第12話 傷
青年が孤軍奮闘している其の頃
青年が所属していた文學結社の皆-文學同人仲間であった皆が次々と
文士としてその名を連ねて行った
其の中には友人の名も在る
(ああ、彼の人の名も)
先日、青年に本を渡したあの報道屋の筆名もあちこちで見掛ける様になった
無論、自分も未だ文士として
文壇にその名を連ねている訳ではあるのだが
だが、今の自分の立場は本当に、身を潜めるかの様で
筆が、焦れる
だが焦り覚えたとて、どうにもならぬ事で
命を絞る様に、削る様にして自身の文章を追い、綴って行くより外は無かった
原稿を手に色々な処を周ってみるが
仕事の量は或る程度からは増える事無く
口に糊する様な生活が続いていた
思いつく限りの場所には全て、仕事を貰いに行った
唯、一か所を除いては
(けれど)
足取り重く、青年は其の最後の一か所へと向かう
其処は、件の新聞社
-あの、青年の芸姑囲いの記事を世に出した新聞社である
新聞社の戸口に近付き、青年はひたりと足を止める
其れ以上、足は動かず
戸口を潜るべく前へ進む事が出来ない
青年の、文士としての自尊心が
自身を新聞社に踏み込ませないのだ
己を窮地に立たせる要因を作った新聞屋など、と
「-先生?」
青年の背に声が掛かる
既にもう、よくよく知り得て居る其の声
「……こんにちは」
青年が振り向けばやはり
其処には報道屋の男が立っていた
「どうなさったのです」
笑顔を交えて男が問いを向けると
青年は気不味そうに口篭る
男は少し考える素振りを見せて言った
「よもや、我が新聞社に仕事を求めに」
「……」
相変わらず答えられぬ青年に代わり、男が訳知りに言葉を紡ぐ
「文壇にてお聞き致しました。先生が手元不如意であると」
「誰が其の様な事を仰って」
「あちらこちらで、噂が出回っております」
「……噂、ですか」
青年の表情が曇る
「本当なのですね」
青年は小さく、苦し気に頷いた
「……私が、此処を訪れたという事を御考え頂ければ」
「先生、中へ御入り下さい」
男が遠慮がちな青年の二の腕に触れ、彼に社内へ入る様に促した
「-御仕事の話を、致しましょう」
「あれから私も、此の新聞社での立場が随分と上がりましてね」
青年を応接室へ通し、煎茶を持って来させ
男が語る
「社に於いて、相応の権限を持つ事が出来ました」
「そうでしたか、其れは凄い事です」
やはり遠慮がち、青年が笑む
男も屈託のない笑顔を浮かべた
「ですから先生」
「はい」
「今度こそ、貴方へ御仕事を紹介させて頂けます」
男の笑顔は本当に晴れやかで、嬉しそうであった
対して、青年は何処かしらぎこちない
無理も無い
男に促され、応接室へと向かう最中
新聞社の社員達が皆、一様に
ちらと青年を見て複雑な表情を浮かべていたのだから
「やなり、私が、貴方の社に御願いするという事は場違いな御様子です」
「何を仰います」
青年の前に座り、男が笑みを湛えたままに言う
「先生に御迷惑をお掛けしてしまったからこそ、此方から率先して御仕事を御願いせねばならぬのです、其れが道理というものです」
「ですが」
「先生には、良き御仕事を御紹介させて頂かねば」
「いえ、其の様に御気遣い頂くのは」
「いっそ、我が新聞社から先生の御本を出版するというのは如何ですか」
「いいえ、其処までは……」
ずい、ずいと気持ちが浮かれて居るかの様に男が向けて来る言葉に
青年は押される様になり、困惑の色も濃く
つい、ちらと応接室の外へ視線を向けた
「先生」
男が笑顔のまま、声を向ける
「はい」
「後日改めて-何処かしらを借りて、御仕事の話を致しませんか」
「え」
「此処では貴方も、欲する御仕事を思うままに口に出来ぬのでしょう」
「……」
先程の社員達の視線を思い返し、青年は小さく頷く
男も笑顔で頷きを返した
「では、直ぐに手配を致します、また御連絡を」
体良く追い払われたのではないか、などと薄々思っていた
しかし後日、青年の宅へ手紙が届くのを見て
此れは、彼が-報道屋が本当に仕事を紹介してくれるのだと理解し
青年は喜々と、男が綴った指定の日、昼の刻に待ち合わせの場へと向かった
待ち合わせの場所へと着くと男は丁寧な所作を以て、青年を或る場所へと連れて行く
其れは元は小料理屋であった仕舞屋であるらしく、中は小綺麗にしてあり行灯の日も明るく
薄らと香の薫りさえした
「誰にも聞かれぬ様、落ち着いて御話をするならば、此の様な場所が宜しいでしょうからね」
前以て準備をしていたのであろう、酒の用意をして男が言う
「勿論、芸姑を呼んだりはしておりません」
其の言葉に、青年が困った様な笑みを浮かべる
男が徳利を青年へと差し出した
「サア、先ずは一献」
ぬる燗を口に、程好い酔いと共に仕事の話は進んで行く
「新聞記事の一部を書かせて頂ければ、私は其れで」
「イイエ何を。本です、御本が良い。先生の新作などを出しましょう。そうだ、それが良いです」
「いいえ、いいえ。其れは御社に負担が掛かるというものです」
「そうですか、では一先ずはそういった御仕事を」
「はい、宜しく御願い致します」
此れで一つ、仕事先が-
実入りの場となる其れが出来たのだと、青年は安堵した
安堵し、視線を落とした青年の耳にする、と衣擦れの音が聞こえる
気が付けば、男が長机の対面の席から自分の直ぐ傍までやって来て居た
「どうなさいました」
「御仕事に関してですが。一つばかりの条件がございます」
「其れは、何でしょうか」
青年が問うや、ぐ、と男の顔が青年の顔に近付く
其れは、唇が触れ合いそうな程に
青年は慌て、身を退いた
「何を-」
声を出すや男の手が青年の顎を捕え、強引に顔を引かれ
青年の唇と男の唇が重なった
「-!」
青年は驚愕に目を見開く
男はそんな青年の口唇を吸い、驚きに半開きとなっていた其処へと自身の舌を捻じ込んだ
ぬるり、とした感触に青年は震え、男を押し離そうとするが
男がその手を捕え、畳へと青年の身体を押し倒した
「んっ-」
曇る声が、青年の喉から零れる
即座青年は頭を振り、男の唇から、舌から逃れた
「何をなさるのです……!」
「分かりませんか、先生」
男が青年を抑え付けたまま、笑う
青年が男に抑え付けられたままに、彼を睨み付ける
「仕事が欲しいのでしょう?ならば、御分りの筈ですが」
「私は、此の様な事は」
「大人しくなさいな、さすれば仕事など貴方の望む儘です」
「幾ら何でも、此れは御断り-」
「貴方の御本を、新作などを出版させて頂いても良いと言いますのに」
男が囁き、本の出版を呼び掛けて来る
其の申し出は文士である青年にとっては至極魅惑的な物である
特に、困窮している今の青年には-
青年の抗いの力が、緩む
男はフッと目を細め、隙出来た青年の其の細身を引き摺る様にして連れ、隣室の襖を開け放った
其処には蒲団が敷いてあり-
青年は、其の蒲団へと、身を転がされた
青年が身を起こす前に、男が青年へと覆い被さる
「御止め下さい」
「大人しくなさい」
「嫌です」
「-仕事は、要らぬのですか?」
男の囁きに、青年の抵抗が再び、緩む
男は青年を抑え付け、続いて囁いた
「大人しくしていなさいな、先生……そうすれば新聞記事なんてちゃちな事は申しません、本……そうだ、御望みでしたら貴方の全集でも。出版出来ます様、此の私が尽力致しましょう。ですが、抗うのでしたら……」
「貴方には、其の様な事が出来るとは」
「御分りになりませんか……私はもう、文士としても貴方に並び、自身の生業に於いても権限を持った……貴方に糧を与えるか否かを判断出来る程に」
青年の抗いが、止まった
しかし其の顔は欲ではなく恐怖も露に、震えている
男は其の顔をまじまじと、鑑賞する様に見つめ
再び青年の唇を吸った
男の指が青年のシャツの釦を外し、青年の白い胸を卑猥に撫ぜる
青年は男から顔を背け、ギリ、と唇を噛み締めていた
「ああ、先生。其の様な事をなさっては、ほら、血が」
血の滲む唇に己が唇を触れさせてから顎へ、首へと口付け、青年の薄い胸に男は顔を寄せ、唇を触れさせた
「……」
小さく、ごく小さく青年が抗いの言葉を漏らす
「良い子ですね、先生」
からかう様な科白を向け、男が片手を青年のズボンへ-下衣の其の下へと滑り込ませる
びく、と青年の身が震えた
「御止め、下さい……其処、は」
「ああ、もう御熱くなられて」
「其の様な処……」
「御嫌ですか?芸姑には弄ばせたのでしょうに」
「……」
青年が息を呑む
「女はもう充分御存知でしょう、先生」
男が、囁いた
「今度は此の私が……貴方に、男を教えて差し上げますとも」
下衣の下、男の手が蠢いた
次の瞬間-
青年は力一杯に男の頬を張った
頬を張られ、男が身動いだ隙に青年は彼の下から抜け出し、シャツの合わせを手で寄せ、男を睨んだ
「此の様な事をしてまで、仕事を欲しくなどございません!!」
潤む瞳でそう怒鳴り、青年は仕舞屋から駆け出て行った
飛び込む様に帰宅し、湯を貰い身体が擦り剝ける程に洗い
直ぐに着替える
震えは、暫く止まらなかった
居室で身を縮め、どれ程の時間が経った頃合いか
コツ、コツと窓に何かがぶつかる音がした
青年が窓に寄り、其れを開けると
窓の外に、友人が立っていた
彼の姿は闇に包まれていて、殆ど視認出来ない
「よう、来たぞ」
「……うん」
「どうした、元気がねえな」
「否、そんな事はないよ」
青年が窓枠からひょいと部屋に入って来る
先日の様に軽業師が如く飛び越える風ではない
「何だお前」
行灯の光に明るい部屋に入り、青年を近く見てから友人は怪訝に眉を寄せた
「泣いたのか?」
青年は首を横に振る
「泣いていないよ」
「そうかよ」
青年の言葉に友人は軽く、ごく軽くだけ頷くと
持参した物を青年の目の前に差し出して、白い歯を見せて笑った
「呑もうぜ」
「文壇に、上がったんだね」
青年がぽつりと言う
「新聞連載も読んだよ、やはり君は凄いな。もう随分と人気らしいじゃないか」
友人は照れた様に笑い、酒の入った湯呑を傾けた
「いいや、まだまだ文士と名乗れる様になった程度さ。お前みたいに経験が多い訳じゃあないからな」
「文士は経験じゃないよ、どれだけ華々しく、人の目を惹く文章が書けるかだよ」
「ああ、お前の得意分野だな」
「そんな事は」
「謙遜は美徳じゃあないぞ」
「……分かったよ」
酒を傾け-湯呑を交わし
他愛無い雑談を二人は交わす
「そろそろ、帰るとするか」
そう言って友人が立ち上がると、青年が其の手を掴み引き止めた
「どうした」
「もう少し、一緒に居てくれないかな」
「もう少しって、後どの位だ」
「出来れば、朝になるまで」
友人は困った様に眉を下げた
「祖母さんに見付かったらどうする」
青年は友人の手を掴んだまま、項垂れる
「御願いだよ…………恐いんだ」
掴まれた手から感じる、微かな震え
友人は座り直すと、青年の身を引き寄せ
湯呑に酒をなみなみと注ぎ、其の口許に近付けた
「呑め」
「えっ」
「呑んで、恐いのなんざ忘れてしまえ」
「……」
「ちゃんと、ずっと一緒に居てやるから」
「うん……うん」
其れから、どれ程経ったか
友人の持参した一升瓶はすっからかんとなり
青年は、寝入っていた
友人の、腕の中で
眠る青年の目の端に、じわりと雫が溢れる
友人は其れを目に留めるとそっと、青年の目元を覆う様に掌を添えた
「俺が、護ってやるからな。ガキの頃みたいに」
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