第7話 燻り

「打ち出の小槌になってくれ」と祖母は青年をせっつく

母は、何も語らず、関与せず


幼い頃は、庇うなどして貰えたものだ

だが、成長した今は其れも無く


そして父はとうとう、決別をしてしまった

-母と、別れたのだ


父は家族から去り、遠く、遠くへと行ってしまった


唯一の男である自分が、いよいよ本格的に家を支えねばならないのだと

青年は心の圧を覚えながら筆を取り、執筆を続けた


元より注目されていた青年である

其の著作は飛ぶ様に売れ、仕事も数多と舞い込む様になった


甲斐あって、生活は随分と潤い

祖母と母のギス、とした様相もすっかりと鳴りを潜め

家の中空気は随分と軽く、そうして明るくなった


反面、青年の見えぬ圧は強まり行く

時に、其の圧に圧し潰されそうになりながらに、筆を執る


執り続けるしか、無いのである


其の、心の疲弊を

青年は何処かしらで癒す必要があった





「存分に、甘えなさいな」

芸姑の肉付きの良い柔らかな腕が、青年を抱き締める

青年は瞳を閉じ、芸姑の腕の中で、其の柔らかな乳を枕としていた


女の匂いが青年を安堵させ、そして青い身体に覚えた情念をじくじくと刺激する


芸姑が青年の髪を撫ぜ、首を撫ぜ、そうしてその細指を彼の體へと滑らせて行く

青年が小さく息を呑み、そっとその瞼を開いた


「先生」

芸姑が言う

「ネエ、鬱憤は吐き出さねばいけませんわ」

「吐き出す、とは」

「おやマア、野暮だこと。此れ以上言わなければ分かりませんの?」

「…………いいえ」

「でしたらホラ、サア」

困った様な顔をする青年の頬に手を添えると、芸姑はゆるりと身体を揺らして

青年の唇を吸い、そして彼の手を取り己が乳房へと導いた


柔らかく、暖かなその心地好い感触が青年の掌に得も言われぬ感覚を伝え行き


其れは、青年の官能を甚く刺激するに充分過ぎた



「嬉しい物ですネエ」

青年の身体を拭いながら、芸姑が微笑んで言う

「足繁く通うて下さって、ネエ」

「……私は、只、息抜きに」

「ええ、存じてますとも。けれど息抜きはやはり出し尽くしてしまいませんと」

「何と、下品な事を仰るのですか」

「下品ではございませんわ。現に、ホラ」

「其れは、しかし貴女が」

「いいえ、先生もお悦びに」

「……」

青年が俯く

罪悪の様な、困惑の様な表情で


芸姑は柔らかく笑い、青年の頬に手を添えて顔を上げさせると

再び口吸いを-

彼が身震いする程に、心地好く其れを致して、そうっと唇を離し

慈母の様に微笑んだ

「ネ、今後とも御贔屓に」




「是は奇遇、よく御逢い致しますね」

昼の日中、客人も殆ど居らぬ筈の道で

青年はそう声を掛けられた


振り向けば、報道屋が立っている

彼は人好きのする笑顔でひら、と青年に向かい手を振っていた


「……どうも、こんにちは」

青年は遠慮がちに挨拶を返す

其れしか出来ない


報道屋-男は笑顔で頷き、相槌を打つものの

ふっと眉を寄せるとずかずかと青年の方へ歩み寄り

その細腕を捕えて路地裏へと彼を引き摺り込んだ


「何を、なさるので……」

青年の口を、男の大きな掌が塞ぐ


「どうか、声を収めて下さい」

掌の下でくぐもった声を上げる青年に、男は囁いた

「先生、貴方の為なのです」


その言葉を聞き、青年が声を止めると

男は漸く青年の口許から手を離した


「紅が付いておりますよ、先生」

「紅……ですか」

「おそらく口吸いなどなさった時に付いたのでしょう」

そう言いながら、男は青年の唇を親指でぐ、と拭う

「是では『女遊び』をしていたと言っている様なものです。報道の恰好なネタとなりますよ」

「……遊んでいた、訳では」

「では、何を」

「只、休まりたいと」

青年の言い訳に、男がふふっと笑うと

青年は酷くきまり悪そうに項垂れる

そんな青年の頬にひた、と柔らかく触れてから髪に触れ、男が言う

「世間はかように思わぬものです。どうか御気を付けなさい」

「ええ。しかし貴方はどうしてこの様な便宜を」

困惑の瞳で青年は男を見上げる

「貴方も報道屋である筈。僕の此の有様を記事に上げれば良いではありませんか」

男は優しく、至極優しい目で青年を見下ろした

「何を仰るやら、私には『文豪』をこき下ろす趣旨などはございませんよ。未来有る文士の妨げを作りたくはありません」

「文豪、などと。其れは、買い被りというものです」

「何を、破竹の勢いで先生の作は売れて居るではありませんか」

「いいえ、いいえ大家の先生には敵いません」

「しかし其れに並びそうですよ」

「その様な事は」

「報道の一線に居る輩の言葉は信用なりませんか、情報に長けているのだと申しても」

「いえ」

「ならばどうか、私めの言葉を御受け取り下さい」

「……はい」

青年が小さく頷くと、男は嬉し気に笑って青年から手を離した

「サア、では帰ると致しましょうか。二人共に出るのは拙い。まず私が路地から出ましょう、それから充分な時間を於いて、先生が御帰り下さい」

「はい」

「どうか御気を付けて」

「ありがとうございます」


男が路地から出て行く

青年はじっと其の場で佇み、暫くの時間を過ごしてから、路地を出て帰路へと着いた


その背を遠く、男は見ていた


酷く、冷ややかな眼で


「彼れの女には気を付けろ、と申し上げましたのに」


男-蝮はそう呟くと青年が去った方に背を向け、真逆の方向へと歩き出した

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