恋彩るは朝の天使

楸(ひさぎ)

ふたりの距離


「ずっと前から、好きだったんです」


 夕日が差し込む部屋。慣れ親しんだベッドの上なのに、彼女がそこに居るだけで、まるで違う部屋のように落ち着かない。


 がばり、と、突然彼女が俺の肩を押し覆いかぶさってきた。抵抗する間もなく、彼女との距離は残り数センチ。火照った彼女の顔は、いつもと違う側面を、俺の知らない「女」の一面を否応なく意識させ────。


「ねぇ、悠琉はるさんの好きにして、良いんですよ……?」


 むにゅ、と胸に柔らかい感触。それが何かなど考えるまでもなく、ちろり、と俺の首筋を彼女の舌が走り、唇が────。


「─────────」


 ───────ビピピピピピピピピピビピピピピピピビピピピ!!!!


「────……夢かよ」


 がりがりと頭を掻きながら俺はベッドから起き上がる。枕元でスマホがけたたましい音を流しながら震えていた。画面には「スヌーズ中」の文字。


「いや……いくら夢っていっても」


 あれは俺の願望か?それともただの欲求不満か?


「あれは……」


 ふぅ、とため息。


「……まずいだろ……」


 色々な要因で重い体を引きずるように、大学へ行く準備をする。ひとり暮らしにしては豪華な1LDKを用意してくれた親に感謝しながら朝食(自炊。偉い)を食べ、着替えを済ませて玄関へ。


「いるんだろうなぁ、やっぱ」


 嫌ならこの時間に家を出なければ良いのだが、しかし避けられていると思われるのもいやだ。


「しかし、あんな夢見たあとだし……」


 だが時間を遅らせれば講義に遅れるのだ。選択肢は無い。


「平常心……!」


 ガチャりと、ドアを開ける。すぐ右隣の部屋を見ると、やはりというか、彼女が同じように出てくるところだった。


 このマンションからほど近い高校の制服に身を包み、ショートの黒髪に端正な顔立ち。清楚さとあざとさを合わせ持つ彼女はさっきまであんなにベッドの上で乱れて…………いや違った。おい意識するな俺。


 彼女はローファーをとんとん、とつま先で整えてから、俺に話しかける。無表情に近いながらも、とても魅力的な笑顔で。



「────おはようございます」



 やっぱ、まずいな。



 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



「何がまずいんだよ」


「……話聞いてた?」


 ここは俺が通う大学の一角。横文字のオシャレな名前がついているものの皆面倒くさがって「学食」と呼ぶここで、俺は友人に相談していた。


「一人暮らししてる悠琉はるの部屋の隣に引っ越してきたのが高校一年生の女の子で、何故か毎朝鉢合わせるその子が無茶苦茶タイプでエロい夢まで見てしまうほど好きってことだろ?いいじゃねえか」


「良くない、全然良くない」


「いやなんでだよ、逆にチャンスだろ?適当な飯持って「これ余ったのでお裾分けです」とか言って部屋に上がり込んでそのまま口説いてベッドに押し倒して」


「お前犯罪って知ってる……?」


 やめようか、こいつに相談するの。


「流石にそこまでしろとは言わんが、普通にアタックすればいいじゃんか」


「あのなぁ……」


 それが出来たら苦労してない。


「なんだよ悠琉」


「相手は五歳年下の高校一年生だぞ?」


「うむ」


「俺らの所属学部は?」


「教育学部」


「そして俺の希望進路は?」


「高校教師」


「な、問題大アリだ」


「お前ほんと変なところで頭固いよな……」


 心底面倒くさそうな顔をする友人。


「それに、ほら……」


「ん?」


「どうせ片思いなんだし……告白とか、あれだ、俺には無理だし」


「うぇっ……」


 面倒くさそうな顔が今度は気持ち悪い物を見る目に変わる。なんなんだよ。


「ま、告白云々に関しては「くそヘタレお子ちゃま野郎」と罵りたいが」


「やめてください心が死ぬ」



「────片思いってところに関しては、どうだろうな」



 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



「ねね、どんなかんじなの?例の彼とは」


「どんなって……普通だよ、朝会うくらい」


 なんでも先生が風邪を引いたとかで自習になった六時間目。監督の先生がいない上、今日最後の授業ということもあって、教室はそこそこガヤガヤとしている。


「朝って……」


「隣人さんが家を出る時間に、私も家を出るの」


「……あおいって怖いよね」


「そうかな?」


 そんなことないと思うけど。


「それはともかく、その大学生の人は落とせそうなの?」


「落とせるって……私は今のままで十分……」


「またそんなことを……」


 私の数少ない友人は厳しい顔をしながらびしり、と人差し指を向けてきた。


「いい?葵」


「なに」


「その年上のイケメンを何としても手に入れなさい!」


「…………私イケメンとは言ってないんだけど」


「年上の彼への叶わぬ恋……恋い焦がれる乙女は夜な夜な月に願うの……「どうか彼が私のことを好きになってくれますように……」って!」


 手を組み、うるうると目を輝かせる友人もといロマンチスト馬鹿。この子の中で私はどうなっているのだろうか。


「そんなことする訳ないでしょ……妄想爆発させるのは脳内だけにしようね」


「案外叶うかもよ?」


「まさか」


「でも、このままただのお隣さんじゃ嫌なんでしょ?」


「……まあ、そうだけど」


「なら、行動は大胆に、だよ!!」


「大胆、ね……」



 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈




「なんか疲れた……」


 あの後彼女について根掘り葉掘り聞かれた挙句、講義に遅れるという事件があった。馬鹿か……。


 家の最寄り駅で降り、徒歩5分。夜は7時を回っており、夜空にはまんまるな月が煌々と輝いている。今日は満月なのか。


 近道になるためよく通っている公園をいつものように通り抜けようとして、俺は気づいた。



 誰もいない小さな公園、その真ん中で、小さく細い手をぎゅっと胸の前で握り、月を見上げ目を瞑る隣の部屋の彼女を。



 満月の明かりをスポットライトのように浴びた彼女は、触れたら壊れそうな危うさを持っていて。その肢体なはまだ幼さが残っているのに、不思議な艶めかしさが垣間見えて。



 目が、離せない──。



 一瞬とも、永遠ともつかない時間が過ぎ、彼女はゆっくりと手を解き、振り返って、自分をじっと見つめる隣人に気がついた。


「……えっ……」


 俺が見ていることに今の今まで気が付いていなかったのだろう、無表情な彼女にしては珍しく、薄い月明かりでも分かるほどその整った顔を赤らめた。


「……あ、いや!ごめん!」


 何がごめんなのか。


「…………隣の、小鳥遊さん」


 多少赤らみが引いた彼女は、ゆっくりとそう尋ねてきた。


「え、えっと……東雲さん……だよね」


「はい」


「……………………」


「……………………」


 なぜかお互いの名前の確認、からの無言。


 なにか話さないとと思っているのに、口が上手く動かない。心臓はさっきからバクバクとうるさいほどに高鳴って、今にも飛び出そうだ。


 沈黙が肌に刺さるように痛い。なにか、なにか……。


「「────あの!」」


 綺麗に、彼女と被ってしまった。


「ふふっ」


「あははっ」


 可笑しくなって、二人で笑い合う。静かに、でも無邪気に笑う彼女の横顔を見て、すとん、と自分の気持ちに整理がついた。


 この笑顔を独り占め出来たら、と。


「────どう、しました?」


 急に真剣な顔になった俺を訝しみ、彼女は俺の顔を覗き込んできた。突然の近距離に少し狼狽える。あー、かっこ悪い。


「……ええと、これから家に帰るところ……ですよね」


「あ、はい、そうですけど」


「なら、一緒に帰りませんか?」


 突然の彼女からのお誘い。いつの間にか彼女の顔はいつもの無表情に戻っていた。


「────ええ、僕で良ければ」


 満月の夜、俺達は並んで歩き出した。


 二人の間に空いている人一人分程の距離は、これから埋めていくとしよう。




 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈




 そんなこと私に限って無い、と思っていたのだけれど。


 初めのうちは寂しくて、怖くて、人生初の孤独が私を蝕んでいた。


 期待と不安が入り交じって重苦しい体を無理やり引き摺って、玄関へと向かう。


 最後に鏡で身なりを整える。汚れひとつない制服。表情の変わらない私。


 息をひとつ吐いて、扉を開けた。



「──おはよう、ございます」


 声を、掛けられた。左隣の人だ、確か大学生。


 あまり男の人と話すのは得意じゃない。軽く会釈して離れようとして──。


「────その制服、近くのあの高校ですよね。確か今日入学式の。あ、えっと、頑張ってくださいね!」


 するりと、重い気持ちが霧散していくようだった。


 ただの一言でこんなに楽になるのか。と。


 ぎこちないながらもにこやかに笑う彼を見て、今度は心の別の部分が、とくとくと鼓動を刻み始めた気がした────。




 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈




「……どうしたんですか?」


 公園から家までの短い帰り道、突然俺の顔を見て天使のように笑った彼女にドキマギしながらそう尋ねる。


「いいえ、少し昔のことを思い出しただけです」


 また彼女が俺に笑いかける。それだけで周りの景色が華やぐようだ。


 まるで、俺のことが好きなのではないか、と勘違いしてしまいそうになる程に。


「今度、おかずのお裾分けを持って行ってもいいですか?少し余っちゃって」


 その言葉で思わず友人のあの言葉を思いだす。いやいや違う違うそういうのじゃない多分。


「ありがとうございます、是非」


 いつの間にかお互いの部屋の前にたどり着いていた。名残惜しさを隠して、自分の部屋のドアを開ける。


 でも大丈夫、きっと────。


「では、また」


「ええ、また」




 明日の朝、きっと会えるから。
















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恋彩るは朝の天使 楸(ひさぎ) @riku3106

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