地球 第四話
カイが一歩進み出ると、明かりが灯る。ルーム9は樹頭に位置し、ルーム3やルーム5のように枝が伸びる部分に位置していない為、幹部分の輪状空間のみとなっていて狭い。
「バイテクモデルルームへようこそ」
ルーム9を管理するバイテクコンピュータの音声が響いた。モデルルームとなっているルーム9だが、全く何もないがらんとした空間だ。それは、調度品を揃えなくても、個々の好みで指示を出せば、全ての調度品が生成されるからだ。そのことをアピールする為のモデルルームだからだ。
「バイテクコンピュータ。縦二メートル、横五メートルの窓を生成」
指示を出したカイは、バイテク建築樹木の幹部分の外縁になるバイテク壁の前に立った。物凄いスピードでバイテク壁に巨大な窓枠が出現し、窓枠内が透明になり、窓に分化した。
「バイテクコンピュータ。窓に向かう椅子を生成」
指示を出したカイの背後、バイテク床の四か所が発芽した。それらの芽は急速に生長し茎となり、椅子の脚となった。それらの脚から大きな円状の葉がつき、折り重なって椅子の座となり、一枚の大きな楕円状の葉は垂直に立って椅子の背もたれとなった。
バイテク椅子に腰掛けたカイは、バイテクフューチャーラボの最上階となるルーム9の、窓越しに広がる光景に目を見開いた。
「真っ青だ」
青色の色素を混ぜた綿菓子のような積乱雲が、バイテクドームにのしかかっていた。雨粒は青色ではない。バイテクドームを打つ雨粒は、水中にいる魚が見上げる水面を打つ雨粒に、似ているかもしれないとカイは思った。
カイがいる都市は、まるごとバイテクドームの中にある。バイテクドーム都市とも呼ばれ、バイテクドームを管理するドームバイテクコンピュータによって、温度と湿度は保たれ、降り注ぐ陽光も調節されている。また、バイテクドームによって雨は降らないし、落雷の直接的な被害はない。だが、落雷頻度が高い時は、バイテクドーム内のバイテク建築樹木にも些細な影響が出る。バイテクドーム都市は、バイテク建築樹木のみで構成されている為、バイテクドームの中は森だ。そして、エネルギーは光合成によって作られるATPという化学エネルギーのみだから、バイテクドーム都市はバイテク製品で占められている。
とてつもなく巨大で透明な半球形のバイテクドームは、無色のバイテク細胞壁をメインにして作られた巨大なバイテク製品だ。地球ではバイテクドーム都市はまだ少ないが、月ではバイテクドーム都市しかない。バイテクドーム都市の名には、語尾にバイテクドームが付く。ここのバイテクドーム都市名は、コスモスバイテクドームだ。名の由来は、宇宙の玄関口である地球プラットホームに隣接しているからだ。地球プラットホームは、静止軌道上の宇宙ステーションと繋がる宇宙エレベーターの発着地点となる建築物である。天気が良い時には、バイテクドーム越しに宇宙ステーションと繋がる宇宙エレベーターが、宇宙から垂れ下がる太いロープのように見え、そこを移動する昇降機も見ることができる。地球プラットホームもコスモスバイテクドームも、赤道上の島に建設されている。
微動だにせず観察するカイの目に、閃光する青色の積乱雲が映った。
落雷。
「稲妻も青色だ」
青色の稲妻が、まるで毛細血管のように、バイテクドームの表面に広がった。
「青色の雷」
苦々しい顔付きでカイは、注意深く観察しようと身を乗り出した。
青色の積乱雲は遠ざかっているようだった。
「こんな積乱雲、未だかつて見たことがないぞ。なんなんだ?」
カイはスキンヘッドを荒々しく掻いた。自分の記憶に存在しない事実に苛ついているのだ。
「博士」
切羽詰った呼び掛けに気付いた時には、カイの左頬近くに蔓先の葉が接近していた。
「博士」
「なんだ?」
カイは苛ついた状態のままで大声を張り上げた。
「ルーム3です。クローン管理データ……」
「落ち着け」
捲し立ててくるルーム3のチーフを怒鳴りつけたカイ自身も、気持ちを落ち着かせようとしていた。
「バイテクコンピュータ。映像通信に変更せよ」
カイの指示で、蔓先の葉が脱分化した後、見る間に八インチの葉状画面に再分化した。映ったチーフの表情は落ち着くどころか、益々切羽詰った感じを色濃く出していた。
「先程の落雷でルーム3バイテクコンピュータ……」
喋り出したチーフが突如、後方で小さく映り込んできた女性に目を遣った。
映像では女性の表情や何を喋っているのかは全くわからないが、チーフの様子から異常事態が起こったと想像できた。
「どうした? 何があった?」
声を荒げたカイは葉状画面を凝視した。
「ロボ……」
振り返ったチーフが引き攣る表情で喋ろうとした。その時、映像通信が終了した。カイが通信を終了させたわけではない。
胸騒ぎを感じたカイは、ルーム3へ向かおうとして素早く立った。
「なんだ?」
たまたま目に入ってきた異様な光景に、カイは立ち竦んだ。かっと見開いた目は釘付けになっている。
バイテクドームにのしかかっていた青色の積乱雲が、すっかり遠ざかった空に虹が架かっていた。
「あれは虹ではない。数式だ。虹の数式だ」
とんでもない発見に、カイの鼓動は跳ねあがった。得体の知れないものへの恐怖と興味。それらが入り混じってカイは興奮していた。
はたと思い付く。
「バイテクコンピュータ。カメラを生成」
カイの指示で、バイテク床から発芽し一本の茎が伸びる。その頂に蕾ができると、それが物凄いスピードで細胞分裂をし、カメラに分化していく。
カイは虹の数式を観察していて、ふと思い当たる。
「虹と同じように、虹の数式は消える?」
分化を終えたカメラに手を伸ばしたカイは、茎を持って引っこ抜いた。茎から伸びている葉状画面を睨み、その付け根にある托葉状のシャッターを、がむしゃらに切っていく。
案の定、虹の数式は虹と同じように消えかけ始めた。どんどん虹の数式は薄まっていく。
カイは虹の数式が完全に消え去るまでシャッターを切り続けた。
「消えた」
ぽつりと呟いたカイは、シャッターを切るのを止めた。雲ひとつなくなった空を呆然と見つめる。
「さっきからなんなんだ? どうなっているんだ?」
苛々するようにカイはスキンヘッドを掻きむしった。暫く考え、ルーム9バイテクコンピュータに尋ねる。
「バイテクコンピュータ。サンBOP111の学力レベルは?」
「博士レベルです」
「そうか」
皮肉っぽく笑ったカイは、サンの落書きを思い出していた。
「バイテクコンピュータ。リキヤEXE010に映像通信」
通信の指示を出す時は、相手の識別番号を言う。識別番号を告げることで、相手が何処にいるか分からなくても繋がるのだ。
「お待ち下さい」
ルーム9バイテクコンピュータの応答を耳にしながら、カイはバイテク椅子に腰掛けた。持ったままの茎に目を遣ると、その頂に付くカメラの境目にある萼を剥ぎ取った。見る間にカメラは脱分化した後、メモリに再分化していく。
バイテクフューチャーラボが多額の出資を受けている、アースライフの創業者がリキヤだ。アースライフはバイテク製品の販売を手掛ける大手だ。
「映像通信をひらきます」
ルーム9バイテクコンピュータの音声と共に、バイテク床から蔓が伸び、蔓先に葉が付いた。その葉が物凄いスピードで細胞分裂をし、八インチの葉状画面に分化した。その間、カイは背筋を伸ばし居住いを正していた。
「カイです」
「どうしたんだい?」
大きな丸顔が葉状画面一杯に映し出された。その顔だけで太った体格だということが想像できる。彼がリキヤだ。
「私は月にいるのだが、なにかあったのかい?」
「いえ。大したことではありません。ただ落雷の頻度が多くなっていまして、対策としてバイテクコンピュータの強化を図りたいと思っているのですが、今の私は忙しすぎて……」
「新規のバイテク製品となる、バイテクペットクローン大量生産は順調かい?」
リキヤがカイの話しを遮って聞いてきた。
「はい。順調です」
敢えて語気を強めて答えたカイは、問題が起っていることを隠し、内心の不安を隠していた。
「それはいい」
リキヤの細い目が満足そうに、より一層細まった。笑うといかにも温厚そうな顔になる。
「先程の話しの続きですが……忙しい私の補助として、また新規のバイテク製品の試験として、バイテクペットのオリジナルを私の助手にしたいのですが」
「うん。いいよ」
あっさりとリキヤは承諾した。
「ありがとうございます」
深々と頭を下げたカイがゆっくりと頭を上げた時には、葉状画面となっていた葉は枯れ落ちていた。蔓も枯れていく。それが意味するのは、リキヤが通信を終了させたのだ。
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