1.14 村からの来訪者①
身体を洗い終えたサシャと共に、森の聖堂へと戻る。
戻ってきた、石造りの小さな聖堂の入り口の前には、三つの影が佇んでいた。
「よお、サシャ」
その影の一人、腰のベルトに小ぶりな斧をぶら下げた、肩幅の広い髭面の男が、戻ってきたサシャに手を上げて挨拶をする。
「あ、ドニさん。お久し振りです」
頭を下げて挨拶を返すサシャの声は、穏やか。知り合い、なのだろう。サシャのエプロンの胸元に位置するポケットの中で、トールはほっと息を吐いた。
「森の村のサシャさんも」
髭面の後ろに居た、背の高い方の影にも、サシャは頭を下げる。
「よお、聖堂のサシャ。相変わらずか細いな」
大きく笑った背の高い男が発した言葉に、トールは小さく首を傾げた。
「『サシャ』って名前、珍しくないんだ」
トールの困惑を見抜いたのか、サシャが小さな声でトールにそう、教えてくれる。亡くなった者は、その者と同じ血の下に生まれ変わるという信仰があるこの世界では、今は亡き高祖父や曾祖父の名前を子供の名付けに使う。現在生きている一族の者と同じ名前を名付けに用いることはできないため、記録に残る先祖の名前を全て使ってしまった後は、国を統べる王や、連合する七つの国をまとめる神帝の名をいただいて用いることもあるという。サシャの名は、この夏に老衰で亡くなった北向王家出身の神帝の名をもらったもの。手短なサシャの言葉に、トールは「分かった」と言うように大きく頷いた。
「紹介させてくれ、サシャ」
小さな声でトールに説明しながら、聖堂の前に佇む三人の方へと近づいたサシャに、背の高い影がもう一人の小柄な影を指し示す。
「川下の村のリュシアン。俺の、その……」
「こいつら、どうしてもここの聖堂で契りを結びたいってんで、連れて来たのさ」
言葉の途中で顔を真っ赤にした背の高い影に、ドニと呼ばれた髭面の男が大きく笑った。
「今、ユーグが準備をしている」
「できましたよ」
ドニの言葉に続いて、聖堂から杖をついたユーグが現れる。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ユーグに頭を下げた背の高い影が、小柄な影の手を掴む。そのまま、しずしずと聖堂の中に入っていった二つの影を、トールは目を瞬かせながら見送った。
「あいつら、契りの言葉、ちゃんと覚えているのか?」
「大丈夫でしょう」
半分だけ閉まった、聖堂の重そうな扉の影から中を覗き込むドニに、ユーグが頷く。サシャも、ドニと同じように扉の影から聖堂内部を覗き込んでいるので、トールにも、仄暗い聖堂の内部が見えた。窓は全て雨戸かカーテンで塞がれているらしく、聖堂奥の祭壇の上にある丸いステンドグラスから差し込んでいる光のみが、祭壇の前に跪く二つの影を照らしている。寄り添っているように見える二つの影は、祈っているようにしか見えない。これが『契りを結ぶ』ということなのだろうか? 動かない、聖堂の中の二つの影に、トールは目を瞬かせた。
「これが、『契り』だよ、トール」
僅かに興奮したサシャの囁きが、耳を揺らす。
「神に祈り、誓いを立てることで、二人のどちらかに子供ができるんだ」
[どちらか? 決まってないのか?]
「決めるのは神様」
トールの戸惑いに、サシャは当然という顔で回答を紡いだ。
「母上も、叔父上も、マルタンお祖父様の配偶者の方が身籠もって産んだんだって」
だが。次に響いた、悲しみを帯びたサシャの声に、はっとしてサシャを見上げる。
「お祖父様の配偶者は、叔父上を産んだ後で、身体を弱くして亡くなったんだって、お祖父様、言ってた」
サシャの小さな声が、トールの耳を強く打った。
「神様のことは責めなかったけど、身体が丈夫な自分が子供を身籠もらなかったこと、お祖父様、ずっと悲しんでた」
小さく首を振ったサシャに、頷くことしかできない。
「やっとあいつも、契りを結ぶ気になってくれて良かったぜ」
そのトールの耳に、扉の影から離れたドニの太い声が響く。
「契りを結べば、子供ができますからね」
自分が身籠もれば、やりたいことができなくなるかもしれない。相手が身籠もっても、産み育てる責任は変わらない。トールが生きていた世界と大体において同じことを呟いたユーグに、トールの心はすとんと落ち着いた。この場所には、男女の区別が無い。それが、違うだけだ。
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