第5話 誘因
「幾人かで騒ぎ、楽しむのが好きなのですよ」
男性が盃を傾けながら楽し気に言った
彼は多くの文士達を目に掛ける支援者であった
度々、文士達を料亭の座敷遊びに誘い、作品の依頼を向けるなどしており
今宵は、青年が支援者から誘われたのである
青年は執筆の依頼と併せてならば、と此の誘いを受けた訳ではあるが
何とも、居心地の悪い思いをしていた
白粉の香りも、揺れる艶やかな着物の色も、青年には初めての事で
困惑気味となりながらに料理を頂き、支援者である彼の言葉に耳を傾けていた
「人力車を呼びましょうか」
「いえ、歩いて帰ります」
「酔ってはおりませんか」
「大丈夫です、有難うございます」
既に手付金を頂いたので是以上は、と青年は行儀良く頭を下げて
そそくさと料亭を立ち去った
夜風が熱い頬を撫ぜる様にやわりと青年に吹き付ける
足取りは普段より余程鈍く、重い
「おや、大丈夫ですか」
其処に、男が声を掛けて来る
其れは先日青年に名刺を寄越した、報道屋の男であった
青年は軽く眉を顰めた
「大丈夫です」
「そうは見えませんね、足取りがおかしい……御酒を呑まれましたか?」
「はい」
「酩酊していらっしゃる御様子です」
「大丈夫です」
気にするな、とばかり首を振り
青年は出来る限り家路を急ごうと歩を速めるが
そうするやふらり、と身体がふらつき、転びそうになる
「-危ない」
その身体を、細い腰を男が抱き寄せて支えた
「申し訳ございません」
「いえ、御気になさらず」
「もう、問題ございませんので、手を御放し下さい」
「そうは参りません」
「何故ですか」
「私の目の前で、転ばれてはいけません、貴方が心配でなりません」
「私ならばもう大丈夫です、一人で歩けます」
「その様には見えません」
男は青年の顔をじっと覗く様にして見つめた
白い頬は火照り、唇は呼気を求める様薄く開き
その黒い瞳は彷徨う様に振れている
「やはり、酩酊していらっしゃる御様子です。御酒は初めてでしたか」
「いいえ、過去に友人達と」
「そうですか。御酒にあまり御強く無いのやもしれませんね」
男は青年の身体を抱いたまま、ゆっくりと歩を進めた
「大丈夫だと言っているではありませんか」
「いいえ、よしんば御一人で歩けたとしましても、近頃物騒な事もございます」
抗う様に少しばかり男の身体を押す青年に、男はふ、と笑いながら顔を近付けた
「此の様な夜に一人歩けば、女性でなくとも無体な目に遭う事もございます。貴方の様な美丈夫が酩酊なさっている-不埒な輩には、恰好の『獲物』ですよ」
「……」
囁きに、青年は小さく息を呑む
「さあ、私が御宅までお送り致します」
男の申し出に、青年は小さく頷いた
身体を抱かれ-支えられながら、青年は自身の家路を男にぽつぽつと教えて行く
「御手数をお掛け致します」
「何を仰います、若き天才文士を御送りするなど、光栄な事ですよ」
「……申し訳、ございません」
「ああ、そうだ」
「何でしょうか」
「何方で、御呑みになられていたのですか」
「料亭です」
「よもや、芸奴遊びを」
男の腕の中、青年は強く頭を振る
その白い顔は酒気以外の其れを帯び、朱に染まる
「……私は、只、御仕事と御料理を頂きに」
「そうでしたか」
「はい」
「女性と触れ合った事は?」
「下衆びた、御質問ですね」
気怠げに顔を上げる青年の表情は、少しばかり怒った様相となっている
男はふっふっと笑い、抱いた肩を撫ぜた
「是は失礼致しました。私の様な下賤の報道屋ともなると、ついその様な質問が口を突くのです」
「もう少し、御考えになってから質問を口になさった方が宜しいかと」
「違いありませんね、肝に銘じましょう」
恐縮、といった素振りを男は見せ
後は黙って、青年を支えて彼が口にする帰路を進んだ
「……ありません」
「何ですか?」
男が青年を見下ろす
青年は俯き、男に表情見せぬままに呟き言った
「女性を抱いた事も……触れ合った事も……ございません……」
「……」
クックッと、男が笑う
「何が可笑しいのですか」
「いいえ、只、嬉しいのです」
「何が嬉しいのです」
「無垢な貴方を、今宵御守り出来たのだという事が」
「……何を、面妖な事を仰いますか……」
「面妖ではございませんよ、只の喜びです、喜悦です」
「……貴方はおかしな方です」
「ああ、そうかもしれませんね」
腕の中の青年の力は、もう随分と抜けている
呂律からして、酔いがすっかりとその身体と頭を蝕んでいるのだろう
青年がぽつぽつと道を口にしていた彼の宅が、見えて来た
道すがら、男は-蝮は
青年の少しばかり癖のある黒髪に唇を触れさせた
瞳に何処かしら冷淡な光を湛えながら
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