1.23 追う者、助ける者②
その時。
サシャとトールに向いていた切っ先が、不意に逸れる。知らぬ間にサシャとテオの間にいた大柄な影が、テオの剣を持った腕を掴んで持ち上げている。そのことを、トールが理解するのに数瞬掛かった。
「邪魔、す、る……」
大柄な影を睨んだテオの喚きは、大柄な影の無言の圧力に尻すぼみになる。
「貴様っ! 覚えてろよっ!」
大柄な影がテオの腕を離すと同時に、テオは、抜き身の剣とサシャのマントを掴んだまま、陳腐な捨て台詞を残して去って行った。
「あ……」
立ち尽くすサシャが、大柄な影の方へ顔を上げる。
「あの、ありが、と……」
お礼を言いかけたサシャの声は、一足でサシャの眼前に立った大柄な影の圧力に掻き消された。
「この、釦……」
サシャとトールを見下ろした薄色の瞳が、不意に大きくなる。テオの腕の倍以上太い腕が、トールが入っているエプロンの胸ポケットを強く掴んだ。
「この釦を、俺にくれ」
次に響いたのは、不可解な言葉。
[え……?]
言葉の意味を掴み損ね、大柄な人物の、肩で揺れる白に近い金色の髪を見上げる。夕刻の光でもサシャよりは血色が良く見える大柄な影の肌は、トールがこれまでに見てきたこの世界の人々の肌より白い。この人は、もしかして。この世界の本から得た知識を、トールは何とか引っ張り出した。この人は、この北向の地の北方に住む、『
[サシャ?]
血の気を無くしたサシャの頬に、声を掛ける。サシャのエプロンの胸ポケットを掴む大きな手を見つめたまま震え続けるサシャの見開かれた瞳に、トールははたと手を打った。『冬の国』の言葉は、サシャ達が話している言葉とは、違うのか?
[大丈夫だ、サシャ]
サシャに見えるように、背表紙に大文字を踊らせる。
[その人、エプロンの釦が欲しいって言ってるだけだから]
それだけで、分かったのだろう。唇の震えを止めたサシャが、トールに向かって小さく頷く。顔を上げ、大柄な人物を見上げたサシャは、口の端を少しだけ上げ、そして大きく頷いた。
「……!」
サシャの頷きを見た大柄な人物の口の端が、暗さを増した空間でも分かるほどに大きく上がる。サシャからその手を離すと、大柄な人物は腰の短刀を抜き、意外に繊細な動作で、サシャが付けた釦の糸を素早く断ち切った。
「ありがとう」
サシャのエプロンにあった二つの釦が、大柄な人物の腰の袋に収まる。短刀を腰に戻した大柄な人物は、不意に横を向くと、落ちていた不格好な麻袋を拾ってサシャに押しつけた。
「これは、礼だ」
戸惑いに震えるサシャの腕が麻袋を掴むのを確かめもせず、大柄な影が踵を返す音が響く。
[うぐっ……]
ごつごつとした麻袋の中身に押し潰され、トールは思わず悲鳴を上げた。
そのトールの悲鳴が聞こえたのが、サシャの腕から麻袋が滑り落ちる。
[……?]
すっかり暗くなってしまった荒野には、サシャとトールの他には誰も居なかった。
[大丈夫か、サシャ?]
幸いなことに小降りになった雪の間に立ち尽くすサシャに、声を掛ける。
「うん……」
俯いたサシャの頬に流れた涙に、トールは言葉を失った。
[と、とにかく、帰らないと]
それでも何とか、言葉を紡ぐ。
[ユーグさん、心配してる]
「うん」
涙を拭いたサシャが、地面に落ちた麻袋を抱え上げたことに、トールはほっと胸を撫で下ろした。
[袋、重いのか?]
この麻袋の中身は、一体? 再び感じる、麻袋の中身のごつごつと固い感触に、悲鳴を堪えてサシャに尋ねる。
「大丈夫」
抱えやすいように麻袋と腕の位置を調整したサシャは、何とか一歩だけ、歩を進めた。
そのサシャの、唇の震えに、上げそうになった声をどうにか堪える。今日のサシャのエプロンは、トールとサシャが出会った翌日に、サシャがポケットを付け足したもの。だから、あの大柄な人物に渡してしまった、エプロンの胸ポケットに付いていた釦は、サシャの母の唯一の、形見。
[サシャ]
視界を塞ぐ麻袋とサシャのエプロンの間にできた僅かな隙間から、サシャの顔を見上げる。
俯きがちに歩くサシャの、それでも震えが無い身体の熱さに、トールはほっと、息を吐いた。
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