第21話 水面下

其れは、青年の友人が報道屋の男と相応親しくなり、呑み交わす様になり

友人が、入院に至るまで-其の、間の事



「此の処、すっかりと御馳走になって居ますね、何とも申し訳ない」

「何を仰いますか、大家にも等しき文豪たる先生と此の様に酒と言葉を交わす一時は、私如きにとっては金銭には代えられぬ大切な刻ですよ」

「オヤ、買い被りを」

「買い被りでは御座いませんとも。此の呑みの席-未来有る先生と御近付きに成りたいと云う私の下劣な願望です」

「御自身を下げなさるな、貴方も立派な文士-文豪ではございませんか」

「イエイエ、私めは貴方より余程後に文壇に上ったのですから」


何とも擽ったい、御互いを持ち上げる様な会話が繰り返され

撫で擦る様な言葉と、程好い燗の酒に彼-青年の友人はすっかりと心地の好い面持ちを浮かべた


「しかし、何ですか-」

ほろ酔いの所作でヘラリ、と友人は男に向かって軽く手等振りながら言う

「此うも饗を頂くばかりでは矢張り気が引けると云う物ですよ」

「オヤ、そうですか。では我が社にて新作等を手掛けて頂けますでしょうかね」

「不肖、私めで宜しければ」

「不肖などと申されますな。今や時代の-大家に次ぐ寵児たる御方でしょうに」

「御止め下さいな、何ともむず痒い言葉ばかりを」

「云わせて頂きたいのですよ」


ハッハッと、二人共に快活と笑う


「失礼。少々酒の周りが過ぎた様です」

友人はゴロリと畳に仰向いて転がる

男は微笑ましそうに其の姿を見て頷いた

「イエイエ、問題御座いませんとも。此の場は私しか居りません」

「ああ、有難く。しかし仕舞屋を借りて酒の席にするなんて、此れはまた随分と羽振りの良い事で」

「先生とは密に、御話をさせて頂きたく御座いましたのでね」

「密ですか。さて、此れ迄の御話は特に、密とするべく物では無かった様な」

「エエ、一つだけなのです」

「一つ、ですか?其れは」


頬を薄ら染めた面で友人が男を見て居ると

男はそっと友人に近付き、彼を覆う様に其の身体の横に手を着き、顔を覗き見た

「先生、貴方が先日御出しになられた大家への反論文についてですが」


己を覗き見る男の顔を、友人はじっと見つめ返して言葉を返した

「あれが、何か」

「あの酷評に対する先生の反論文-あれは何とも、私情丸出しの御様子と窺えます」

「其う、見えましたか」

「エエ、見えましたとも-まるで、まるで。彼の作家殿を親御の様に庇護なさる御様子に」

「いけませんか」

「いけない-とまでは申しませぬが。只、如何な物でしょうか……」

「何を仰りたいので」

焦れた様に友人が問いを向けると

男は真摯に、其して友人を憂うかの様に見つめて答えた

「彼の作家殿は、過去に問題を巻き起こした人物では御座いませんか……彼は再三、文壇と世論に叩かれたでしょうに。其うして、亦も大家に酷評を受けた-此れが如何な物であるか?……彼は、文壇に処刑されたも同然です」

「-其の様な彼であるからこそ、護りたくあるのだと。私は思うておりますが」

「其れが解せぬのです、先生。共倒れを望みなさるな、貴方は未来御座います御方でしょうに」

「彼に未来が無いと仰いますか」

「彼の作家殿は、人として問題が有るのだと。かように聞いておりますが」

「-だから、貴方の新聞社にて、あの様な、芸姑通いの記事を上げたと仰いますか……まるで、罪悪を犯して居るかの様に書き立てて」

微か、男の眉が動く

友人は続けた

「貴方の新聞社を貶す事を申し上げますが、あれは、あの文章は真、見れたものではございませんでした。よくもマア、芸姑遊び-囲い程度を書き叩いた物だと。……無論、其れに流された世も世でしたがね」

「あれは……あれは、至極当然の事でしょうに。文士は紳士であらねばなりますまい」

「どうですかな、皆々、芸姑遊び等致しておりますでしょう。芸姑を娶った文士も居るのです。あれは誠、愚劣な文であるとしか言い様が御座いません」

「-其う、ですか」

「貴方も文士たる御一人、御分りの筈でしょう。彼の記事が如何に下らぬかを」


男の顔に、青味が差す


友人はむくりと起き上がり、静かに男を見遣った


「-先生、ですが」

男がぽつりと言う

「此れは注意です-警告です。彼の作家殿とはあまり関わり合いになりませぬ様」

「其れは何故ですか」

「申し上げて居りますでしょうに、良からぬ輩であるのだと」

「私は其うは思いませんが」

「其れは危険な思想です。ホラ、芸姑を囲うたものの直ぐに棄てたでは御座いませぬか。私は貴方を思うて-悪い虫と関わりませぬ様にと想うて申して居りますのに、御理解頂けませんか」

「理解できません。貴方が何故に此うまで申されますかを」

「嗚呼、ならば-」


男が手を伸ばし、友人の身体を抱き、竦める


「-何をなさいますか」

友人は男の腕に抱かれる儘、静かに言葉を向けた

「御許し下さい」

「何を、です」

「貴方と云う-私にとっての至宝を護るべく、さんざに申し上げて居るのです。失礼や不快誘うたとしても、其れが貴方の為となるのであると」

「……私の為、ですか」

「御理解下さいませ、先生。私の腹の内-想い、凡てを御理解なさる必要は御座いません。併しどうか、御自身の為に成る選択をなさります様」

「私の為に其処まで、仰るとは」

「不埒、と御思いやもしれませんが。凡ては私の道ならぬ想いからの物-貴方様を案じた上の事です」

切々と言葉を紡ぐと、男は抱いた友人の背をそろりと優しく、労わる様に撫ぜた

「先生」

「……」

友人は黙り込み、小さく頷くと男の肩口に顔を押し付け、己を抱く男の背にそっと腕を回して、抱き締め返した


「先生」

愛おしき旋律で友人を呼ぶ男の口許に、喜悦の笑みが浮かぶ

何とも悪辣とした、笑みが


「-アンタだったんだな」

ぽつ、と友人が呟き言った

呟きに男がハッと友人の方を見遣ると

彼は肩口に側頭を宛がい、じっと男の様相を見つめていた


男と目が合うや、友人は不敵な笑みを浮かべて言う

「あいつがああなったのは全部、アンタの仕業だろう」


男が友人を突き飛ばす様にして離れる

友人の身体はコロリと畳に転がった


畳に転がったまま友人は可笑しげにクックッと笑う

「アア、やっとこさ犯人を見付けられた。色々妙だと思っていたんだ、あいつを貶める新聞記事から始まって-あいつはずっと、苦しんで、泣いて、取り乱して……ああも不安定な奴は見た事が無かった。余程追い詰められる様な事が裏にあるんだって、ナァ」

「……先生、貴方は」

「新聞記事を貶した時のアンタの顔。其してあいつを悪く言い遣るアンタ-ようやっと分かった、あいつが泣いていた理由が。ナァ、あんた。あいつも此処に連れ込んだんだろう、此処ならば誰にも見付からねえ、聴こえねえ……ナア、さっきの所作。アンタ、あいつに何をした?似通うた事をしたんだろうに」


男はは苦く、苦く奥歯を噛み締め

忌々しく友人を見据えた


其うして、転がる友人に覆い被さり

彼の手を、身体を抑え付けた


「ハハ、何だい。俺も同じ目に遭わせてくれるってかい」

「まさか。先生、此れは取引です」

「取引?」

「ええ」

頷くと男は友人を抑える手を離し、彼の頬を優しく、只、優しく撫ぜた

「如何か、此れ以上彼の作家殿を擁護する事を御止め頂きたく」

「何故だい、其うすれば彼奴は瞬く間に困窮するだろうが-アンタのせいで」

「いけませんか」

「其れを許す道理が全く見当たらねえ」

「申したでは御座いませんか。貴方の為であると」

「其いつは建前だろうに、俺をあいつから引き離す為のナァ」

「やれ、私は信用御座いませんねえ」

「当たり前だろうに」

ひそり、男は溜息を漏らすと

友人の頬を撫ぜていた掌を顎へ滑らせ、指先を唇に触れさせた

「ならば切口を替えさせて頂きましょうか-先生、私の言に御従い頂けねば、先生は此の場にて男としての沽券を失う事になるやもしれませんが」

「ハ、尾っぽを丸出しにしなさった、其れで-あいつはどうなんだい。お前は沽券を奪ったのか、聞かせろよ」

「……エエ、無論」

「ハハッ」

友人が快活に笑う

「アンタ、意外に正直者だ。アンタの魂胆が-何が欲しいか分かったよ。なら尚更、此の場にて俺は首を縦に振る訳には行かねえな」

「成程、さんざな目に遭おうが貴方は退きませんか-已むを得ませんな」

男の声が怒気を孕む

そうして男は友人の着衣に手を触れさせた

「貴方も彼に負けず劣らずの美丈夫-さぞや良い御顔をなさって下さるでしょうね」

「-退けよ」

友人の手が衣服に掛かる男の腕を掴む

男は勝ち誇った様な笑みを浮かべる

「御了承、頂けましたか」

「違う、其うじゃあねえさ」

友人は力一杯に蝮の手を押し返し、払い

其うして立ち上がった


「オヤ、御逃げになられるので」

「違うよ、アンタは存外、人の心を読めねえ輩だな-文士の癖に」


男の言葉に友人は微かな苦笑を漏らすと

自身の着衣を勢いづけ脱ぎ捨て、裸身を男の前に晒した


健康的な、よく均整の取れた體が男の前に余す処無く晒される


男はひそ、と息を呑んだ


「俺の身体なんざ、好きにすりゃあ良いさ。ぶん殴るなり、女みてえに扱うなり、好きにしな」

友人は侮蔑の目、面持ちで男に言葉を向けた

「アンタから何をされようが、俺はあいつを護る事を辞めねえ-アンタがあいつを此の先亦も陥れるってえなら、俺もまた、アンタを叩く……其れこそ、今日の此れをたっぷりと誇張してな……アンタみたいに」

「……」

「アンタ、誰を相手にしていると思っていた。アンタが云う『大家に次ぐ寵児』だろうに」


言い放ち、口端を釣り上げる友人


男は立ち上がり、友人の前に立ち

彼の其の雄々しくも美しくきりりと整った顔立ちを見遣り

只、酷く苦い心持を覚え


ゆっくりと、彼へ向かい手を伸ばした

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