ハナ ノ柒
大家と語らい、其して男と語らい
青年は西洋料理店を後にした
そうして、直ぐに表情を改める
(後は)
青年は真摯な、いっそ険しいとも云える面持ちを浮かべて病院へ-
友人が入院をする病院へと、足を運んだ
病棟の白さと清潔さが
今は妙な程の重苦しさを感じさせる
「亦、来たのか」
「来るなと言った筈だ」
息急き友人の病室を訪れた青年を出迎えたのは
至極苦く向けられる言葉であった
友人の仲間は、後輩達は
酷く忌々しげに青年を見据える
「何度来たって、面会なんぞ許す物か。お前に構って居られる余裕なんざ無い」
「先生が今何れ程苦しんで居られると思っているのか。お前の面なんて見せられる物か」
「分かっているよ。今は面会が赦されない事を」
其う言うと青年は彼等に深く頭を下げた
仲間達の視線が、青年に刺さる
「其れなら何故、此処へおめおめと顔を出しやがったんだ」
「君達に詫びを入れる為だ」
「何を、今更何を抜かすか」
罵りの言葉に青年は頷く
「確かに、不義を詫びるには遅すぎるのかもしれない。けれど詫びねば何時までも君達との縁は断たれた儘だ」
「虫の良い話ばかり言いやがる」
「其う聞こえるだろうか」
「当たり前だろうが」
「-」
青年は再び頷き
再び、皆々へと頭を下げる
「総て赦してくれ。とまでは言わない、けれど、如何かせめて-少しばかりの歩み寄りを、許される程には」
仲間の一人が、青年の胸倉を掴んだ
青年は抗う事無く只、静かに己を掴み上げる仲間を見遣る
「如何すれば、君達の怒りは収まるのだろうか」
青年は静かに、只静かに問う
膠無き、と云った風に仲間は答えた
「何かをすれば収まる、なんて都合良く行くと思うか。心が其う簡単に晴れると思うか」
「思わないよ」
「其れなら分かるだろうが」
「嗚呼、分かる。分かるよ-其れでも、僕は……少しでも、ほんの少しでも、君達の気持ちを、心を晴らしたい。其の為ならば、何でも」
青年の胸倉を掴み、絞める力が強まる
青年は唯、静かに其の所作を受け入れた
「何故其う思う」
「-ずっと、其うしなければならないと思っていた」
「何」
「僕は、誰にも相談をしなかった。咎められる事が、口論となる事が、ぶつかり合う事が恐くて-」
青年は真摯な面持ちを以ち、己を睨む相手をじっと見上げる
「僕はずっと、逃げて来た。凡ての事柄から」
青年を掴む相手の表情は尚、険しくなる
「生活の為とは云え、君達よりも先に出る事を、其れを批難される事を懼れて僕は、君達と顔を合わせる事からも逃げた」
青年は、言葉を続けた
「僕は、君達との絆を自ら壊してしまった-だからせめて、何らかの償いをしたい。君達の心が少しでも晴れる様に……出来る事を、心からの詫びを」
「……」
周りの皆々が、黙りこくる
青年の胸倉を掴む仲間がぽつり、と青年へと問いを向けた
「お前はさっき、俺達の心が晴れるなら、何でもと言った。本当か」
青年は深く、頷く
「勿論だよ、二言は無い」
仲間は其んな青年に頷き相槌を打つと、静かに溜息を漏らした
白い寝台の薬臭さも、固さも
長らく過ごしても慣れはせず
青年と懇意に在った友人は只、物憂く
其の身を横たえて居た
病室の扉を軽く叩く音がする
-見舞いも、世話も
もう、うんざりだ
痩せ、枯れた様になった筈の躯は酷く重く
治療だの回復だのと云う言葉が非常に莫迦げた物の様にしか考えられなく在った
故、友人はノック音を完全に無視し
黙って天井を見詰め続けた
「失礼するよ」
友人が返事の声を上げずとも、ノックの主は扉を開けて静かに病室へと立ち入って来る
其の声に友人は驚き、
相手の顔を見て二度、驚いた
「-お前」
来訪者は、青年であった
青年は、友人を見て嬉し気に彼へ歩み寄る
友人は驚愕に顔を強張らせた儘、彼を見ていた
「一体、どうしたってんだ」
「君の見舞いに来たんだ」
「莫迦、其うじゃねえ。其の顔はどうしたって聞いてんだ」
「ああ-」
青年は、腫れた口端を上げて笑う
「僕なりの、けじめを着けたんだ」
「けじめだと?」
「うん、其うしなければ僕は君にこうして会う事が出来ないと-文學結社を作った皆々ともきちんと話が出来ないと思ったから」
「だからって、お前。顔を、此んなに-」
笑う青年とは対称的に、友人は顔を悲痛に歪めた
「……馬鹿野郎。今更、見舞いなんざしても仕方ねえだろうが」
友人が小さく震える手を、青年に伸ばす
痣の出来た目元へ、赤くなった頬へ
青年は其の手をしかと握り締めた
「如何しても君に会いかった。会って、僕の口から伝えたかった」
「何を、だい」
手を繋いだ儘、青年は友人の寝台の傍らで膝を着き、彼の顔の程近くで語り掛ける
「多くの文士が君を支援してくれる事になったんだ」
「何」
「君を治す事が出来そうな医師を、病院を。心当りに掛合ってくれる-其の為に必要な御金の援助も」
「……お前が、話を着けたのか」
青年は小さく首を横に振る
「僕は只、御願いに向かっただけだよ。皆へ大きく呼び掛けたのは、大家の先生だ」
「其うだとしても、お前」
友人も首を振り、表情を歪める
「如何して、此んな-」
「僕は」
友人が紡ぎかけた疑問を、青年の声が遮る
「僕は、ずっと君に甘えて、君に助けられるばかりだった。何も、何も君に御返しを出来ぬ儘」
「……」
友人が口を閉ざした
閉ざし、閉ざして
其うしてゆっくりと、懸命に身体に力を入れて身を起こそうとした
青年は其れを助け、彼の身を抱く様にして、座らせる
小さく、吐息を漏らし
友人が口を動かす
「俺は」
深い、溜息
「俺は、お前に何らかの恩返しを求めて、其うしていた訳ではなかったんだよ」
青年が頷く
「うん、其れは分かっている」
「……お前が、また文士として花咲かせられる様になった時は、本当に嬉しかった」
「うん……君には本当に、感謝しているよ」
「……けれど、俺は此んな身体になって。文士としての活躍も出来なくなって-お前に、何もしてやれなくなって。其れで、もう俺は用済みだと……何もしてやれねえ俺は、此の儘消えるべきなんだと。其う、思った、思っていた」
友人の言葉に、青年は頷き相槌を打つ
其して溜息一つ、言葉を返した
「-莫迦だよ、君は。僕が何かを貰う事を求めて君との再会を慶んで、共に在りたいと思っていたとでも?」
「其れ、は」
友人の戸惑う様な声
青年は友人の身体をしかと、抱き締めた
「僕は唯、君と在りたかったんだ。ずっと-僕が一人、身勝手に君達と築いた文學結社から離れた後も、ずっと、ずっと-唯、君と共に在りたかった。喜び、哀しみ、喧嘩-いろいろの事が出来れば、どれだけ良いだろうか、と思っていた」
「……」
友人の腕が、青年の背に回る
背に触れる温もりに、青年は少し笑う
青年は言った
「本当に、本当に君がしてくれた事-君が、僕の支えになってくれた事に心から感謝している。だからこそ、僕は君の為に何かを御返ししたいと思った、何とぶつかり合っても恐れぬ程に……僕はやっと、やっと。怖くて逃げていた気持ちと、向き合えたんだ……君の、御陰で」
青年は、腫れた瞼を、瞳を細めた
「だから今度は、僕が君を助ける番だ-友達の……大切な人の辛い時に、やっと、力になれる」
其う言い、青年は友人の背を優しく、優しく撫でる
「……お前、だって」
友人は、今では頼りなくなった其の身を青年に預けて目を閉じた
「お前だって、莫迦じゃねえか。小綺麗な顔を、此んなまでして」
閉ざされた瞼は微か震え、眼尻には光る物が滲む
「うん、僕は馬鹿だ。莫迦だ」
青年は、彼の髪に愛おしく頬を寄せた
「きっと、君の事だから-君が大事で、莫迦になったんだ」
青年は友人を抱き締めた儘、言う
「ねえ、僕、頑張るよ。此からもっと-もっと……だから君も、頑張って-病気と、戦って」
「……ああ」
友人は青年の腕の中頷き、頷き
幾度も頷いた
「約束、したのだから」
-一緒に、桜を見に行こうって
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