第4話 青年

何とも、気色の悪い目に遭ったものだ、と

青年は思った


駆けて自宅に戻り、後ろ手に玄関を閉め

母と祖母に挨拶をして、既に焚かれている湯に浸かり、身体を流す


身体を流し、そして自身の手を-かの報道屋に握られた手を見つめ

其処を強く擦る。『記憶』を落とす様に


そうして寝間着に着替えると自室へ


直ぐに床には着かず、机の前に座り、薄明りの下で本を開く


机。


向かい合わせで『二人』が執筆など出来る机


青年は本の向こうを見て、過去の光景を思い返す

机を挟んで向こうには、友人が居たのだ


知に長けて器用であり人を惹き付ける魅力を纏った、彼

幼い頃の只一人の友人であった、彼

文學同人への誘いを掛けて来た、彼

-自分を、文士の道へと導いた、彼


食客として住まっていた彼と語らい、文字を綴り、横並びに寝入る日々を長く過ごした

そうして宅を離れた友人と共に文學結社を築き

やがて自分だけが其処から離れ、一人立ちをした


決別。


友人は憤慨したろうか、手紙などは届かない。共に造った雑誌への寄稿の催促もない。


『仲間』の中から青年は一人、文壇へと昇った


其れは世間には颯爽とした台頭に見えたろう

文壇の面々にも


しかし青年も悩んだものだ


-文士として、活躍をすればお金が手に入るのだ

それを知り得てから、悩んだものだ


祖母と、母と、自分

男は自分だけ

遠く在る父からの仕送りは微々たる物


自分が家を支えねばならぬのだという思い

祖母と母からの、かのような期待


故、青年は躍り出た

『仲間』と呼べる皆々を見限る様な振る舞いとなると知り得ていても


世間は青年を囃し立てる

其れは、青年が文士として成り立ち、生活への潤いを得る為にはとても大事な事で


しかし、その反面

青年は大切な物を少しずつ、少しずつ失って行き





床に着くと、青年は自身の手を-報道屋に握られた側の手を見遣り、握り閉じを繰り返した


友人。

竹馬の友たる彼の事を思い出し

幼い頃に彼に手を引かれ、何かと救われた事を思い返し、報道屋のそれを忘れようとしていたのだ


今でも、強く想うのは友人の事だけで

触れる思い出もまた、其れであり


青年は、友人と手を繋ぐのだと想いつつ手を握り

そっと目を閉じ、眠りへと身を浸して行った

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