第9話 陥落

蝮は-男は、報道屋でありながら優れた翻訳家であり、そして推理作家の一人でもあった


時代が悪かったか、流行が悪かったか

蝮の作は鳴かず飛ばず


其の様な中、早咲きの桜の様に文壇に咲き誇った青年

彼の華々しい姿を世間へ向けて綴りながらに、他社の記事にも目を通しながらに

どれ程に苦い思いをしたであろうか


(分かるまい、分かるまい)


『御理解頂けませんでしょう』

青年が口にした言葉が、あの澄んだ声其の儘で蝮の頭に繰り返される


(嗚呼、そうですとも。理解など)


押さえ付け、其の口を引き裂いてやりたい衝動にさえ駆られた


だが、其れではいけない

文士たる自分が、文士としての青年に苦痛を与えねば意味は無いのだ


全て、意味は無いのだ


(分かるまい、俺の心など分かるまい)


蝮は一人、筆を走らせる

持ち前の文才を以て、青年の『芸姑囲い』を記事へと致して行く

其れがまるで、酷く悪どい事をしているかの様に、さも世間の理に外れたかの様に

そう、読み取れる様に。






其れのほんの、数日後


「これは、一体」

出入りの編集者の一人が持って来た新聞を見て、青年は驚愕した


青年の芸姑通いが、囲いが

至極大きなスキャンダルの様に綴られていたのだ



(-彼奴、だ)

記事を綴った報道屋が誰であるか、直ぐに勘付き

青年は急ぎ、男を-報道屋を探した


青年が報道屋と度々出会った場所、黒塀の屋敷


そして、報道屋が所属する新聞社へ




「おや、先生。会社にまで来て頂けるとは」

小さな新聞社に辿り着くと、例の報道屋が笑顔で青年を出迎えた

「如何なさったのです。ああ、こんなに汗をかいて」

「貴方でしょう」

「何がです」

「私の事を、記事に書かれたのは。何という事を」

「いいえ」

「ですが、貴方しか御存知無い筈です」

「いいえ、いいえ。私は記事にせぬと、御約束致した筈ですよ」

「でも」

「私が信じられませんか」

「それは」


青年が言葉に詰まる

報道屋はふっ、と薄く笑った


「よもや先生、あの後に未だ芸姑を囲い続けておられたのでは」

「何故、其の様に御思いです」

「只、その様に思うたまでです」

「よもや、貴方があの約束の後に」

「まさか。御疑いにならないで頂きたい。申した筈です、貴方が大事なのだと-故に、貴方と確約を致してからは、詮索を止めたのです。私の行動は只其れだけです」

「……申し訳ございません」

「いいえ、謝らずとも。しかしどうやら此の新聞社に貴方の記事を書いた輩が居る様子ですね」

「誰、ですか」

「ああ、申し訳ございません。私は下っ端なので、分かりかねます」

「そうですか」


かく、と青年が膝を着く

報道屋はそっと青年の前に跪き、ハンケチを取り出して其れで彼の顔に触れた

「ああ、美しい御顔が台無しだ」


優しく汗を拭い、目許を拭い

報道屋が囁く

「御可哀相に。あの時、あれより芸姑囲いを御止めになられていたならば、何も起こらなかったでしょうに」

「何故、其の様な事が分かるのですか」

訝しむ青年に、報道屋が微笑む

「貴方を追わぬ様にと、私は知り得る報道屋皆々に告げたのです。あの後に」

「……」

「嗚呼、今となっては其れが仇となってしまったのでしょう。先生を追った輩が居たのですね、己が立身の為に」

「そう、でしたか」

青年は項垂れる

「申し訳ございません、先生。私にも一因ございますね」

「いいえ、貴方は何も。唯、私の為に御気遣い下さったというのに」

青年はゆるりと頭を振った

報道屋が、力失くす青年の身体をそっと抱き締める

総てに疲弊した青年は、只報道屋に身を寄せた

此処まで走って来た熱がまだ篭っている青年の身体を、背を報道屋はそっと撫ぜる

「大丈夫、大丈夫ですよ先生。先生はこの先も文士として咲き誇ります-咲き誇らねば」


至極優しい旋律の、宥める、慰める言葉


其れを紡ぐ報道屋-蝮の瞳は

喜々と、悪辣とした光を湛えていた


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