第11話 不遇

『負けるな、しがみつけ』

友人の其の応援の言葉がどれ程の励みとなった事だろう


青年は再び筆を手に取り、走らせた


自分には此れしか無いのだ

只、文字を綴る事でしか金を手にする事が出来ないのだ


苦悩し、作を生み出しては新聞社、出版社へと足繁く通い、掛け合う


未だ、芸姑の件の風評残る中の交渉はなかなかに難しく

其れでも此れまで好評を博して来た文士であるのだから、と

仕事の口を与えてくれる場所も少しはあった


実入りは此れ迄よりも余程少ない

幸いと云うべきであるか、芸姑を囲わぬ様になった分だけ此れ迄より金の『浮き』はあった

何とか家族を養う事が出来る程度の金は有る

少し、少しであるが青年は安堵していた


だが、其の様な生活を送る中、実に不幸な事に

収入を遥か上回る-余り金にさえ手を付けねばならぬ程の、望まぬ支出が起こってしまった


青年の叔父が事業に失敗をして、大きな負債を抱え

そして其れを補填出来る親族が、今の時点では青年以外には居なかったのである


青年は金策に走った

支援者に頭を下げて金を借り、原稿料の前払いを願い

仕事を増やすべく奔走した


其の様な生活を送り続けた、或る日


青年が帰宅すると、家の前に男が立って居た

其れは、あの報道屋であった


「御久し振りです」

「ああ、先生。本当に御久し振りで、近頃は何処で御逢いする事もございませんでしたね」

「ええ。処で家を訪れるとは、私に御用ですか」

「ええ、ええ。丁度良かったです、先生に此方を御届に」

「此れは」

「私が執筆した推理小説です、漸くまともな本として出版致しました」

「そうですか」

「不躾ではありますが、自身の本が嬉しく。先生に是非一冊御贈りさせて頂きたく」

「有難うございます、大切に讀ませて頂きます」

青年は男から本を受け取り、其の装丁をまじまじと見つめた

「此方が、貴方の筆名なのですか」

「ええ、そうです」

「とても御綺麗な名ですね」

「いいえ、先生には敵いません。ああ、でも」

ふふ、と男が嬉し気に笑った

「此れで漸く、私も文壇への足掛かりが出来ました。漸く先生の足元に追い付けた訳ですな」

「足元、だなどと御謙遜を」

「まだ先生には遠く及びません」

「何を仰るのです」

青年は俯きがちに、静かに頭を振る

「私はとうに、地に落ちたも同然です」

「其れこそ何を仰います、一世を風靡したではございませんか」

「其れもほんの寸時、寸刻の事です。今はもう」

「美文の主が何を仰いますか」

「いいえ、いいえ、もう私など」

男の掌が、青年の頬に添えられ

青年は其の手に、顔を上げさせられる

「あまり、自信の無い事を仰って下さるな」

「でも」

「貴方の文章が霞んだ訳ではございませんでしょう。全ては我が新聞社の責であり、私の責でもございます」

「いいえ、貴方は私の為に便宜を図って下さいました」

「ですが、貴方の仕事を取り戻す為に何かを致す事は出来ませんでした。力不足故に」

「いいえ、充分に、貴方は」

青年は小さく首を振ると頬に触れる男の手を取り、軽く握った

以前、握手を交わした時の様に

男は刹那と目を丸くすると直ぐに喜ばしい表情を浮かべて、ぐっと青年の手を握り返して、そうして離した

青年も吊られる様に微笑む

「宜しければ、家で御茶でも」

青年の申し出に、今度は男が小さく首を振る

「いいえ、私は此れにて失礼致します」

「門前で御返しするのは失礼かと」

「しかし先生」

ぐ、と男が青年の顔に自身の顔を近付けた

「何でしょう」

「御疲れの御様子です」

「其れは、仕方の無い事です」

「私の事は結構ですとも、どうかゆっくりと御休み下さい」

「ですが」

「今の私が貴方の為に何かして差し上げられるとすれば、早く御身体を休めて頂く様促す事だけなのです」

「……では」

「ええ、ごきげんよう」


男は一礼して立ち去った

青年はその背が消え行くまで見送ってから、家へと入って行った



「後少しですよ、先生」

道すがら男は呟き、紙巻き煙草を一本取り出す

「後少しで、貴方に並びます。『文士』として」

そして男-蝮は喜々と煙草を咥えて、マッチの火を灯し

深く吸い込み、ゆるりと紫煙を吐き出した

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