第90話 早く帰る理由と秘密の暴露

 結局、大島さんと三輪さんと小暮の4人で夕飯を食べることになった。行先は、『かわせ』。篠山さんと鰻丼を食べた定食屋だ。暖簾を仕舞おうとして出てきた女将さんと出会でくわした。


「あれー、今日は珍しいメンバーだね」


 もう閉店か、と思ったが大島さんは気にせず店に入った。三輪さんも、いつもすみませーん、と口では言っているが気にしてない様子。僕は小暮と顔を見合わせた。


「なにボサッとしてんの。早く入りなさい」


 僕と小暮は、女将さんに1回ずつ背中を叩かれて、仕方なく中に入った。大島さんは当たり前のようにカウンター横にある冷蔵庫から、瓶ビールと冷たいおしぼりを出して、平然と席に座った。


「閉店過ぎは、うちはセルフサービスだからね」


 そう言われて小暮はオドオドした調子でオレンジジュースの瓶を出した。


「なんだ、お前。お子チャマか?」


 三輪さんがグラスを4つ持ってきた。大島さんは引ったくるようにグラスを受け取ると、手酌でビールを注ぎ一気に飲んだ。


「プファー、美味い。お前もジュースにすんのか?」


 僕が迷っていると、勝手にビールを注がれた。


「ほら、アンタたち!そうやってお酒飲まない人に無理やり飲ませるのは、パワハラになっちゃうよ」


 女将さんはそう言って、相手が大島さんでも平気で叩く。大島さんの少し薄くなった頭のてっぺんをピタッと叩き、頼んでもない大皿をドスンと置いていった。中に焼きそばが入っている広島風のお好み焼きだった。


「今日はそれだよ」


 大島さんは、おう、と横柄な返事をして、箸を指して自分の取り分を小鉢に乗せた。手を擦ってから、おおー、と唸り声を上げ、一気にかき込む。いっぺんに口に頬張ってから、口を大きく動かして食べる。ピチャピチャという咀嚼音が少し気になったが、相手が大島さんだと何も言えない。


「美味いぞ。お前らも食え」


 そう言って、またおかわり分を取り皿に盛った。僕たちも少し遠慮した分量を取り皿に盛った。その最中にもまだ何も注文していないのに、ひじきの小鉢や、魚の煮付け、ポテトサラダがドシドシと運ばれてくる。

 テーブルいっぱいに皿が並び、僕と小暮は唖然としていると、三輪さんがそれに気づいて説明してくれた。


「いつも大島さんはね、閉店間際に来ると、残った料理をね、ビール付きで1.000円で食べさせてもらってるの」


「な、安いだろ。ビール飲み放題だぞ」


「ビールは2本までだよ!」


 声がした方を向くと、女将さんはカウンターの隅の椅子でタバコを吸っていた。営業中は、店内はたしか禁煙だ。女将さんも、こちらに対して気を遣っていない風を装ってはいるが、この残り物だという料理も僕たちに出すために一手間かけているように見える。この厚焼き卵なんか、残り物じゃなくて作り立てだ。一切れ食べると、出汁と砂糖の甘味が絶妙だった。


「本当に、うちは定食屋だよ。居酒屋じゃないんだからね。酒ばっか飲んでないで、ちゃんと仕事しなさいよー」


 女将さんは最後にゴボウのキンピラの皿を持ってきて、シノさんは、と言いかけたところ、大島さんは目配せをした。


「あー、そうか。今日は月命日か。じゃあアタシも飲もうかな」


 カウンター横の冷蔵庫から冷酒の瓶を持ってきて、隣のテーブルの椅子を動かして、当たり前のように僕たちの席に座った。


「なんだよ、客の前で」


「なにが客よ。端金で飲み食いできるんだから」


「余り物だろ。フードロス削減の時代だからな。食ってやってんだよ」


 大島さんも負けじと言い返す。


「はいはい。それじゃあ、献杯けんぱい


 女将さんは大島さんを無視して、グラスを掲げた。僕はグラスを女将さんのグラスに当てようとすると、献杯はグラス当てちゃダメよ、と女将さんに言われた。


「細けえな。どっちだっていいよ」


 大島さんは投げやりに言ってグラスのビールを飲み干し、俺にも冷酒くれ、と空のグラスを女将さんに差し出した。


「冷酒は別料金よ」


「うるせえ。献杯だろ。献杯くれ」


「言ってる意味がわからないんだけど」


 悪態を吐き合っている大島さんと女将さんを見ていると、篠山さんと同じく長い付き合いなのだと感じる。女将さんが大島さんの前に、ほうれん草のおひたしの小鉢を置くと、大島さんは手の甲でそれを避ける。


「ほら、好き嫌いしないでちゃんと食べなさいよ」


「そんな草みてえなもん、いらねえ」


「栄養バランスってものがあるの!子供みたいなこと言ってないで、ちゃんと食べなさい!」


 女将さんは大島さんの嫌いな食べ物まで把握している。大島さんが警察署で寝泊りしている栄養管理は女将さんがしていると言っても過言ではない。


「篠山さんの息子さんって、どうして亡くなったんですか?病気かなにかで」


 小暮がオレンジジュースの入ったグラスを持ちながら、僕の聞きたいことを訊いてくれた。


「事故だよ。交通事故」


 三輪さんが答えた。女将さんは冷酒を一口飲んで、思いを馳せるような表情で天井を仰いだ。ふぅー、と一息吐いてグラスを置き、あの子はね、と話し始めた。女将さんは篠山さんの息子と面識があるのだろう。


「あの子はね、小さい子供を助けたのよ。高校1年生の時よ。塾の帰りにね、車道に出ちゃった3歳の子を助けて車に轢かれちゃったの。その時お母さんはベビーカーの赤ちゃんが泣いてて、ほんの目を離した隙に子供が車道へ歩いてっちゃったみたい。おとなしい子だったけど、正義感が強い子だったのよね。ほんと、そういうところシノさんに似て」


「生きてりゃあなあ、30っくらいだろ。今頃結婚もしてて、孫なんかできてりゃあなあ」


 喋りながら大島さんは、バクバクと料理を口に放り込む。その隣で三輪さんは普通に食べているだけなのに、比べると上品に見えてしまう。


「あれは9時半からだったんですかね。すぐに家に連絡がいったんですけど、奥さんは今でも夜の9時半頃になるとその電話を思い出しちゃうらしいんです。特に月命日はね。だから、篠山さんは9時半までには家に帰って、奥さんを1人にしないって約束してるんですよ」


 三輪さんが説明した。この間も女将さんは空いたグラスを見つけるとビールを注ぎ、さりげなく仕事をこなしている。


「あんな鬼みたいな顔してるけど、優しいのよ」


 それは僕も知っている。口数が少なくて、たまに喋れば乱暴な言葉を使うし、眉間にシワを寄せて怖そうな顔をしているが、いつも優しくしてくれる。それは僕だけじゃなくて、ここにいる全員が感じていることなのだ。少し場がしんみりした。

 その中で大島さんの咀嚼音がピチャピチャと聞こえる。口の中のものを飲み込んで、その母親がよう、と箸を振り回しながら話し始めた。


「シングルマザーでな、子供を託児所から連れ帰る途中だったらしいんだが、せっかく息子が助けたっていうのに、その半年後児童相談所から連絡があってな、子供を虐待してたのがわかったんだよ。そりゃあ、シノさん怒りまくってたね。母親にど説教して、息子の命を返してくれって。だから、シノさんも今回の連続幼女誘拐の事件、あれ親の虐待があったっていうのが共通点だろ。誘拐した犯人というよりも、親に対しての憤りもあって、複雑な気持ちだろうと思うよ」


「許せなかたったでしょうね。事故を起こした運転手よりも、その母親のことが」


「そのことがきっかけで、篠山さんは第一線から外されてしまったんですが、奥さんのこともあって、その方が篠山さんもよかったんでしょう。それで篠山さんは、何度もその母親を訪ねたそうですよ」


「それは俺、知らねえな」


「息子が守った命なんだから、大切に育ててくれって、母親に何度も何度も説得して。今じゃあ、その男の子も大学生になってね。篠山さんは母親と、その子の大学入学式に一緒に行ってね。ちゃんと育ててくれて感謝してるって言ったら、母親に泣いて感謝されたみたいだよ」


 また場がしんとなる。篠山さんの人柄が見える話に、みんながほんのり笑顔のまま溜息を吐く。その中で1人だけ鼻を啜る音を立てていた。小暮だ。1番篠山さんとの関わりが薄いのに感動しているようだ。よく見ると、グラスにはオレンジジュースではなくビールが注がれていた。小暮はどうやら泣き上戸らしい。うっ、うっ、うっ、と子供みたいに嗚咽している。


「あら、ごめんなさい。ビール入れちゃった」


「弱いな」


 大島さんはバンッと小暮の背中を叩くと、彼は大泣きをして、みんなそれを見て笑い出した。大泣きの後、静かになったなと思ったら、椅子に座ったまま項垂れて寝てしまった。またそれを見てみんな笑う。


「だからな、この誘拐事件。シノさんも早く解決したいんだろうよ。いろんな意味で」


「息子さんが助けた子を自分の息子のように思ってたのかもしれないですね」


 場が和んだので、僕はここへ来て初めて口を開いた。


「それもそうだけどよ、お前のこともそうなんだよ。あんまりシノさんに心配かけるな、あのニオイでどうこうっていうの、あれ止めろ。シノさん凄え心配してる」


 大島さんがそれを言うと、三輪さんと女将さんが同時に大島さんを叩いた。


「アンタ、それ言っちゃダメでしょ」


 僕のニオイの秘密は篠山さんにしか言っていない。でもこの分だと、三輪さんも女将さんも知っている。篠山さんはここでこの話をしているのだ。


「悪い、悪い。俺が言っちゃったのはシノさんに黙っててくれ。シノさんに黙っててくれって言われてるから。だけどな、年齢は違うけど、あの人お前のこと息子だと思って心配してんだよ。ニオイで仲間だとか敵だとか言うの、精神的なもんなのか親の気持ちで心配してんだよ。な、もうそのニオイの話、シノさんの前で言うな」


 僕の秘密が暴露されてしまった。でもそこには怒りとか不信感とか恥ずかしさというものは一切感じなかった。

 ただこの場には、みんなの石鹸みたいなニオイだけが充満していた。











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