篠山 重雄

第119話 最後の仕事

 刑務所の面会室で、奴が来るのを待った。

 家を出る時に、妻も会いたがっていたが、妻は関係者ではないので面会はできない。アイツの不器用なところがりょうに似ていると言ったら、アナタがそう言うなら1度会ってみたいと言い出したのだ。最近は妻と、死んだ息子の話をよくする。まだ刑事を続けていた頃は、そんな話をする時間があまり作れなかった。月命日以外では、息子の話題は避けていたところがある。だが、毎日家にいるようになって、一緒にスーパーに買い物をしたり、散歩したりしているうちに、息子との楽しい思い出話ができるようになってきた。

 息子が助けた子供が会いに来て、将来は警察官になって、助けてくれた遼の分も、1人でも多くの人を助けたい、と言っていたと伝えると妻はとても喜んだ。そんな息子を産んだことを誇りに思うと言った。そして、新井くんは助けたい気持ちが強くて道を間違えちゃったのね、と言った。


 アクリル板の向こうの扉が開き、新井が姿を現した。少しやつれた印象だったが、顔色はよく、元気そうだった。


「少し痩せたか?」


「そうですかね」


 新井は照れたような表情をし、俺に頭を下げて、アクリル板の向こうの椅子に座った。話したいことはいっぱいあったはずなのに、面と向かって新井を前にすると、何を話していいのかわからなくなった。それに、この透明なアクリル板が邪魔で、普通に話す感覚が薄れる。たった1枚の板が、こちらとそちらを別の世界にしてしまっている。


「ちゃんと、食ってんのか?」


「まあ、出されたものは、きちんと食べてます」


「どうせ、不味いんだろ」


 新井は静かに笑った。


「女将さんの、『かわせ』のご飯が食べたいです」


「そうだな」


 話がうまく続かない。無理矢理にでも何か喋らないと時間が過ぎてしまう。捻り出して他愛のない話を続けた。新井も、俺に気を遣って、しょうもない話に付き合って、笑ってくれている。大島は相変わらず警察署に寝泊まりしている、三輪の子供が誕生日を迎えた、そんな程度の話だ。あとは近所にスーパーができたとか、町内会のドブ掃除を手伝ったとか、態々面会室で言わなくてもいいようなどうでもいい話。


「みんな元気そうですね」


 新井は、静かに笑ってそう言った。だいぶ落ち着いたようだ。穏やかな顔になっていた。


「あれから、ニオイは感じねえのか」


「はい。普通の匂いしか、わからないです」


「そうか」


「今日、篠山さんは、何で来たんですか?」


 最初、新井が何を訊いているのか理解できなかったが、すぐに交通手段のことだとわかった。三輪が、運転免許証を返納しろ、と煩かったのを覚えていたのだろう。


「ああ、バスで来たよ。バスは面倒臭えな。時間通りには来ねえし、遠回りするし。結局バス停で降りてから歩かされるしな。帰りはタクシーだな」


 新井は疑っているような視線を向けてくる。俺が訊いてないことまで答えるので、怪しんでいるのだ。だが俺は本当にバスで来た。バスで来たのには他に理由がある。


「免許証、返納しました?」


「あー、したした」


「してませんね。三輪さんに怒られますよ」


「あー、わかった。するする、すればいいんだろ」


 まるで俺が尋問受けてるみたいじゃないか。新井は含み笑いをしながら、俺のことをじっと見つめてくる。まったく、嫌味な奴だ。


「あと2週間くらいですか?」


 俺は有給を消化し、定年を前に退官を迎える。新井はそれを覚えていた。


「問題起こさないでくださいよ」


「お前に言われたくないよ!」


 冗談で返したが、この冗談は少しキツかったかと不安になった。しかし、新井はその冗談も静かに流してくれていた。


「父さんは、来たのか?」


 新井にとっては訊いてほしくない質問だっただろうが、俺はそれが気になっていた。

 新井の事件は、現職の警察官が連続幼女誘拐及び死体遺棄で起訴されたことが、世間ではセンセーショナルな話題となって取り上げられた。新井が警察官になる前からの犯行で、なぜ採用される前に気づかなかったのか、なぜ採用されてしまったのか、という問題はテレビの情報番組の格好のネタとなっていた。静岡南署の署長と、中央署の幹部、採用にあたった警察学校の幹部たちの進退にも大きく影響を及ぼした。だが、彼の父親が警視庁の幹部だということは表に出ることはなかった。

 それについては南署や中央署の幹部たちからは、非難の声も上がったというが、みんな自分たちの保身のために口をつぐみ、表沙汰になることはなかった。俺には、それがどうしても許せなかった。新井自身が犯した罪なのだから、親まで罰するべきだと言いたいのではなく、奴の父親が親としての責任で、それ相応の対価を払わなければならないと考える。知らぬふりなんか言語道断だ。


「父は来てません。代わりに秘書官の人が代理で来ました。僕は戸籍から抜かれたそうです。もう僕は家族とは関係のない人間だそうです」


 怒りが込み上げるより、呆れた。そんな自分の保身が大事なのか。そんな人間が、市民を守るための警察の中枢部にいると思うと、同じ警察官として情けなくなる。でも、新井はさも気にしてない様子で淡々と話していた。父親と縁が切れたことで、なにか吹っ切れた様子にも見えた。そうか、それしか言えなかった。

 あとは、また他愛もない話をした。面会時間が終わり、新井は席を立った。


「本当に、問題、起こさないでくださいね」


 新井は立ち去る際に振り返って、もう1度言った。


「ああ。わかってるよ」


「約束ですよ」


 新井は、俺が今からしようとしていることに気づいているのか。


 俺はバスに乗り、静岡駅に向かった。

 俺は、昨日の晩、妻に俺がしようとしていることを相談した。もし妻が止めるのならば、諦めることも考えていた。


「アナタが決めたことなら、いいんじゃないですか」


 彼女は快く受け入れてくれた。


「どうせ大した罪にはならないんでしょ。思いっきりやっておやんなさいよ」


 妻は面白そうに言っていた。


 静岡駅に着くと、東京までの新幹線のチケットを買った。新幹線に乗るのは久しぶりだ。特に腹が減っているわけではないが、駅弁を買ってみた。

 小暮に調べさせ、今日の午後帝国ホテルで出世のことしか考えていないバカ連中の会合があることを知った。市民の血税を使う不届者たちの集まりだ。そこで、新井の父親を待ち伏せする。

 どうやら俺は、新井との約束を守らなそうだ。


 俺は新井の父親を1発殴ってやろうかと思っている。

 前の座席に付いているテーブルを引き出した。その上に駅弁を乗せ、蓋を開けたところ、出発のアナウンスが流れて、新幹線はゆっくりと走り出した。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白日の下に晒せ オノダ 竜太朗 @ryuryu0718

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ