ハナ ノ参

「ああ、矢張り此方に居られましたか」

彼の、蛇の様な

報道屋の男が薄い笑みを湛えて青年と友人の元へと歩み寄って来る


「如何して、此処へ」

青年が困惑も露に男に言う

「先生を探して居たのですよ。復、病院を抜け出されて-サア、戻りましょう」

二人へ其う語り掛けると、男は友人の方へと手を伸ばした


だが友人は青年の身体を抱いた儘、身を退く


「俺ではなく、こいつに用事だったんじゃあないのか」

「イイエ、私は只先生へ用向きが。先生、御戻り下さいな。此の様な処が皆に知れたら如何致しますか-此の様な、逢瀬の御姿。周囲は何と思うでしょうね」

「下衆な勘繰りをするんじゃあねえ。其れにだ、如何してお前、此んな夜中に俺を探す用事があるんだ」

友人が男を睨み言うと、男は肩を揺らして笑った

「勘繰りも何も、其の様に抱擁をなさって。先も彼が先生へ何ヤラ致そうとしていらっしゃったのでは御座いませんか」

青年はハッとして、慌て友人を抱いた腕を解く

友人も一応と青年を抱く腕を緩めるものの、青年を離しはせず

酷く訝し気に男を見据えたままに言葉を返した

「何ともマア、とんでもねえ考察を致す物だねえ。さては、其ういった欲を溜めておいでかね」

「まさか、御冗談を。私は只、眼に映った儘を申し上げたまでで」

「嗚呼、もう良いや。何時も何時も同じ水掛け問答ばかりじゃねえかい、飽きた。其れで、何故わざわざ俺を夜半に探して居たよ。未だ其の理由を聞いちゃねえぞ」

「エエ、昼間御見舞いを致した後に、もしやすると先生が亦、病院を抜け出されて彼に逢いに行くのではと思いましてね-同僚の皆様や門下の方々が御気付きになられ心配されるより前、先生を御連れしなければと考えて此の場へと参った次第です」

「へえ、其れは親切な事で」

小馬鹿にするかの様な調子で友人が言葉を返すも

男は只、ゆったりとした笑顔を見せるだけであった

「御分かり頂けましたか、では病院まで戻りましょう」

「アンタと二人でかい……何とも、気の進まねえ」

「我儘を仰いますな、介助の手無く院へと戻れますかな」

「行きは一人だったんだ、帰りも一人で問題ねえさ」

「併し先日は彼の手を借りたでしょうに。其う私を毛嫌いなさらずとも」

「毛嫌いされる心当たりがねえってえなら相当目出度い事だなぁ」

「心当たり無き訳では御座いませんが、考えても御覧なさいな、先生」

「何をだい」

「其処の彼が付き添い、院へ戻ったら-貴方の御仲間、何方かに其の御姿を見られたら、如何為りますかね」

「……」


友人は苦く眉を寄せ、青年は戸惑いの色を浮かべる

男は再び友人へ向かい手を差し伸べた

「さあ、先生-病院まで御連れ致します」


青年に触れる友人の手に、指に些かの力が籠るのが伝わる

青年は友人の胸に手を添えるとそ、と押し其の身を離した


其うして、報道屋の男に言葉を向ける

「彼を、宜しく御願い致します」

報道屋の男は柔らかい笑顔で頷いた

「エエ、無論。責任を以て御送り致しますとも」


友人は青年に押される儘に離れ行き、男に手を取られるが儘となり乍らに

其の瞳を刹那、寂しげに青年へと向ける


青年も又、彼を儚く見つめるが

併し其れもほんの僅かばかりの間


青年は直ぐに友人から視線を外した


「-」

言葉を紡ぐべく友人は口を開くが、何事も言わずに口を閉ざし

そうして青年に背を向けた


青年は彼を其の場で見送る


「-御見舞いに、行くから」

青年が言う

「-ああ、待ってるよ」

友人は短く相槌を打つと、其の儘

青年の元を立ち去った


一度も、振り向く事無く



男と友人が去った後も

青年は長く其の場に佇んで居た


二人の姿が無くなった庭先の青暗い闇

青年は其の色見に何とも云えぬ肌寒さを感じ

胸中に在る諸々の不安をじわじわと膨らませて行った




「併し、マア-此うも思い通りと成りますとは」

友人に手を貸し、夜道を歩き乍、男が呟いた

其の悦を含む音を聴き、友人はちらと男を見遣り言葉を返す

「何が言いてえ」

男も友人をちらと見遣ると、笑いを交えて答えた

「焚き付ければ直ぐに、彼の元へ行かれると思うて居りましたよ」


友人の眉間に微か、皺が寄る


「其りゃア行くだろうよ。誰ぞに気味の悪い事など致されたと聴きゃあ、身を案じるって物だろうに」

「エエ、エエ。其うでしょうね。其れで先生、彼は何と」

「あんたが云う様な代償なぞ、払っちゃねえとさ」

「其うですか-其れで、私と彼、何方の言い分を信用なさるので」

「……あいつの言葉に決まってるだろう」

「オヤ其うですか」

クックッと男が愉快気に肩を揺らす

「何が可笑しいね」

「イエ。恋は盲目、とはよく云った物ですなと」

「莫迦を言うね、何を以て恋だ」

「彼の不埒さを露程も認めぬ辺りですとも」

「何が不埒だ、あいつに其の様な様子は何ら見えねえ」

「御気づきで御座いませんか、先生」

「-回り諄いのは、アンタの悪い癖だな」

「失敬、では飾らず御話を致しましょうか。……先生、先程彼は、貴方に如何な反応を見せましたかね」

「如何な?……何時もと、変わらねえ。只、アンタに虐め抜かれてすっかりと気の弱くなっちまった様子のあいつだっただろう」

「其れだけでしょうかね」

「何だ」

「其の気弱な彼は、如何致しましたかね-先程、彼は貴方の身体を自ら押して離されましたでしょう」

「其がどうしたってんだ」

「貴方が、彼に縋る様に彼に触れておられたと云うのに、彼は貴方を容易く突き放しなさって」

「身を案じてくれただけだろう-早く、病院に戻る様にと」

「其う、そうですね。貴方を、早く病院へ送り返したかった」

友人の言葉に男はいちいちと深く頷き相槌を打ち

声を落として、耳元に囁いた


「-最早、貴方に頼るべき力は無いのだ、と」


友人の表情が、身体が強張る

男は優しく、至って優しく友人の肩を抱いた

「先生、私はね。知り得て頂きたくあったのですよ、彼という青年の心根を-貴方は随分と彼の為に尽力したでしょうに、其れなのに、如何ですか」

「……」


友人は静かに、深く息を吐く

其の呼気は微かな震えを帯びている


「御寒いのですか」

「-少し」

「其うですか、では早く病院に戻って暖を摂らねば」

「-ああ」


男の腕が、友人を護る様に回され

支え歩く歩調が少し速まる



仄暗い夜道の中

病院の建物が見えて来た-


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