ハナ ノ弐

世は、作は論評に左右されるばかりであり

其が果して、是迄にも幾人の文士を地に埋もれさせて来た事であろうか


風前之灯

青年も又、文士としての其の身を地に埋められつつあった


筆を走らせ、文章を綴る青年

-もう、「文士」としての名は霞と成り得て居るのかもしれない


酷く、心が脆く為りつつある現下。

ふっと頭を過るのは彼の-友人の姿であり


(彼に、逢いたい)

今一度顔を見たい

言葉を交わしたい


筆を走らせる傍ら

想いは募るばかりであり


青年は物憂く自身の手元へ

白い原稿用紙へと視線を落とした



コツリ、と窓が鳴る


青年はハッとして立ち上がり窓際へと駆け寄った


其処には友人が-

先日よりも尚、顔色を悪くして佇んでいた

「-よう」

青年が窓を開けると友人は軽く手を振って見せる

しかし窓から距離を取っており、近付いて来る様子は無い

「上がって来ないのかい。辛ければ手伝うよ」

「否、今日は此処で良いんだ」

「どうしてだい」

「ああ-上がるのも大分辛えし、直ぐに帰ろうと思うんでな」

「待って居て」


言うや青年は駆けて玄関へと行き、自身の履物を取り

部屋へ戻り靴を履いて窓から外へと飛び出した


「お待たせ」

「何だい。出て来なくても窓越しに話しゃあ良かったのに」

「僕が、君の近くに行きたかったんだ」

「……そうかい」

相分かったと頷くと、友人はよたりと青年へ歩み寄った

其の頼りない姿に青年は不安の色濃く彼の身体を支えようと手を伸ばす

「大丈夫かい。辛そうだよ」

「平気だよ-モルヒネが効いてるからな」

ふらりとする身体を青年が支えると、友人は笑って答えた

其の姿に、青年は憂う面持ちを浮かべる

「如何したよ、不味い面をして」

「だって君。亦、随分と-弱ってしまった様だ」

「其りゃあマア、寝た切りみてえな暮らしだ。其うも為るだろうよ」

「もう少し身体が良くなるまでは、病院から抜けちゃあ駄目だよ」

「-逢いにきちゃア、いけなかったか」

「違うよ。逢いたかった、だから来てくれて嬉しいよ。でも」

「俺だって、逢いたかったんだ。だから良いじゃねえか」

「其れは-うん、其う、だね」

「歯切れの悪りぃ返事だナァ。何だ、まだ言いてえ事があんのかい」


遠慮がちに青年は頷いた


「何だか、今日の君は少しおかしいよ」

「おかしい?」

「うん-何だろう、何時もの君と何かが違う」

「何處が違うんだね」

「其れは、上手く言えないけれど。何か、としか云えないけど」

「-そうかい」


友人も頷くと、口を閉ざした

青年も同じく押し黙る


其より暫くして


「ナァ、此の前俺の見舞いに来た日-」

ぽつりと友人が口を開いた

其の眼は遠慮がちに青年へと向けられて居る

「うん、あの日も。君は此うして夜に家に来てくれたね」

「ああ、あの日だ、お前-」

「何」


「-お前、あの報道屋に会って、俺の容態を聞いたらしいな」


友人の言葉に、青年の瞳が見開かれる


「-誰に、聞いたんだい」

「誰にも何も、報道屋本人から直接聞いたさ。あの野郎、来るなっつってもちょこちょこ顔を出しやがる」

「そう」

青年はぎこちなく頷いた

「其れで」

友人はじっと青年を見て続けた

「彼奴が言って居た。代償を貰って俺の事をお前に話したと-」

「-」

青年の背に冷たい汗が流れ、其の視線は自然に友人から外れる

友人の追及は続いた

「ナァ、代償ってのは何だ。彼奴に何か-されたのか」

「何も」

「彼奴が無償でお前に親切をする様には思えねえよ」

「本当だよ、何も」

青年は俯き、首を横に振る

其の様子に友人はふっと面を曇らせた

「信じて、良いんだな」

「-如何して、其んなに疑うんだい……」

声を搾る様にして、青年が言う

「-」

其の震えた音色を聴き、友人は青年の身体を軽く抱いた

「悪い。おかしな事を聞いちまったな」

「……ううん、良いよ」

「何だろうな、お前の言う通り。確かに今日の俺は変だな」

「……」

「薬漬けになっちまって、頭までイカれたのかねえ」

ははっ、と友人は笑うと

青年の身体を包む様に抱き締め直した

「本当に済まねえ。もう、妙な事聞いたりしねえから」

「もう良いよ、謝らなくて良いよ」

友人の腕の中で小さく首を振ると

青年も友人の背に腕を回して、彼を抱き返した


其の身体の心地は以前よりも随分と痩せて頼りない感触であり

顔を押し付けた其の肩から香るのは以前の様な健康的な素肌の匂いではなく


薬と、消毒剤の匂いだった


堪らず青年は強く友人の身体に回した腕に力を込める

そっ、と友人の手が青年の髪を撫ぜた


次いでふわりと柔らかく何かが青年の頬に触れる


心地を受けた側を見遣ると程近く、友人の顔があった


友人は酷く切ない面持ちで、青年を見ていた

青年も真っ直ぐに友人を見つめ返すと

ゆっくりと友人の顔に、己の方から顔を近付けた



「-先生」

聞き慣れた、今や嫌悪しか覚えぬ声が聞こえたのは

其の時であった


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