?」

 「見ていないよ」

 否定したサンの返事に、カイは胸を撫で下ろすように鬼の顔の絵の記憶を奥の方に仕舞った。

 「サン。虹の数式と虹の化学式を組み合わせて解析しろ。それらを頭脳に焼き付け、それだけを考えろ」

 「うん。わかった」

 威勢のいいサンの返事に、カイは蔓を掴んで引きちぎり、通信を終了させた。一息いれようとして、胴体に違和感を覚えた。素早く見て、思い出す。クマが抱き付いていたことを……

 クマが不安気にカイを見つめた。

 「もう大丈夫だ。安心しろ」

 カイは唇を歪めてぎこちなく笑いながら、クマの額を優しく撫で、そっと引き離した。だが、クマは傍らでまだ不安気にカイを見つめた。

 「これはお守りだ」

 カイは万能バイテクペットをクマに手渡し、しきりに鼻先で右足を突っついてくるウサギを見下ろし、親指を突っ立てた。

 「クマと一緒にすみかに帰っていろ」

 後足で立ったウサギが前足を上下に振った。

 「バイバイ。またねってことか?」

 愛くるしい仕草に、思わずカイは破顔した。

 「カイ」

 甲高いナポの声が聞こえてきた。いつの間にか蔓が伸びていて、蔓先の葉がカイの顔に近寄っていた。

 「カイの言う通りにしたが、やはり遺物のゲノムに変化は起きていた。遺物のゲノムの遺伝子は欠落している」

 ナポの話しに、カイは舌打ちした。

 「そんなことは有り得ないだろ」

 訳が分からないとカイはスキンヘッドを掻いた。

 「で、その欠落部分のデータは、ちゃんと残っているんだろうな?」

 カイが尋ねてから少し間があいた。胸騒ぎが頂点に達しかけた時、ナポの沈んだ声が聞こえてきた。

 「ここにいる全員で何度も確認したんだが……バックアップごと、物の見事に消え去っていた」

 カイは押し黙った。どこにぶつけていいのか分らない怒りを静めていた。暫し経ってから穏やかに口を開いた。

 「バックアップごと、落雷にやられた可能性がある。だが、欠落は落雷で起こり得るか? なぜ欠落したのか、その原因を探ってくれ」

 「わかった。だが、プロジェクトの要であるバイテク武器作りが遅れる」

 ナポの言葉に、カイはいつもポケットに入れていた万能バイテクペットに触るように、手をポケットに突っ込んだ。

 ――妻の誕生日に、ナポに内緒で試作品の万能バイテクペットを贈った。妻は、はにかむように微笑み、万能バイテクペットにラティという名前を付けた。バイテク製品反対暴動が勃発した時、妻はいつものようにラティをネックレスに分化させて身に着けていた。それなのに、妻はラティを再分化させて護身用として使用しなかった。なぜか? 俺はその理由を知っている。いつも言っていたからな。全ての生命は宝物なのよって。

 「カイ。通信を切るぞ」

 「待て」

 ナポの声で我に返ったカイが制止した。

 「ルーム1にも変化が起きている」

 「どいうことだ?」

 驚いているナポに、カイは意を決したように言った。

 「ここの解明は、ミカにやってもらう」

 「ミカだって?」

 ナポの呆れる声が聞こえてきた。しかめっ面になっているだろうナポを想像しながらもカイは続けた。

 「ルーム1の変化も落雷の可能性が高い。ミカは地球環境科学者としては一番だ。そんなミカが今、科学者としてコスモスバイテクドームにいる。彼女の頭脳を借りない手はない」

 「ミカの表の顔は科学者だが、裏の顔は仲介商人だ。ミカは我儘だし利害でしか動かないぞ」

 釘をさすナポの声が響いた。

 「わかっている」

 カイは毅然と答えた。だが、その表情には一抹の不安が出ていた。

 「カイに任せる」

 不承不承ながらナポの声が聞こえてきた後、蔓は枯れていった。ナポが通信を終了させたのだ。

 「バイテクコンピュータ。ミカASD816に音声……」

 指示を出していたカイが、はっと気付いて言い直す。

 「バイテクコンピュータ。ミカASD816に映像通信」

 「お待ち下さい」

 ルーム1バイテクコンピュータが答えた。

 ミカは映像無しの通信には絶対に出ない。この点からもナポが嫌うのがよく分かる。ミカは鼻持ちならない。

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