ハナ ノ肆

「報道屋さんが連れ帰って下さったから良かった様な物を」


病院に戻るや医師と看護婦から大目玉を食らい

次の朝には交代で世話に来た文士-青年と友人にとっては後輩である彼にも散々に小言を言われたものである


昼近くとなっても世話を焼きつつも未だ喧々と友人を叱る後輩に

友人は半ばうんざりした様な面持ちで寝台に横になり、蒲団を鼻先まで被っていた


「聞けば先生、亦、彼奴の所に行っておられたと云うでは御座いませんか」

「……ああ、其うだが」

「何故、其うも。御身体を押してまで、其の様な事をなさったのですか」

「さて、何故だったかナア」

険しい顔で向けた後輩の問いの言葉に

友人はぽつり、小さく相手を見ずに視線を天井へ向けたまま、鮸膠無き答を返した


其の反応に、後輩は密やかに溜息を零す


「まあ兎に角ですね、先生。病院を抜け出すのはもう御止め下さい、御身体に障ります」

「ああ分かってるよ、そう何度も言うモンじゃあないよ」

諄いなぁ、と友人は布団から手を出して後輩に向かい軽く振った


「行かないさ-もう」



其から昼が過ぎ、検査と投薬が終わり

刻は夕方へと近付いて行く


友人は寝台に身を横たえたまま

只、為すが儘になり時を過ごす


独特な薬剤の匂い、温みのある空気の匂い

遠く微か聞こえる金属の音

重い、體


「ああ良かった、面会時間に間に合った」

疲弊混じる声色の呟きと共に病室の扉が開け放たれて、友人のよくよく知る人物が部屋へと息せき重い足で入って来る


「……何だい、久し振りじゃねえか」

友人は見舞客をちらと見て、薄く笑い挨拶を送った


「ああ、本当に久し振りだね」

相手は-同僚はハンケチで汗を拭いつつ挨拶を返して友人に歩み寄り、すとんと椅子へ腰を落とした

「なかなか忙しくてね、やっと君の見舞いに来る事が出来たよ」

「別に、無理して来てくれなくても良かったんだよ」

「其う邪険にしないでも」

「邪険って訳じゃあねえよ。只、仕事が立て込んで居るだろって事を言ってんだ」

「ああ。其れでも一度は顔を出したかったんだよ」

同僚が肩を竦めて笑う

「幼馴染、とまではいかなくとも、僕も君と-彼と肩を並べた同志なんだから」

「-」

友人は一度口を噤むと頷き

其うしてゆっくりと身を起こす


ふらつく其の身体を同僚は支え、彼が背を寝台の頭側のパイプ部分へと凭れさせられる様、介助をした


「具合は良くない様子だね」

「其りゃあそうさ」

心配気に声を向ける同僚に、友人はふふと笑う

「-悪くなる、一方なんだからよ」


今度は同僚が一度、口を噤む


「……君と、彼と出会ったのは、大学の予備門の頃だったかな」

次に同僚が口にした、全くと変わった話題に友人は目を細めて頷く

「ああ、其うだったな。あの時、文學結社を作ろうと俺達で有志を募って、其れで」

「うん、君達が中心に為って居た」

「お前もだろうに」

「あの時、文士とも並ぶ程の綴りを成せた花形は、君達二人だったろう」

「……さて。どうだったか、あいつ-彼奴の一人舞台だった気もするがね」

「何だい、随分と遠慮した事を言うね。寵児と呼ばれて今尚、人気高い文學同人を世に広めて居ると云うのに」

「むず痒い事を言ってくれるな」

「何も何も、事実だろうに」


はっ、と友人が溜息をつき苦笑を浮かべる

同僚も少しばかりの笑みを見せた


「病院を抜け出して、彼に逢いに行ったんだって?」

「ああ」

物憂げに頷くと、友人は同僚をじとりと見遣った

「もしやして、お前まで俺に『何故、身体を押してまで』なんて言うんじゃないだろうな」

「まさか、逢いに行きたかった理由なら直ぐに分かったさ」

同僚は首を横に振った

「此んな時だからこそ、逢いたかったんだろう?君の只一人の幼馴染に」

「-さて」

言葉に友人は視線を遠く朧と向け、かくりと首の力を抜く

「何だろうナァ。逢いたかった-と言やぁ逢いたかった」


項垂れ、顔の見えぬ友人は何故だろうか、随分と憔悴した様に見えた

同僚が部屋を訪れた頃よりも


「何か遭ったのかい。彼に何か言われたのかい」

「否、そうじゃあない。只、なあ」

「何だい」

言葉を急く様に同僚が少しばかり友人に身を寄せると、友人は自身の額に手を押し当てた

「色々な事が、よく分からなくなっちまった。訳が分からない-否、分かっているのかもしれねえ」

「其うかい」

同僚は労わる様に友人の肩に手を添えて撫ぜた

多くを、深くを問う事も無く


「嗚呼、もうこんな時間だ。戻らないといけない」

「仕事かい」

「うん、慌ただしくて済まないね」

「否、良いさ。忙しいのは良い事だ」

「有難う、其れでは亦」


同僚は椅子から立ち上がり一礼を致し

戸口まで向かってから一度友人を振り返って言葉を遺した


「君は、もっと肩の力を抜いた方が良いだろうね」




其れから刻は過ぎ



「夜半に悪いね」

仄灯り灯る座敷へと通され、同僚は笑顔で頭を下げた

青年は気にするなとばかり、同じく笑顔で手を振る

「否、僕は良いよ。……君が来てくれると思わなかったから、嬉しいよ」

「御祖母様は随分とお冠だった様だよ」

「ああ、御祖母様は大丈夫だよ。君が手土産に持って来てくれたかすていらで機嫌が良くなって居たから」

「おや、そうかい。まあ本場長崎と謳っている奴だからね」

「うん、有難う」


其れからは暫し、他愛無き会話が続き

昔話-予備門の頃の

青年と同僚が初めて出会った頃の話題へと流れた時


「ああ、そうだ」

同僚はふと思い出したと手を打つ

「今日は、見舞いに行ってね」

「御見舞い?」

「ああ、『彼』の」

「其うなんだね……其れで、彼の容態は如何だった?」

「心配かい」

「当たり前だよ……」


困惑気味に青年が言葉を返すと、同僚はふっふっと身を揺らして笑った


「其れなら、君自身が見舞いへ行ったら如何だい」

「ああ、うん。無論、明日にでも行くつもりだったよ」

「其うかい、良かった」

「『良かった』って?」

「……」


同僚は青年の問いに対しては沈黙を致し

す、と静かに立ち上がった


「さて、明日も早いから、僕はこれにて失礼しよう」

「ねえ、君……」


呼び止めた同僚から向けられたのは嬉し気な、併し悪戯めく笑顔


其れのみであった。



-其の翌日

青年は、友人の見舞いへと向かった


門下や昨夜己の元を訪れた彼以外の同僚と顔を合わせる事となれば何を言われるか、という不安や恐怖は有った

併し、其れ以上に彼を-友人を案ずる気持ちが有った


遠慮がちに青年は病院の廊下を歩く

彼の人-友人の病室へ向かって


廊下突き当りを右に曲がれば友人の病室が在る

其の廊下を歩く途中、青年の耳にふっと話し声が聞こえて来た


「先生の塩梅は一向に良くならない様だが」

其の言葉に青年は足をひた、と止める


「良くならぬ処か、悪くなり行く一方だ」

声が、聞こえる

「此の病院で施療を致すには難が有るらしいな、もう少し優れた医師の居る-良き院に移れたなら」

「院を移ったとして、今以上に優れた治療が出来る医師が居るのかい」

「其れは、分からない。併しもっと大きな病院なら」

「だが、其れは入院費も治療費も難しいだろうに」

「嗚呼。併し、此処に措いても入院の費用は日に日に嵩むものだ」

「金、か-先生も今は御自身の作を御書きにならない。今は細々翻訳の仕事をする程で」

「其れも代筆した輩へ割く賃金で、手に残るのは微々たる物だ」

「我々が援助出来れば良いと云うに、口惜しい」

「嗚呼、資金繰り出来る程に名を上げては居ない、未だに」

「我々は、先生に数多の世話になったと云うのに-」


切な声、絞る声、重い声


青年は沈痛な面持ちを浮かべ

其うしてそっと、手に抱えて居た見舞いの品を床へと置き


廊下向こうで会話をしている彼等が気付く様にとそうっと押し




そして、足早に病院を立ち去った

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る