地球 第五話

 「バイテクコンピュータ。サンBOP111をカイBD492の助手にする」

 「お待ち下さい……設定します」

 カイの指示を受けて、ルーム9バイテクコンピュータが答えた。

 待つ間、カイは再分化したメモリに目を向けた。それは撮影データのメモリで、モニターとなっている。その直下に付く葉を指先で操作し、撮影した写真を見ていく。

 「設定しました」

 ルーム9バイテクコンピュータの音声を最後まで聞くことなく、カイは指示を出した。

 「バイテクコンピュータ。ルーム5に音声通信」

 カイの指示で、バイテク椅子の端から蔓が伸び、カイの顔に近寄ると、蔓先に葉を付けた。

 「サン。ルーム9……いや、その前にルーム0で共同論文をもらい、ルーム9に来てくれ」

 カイは呼び掛けたサンの応答を待つことなく、早口でサンに命令していた。前回のようにサンが応答しない可能性もあるが、ルーム5にはサンしかいないのだ。

 忙しさに焦るカイは、伸びている蔓を乱暴に引きちぎって通信を終了させた。急いでモニターを見つめる。先程ざっと目を通した時に気になった写真まで進めると、その写真を凝視した。

 「何かが写っている」

 確信を得ようと、その写真以降に撮った写真も丁寧に見ていく。

 消えかけていく虹の数式。その消えてしまう瞬間、何かが写っていた。その何かは、数式ではない。文字でもない。

 「なんだこれは?」

 何かが一番くっきりと撮れている写真をズームインした。

 「絵だ」

 そう思ったカイは記憶をまさぐった。

 「この絵、どこで見た? いつ見た?」

 ズームインした絵を食い入るように見つめる。

 「子供の頃に見た」

 そう感じて、はたと思い当たった。

 「絵本だ。絵本に描かれていた」

 カイの脳裏に鬼の顔の絵がはっきりと浮かび、それとズームインした絵が重なる。

縮れ毛の短髪にある二本の角、二本の牙が生えた大きな口……

 「鬼の顔だ」

 口にして、はっとなる。

 「鬼? 俺は何を言っている?」

 科学ではあり得ない想像をしている自分を鼻で笑い、馬鹿馬鹿しいと顔を横に振った。

 「虹のような虹の数式が消えかけていく時の写真だ。ただ単に、鬼の顔に見えるように写ってしまっただけだ」

 ふんと空を睨みつけた。

 「だが……」

 モニターに視線を落とした。

 「これは確かに数式だ。虹の数式なんぞ、いくら異常気象だといっても、自然にはできない。ならば、どういった目的で誰が作ったんだ?」

 嫌な予感が湧き上がり、顔色を変える。

 「まさか? アイツが……アイツにプロジェクトのことを気付かれたのか? これはその警告か?」

 思わず狼狽しかけて踏み止まった。冷静に考える。

 「それはありえない。だが、だったら虹の数式はなんだ? もしや再びアイツが動き出したのか? だとしたら、今度は何を仕掛けようというのだ?」

 憎しみが胸の奥から込み上げ、震えてきた手をぐっと握って抑えた。

 「妻の命を奪い同僚の命を奪ったバイテク製品反対暴動。あれを仕掛けたのはアイツだ。アイツが張本人だ。なのに、アイツだけは未だに捕えられていない。アイツ以外の暴動に参加したバイテク反対派は皆、捕らえられ収容所に入れられたままだというのに……」

 抑え込んでいる拳が震える。

 「アイツはバイテク製品反対暴動には加わっていない。だが、アイツが扇動したということは明白で、INPも捜査している。それなのに捕まえることができないのは、アイツはネットとバイテクネットを操り、それらの闇に潜み、正体を隠しているからだ。アイツは何者で誰なのか、掴むことができないのだ」

 ぐっと震える拳を強く握り直す。

 「アイツは謎に包まれている。謎に包まれているアイツの噂は数々飛び交っている。その中にはアイツ自身が流した嘘の情報もあるだろうし、本当の情報もあるかもしれない。それらの噂を全て調べたところ、ある結論に至った。アイツの本当の目的は、利益の邪魔になる、敵であるバイテク反対派を一掃することだったのだ。そんなちっぽけな目的の為に、俺の妻は巻き込まれたのだ」

 憎悪で鋭く尖った目を空に向ける。

 「INPも勘繰っているBW。BWはバイテク武器を統括し売り捌く闇の組織だ。アイツはBWの一員の可能性が高い。だが、BWのメンバーは巧妙に正体を隠している。だから絶対にプロジェクトを成功させ、アイツを成敗してやる」

 「サンが来ます」

 ルーム9バイテクコンピュータの音声が、カイの怒りを中断させるように響いた。

 サンはバイテクバブルモーターで、ルーム0からルーム9へ向かっているのだ。

 カイは深呼吸をし、頭脳を切り替える。

 「サンが来ました」

 ルーム9バイテクコンピュータの音声の後、ドアが開いた。

 「カイの助手、サンが来たよ!」

 サンはにこりと微笑むと、耳を左右に振り、尻尾をくるくると回転させ、スキップしながらカイのそばにきた。

 思わずカイの心は和んだ。だが、それを隠すように厳しい声をあげた。

 「サン。共同論文はもらってきたか?」

 「うん」

 サンは左手を高々と上げると、カイの眼前に右手を突き出した。その右拳の下に、カイは手の平を差し出した。右拳が開くと同時に、手の平に白濁した小さな球が乗っかった。

 「これが共同論文のバイテクコピーなの?」

 サンがカイの顔を覗き込みながら首を傾げた。

 「そうだ」

 素っ気無い返事に、サンは想像した。

 「これって相転移を利用したバイテクコピーだよね」

 反応したカイが口元を緩ませた。その表情に、サンは調子に乗って声を弾ませる。

 「一冊の共同論文をまるごとゲル状のバイテクコピーで包む。共同論文に触れる内側のゲルは液状となって共同論文に浸透し、全て浸透した後に気体に変わり、再び気体から液体に変わっていく過程でコピーはされる。コピーが終わると、液体はゲルに変わり、半透明だったゲルは白濁する。ゲルを素早く共同論文から引き剥がすと、数分のうちにゲルは縮まり、固体の球になる」

 「まあ、雑だが、そんな感じだな」

 座っているカイはサンを見上げてにやりとした。それに気を良くしたサンは嬉しそうに髭をぴくぴく動かした。

 「バイテクコピーは立体コピーってことだね」

 「ああ」

 素っ気無く頷いたカイは急いで声を上げた。

 「バイテクコンピュータ。バイテクコピー再生装置を生成」

 カイの指示で、バイテク床から発芽し一本の茎が伸び、キキョウが咲いた。その花の中央に、白濁した小さな球を置く。球は個体から液体に変わり、花の中央から花托に浸透していく。数分経つと、花托だけを残しキキョウは凋落し、新たな蕾ができあがる。その蕾が凄まじいスピードで細胞分裂し、一冊の共同論文に分化した。まるごとコピーした一冊の共同論文が、そのまま生成されたのだ。

 共同論文を手に取ったカイはざっと目を通した。

 「ちゃんとコピーされているな」

 「うん。されているよ」

 興味津々で覗き見するサンが大きく頷いた。そんなサンの髭がカイの頬に当たった。くすぐったいと言いたげに、カイはちらりとサンを見て微笑んだ。久しぶりに見るカイの笑顔に、サンは嬉しくなって無理やり髭をカイの頬に当てまくった。カイはもう一度だけ微笑んだが、和む気持ちを押しとどめ、厳しく言い出した。

 「サン。ざっと目を通しておけ」

 カイはサンに共同論文を手渡した。そのままサンの視線をモニターに導く。

 「ここに写っている虹の数式を解いてくれ」

 「うん」

 モニターを興味津々で覗き込んできたサンに、カイは手早く操作の説明をした。

 「バイテクバブルモーター」

 大声を張り上げながら、カイはそそくさと腰を上げると、ドアへ向かった。

 「カイ」

 呼び止めるサンの声に、カイは何事かというように振り返った。

 「これを解いたら、綾取りをしてくれる?」

 サンが甘えた声を出した。思わずカイは気が抜けたような表情になった。

 「わかった」

 声を潜めるように返事をしたカイは、くるりと背を向け、開いているドアからバブルモーターに乗り込んだ。もう振り向かなかった。だが、閉まったドアを見つめるサンの目は輝き、耳はリズミカルに揺れ、嬉しそうに笑っていた。聴覚が鋭いサンの耳は、ちゃんとカイの返事を聞き取っていたのだ。

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