第6話 情念の火花

深夜のデスク。

ランプの仄灯りの中、蝮は思い返す


彼を無事に家の内へと送り届けた際には、彼の母に祖母に、随分感謝をされたものである


涼風に晒され帰路に着く中思い返すのは、腕に残る青年の温もり

始めにはあからさまな狼狽や嫌悪を見せたというに、終いには身を委ねたあの姿を思い返すにただ、笑みばかり零れ出す


-何と、無防備なことよ


酩酊する彼を連れ去り、敷いて思うままにする事も出来ただろう

さすれば自分が思い描いた苦悶の表情も、泣き顔も、存分に楽しめただろうに


しかし其れでは面白くない

其れは只の下衆。

只の暴漢で終わってしまう


あくまで、文士としての青年を

文士としての自分が敷く事に意味が存在するのだ


その為には-


ランプの灯りが何所かしらか入る隙間風に揺れる

蝮は一人、声を立て笑った






昼下がりの、花街

客と思しき男達もまばらなその刻


「おや、青鯖先生。また御越しになられたのですねえ、嬉しいもので」

「-青鯖?」

青年が怪訝な声を漏らすと、其の芸姑はくすりと笑った

「いえね、青白くてつるりとした御顔をなさっておられるのでねえ、皆そう呼んでいるのですよ」

「はあ」

「時に先生、今日は御遊びに参られたのですかねえ?」

御遊び。その言葉に青年は強く頭を振る

「いいえ、私は只、次の作品の為に学ぼうと」

「-学ぶ?」

「貴女達の生活等を、よくよく知りたくて、御話に参ったのです。只それだけです」

「アラ、マア」

芸姑がコロコロと笑う

「道理で。先日の御座敷では直ぐにお帰りになられましたもの、生真面目なのですねえ……でもネエ、先生」

ゆる、と芸姑が着物の裾を揺らめかせ、青年に身を寄せる

青年の鼻に強く香る、香油と白粉の匂い

芸姑は青年の胸元に手を添えて、囁いた

「『女』を御存知無いと、良い作品は書けませんことよ?」

「『女』を知る、とは」

「作家さんの癖に、野暮ですねえ。お分かりでないのです?」

「いえ、その……」

言葉に詰まる青年

触れた胸の熱は上がり、芸姑の指に鼓動が伝わる

「さあ、先生」

蕩けた視線で青年を見つめて、手を引く芸姑

青年は至極困った面持ちを見せる

「ですが……この様な事は……」

「あら、作品にしようとなさっている物を『この様な事』と御思いですの?先生は」

「いいえ、いいえ、決してその様な事は……」

「でしたらほら、サア」

芸姑が青年の手を尚ぐいと引き、青年を床へと誘った


「艶ある作品を、お書きになりたいのでしたら……その身体で、御知りになりなさいよ……女を」

芸姑の強引な手が青年の衣服を脱がせ、芸姑もまた自身の帯を外した


する、と着物が芸姑の肌を滑り落ち

むっちりとよく張ったその豊満な肢体が露となる


青年の喉が小さく鳴った


初めて目の当たりとした、熟れた女の肉体

導かれるまま蒲団へと縺れ込み

青年は、たわわな乳房に顔を埋めた





初めての交わりに、頭は只阿呆の様になり

芸姑に身体を湯で拭われている間もただ、ぼんやりと為すがままとなり

幼子の様に衣服を着付けされ

そうして青年は芸姑と別れて店の外へと出た


「おや、また御逢いしましたね」

下肢にじんと痺れた様な感覚を覚えながらに青年が道を歩くと、背に声が掛かる


振り向けば其処には男が立っていた

あの-接待を受けた夜、酩酊していた自分を介助してくれた男が


「貴方でしたか……あの時は、御迷惑をお掛け致しました」

「何の、大切な文士殿を御守り出来たのですから」

頭を下げる青年に、男はからりと笑って言葉を返す

「しかしまた、この様な所に何を?」

「小説の為に学ぼうと」

「『女』をですか?」

「……いえ、あくまで私は、皆様に御話を伺いに……」

「ほう」

男がぐ、と青年に顔を近付ける

青年は少し、身を退いた

「何ですか」

「失敬、妙にさっぱりしておいでだと」

「……」

「何故でしょう、白粉の香りがほんのりとしますな」

「それは」

「体を、拭って貰ったのでしょう?」

「……」

青年は、息を呑む


男は目を細めて言った

「『女』を知ったのですね」

青年は至極気不味そうに頷いた

「……はい」

男が笑う

「何も、そんな御顔をなさらないでも。文士たる者皆、当たり前の様に芸姑と戯れておりますよ」

「そうなの……ですか」

「それで、先生。一体何という芸姑と」

「名は……」


青年が芸姑の名を告げると、男は重々しく頷いた


「ああ、成程。其れで先生、彼女は貴方に何やら申しませんでしたか」

「……『馴染みになって下さらないか』と」

「ああ、やはり」

男が至極苦い顔をして見せる

「およしなさい、その芸姑は蛇の様な物です」

「蛇……?」

「彼女はそうして自分を囲う男を探しているのです。……以前は、西洋人に囲われていた筈です」

「そうなのですか?」

「ええ、ええ。多分おそらくは、大家と並ぶ新鋭の文士たる先生に目を着けたのでしょう」

「何故、その様な事がお分かりなのですか」

「私は報道屋ですよ。情報には至極敏感なのです」

「確かに、貴方は報道屋でしたね」

納得行ったと、青年が頷く

「兎に角、お気を付けなさい」

「はい、有難うございます」

青年は再び男に一礼し

そして遠慮がちに彼の顔を見上げた

「どうなさいました、先生」

「私は、貴方に多々、失礼を致しましたね」

「いいえ、何も何も」

「……初めは貴方を、警戒しておりました」

「ああ」

思い当たった、と男が笑う

「御無理もありません。貴方が嫌悪抱く事をしてしまいましたからね」

「いいえ、そんな」

「では、改めて、握手をお願い出来ますか」

「握手、ですか」

「ええ、貴方の記憶を払拭すべく」

「では、はい」

男が手を差し出すと、青年は初対面の時と同じく、軽く男の手を握った

男はその手をギュ、と握り返して軽く振り、直ぐに手を離す

「さあ、これで塗り替えられた」

男が言うと、青年は柔らかく微笑んだ


初めて、男の前で自然に微笑んだ


「では、私はこれで失礼致します」

「ええ、先生。どうか蛇の様な女には御気をつけなさい」

「はい、肝に命じます」

「では、さようなら」


青年は晴れやかに、家路を歩み行く


男は其の場に佇み、小さくなり行く背を見つめていた


「貴方は、良くも悪くも、純粋であり単純だ」

ぽつり、男は呟いた


-本当の『蛇』を見抜けぬのだ、と


「嗚呼、まさか女を知るとは」

男の瞼の裏、瞳の奥にぱちり、と火花が起こる


此の感情は、心地は何か


瞳の奥に続き今度はふつ、と男の腹の中に炎が宿る


「絆された貴方の喉首。この私が噛んで差し上げますとも」

男は-蝮は

密やかに、悪辣とした笑みを浮かべた

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