第19話 包囲

文壇の大家が青年へと向けた批評-

そして批評へ対する反論


其の著者名を目にして

報道屋の男は-蝮は呟いた


「-嗚呼、そうか」


蝮は反論が掲載された記事を幾度も幾度も読み返し、読み返して、酷く邪な笑みを浮かべた


「見付けた」








「御足労願い、申し訳ないね」

待たせて相済まぬとばかり、文壇の大家が小さく頭を下げて応接間へと入って来る

「いいえ、とんでも御座いません」

恐縮と若者-青年の友人である彼は大家よりも深々と頭を下げた


「其れで、君を喚んだ理由だがね」

「先生への反論に関してでしょう」

彼はさらりと大家へ言葉を返す

大家は小さく頷いた

「よく分かったね」

「其れは、分かりますとも」

再度頷くと、大家は己の眼鏡の縁に触れて言った

「君は随分と彼を評価している様子だが」

「ええ、無論。彼に勝る美文の主が居りますでしょうか」

「其れはどうであろうかね」

「『粗』があるからですか」

「ああ」

「先生」

彼は眼を細めて言った

「覚えておいでですか」

「何をだね」

「以前、或る講演にて先生は仰いました、所謂批評は、なかなか正当の判断とはまいらぬと-多くは独断・感情に據る物と」

「-確かに、そうだ。其の様に云った」

「先生は、其れを悪しと致したのでしたね」

「ああ、確かにそうだ。其れでは正しき評とならぬと」

大家の答えを聞くと、彼は笑み、自身の胸に触れて見せた

「先生は、御思いでしょうに。私の反論こそ其れ-独断・感情に據る其れであると」

「……」

「其れ故に、私を此処へと喚んだのでしょう」


大家は苦く、深く頷く


「そうだ-君は随分、彼を庇い立てする物だと思ってね」

青年は白い歯さえ見せて、益々笑みを深める

「先生もまた、同じでしょうに」

「何?」

「先生も彼に対し独断や感情に據る綴りをなさったでは御座いませんか」

「私、は-」

「呑みの席で、彼が先生を貶す発言を致した事に御立腹なさったと、其う御聞きしておりますが」

「ああ……だが、其れは何も彼だけを責めた訳ではない。酒の席の事だ、誰か唯一人の責とは思っていなかった」

頷くと、大家は思い返し語った

「私は先ず二人に確認を取ったんだ。結果、私の門下生が非を認めた。だが、彼は最後まで非を認めず、謝罪する門下の姿に安心さえする様子で-少しばかり、怪しいと思ってしまってね……」

「其れで、彼へ独断と感情に據る綴りを」

「何度も云ってくれるな」

「ハハ、済みません」

不快の色見せる大家に彼は明るく笑い頭を下げて見せた

「併し、先生-私の言葉に何の相違がございますか」

「何」

「先生は、其の様な経緯に依り彼に良からぬ印象を覚え、其の上でかの如き評を綴ったのでしょうに」

「……」

「さもなくば、不可解と取れます。先生は、彼の作品の『粗』を-美文と相応しからぬ箇所を備に指摘なさったと仰っておりましたが。ですが、併し-」

「併し、何だね」

其処で一拍、大家は急く様に声を向ける

「先生」

彼は云う

「誰しも綴りに癖を持つ物です、作の見方を変えましたらば必ず『粗』と思しき箇所が見られるでしょう。私にも、先生にも『粗』は存在致しますでしょう-先生程の大家が、御分り無い筈は御座いませんでしょうに」

語りに、大家は表情を曇らせる


其の眼前で、彼は土下座をし

畳に額を擦り付けた


大家は驚き、所作を止めさせようとばかり彼へ手を伸ばす


「君、何を」

「多々、御無礼を申し上げました。ですが、時代の寵児たる文士である先生の評として如何であろうかと云う思い-凡ては先生という御仁を尊く想うが故の行いであり。文壇の大家たる目で作を評する事を望んだが故の失礼であったのだと云う事をどうか、どうか御理解戴きたく」

「-」


土下座をしたまま訴える彼を見て、大家はふと溜息を零し

彼の方に触れた


「顔を上げ給え。此れではまるで私が酷い悪行を致して居るかの様だ」

「では、先生」

「……ああ」

大家は頷き、遠慮在る笑みを浮かべて彼の肩を叩いた




(此れで)

大家の宅より戻る中、彼は一人安堵の吐息を漏らし、微かな笑みを浮かべた

(嗚呼、気分が良いな。酒でも買って、邪魔をしてみるか)

其う考えてから直ぐに、彼は考えを直す

(いや、いや-凡てが程好く落ち着いてから。今は酒場にでも行くか)


近くの安酒場に入り、酒と簡単な肴を注文し

彼は一息つく


「貴方ともあろう御方が、此の様な場所で御呑みになるとは」

彼が猪口で熱燗を一口啜った処で、其の様な声が掛かった


ふっと振り向くや、其処には少しばかり見知った男性が立っており

男性は一礼すると彼の傍らへと腰を下ろして彼と同じく酒を注文する


「何ですかい。此の様な場所とは」

「失敬、大家にも並ぶ貴方が安酒場へ出入りしているとは思いも寄りませんでしたので」

彼は男性に向かい眉を寄せる

「顔を見ただけで、私が文士とお気付きとは。さて、見知った方でしたかね」

「其う言えば、貴方とは文學の會にて顔を合わせる事が御座いませんでしたかね」

男性はすっと、彼に名刺を差し出した

名刺を見て彼はおや、と小さく声を漏らす

「-ああ、貴方。其う云えば新聞社の-文士としても、名を馳せて居られる御方でしたね、此れは失敬」

「いいえ、いいえ。先生、私如きに其の様になさらずとも」

彼が頭を下げると男性-報道者の男は慌てた様にして、彼の顔を上げさせた

「先生、此れも何かの御縁です。宜しければ御一緒に如何ですかね」

「アア、其れは良いですね」

「では、先ずは此方で一献、そうして、如何ですか」

猪口を口にする彼の顔を覗く様に見て、男は人の好い笑みを浮かべた

「此の後、ちょいと良い御店に行きませんかね。折角御逢い出来ましたのですから、御馳走をさせて下さいな」

「其んな、甘える訳には参りません」

「イイエ先生、どうか持成しをさせて頂きたいのですよ。私も新聞社にて出版を預かる身-此れは私の我儘でしかございませぬが、先生の様な御方と御近付きになりたく。宜しければ、仕事の話なども少しずつ、致したく」

今度は男が深々と頭を下げた


彼は恥ずかし気に、少し照れたかの様に頬を掻きつつ、男に対して頷いた

「では-今日は、御言葉に甘えますかね」

「エエ、エエ是非」


二人で徳利を空にした後

彼は、男に連れられ心地好い足取りで男お薦めの店へと歩いていた


二人は明るく、和気藹々語り合い、肩を叩くなどした

明るい酒に笑う彼


男も、其んな彼に向って笑みを絶やさず居た


時折-其の笑みを怪しく

蝮の其れの様に致しつつ

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