第93話 秘密の暴露の暴露

 車中では、篠山さんにしては珍しく饒舌じょうぜつだった。助手席でアシストグリップを握っているのはいつも通り、喋りに集中して車酔いに対処しているのだろうか。色んな話をしてくる中でも珍しかったのは、昔の武勇伝を話し始めた。たまたま不審者に職質をかけたところ、覚醒剤を所持していた奴を捕まえてしまったことだった。篠山さんが自分の自慢話をするのは今まで聞いたことがなかった。

 スーツを着た普通のサラリーマンみたいな風貌だが周りを気にし過ぎてオドオドして歩いていて、挙動不審だったので大麻くらい持ってるんじゃないかと思って声をかけたところ、末端価格2.000万の量を持ち歩いていた売人だった。これは麻薬取締官と大きく揉めたらしい。マトリがマークしていて泳がせていた売人で、そこで捕まえてしまったら元締めまで辿り着けないとクレームが入った。当時は主婦層の麻薬常習者が度々検挙されていた頃で、そんな売人を泳がせて、買ってしまう人間が増えるのを指を咥えて見てるわけにはいかないと、篠山さんはマトリに食ってかかった。篠山さんらしい。篠山さんにとって最優先事項は市民の安全なのだ。篠山さんは意気揚々として、そんなエピソードをいくつも話してくれた。

 今日の篠山さんは何かおかしい。そうおかしくしてしまっているのは、僕のヘタクソな運転のせいだろうか。何か嫌な予感が、ふわっと弱くだがなんとなくの不安を感じさせる。篠山さんも自分自身でわかっているのか、僕と目が合うと照れ臭そうに鼻の横を掻いた。


「親っていうのはな、なんでも子供のやることをお見通しなんだよ。だけどな、そうやって子供のことをお見通しだと胡座かいてると、実は何にもわかってねえって事実を突きつけられる時がくるんだ」


 篠山さんの数あるエピソードの中で、小学生の男の子が行方不明になった事件があった。結局その子は学校の体育器具室で見つけられたのだそうだ。家には子供を誘拐したむねの犯行声明文まで届けられた。なんのことはない、結末は子供の自作自演だった。両親は警察や学校に迷惑かけたと何度も謝罪し、子供は散々叱られ、この事件は幕を閉じた。だが篠山さんはこの子の目が印象に残っているという。その子は3日間もの間、学校に隠れ、なにも食べずに水だけで済ませていたという。大人は何でもわかっているようなフリして、なんで僕が隠れていたことをお父さんもお母さんも、学校の先生も気がつかなかったのか、目がそう言っていたという。

 それを自分の息子になぞらえて、そうやって父親っていうのは自分の背中を息子に見せているようで、なにも見てもらえてないのか、俺の背中にそんな価値がないのか、やっぱり子供だって1人の人間で、人間っていうのは他人の考えていることなんてわからん、そう言って自嘲するように笑った。


「篠山さんって、息子さんが」


 僕が言いかけたところ、聞いたのか、と言って、別に隠していたわけじゃないんだ、と言い訳のように話し始めた。


「女房にな、育児を任せっきりで、気がついたらアイツは高校生になってたんだ。俺が仕事ばっかで、家のこと何にもしないから、女房は我慢してたが、あまりにも俺が家族に関心が無くてな。いや、無いわけじゃないんだ。俺も若かったから、仕事だけで必死で。早く出世することが家族のためだなんて思い込んでたんだな。でも本当は、他人を出し抜いたり、1人で手柄あげたり、そんなことに満足してたんだよ、俺は。だから、家族のために仕事してるってのは言い訳だな。言い訳」


 車の外の日差しは、こちらが話している内容と関係なしに、かあーと照りつけ夏を夏以上にしている。ガンガンにつけたエアコンに負けずハンドルやダッシュボードを焼くように、少しどんよりした話が明るい冗談のように聞こえてしまうくらいの天気。

 ハンドルを握っている僕の手の甲に日差しが照りつける。今向かっている場所は山梨の宿泊施設なのだが、決して楽しい場所ではない。旅行に出かけているわけではないのだ。でも、篠山さんは旅行の移動中のお喋りのように、高揚しているように見えた。


「息子はな、家庭をかえりみず仕事に没頭する父親と、警察官という仕事を憎んでた、そう思ってたんだよ俺は。だから息子に警察官になれなんて、言えなかったし、思わなかった。俺と目を合わせりゃ反発して、女房がな、結局大したことはなかったんだが倒れた時も、側にいたのは息子で、俺が駆けつけた時には、そんなに仕事が大事なのかって問い詰められたよ。自分の家族も守れないくせに、何が市民の安全だよってなあ。きちーこと言うんだよ。そんな息子がな、他人の子の命守って自分が死んじゃうなんてなあ。後から女房に聞いたんだが、ああは言ってもあなたのことを尊敬してて、将来は警察官になるって言ってたってよ。まあ生意気だから、父さんみたいな刑事にはならないって言ってたらしいがな」


 横目でチラッと見ると、篠山さんの目が赤くなっているように見えた。


「だからなあ、息子のことなんて、わかろうと思ったって、わかんねえんだよ。でもなあ、死んでから聞かされてもなあ。もう少しわかってあげてたかった、もう少し優しくすればよかった、もう少し話をすればよかったって。今になっても、もう遅いんだがな」


 篠山さんは1つ1つの言葉を自分の中で消化するように、ゆっくりと、噛みしめながら吐き出していった。


「お前に謝らなきゃならないことがある」


 息子と僕を重ね合わせたのか。あの人お前のこと息子だと思って心配してんだよ、大島さんに言われた言葉が頭をよぎった。心配は、かかると思う。迷惑もかかると思う。ニオイの秘密くらいどうってことはない。


「みんなにニオイのこと言っちゃったことですか?」


 篠山さんは驚いて目を丸くした。


大島アイツ、それまで言っちまったのか!」


 篠山さんは同様して頭を掻き毟る。あれ?謝りたいことって、それじゃないのか。


「すまん。本当にすまん。べつに面白がってみんなに言ったんじゃないんだ。その、どうもそういうことを俺1人じゃ抱えきれなくてな。なんか、その、すまん」


 僕の倍以上生きている、しかも警察の上官が必死に謝るので、もういいです、大丈夫です、と言うしかない。それに、大島さんも三輪さんも、女将さんも、僕の秘密を知られても許せる存在なのだ。そんなに気にすることはない。小暮もどうやら酔っ払っていて覚えてないようだし。


「アイツ、あとで会ったら肘鉄だな」


 こんな展開になって、あとで肘鉄を喰らう大島さんのことを考えると、僕が僕の秘密をバラしてしまった大島さんのことを密告ちくったみたいで、それはそれで気不味い。なぜ秘密をバラされた僕が罪悪感を感じなければならないのだ。本当に大丈夫ですから、と篠山さんの怒りの矛を収めなければならない。


「じゃあ、謝らなきゃならないことって?」


 大島さんは窓枠に肘をついて、頬杖をつき、暫く考える表情を見せた。充分に溜めたところで重い口を開いた。


「お前の親父さんにアポイントを取った」


「え?」


 何のために篠山さんはそんなことをするのだ。僕が金輪際関わりを持ちたくない唯一の人物。


「結局、秘書官に軽くあしらわれたけどな。本人と繋いでももらえなかった」


「なにを話そうと思ったんですか?」


 恐る恐る聞いた。車は山梨の山林を走り、もうすぐ目的の宿泊施設に到着する。何台かのパトカーが見えた。木々の隙間から回転灯の赤い光が漏れている。


「それはあれだな、なんというか、一言物申したいというか」


 なんとも歯切れの悪い言い方だった。言い訳にもなっていない。右ウインカーを出し、右折で宿泊施設へと入る。山梨県警のパトカーが数十台、報道陣のものと思われるワンボックスや中継車が列を成し、宿泊スペースへ繋がる通路には規制線が張られていた。規制線の外には宿泊客と思われる大勢の人たちが興味本位で中を覗こうとしているところ、下がって、と警備を担当している制服警官に注意されている。

 行くぞ、僕の質問ははぐらかされ、僕たちは車を降りた。黒いエプロンを着けたカフェ従業員と思われる女性に、篠山さんは声をかけた。


「静岡県警の者です。従業員の方ですか?」


「はい。あの、私が通報したんですけど、ここで待っててって指示されたんですが」


 従業員はオロオロとして、もう1人のエプロンを着けた同僚に体を支えてもらっている。

 とりあえず、と篠山さんは周りを見渡し、駐車スペースの車輪止めのブロックを示し、とりあえず座りましょう、と促した。


「私、中のブックカフェで働いてるんですけど、あの、テレビで指名手配されてる人に似てるし、子供も報道されてる子に似てるなって思って、わからなかったんですけど、怖かったけど男の人が離れた隙に女の子に名前聞いたら、みずきちゃんって答えて、それで、それで」


 従業員は、ハァハァと息苦しそうにしだした。過呼吸だ。篠山さんは彼女の同僚に、なにかビニールでも紙でも袋状の物持ってますか、と訊くと、同僚はエプロンのポケットを探り、これでいいですか、と透明のビニール袋を出した。


「これを口に当てて、ゆっくり息をさせてください。それから念のため救急車を呼びましょう」


 慌てて駆けつけた地元警察官に、救急車の手配を指示した。同僚はビニール袋を彼女の口に当てて、空いている方の手で背中を摩ってやっていた。規制線のすぐ側には、大島さんと田所の姿が見えた。向こうも僕たちに気がついた。篠山さんはしばらく過呼吸の従業員の側にいて、落ち着いたところを確認し、大島さんの側へ駆け寄った。


「中は、どうなってる?」


「いや、俺らも今着いたところで」


 大島さん気をつけて、肘鉄が来ますよ、とテレパシーを送るかのように見つめていると、周りの地元警察官を見つけて現状を確認しているところを見ると、大島さんが喋ってしまったことは忘れているようだ。

 安心しているのも束の間、そうだ、と戻ってきて、篠山さんは大島さんに膝蹴りを喰らわせていた。突然のことで驚いた表情の大島さんだったが、僕の方を見て、理由を理解したらしい。僕は申し訳なさそうな視線を送った。バカ、と大島さんの口が声を出さずに動いた。それにしてもなぜ僕が怒られなければならないのだ。


 田所が地元警察官たちの群れの中、細い体を活かし、スイスイと紛れて様子を伺いに行った。


「只今現場には大勢の警察官に囲まれ、物々しい雰囲気が漂っています。指名手配されている常田祐司容疑者42歳は、関みずきちゃんを人質に宿泊施設のコテージに立て籠もっているようです。入口には規制線が張られ、我々は中の様子を伺うことはできません」


「入口の脇から、中の宿泊客が続々と避難して出てきております!私、宿泊客にインタビューしてきます!」


「常田容疑者は拳銃、もしくは改造銃を所持しているとの情報があります。下手に刺激しては人質の安否が心配です。えー、今、機動隊の姿でしょうか。ライオットシールドを装備した制服が見えました。やはり銃を所持していると思われます!」


 興奮した報道陣が各々騒ぎ始め、中が見えないのに只事ではない雰囲気だけが充満していた。僕も警察官になって、こんな状況は初めてで体の中が熱くなってくるのを感じた。そんな中、涼しい顔をして田所が戻ってきた。


「大島さん、篠山さん、話を通してきました。中、入れます」


 僕たちは規制線の前に立つ警備の警察官に声をかけ、規制線を潜った。僕の名前を呼ばないところが田所らしい。だが、そんなことはどうだっていい。これが篠山さんにとって最後の大きな事件だ。必ず常田を仕留める。これは僕がお膳立てしたステージなのだ。田所も脇役、僕も脇役に徹する。主役は篠山さんだ。篠山さんのための最後の事件。篠山さんの最後の花道は、やはり僕が作らなければいけない。

 汗ばむ手で脇腹に収めた拳銃を触って確かめた。


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