第18話 涙
其の後-
総ては彼の、報道屋の男が口にした通りと為った
彼の文壇の大家の青年に対する評が、其して彼が大家の新たなる試みであった會合から除籍されたという事実が
世間の、青年に対する評を決めた
すっかりと決めて、しまった
何しろ時代の寵児たる大家の言葉。
其の言葉が及ぼす影響は甚大な物である
大家は青年の綴りの中の微細な、ごく微細な粗を指摘し批評を下し
文壇に於ける文士達の多くが、盲点であったとばかりに大家の言葉を則り
同じく青年への批評を向ける
世間は、論に流され-
当然、仕事はまたも随分と減り
生活はまたも少しずつ少しずつ、傾き始めて行った
其でも、書かなくては
働かなくてはならない
筆を、取らねばならない
しかし、青年の手は動かなかった
頭の中、幾度となく先日の報道屋の男の言葉が繰り返され、そうして彼の笑みが浮かぶ
-彼奴は、何故此うまでして、僕を-
ぼんやりと、青年の目の前の白い原稿用紙が霞む
ゴツリ
不意に耳に大きな音が聞こえ
青年ははっと、音の方を-窓を見遣る
窓の外には友人が、窓へ張り付く様にして立って居た
今宵は小石をぶつけるのではなく、窓を直に叩いたのであろう
青年が窓を開けると友人は挨拶もそこそこに
さっさっと部屋の中へと飛び込んで来る
「どうしたんだい、何やら慌てた様だけれど」
青年が驚き訊ねると、友人は憂える面を青年へと向けた
「とんでもねえ事になったろう」
「ああ、うん」
悄然と青年が頷く
「-ねえ、君は、何処まで知っているんだい」
「凡て知ってるさ。お前と、彼奴-大家の一番弟子みたいな奴が二人で呑んで、大家に随分と失礼な話をして盛り上がった、ってな」
「……そう」
「-酔った勢いで其うなったと聞いたぞ」
「……うん」
青年は再び、弱く頷く
友人が眉を寄せた
「俺は、お前が其んな話に付き合ったとは思ってねえ」
「えっ」
「だってそうだろ。お前と如何程呑んだと思っているんだい、其の中で俺がお前の暴言やら失言を聴いた事なんざ一つとしてねえんだから」
「でも、僕は」
青年は、項垂れる
「何だ。若しやして、言ったのか」
「分からないんだ」
「分からない、とは」
「覚えて居ない、記憶に無いんだ」
-本当は、嵌められたのであろうが
首を振り、青年は答えた
「僕はすっかりと酩酊して、眠って-僕が酔っている頃に過激な事を云ったのだと。其う言われたのだけれども」
故に、違うのだとは言い切れず
項垂れた儘、青年は声を搾る
「僕も-自分が其の様な事を口にしたとは思えない。けれど……僕が、酒に酔わなければ。寝入らなければ良かったんだ。そうしたら」
-何も、かもを疑わなければならなかったのに
項垂れる青年の肩に、友人の手が触れた
「俺は信じる」
「……」
ゆっくりと顔を上げる青年の視界には、ぼんやりとした友人の顔が見えた
「俺がどれだけ、お前の事を知ってると思ってるんだい」
朧な友人の顔が微笑む
「大丈夫だ」
友人の掌が青年の肩を叩き、そして頭を叩く
「俺が、護ってやる」
其の言葉に青年は儚く笑んだ
「まるで、子供の頃みたいだ」
「そうだな。あの頃からお前は放っておけねえ奴だったからなあ」
「僕は君に沢山迷惑を掛けて来たね」
「莫迦。迷惑と思ってねえよ」
「迷惑ではなかったのかい」
「ああ、迷惑なんかじゃあなかった-微塵でもそう思ったなら、護ろうなんて思わねえさ」
友人が深く頷くと、青年は再び俯き
そしてそうっと友人の肩口に額を押し当てた
「どうした」
「御免」
「御免、じゃあ分からねえ」
「迷惑で無ければ」
青年は友人の肩口に額を押し付けた儘、言った
「少し、此の儘-泣いてもいいかい」
「……」
フウと溜息が耳に聞こえたかと思うと、青年はバンと背を叩かれ
次の瞬間には強く、抱き締められていた
青年が驚いた様に顔を上げると
友人は口端を上げて再度青年の背を叩いた
「少しなんて言うな、泣け。一杯泣け」
「……」
「泣きてえ時には泣け、思い切り泣け。日本男児だ、なんて我慢要らねえだろ。誰だって辛い時は辛い」
「……うん」
「ホレ、俺しか見てねえんだ」
「うん」
友人の腕の中で青年はぐっと彼に身を預け
其の顔を強く強く、彼の肩に押し付け
身を震わせた
暖かく、濡れた感触が友人の肌に、衣類を越して伝わる
友人は青年の頭を抱き、頬を押し当てて目を閉じた
-護ってやる
其れから直ぐ後
其の一夜からほんの少しばかり経った頃だったろうか
大家に対する反論が世間に出たのは
其の綴りは至極強く、力強く
青年の総てを称えるかの様で
護るかの様な、文章であった
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