第89話 あの日

 夕刻、会議室では定例の捜査会議が行われている。あくまでもメインは連続幼女誘拐殺人の方なのだ。もちろん現在連れ拐われているみずきちゃんの事件を優先しなければならないのはわかるが、井口逮捕の件は一瞬の祝賀ムードの後、忘れられてしまったかのように次の事件に向かわなければならない。

 井口逮捕で見つかった死体が由衣さん本人であるかは別にしても、現に死体があるのだからお祝いする話ではない。ただ事件を次から次に流れ作業のように処理していかなければならないことに、やるせない気持ちになる。

 他の捜査員だって割り切っている人たちばかりではないだろうが、僕や篠山さんはそう簡単に気持ちを抑えられない。だから馬場課長が考えるの連続幼女誘拐殺人事件では、僕たちは担当捜査員として除外視されているが、逆にその方が僕たちにとってはあまり気負いしなくてすむ。とりあえず席が空いていたので、会議室の1番後ろの席に僕たちも座っていた。

 馬場課長は最前列で機嫌がいい顔をこちらに見せていた。野々村さんは淡々と会議を進行させた。会議には刑事課事務員の重鎮も参加していた。電話やメールで集まった情報を報告している。捜査報告では指名手配中の常田は今回山梨で逮捕された井口の知人であること、改造銃を所持している可能性があること、少女愛好者である可能性があることなど、僕たちが井口から聞いたことだった。井口が取り調べの際に聞き出した情報というのだ。なぜ井口が自分の取り調べで常田のことばかり話しているのか。井口の常田に対する執拗しつような敵意を感じる。井口の供述内容は、僕たちがマンションの廊下で訊いた時よりも増えていた。多分、嘘だの内容だ。

 はじめは機嫌の良かった馬場課長も集められた情報はどれも不確かで有力情報や、常田の居場所を特定するには至らないものばかりで、苛立ちを募らせていた。特に井口の供述なんて当てにならない。捕まったばかりの容疑者の供述ほど信憑性の低いものはない。それに機嫌が悪くなった原因は、井口を逮捕したのが長谷さんではなく山梨県警の刑事だと知った時点からだ。山梨県警の刑事が逮捕し、取り調べで常田のことを話し出したというくだりから、顔色が変わり始めた。機嫌が良くなったのは井口の件、そして悪くなったのも井口の件と、まったく忙しい人だ。

 レンタカーのナンバーから、常田は中央自動車道を小淵沢インターで降りたところまでは掴めているらしい。山梨県警に要請して、ナンバーを虱潰しに探せば見つかると思うのだが、馬場課長は山梨県警に要請したくないようだ。なんとしてでも自分たちで見つけろ、と怒鳴る。県を跨ぐ捜査になってしまうのだから、山梨県警には一報を入れた方がいいと誰もが思っているのだが、何も言えない。馬場課長もそれがわかっているから、余計に不機嫌になっていく。

 馬場課長の罵倒が暫く続くと、会議室にいる捜査員たちの目が冷たくなってくるのを感じた。捜査の進展がないことと馬場課長のプレッシャーで疲労が募っている。会議室の雰囲気は悪くなる一方だ。


「今晩は向こうですが、明日身柄を引き渡すよう要請してますので安心してください」


 野々村さんがそう言って馬場課長を宥める。捜査員たちは野々村さんがいるから我慢している。指揮官は名目上は馬場課長でも、実質は野々村さんなのだ。馬場課長の指揮系統では誰もついていかない。腕を組んでふんぞりかえる馬場課長を黙らせ、進行は野々村さんに戻る。また捜査報告が再開された。野々村さんはどんなに小さな報告でも、ご苦労、ありがとう、とねぎらいの言葉を添えた。会議室は少しだけ落ち着きを取り戻した。

 真剣に聞く他の捜査員とは違い、篠山さんは上の空で聞いていた。手塚百合子からの連絡が気になって仕方ないのだ。僕たちは入室を拒否されることはあるが、会議室を勝手に退出しても何も言われない。篠山さんと目が合うと小さく頷き、僕たちは会議室を出た。

 馬場課長は腕を頭の後ろで組んで目を瞑ったまま、僕たちが退室したのに気づいていない。野々村さんと数名の捜査員がこちらをチラッと見ただけで、会議は続いている。


「あいつら本当に会議が好きだな」


 篠山さんは携帯をポケットから少し出して確認し、手塚百合子さんからの電話がないとわかるとすぐにポケットにしまった。


「僕たち、これからどうします?」


「今のところ、手塚さんの連絡を待つしかないな」


 刑事課事務室に戻ると、さっきよりは減っていたが刑事課事務職員がまだかかってくる電話対応に追われていた。電話対応の応援を頼まれたわけではないが、僕たちも電話の置いてあるデスクに座り、いつでも対応できるようにして待っていた。電話対応中の職員が申し訳なさそうな顔をして会釈してきた。


 外は暗くなっていた。会議室からバラバラと捜査員が出てきて、廊下が少し騒がしくなってきた。捜査についての話や指示の中に、馬場課長の文句も混じって聞こえてくる。

 夏の日の入り時刻は遅い。すでに午後8時を回っていた。僕たち警察官には昼も夜もない。


「それにしても、井口といい常田といい、なんで山梨なんですかね」


「そんなの、たまたまだろ」


 井口はたまたまかも知れない。でも指名手配になっている常田が連続幼女誘拐殺人の犯人であれば、静岡での犯行が遺体で見つかってしまったから、また土地勘のある山梨で犯行に及ぶ、みんなそう考えないだろうか。


 会議室から出てきた集団の中から、大島さんが現れた。


「ずるいよ。途中退室は」


「そういうお前も寝てただろ」


 大島さんは否定せず、あくびを噛み殺して鼻をフンフン鳴らしていた。


「神奈川も山梨も遺体捜索の動きもあるらしいよ。今回の山本伊織ちゃんの件で、多分もう生きてねえって。神奈川の知ってる奴に訊いたけど、どこをどうやって調べればいいかってボヤいてたぞ」


「神奈川も山梨も、他に手がねえんだろ。あとは常田を見つけて聞くしかねえ」


 捜査の手が行き詰まっている中、蚊帳の外の僕たちにも手立てがないようなことは、他の県警でも同様にあるのだろう。


「なんかさぁ。これってそもそも連続事件なんですかね」


 僕と篠山さん、そして大島さんといういつものメンバーが屯っている中、これまたいつものメンバーの三輪さんが割り込んできた。三輪さんの後ろには、これまたスタメンの小暮もついてきている。


「なんだお前、まだ帰ってなかったのか」


「帰れないですよ。万引きの常習の子の面談に行ってたんですけど。もう開き直っちゃって『俺はヤクザにでもなるから反省なんてしない』とか言っちゃってるんですよ」


「ほー、ヤクザね。万引きくらいじゃヤクザになんてならねえな」


「このご時世、ヤクザやるのも大変なのにな。ちゃんとヤクザに認めてもらうようなことしなくちゃ。三輪、俺がビシッと言ってやろうか」


「なんか、ヤクザを肯定しているようにも聞こえるんですけど」


 篠山さんと大島さんが話している内容を聞くと、万引き少年を更生させるどころかヤクザになるためのアドバイスをしかねない。


「いや、ホント。大島さんに言ってもらいたいですよ。その子ね、進学校に通ってる真面目な子なんですけど、勉強ばっかりしててストレス発散にしてるだけなんですよ。それがクセになっちゃったみたいで。あんな子がヤクザになんてなれるわけないんですよ。もう、隣で聞いてるお母さんがかわいそうで」


 3人は笑いあって話してるが、母親の立場を考えると笑えない。小暮も同じことを考えているのか、どう反応してよいのかわからず、ノートパソコンを小脇に抱えて直立不動の状態だった。


「万引き少年の話は置いておいて、うちの小暮が見つけたんですけどね。ちょっとこれ、見てください」


 小暮が抱えていたノートパソコンをデスクの上で開いた。手慣れた動作でファイルを開く。SNSの写真のようだ。20歳そこそこの女の子2人がポーズをとっていた。色白の子と日焼けして金髪の派手な子、両方とも今時の子だった。篠山さんと大島さんがその画面を覗き込んだ。僕には2人の頭が邪魔で見えなかった。


「これが、なんだ?」


「まさか、どっちがタイプ?とか言うんじゃねえだろうな」


「違いますよ。良く見てください。後ろ」


 小暮は女の子の後ろに映る人間にフォーカスを当てて、画像をアップにした。


「うちの小暮くんが見つけたんですけどね。これ、常田とみずきちゃんじゃないですかね」


 端の方は見切れてしまっているが、中年男性と小学生くらいの女の子がしゃがんで犬を撫でているように見える。画像を綺麗にフォトレタッチしたが、元の写真が小さく画像が荒く出るため、それが常田とみずきちゃんとは判断しにくい。


「この写真は、山梨のアウトレットモール関連を検索してたら出てきたんですが、常田の借りたレンタカーが小淵沢インターで降りたところまでは判明しているので、1番最初に寄るところと言えば、アウトレットしかないと思って調べてくれました」


 三輪さんは、部下の仕事を尊重し、ちゃんとアピールする言い方をする。部下の手柄を自分のものにするような人たちが多いが、三輪さんみたいな人は珍しい。僕といい、小暮といい、いい上司につけたと心底思う。


「言われてみれば、似てなくもないなぁ」


 篠山さんは目を細めて、画面に近づけたり遠ざけたりしえいるが、判断は難しいようだ。


「で、お前らは、どっちがタイプなんだ?」


 大島さんがニヤけた顔でこちらに視線を送る。とは、僕と小暮のことだろう。僕が言い淀んでいると小暮は、こっちです、とさっきまでおとなしくしていたくせに、今まで聞いたことないくらいはっきりした声で日焼けの方を指差した。


「意外に、お前はギャルみてーのが好きなんだな」


 オジサン3人連中は声を揃えて笑っていた。小暮は耳を赤くして俯いてしまった。


 あ、と三輪さんは腕時計を見て、声を上げた。


「今日ってじゃないですか。もう、こんな時間ですよ」


 時計の針は、もうすぐ9時を指そうとしていた。


「シノさん、もう帰った方がいいよ」


 大島さんが心配そうな目を篠山さんに向けた。


「お、おう。だけど手塚さんからの電話待ちなんだが」


「手塚さんって、井口が殺したっていう嫁さんのこと?」


 篠山さんは周りを確認してから、大島さんと三輪さんに向けて小さく手招きをして、体を屈めた。大島さんと三輪さんは顔を見合わせて、体を屈めた篠山さんに顔を近づけた。篠山さんは小声で、手塚百合子さんの電話の件を小声で説明した。


「それじゃあ、井口は誰を殺したんだよ」


「知らねえよ。それにまだ実家に電話があったっていうだけで、それが本人からどうかもわかんねえんだから」


「でも、電話だったら、なにもここで待機しなくても、家に帰りゃいいだろ。シノさん、


 篠山さんは腰を伸ばし、少し不貞腐れたような顔をしたが、自分の腕時計を見て、悪いな、と言い帰り自宅を始めた。


「まだ間に合うよ。急いで帰ってやんなよ」


「気をつけてくださいね」


 大島さんと三輪さんは、そう言って篠山さんを見送った。事情を知らない僕と小暮は、その光景をポカンと眺めているだけだった。


「はあーあ。って言っても俺らも残ってたって、なんもすることないけどな」


 大島さんはそう言いながら、自分のデスクからタオルケットを持ってきて、ソファに横になった。この人は、また泊まり込むつもりだ。


「あの日って、結婚記念日とかですか?」


 篠山さんは、そういう記念日を気にするような人には見えない。静かに定年を迎えるためにも、記念日というものを気にし始めたのかもしれない。


「月命日だよ」


 大島さんは体を横にしたまま、さも当たり前のことのように言った。


「え?誰のですか?」


「聞いてないのか?息子さんのだよ」


 大島さんは片肘で上半身を起こし、驚いた顔をした。僕は篠山さんに息子がいたこと、そして亡くなったことを知らなかった。

 そこへ馬場課長が刑事課を覗き込んで、ここはお前の家じゃねえんだぞ、と怒鳴った。


「やることねえ奴は、とっとと帰れ!」


 ヒステリックに怒鳴り散らした後、さっさといなくなった。電話対応している事務職員は受話器を手で押さえた。

 大島さんは、さっと体を起こし、飯食って帰るか、と身支度を始めた。






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