地球 第二話

 「バイテクコンピュータ。椅子を生成」

 カイの指示でバイテク床から芽が出て、茎が伸び、葉柄が水平に伸びて、巨大な丸い葉ができた。カイはバイテク椅子に深く腰掛けると、胸の前で腕を組み、傍らに立ったチーフを睨むような目付きで見上げた。

 「急激な成長速度による細胞の負担はどうだ? 安定しているか?」

 「細胞の負担は一切なく、安定して成長しています」

 断言したチーフの表情に、一点の曇りもないことを見て取ったカイは、安心したようにバイテク生産ラインに目を向け、口元を緩める。

 「いくらロボットがヒトに近付いたとしても、いくらコンピュータがディープラーニングでヒトの脳を越えたとしても、心を持つことは難しい。だがバイテクならば……乗り越えなければならない課題は山積しているがな」

 カイが珍しく笑った。思わずチーフは緊張していた表情を崩した。

 「博士。バイテクペットの予約が凄いことになっていると聞いています」

 チーフは嬉しそうに声を弾ませた。

 「心に安らぎを与えるペットでありながら、家政婦にもなり警護員にもなり、はたまた小道具を生み出せる尻尾を持っていますからね」

 チーフが謳う声を耳にしながら、カイはバイテクペットを作る為に、数々のバイテクペットの試作品が作り出されてきたことを思い返した。最終的に、家政婦バイテクペットと警護バイテクペットと万能バイテクペットが選ばれ、彼らの遺伝子を組み込んで作り上げられたのが、バイテクペットのオリジナルだ。そう思ったカイの頭脳が、別の場所に飛んだ。

 「バイテクコンピュータ。ルーム5に音声通信」

 カイの指示で、バイテク椅子の端から蔓が伸びる。カイの顔に近寄ると、蔓先に葉を付けた。

 「サン」

 カイが呼び掛けた主は、バイテクペットのオリジナルだ。だが、一向に応答はない。

 「サン」

 思い通りにならないやんちゃな年頃のサンに、カイは苛ついたように怒鳴った。

 「サン。これからそっちへ行くぞ」

 サンからの応答はないまま、カイは伸びている蔓を引きちぎって通信を終了させると、威勢よくバイテク椅子から立った。ドアへ向かっていく。その後ろをチーフが追っかける。つと、カイが振り返った。

 「もし異常が出たら素早く隔離しろ」

 「はい」

 怒鳴ったカイに、チーフは足を止めて返事をした。

 「バイテクバブルモーター」

 大声を上げたカイは、開いたドアからバイテクバブルモーターに乗り込んだ。

 チーフは直立不動のまま、カイの後姿と閉まっていくドアを見送った。

 「ルーム……」

 指示を途中で止めたカイが舌打ちした。灯っていた淡い明かりが消えたのだ。

 「また落雷か……今日は特に多いな」

 何気にカイがバイテク天井を見上げると、淡い明かりが灯った。

 「ルーム5へ」

 カイがバイテクバブルモーターに指示を出してから数秒後、バイテクバブルモーターの音声が響いた。

 「ルーム5に到着しましたが、映像通信が入っています。ドアを開ける前に、映像通信をひらきますか?」

 バイテクバブルモーターの問い掛けが終わるか終らないうちに、カイは映像通信の返事をしていた。

 バイテクバブルモーターのバイテク壁の一部分が、見る間に八インチの画面に分化した。その画面に、朱色の短髪、ぎょろっとした目の男性が映った。彼がペタだ。

 「今どこだ?」

 ペタが発言する前に、カイは尋ねた。

 「宇宙エレベーターです」

 「まだ地球プラットホームに着いていないのか」

 期待していたカイの目が、がっかりしたように興味の色を失くした。

 「切るぞ」

 「待って下さい」

 慌てた形相でペタが言った。前回、途中で切られていたからだ。

 「遺物と一緒に面白いものを見つけました」

 カイが一転、興味深そうな目付きになった。

 「それはなんだ?」

 「論文です」

 ペタの返事に、カイが失望の表情で息巻いた。

 「考古学の論文に興味はない。科学技術の遅れた遺跡などくだらん。未来あるのみだ」

 「ナオキさんとの共同論文です」

 「ナオキ? 宇宙物理学の?」

 「はい」

 宇宙物理学と考古学の共同論文という奇妙な組合せに、カイは一時、呆然となった。興味をそそられ、ゆっくりと口を開く。

 「どういう共同論文だ?」

 「月裏で発見された遺跡は地球に存在していた遺跡……」

 「馬鹿馬鹿しい!」

 大声を張り上げてカイはペタの言葉を遮った。

 「月裏遺跡で発見されたその遺物が届けば、その共同論文が間違っているということがわかる。馬鹿馬鹿しい」

 悪態を吐いたカイだが、内心は裏腹だった。ナオキは侮れないからだ。

 「その共同論文は?」

 「バイテクコピーしました」

 「だったら、貰っておこう。遺物と一緒に、バイテクフューチャーラボのルーム0に持って行ってくれ」

 「はい」

 朱色の短髪がお辞儀するように下に動くのを見届けない間に、カイは指示を出していた。

 「映像通信を終了し、ドアを開けろ」

 ドアが開き、バイテクバブルモーターから出たカイは、箱状の狭い空間にいた。そのバイテク天井が真昼のように明るくなると、鏡張りの空間が見え、そこに紺色のスウェットスーツを着た、白い口髭にスキンヘッドの、がっしりした体躯が映った。カイだ。

 「ルーム5に行くには、ゲノム認証が必要です」

 ルーム5バイテクコンピュータの音声が響いた。

 「声紋認証だけにしておけばよかったな」

 面倒臭そうに言いながらも、なぜか楽しそうにカイは、眼前の鏡に映る自分の顎目掛け、一気にアッパーカットした。

 当たった右手が、するりと鏡の中に入っていった。この鏡は、ゲノム認証するバイテク鏡だ。

 カイの右手が入った部分を中心点として、同心円状に波紋が広がり、バイテク鏡全体に行き渡った。

 「ゲノムを認証しました」

 ルーム5バイテクコンピュータの音声が響いた後、右手が入った部分の上下に、亀裂が一直線に走り、左右に開いた。そのドアから出ると、ルーム5へと続く狭くて長い廊下が見えた。

 「バイテクコンピュータ。カスミソウを咲かせろ」

 カイの指示で、両側にある茶色いバイテク壁にずらりとカスミソウが発芽し、バイテク天井に向かって茎が垂直に伸び、白い小さな花が咲き乱れていった。このバイテク壁は、指示で種種の花を咲かせる。

 カイは足元にある大きなハスの葉の上に立った。ハスの葉はバイテク移動装置で、乗ってから一秒後に動き出す。カイは低速度で満開のカスミソウに包まれた廊下を進みながら、感傷にひたるようにカスミソウを見つめた。

 カスミソウはカイの亡妻が好きだった花だ。

 前方にルーム5のドアが見えてきた。ルーム5はルーム3と同じように、巨大な枝が伸びる部分に位置している。だが、ルーム3と違うのは、出入口となるドアがバイテクバブルモーターのドアではないということだ。ルーム5のドアは枝部分に位置している。だから、狭くて長い廊下があるのだ。

 動きを止めたハスの葉から降りたカイは、ルーム5のドアの前に立った。

 「バイテクコンピュータ。ドアを開けろ」

 カイの声紋を認証し、ドアはゆっくりと開いた。カイは無言のまま、ずかずかと中に入っていく。

 眼前に植木が見える。これらは全て、ゲノム操作されたバイテク植木だ。左の空間は枝先に向かう為に窄んだ状態になり、徐徐に狭い空間になっていくが、右は広い空間が続いている。左も右もバイテク植木が空間を占拠している。床はバイテク植木に必要な栄養と水分が蓄えられているバイテク床だが、見た目は土の地面となんら変わらない。かなりの高さがあるバイテク天井は、透明なバイテク細胞壁で作られたバイテク天井となっている。枝の一部分をバイテク天井にし、陽光が入るようにしているのだ。

 ドアがあるバイテク壁伝いには小道があり、幹部分の輪状空間の中央にある巨大な円柱状のバイテク壁まで続いている。

 「バイテクコンピュータ。椅子を生成」

 小道でカイは指示を出した。

 バイテク壁から芽が出て、茎が垂直に伸び、葉柄が水平に伸びて巨大な丸い葉ができた。このバイテク椅子に、カイは深く腰かけると、腕組みし足組みし目を閉じた。

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