地球 第三話
澄ましたカイの耳に、バイテク床を蹴った音が聞こえてきた。バイテク植木が揺れる音も聞こえる。
かっと目を見開いたカイは、小道の向こう側のバイテク床に、落書きを見つけた。
――サンも博士だよ。
カイは唇を歪めて薄笑い、冷ややかに見渡した。
高さ三メートルで直径十五センチの幹に、細長い滑らかな枝葉が幾重も伸びているバイテク植木が、二メートル間隔でびっしりと規則正しく植えられている。これらバイテク植木は、常緑樹のシラカシをゲノム操作したバイテク製品だ。そんなバイテク植木の葉が、至る所で風に靡くように揺れている。それは、二足歩行の灰色の毛むくじゃらが、明らかな挙動不審で、バイテク植木の間を忍び足で動いているからだ。
「サン。怪しい奴がいると、バイテク植木がシグナルを発しているぞ。止めないと、とんでもない目に遭うぞ」
忠告するカイだが、表情はこれからどのような展開になるのかと楽しんでいる。
バイテク植木は揺れることでシグナル分子を発散させ、バイテク植木同士で会話をするのだ。
突如、空気を切り裂く音と同時に、バイテク植木の枝葉がしなり、挙動不審のサンの左足を、鞭のように打った。
「痛い」
悲鳴をあげたサンは左足を左手で庇い、右足でけんけんしながらカイの眼前にやってきた。サンの両手は五本の長い指だ。
「それみろ。やられた」
愉快そうにカイは目を細めた。
口をへの字に結んだサンは、不愉快そうにそっぽを向いた。灰色の毛で覆われた全身に、クマの顔、その頭にはウサギの長い耳がある。彼が世界に一匹しかいない、バイテクペットのオリジナルだ。
「カイ。見ていてね」
自信ありげにサンは笑い、短パンを引き上げた。くるりと踵を返し、バイテク植木の中に向かって行く。
「サン。これは今までとは違うぞ」
声を上げたカイに、短パンの切れ目から出る細長い尻尾が、余裕だぜと言うように左右に揺れた。
戻ってきたサンに気付いたバイテク植木は、楕円形の葉をくるくると巻き上げてトゲ状にすると、サンを追っ払おうと鞭のように枝葉をしならせた。
しなった枝葉が、二足歩行のサンの足元を打った。躱したサンがその刹那に、尻尾で枝葉を圧し折った。
ざわざわとバイテク植木が揺れた。その後、数本のバイテク植木とそれらの枝葉が一斉に垂直に伸び上がり、一気に水平に転じた。枝葉で柵を作り、サンを封じ込めたのだ。それと共に、バイテク植木のトゲは、警告するかのように緑色から赤色に変わり、くるくると回った。
これで、サンが枝葉の柵から抜け出すには、青空が見えるバイテク天井、あれに届くくらいの跳躍しかなくなった。
躊躇なくサンは、バイテク天井目掛け、飛び跳ねた。だが、察したバイテク植木の枝葉がしなり、サンの頭上を打った。躱したサンは一旦着地したが、再び飛び跳ねた。だが、別方向からバイテク植木の枝葉が打ってきて、サンはバク宙をして着地した。だがすぐに、サンは飛び跳ねた。またもや、別方向からバイテク植木の枝葉が打ってきて、サンは体を翻して着地した。
めげないサンは、何度もバイテク天井目掛けて飛び跳ね、何度も躱すだけで着地した。
「サン。言っただろ」
カイは得意げな表情だ。防犯用としての試作品であるバイテク植木の活躍に満足しているのだ。
カイの声と口調からその表情を読み取ったサンは、益々負けん気になって、飛び跳ねては躱し続けた。バイテク床はバイテク植木に打たれ穴ぼこだらけだ。
ふと、サンが飛び跳ねるのを止めた。それだけでなく、直立不動になって身動き一つしない。
「気付いたか」
面白くなさそうに唇を歪めたカイだが、行方を見極めようと身を乗り出した。
「バイテク植木が勝つか、サンが勝つか……」
カイの目は関心を抱いている。
バイテク植木は試作品だから設定はされていないが、このまま動かないでいると、バイテク植木から発信されているシグナルを受け取った警備隊が来て、サンは捕まって終わりだ。
カイはサンの次の行動をわくわくするように見守った。
サンが飛び跳ねる振りをした。
しなった枝葉が打った。だが、ほんの少しだけ的がずれていた。サンは躱すこともせずに同じ場所にいるのだが、サンという的に命中していないのだ。
確証を得たサンはにやりとした。
防犯用に作られたバイテク植木は、恐怖心を与える威嚇はしても、重症を負わせるようなことはしないのだ。
サンは直立不動で目を閉じた。髭を水平に伸ばし、耳に神経を集中させる。
かっと目を見開いたサンは、尻尾をぐるぐると回した。
反応したバイテク植木が、枝葉をしならせ打った。
サンは尻尾を切って、バイテク天井目掛けて放り投げた。
高く舞い上がった尻尾に向かって、枝葉はしなって打った。
だが、恐怖心のない尻尾は難無く柵から抜け出し、放物線を描いて右方向に飛んでいった。その尻尾を追い掛け、柵となっていた枝葉が解かれた。
「今だ」
サンは眼前のバイテク植木の左横を抜け、続いて現れたバイテク植木の左横を抜けようとした。
だが、しなった枝葉がサンを打った。と同時に、枝葉が柵となって再びサンを封じ込めた。サンは直立不動でゆっくりと、だが急いで尻尾を再生させていく。
「博士」
呼び掛けに驚いたカイは、バイテク椅子から伸びている蔓に気付いた。音声通信だ。
「博士。ペタです」
「分っている」
蔓先に付いた葉に向かって不満気に言ったカイは、暗に名乗る必要はないと伝えていた。
「今どこだ?」
「ルーム0に届けました」
「持って行ったのか?」
カイは予想していたよりも早い到着に驚いた。それを察したペタが補った。
「前回の通信から数十分後に地球プラットホームに着き、そこからバイテクバブルモーターで、バイテクフューチャーラボまで十数分で着きました」
「そうか。ごくろう」
満足気に言ったカイだが、思い当たったとばかりに、声を潜めて聞いた。
「警察隊には気付かれていないだろうな?」
「大丈夫です。気付かれていません」
安堵の表情を浮かべたカイだが念を押す。
「ルーム0のことも絶対に他言しないように」
「承知しております」
いつものようにペタはてきぱきと答えたが、続く声は感情で揺れていた。
「ルーム0にいる方々は皆、私と同じ身の上でした」
カイは押し黙った。ペタに直接ルーム0に持って行くようにと指示を出した時、プロジェクトの話をするべきだったと後悔したからだ。
沈黙が流れた後、感情を爆発させるペタの声が聞こえてきた。
「私を雇ったのは、バイテク製品反対暴動に巻き込まれた遺族だからですね」
「そうだ」
カイは柔和に、だが力強く返した。
「絶対に成功させて下さい」
拳を握るようなペタの声が聞こえてきた。
ペタは警察隊の選りすぐりの者達によって構成されているINPという部隊に所属している。世界各国を股に掛けて動くペタだから、カイはプロジェクトの要であるバイテク武器作りの材料となる、珍しい遺伝子や貴重な遺伝子の収集の為に雇ったのだ。
「カイ」
呼び掛けるサンの声に、カイは伸びている蔓を掴み取ると、瞬時に引きちぎって通信を終了させた。
「バイテク植木に勝ったよ」
嬉しそうにサンが駆け寄ってくる。
「サン。バイテク植木から逃げ切っただけじゃないか。それで勝ったというのか?」
カイは不満をあらわにした。バイテク植木が無傷であるのが不服なのだ。だが、サンは満面笑みで言った。
「うん。だって、防犯用のバイテク植木から逃げ切ったってことは、泥棒としての目的は果たせたってことだよ。だったら、勝ったって言っていいよね。それに、バイテク植木は善い子だよ。傷つける必要はないよ」
憮然としていたカイが、はっとした顔つきになった。忘れかけていた大事な精神を思い出したからだ。
「そうか」
口元を緩めたカイだが、次の瞬間には、小難しい顔付きになり、すっくと立つと、ドアへ向かって行った。
「カイ。またすぐに来る?」
サンが寂しそうに耳を垂らした。カイは答えることもなく、振り向くこともなく、ドアから出て行った。
廊下を抜けたカイは、バイテクバブルモーターに乗り込んだ。
「ルーム……」
カイの指示を音声通信が遮った。
「博士」
バイテクバブルモーターのバイテク壁から伸びた蔓先の葉から、聞き慣れない女性の声が聞こえ、カイは眉間に皺を寄せて考える。
「博士。映像通信に変更してもよろしいでしょうか?」
全く思い当たらないカイは黙り込んだ。それによって察したのか、女性が恐縮した声で名乗った。
「こちらは地球気象本部です」
思いも寄らない所外からの音声通信だった。
地球気象本部は、各国一体となって、異常気象の解明とそれを未然に防ぎ、地球環境改善の為に設けられている。といっても、異常気象が始まったとされる頃から一世紀が経っての設立だ。こんなにも遅れたのは各国の利害の不一致だが、未だに大なり小なり各国の利害によって揺れていると耳にする。
「カイです。映像通信に変更して下さい」
どのような用件だろうかと、カイは困惑しながら返事をした。
バイテク壁から伸びていた蔓が枯れて落ちると、バイテク壁の一部分が見る間に八インチの画面に分化した。その画面に、真っ白のコスチュームを身に纏った女性が映った。彼女はかしこまった様子でお辞儀をした。
「博士。雷なのですが……」
「雷ですか」
せっかちなカイは、そんな用件かと喋り出した。
「やけに多いので困っています。でも、ここはバイテクドームによって守られていますので、被害というものはないですよ」
暗にバイテク設備をアピールするように言った。
「いえ。そういった件ではなく……」
女性は少々たじろぐような表情を見せて言葉を継いだ。
「雷の件でご意見をお伺いしたく……雷はご覧になられましたか?」
「はあ?」
カイは呆気にとられた。だが頭脳は意図を理解しようと回転している。
女性はカイの表情から、雷を見ていないと読み取ったらしく、畳み掛けるように依頼する。
「博士のご意見もお聞きしたいので、まずはぜひ、雷の観察をお願いいたします」
観察という単語で、カイの頭脳は意図を掴んだ。丁度その時、灯っていた淡い明かりが消えた。映像通信は途切れていないが、落雷だ。すぐに淡い明かりが灯る中、カイは返事をした。
「わかりました。後程連絡します」
「お願いいたします」
女性が深々とお辞儀をするのもお構いなしに、カイは無遠慮に声を上げた。
「映像通信を終了し、ルーム9へ」
バイテクバブルモーターに指示を出して数秒後、ドアは開いた。
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