地球 第七話

 最初からルーム3の緊急モードの指示を出せばよかったのだが、敢えてカイがそれをせず、ドアに傷を負わせ衝撃音を鳴らしたのは、推測が正しいかどうかを検証する為だった。

 数分経つと、ドアは無くなり、カイの眼前は開けた。すぐさまカイはルーム3に入り、バイテク生産ラインを見渡す。

 「いない」

 カイはぎくりとしながらも、自分の推測を確信する。

 「何処へ行った?」

 警戒しながらカイは、映像通信で捉えた長方形の部分に視線を向けた。

 「強化ガラスに長方形の穴が開いている」

 咄嗟にカイは駆け出していた。強化ガラスに開いている長方形の穴の前で、足を止めた。ヒト一人が屈んで通れるくらいの長方形の穴だ。ふと、カイの目が足元に落ち、急いで右に避けた。さっきまで踏ん付けていた、長方形の強化ガラスがバイテク床に横たわっていた。

 「一度外して元に戻していた長方形の強化ガラスを、俺の衝撃音に気が付いて、再び外して逃げたんだ」

 予想通りに動いてくれたとにんまりしたカイだが、まさか映像通信で捉えた強化ガラスの長方形の部分が、出入口を作る為に開けた穴だったとは想像もしていなかった。

 「映像通信では何食わぬ顔をして通常の作業を……」

 思い出したカイが苦々しい顔付きになった。お返しにと、声高に皮肉った。

 「ロボットがそんな顔はしないな」

 大笑いもしてみせた。だが、内心は穏やかでなかった。

 ――ロボットがヒトを騙す振る舞いをしていたとは……落雷の影響でロボットが意思を持ったということか?

 推考したカイだが、有り得ないと大きく首を振った。

 ――それにしても、ロボット三体はどこへ逃げたんだ?

 「自ら修復するバイテクガラスならば、外には出られなかったぞ」

 威嚇するように罵ったカイが、不意に身を翻し、穴が開いていない強化ガラス面に背をくっつけ、警戒した。だが、油断させるように目を閉じ、聴覚を研ぎ澄ます。

 空気の流れを読み、僅かな乱れや微かな音も逃さず聞き取っていく。

 「左から来る」

 聞き取ったカイが目を見開いた。左に身を翻し、並ぶ葉状バイテクモニターを身軽に躱し、向かってくる一体のロボットに相対した。

 「バイテクロボットじゃなくて良かったぜ」

 嫌みっぽく罵ったカイが、打ってきたロボットの拳を躱し、緑色の手袋をはめた片方の拳で、ロボットの頭を打ん殴った。ロボットの頭部に球状の窪みができる。緑色の手袋は、ロボットの頭部に窪みを作れるほどの、硬くて強靭な手袋だ。

 「だが、おまえの方が高価なんだよ」

 怒りが爆発したようにカイの足が、ロボットの足を払った。ロボットは引っ繰り返った。

 「おまえは骨董品だからな」

 立ち上がろうとするロボットに馬乗りになって押さえ付けたカイは、ロボットの頭頂にある強制停止ボタンを押した。ロボットはカイの足を捕まえようとした所で停止した。

 安堵したのか少しばかり気を抜いてしまったカイの元に、別のロボットが襲い掛かってきた。

 だがカイは、打ってきたロボットの腕を、素早く掴んで投げた。バイテク床に倒れるはずのロボットが、バイテク床に手を突き、身を翻してバイテク床に立った。

 対峙するカイとロボットに、間合いができた。

 カイは緑色の手袋をこれ見よがしに、ファインティングポーズをとった。

 ロボットはカイとの対峙を保ったまま、ゆっくりと後退りしていった。

 カイはロボットの隙を狙うが見出せないまま、ロボットはかなり離れてしまった。そこにもう一体のロボットが合流し、二体のロボットは並列で直立しカイを見つめた。まるで眼を付けるようなロボットに、カイは蔑むように笑ってみせた。

 突如、二体のロボットの目が青色に輝いた。直後、左右に別れて走り出す。

 ――挟み撃ちにする気だ。

 気付いたカイは目を閉じた。視覚ではもう、二体の動きを同時に把握することはできない。だから、聴覚を研ぎ澄ます。

 タッタッタッタッタッ……

 ロボットの足音を聞き取る。左耳と右耳に入ってくる足音の微妙な違いを把握していく。

 タッタッタッタッタッ……

 ロボットはそれぞれ、カイの左脇と右脇に、回り込むようにして近寄ってくる。

 タッタッタッタッタッ……

 二体のロボットは双子のように歩調が同じだ。

 タッタッタッタ!

 カイ目掛け、ロボットが同時に飛び跳ねた。いや、カイは聞き取っていた。左耳と右耳に聞こえてきた、バイテク床を蹴った音の微妙なずれを……

 「左が先だ」

 目を見開いたカイは左に体を捻ると、緑色の手袋をはめた拳で打った。拳はロボットの側頭部をとらえた。いや、掠めただけだった。だが、躱したロボットの肩関節は外れていた。カイの足がロボットの左肩を蹴っていたのだ。

 してやったと、カイはにんまりとした。その刹那、カイが素早く仰け反った。右からもう一体のロボットの拳が、カイの低い鼻を掠める。

 「残念だったな、骨董品!」

 カイが腰を捻った。緑色の手袋をはめた拳でロボットの顎を打つ。いや、僅差でロボットの足がカイの腹部を蹴っていた。緑色の手袋をはめた拳が、脱力したように下に落ちていく。

 カイの体が崩れ落ちた。とんでもない激痛に耐えるように体を丸める。そこに、片方の腕がだらりと垂れたロボットが、復讐するかのように、もう片方の手でカイの肩を殴った。カイは肩関節が外れたのを自覚した。だが、悶絶しそうになったのを堪え、尚一層体を丸め、もう片方の腕を庇いながら、蚊の鳴くような声を出した。

 「刀に分化せよ」

 二体のロボットは容赦なくカイに蹴りを入れまくる。

 「袋叩きとは……武士道に反する行為だ」

 カイは悶えながら途切れ途切れに悪口した。

 「卑怯な奴らには刀だ」

 カイの渾身の声が響いた。

 一拍おいて、緑色の刀が下から斜め上に動いた。

 「俺の利き腕を残したのが運の尽きだ」

 なぶるように言ったカイの声と同時に、一体のロボットの体が斜め左右に割れていった。緑色の刀で斬ったのだ。

 もう一体のロボットは危険を察知し、身を翻してカイから離れた。それを見計らってカイは手を伸ばすと、斬ってバイテク床に倒れたロボットの頭頂にある強制停止ボタンを押した。

 「残りはおまえだけだ」

 カイは全身に猛烈な痛みを感じながらも立ち上がった。もう一体のロボットを毅然と睨み付ける。

 「この試作品が、こんなところで役に立つとはな」

 カイは緑色の刀を掲げ、緑色の刀のつかを外れた肩関節に当てた。そのままぐいぐいと押し込み、肩関節を元に戻していく。

 「バイテクロボットだったら、外れた肩関節などあっという間に修復できる」

 カイは激痛で顔を歪ませ、悶えながら当て擦った。対峙する残りのロボットは、肩関節が外れたロボットだ。

 「この試作品は、何にでも分化する優れもの、万能バイテクペットだ。基本形はマリモで、さっきまで手袋に分化させていた」

 カイは緑色の刀を見せ付けながら、血で赤色に染まる口角を上げて笑った。

 「俺は万能バイテクペットを、かわいいブレスレットに分化させたり、艶髪になるブラシに分化させたりと……そんなもん、するわけねえだろ」

 スキンヘッドを振って、カイは緑色の刀を構えた。

 「言っておく。万能バイテクペットの改良型遺伝子は、サンの尻尾に組み込まれている。だが、その尻尾には、万能バイテクペットに組み込まれている小型のバイテクコンピュータは組み込まれていない。小型のバイテクコンピュータは脳の代わりに組み込んだものだから、優秀なサンの脳には必要ないからな。サンの脳が組み立てた分子構造に分化する尻尾は完璧だ」

 カイは対峙するロボットをより一層見据えた。

 「来い!」

 雄叫びを上げたカイの挑発に、ロボットがそのまま真っ直ぐ突っ込んできた。

 にんまりとしたカイが目を瞑り、聴覚を研ぎ澄ます。微動だにせず、間合いを測る。

 かっと目を見開いたカイの足がすっと前に動いた刹那、緑色の刀が上から下に落ちた。

 ロボットの頭頂から下に、ロボットは真っ二つに割れた。強制停止ボタンも真っ二つに斬れている。

 ほっとしたカイの体が崩れ落ちそうになった所で、カイの聴覚は単調な音を捉えた。輪状空間を左に回った奥だ。

 「隔離室だ」

 カイは顔を向けると、聴覚を研ぎ澄ます。やはり単調な音が聞こえてきた。

 「隔離室に何もない時は、誰でも中に容易に入れる。だが、一旦そこに何かを入れてドアが閉められると、中から外には絶対に出られない。ロボットに入れられたか」

 ちぇっと忌々しくカイは舌打ちし、悲鳴をあげる体に鞭打って駆けつける。近付くにつれ、単調な音が大きくなった。隔離室のバイテクドア越しから叩いている音だと気付く。

 カイはバイテクドアの横にあるバイテク鏡の前に立った。そこに映る、傷だらけでぼろぼろになった自分の体を見て卑屈に笑い、そんな自分の顎目掛けアッパーカットした。するりと拳がバイテク鏡の中に入り、入った部分を中心点として、同心円状に波紋が広がっていった。バイテク鏡全体に行き渡る。

 「ゲノムを認証しました」

 ルーム3バイテクコンピュータの音声と共に、バイテクドアがゆったりと開いた。

 カイが中を覗くと、怯えた表情だった研究員五名が、一斉に安堵の表情を浮かべた。彼らの顔付きに釣られるようにして、カイは和やかに笑った。だが、その直後、カイは卒倒した。

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