第88話 連絡待ち
とりあえず言われた通り、車を中央署の方面へ向けて走らせた。
僕は、どうして山梨で井口が捕まったのか経緯を聞くと、篠山さんは長谷さんが逮捕したと言った。
「長谷さんって、今、西川と一緒にいるんじゃないですか。絶対田所が横からチョッカイ出してきたんですよ」
「いいじゃねえか。捕まったんだから」
「やっぱり奥さんの死体があったんですね。でも、あの臭いに気づいたの僕たちですよ!」
「なんだよ。お前、自分の手柄にしたかったのか。そういうのは良くないって教えたばかりだろ。それに俺は臭いになんて気づいてない。気づいたのはお前だろ」
「そんなんじゃないです!定年前に、1つ仕事したいとは思わないんですか!」
篠山さんの投げやりな態度がもどかしく、つい大きい声が出てしまった。そんな僕を横目で黙って見つめる。
「ちゃんと逮捕に繋がる仕事はしてるじゃねえか」
怖い目つきをしたが、にゅっと緩めて笑った。そして、ちゃんと前向いて運転しろ、と言った。
篠山さんの定年まで、あと1年とない。それまでに恩返しがしたい。手柄どうこうと言うよりも、自分が役に立っているところを見せたい。欲を言えば、自分の手柄で犯人を逮捕するのを、手錠かける瞬間篠山さんに譲るというドラマみたいなことを考えていた。だから篠山さんの言う自分の手柄にしたいのかということを否定はできない。でも、この話を続けても、手柄はいらない、静かに定年を迎えたい、俺の部下になったのは申し訳ない、多分そんなことしか言わないだろう。色々言いたい気持ちをグッと堪えて運転に集中した。
車中は暫く無言だった。
車はまたもや交通事故の多い南幹線を走っている。僕の運転に文句を言いたいのだろうが、我慢するために黙っているようだ。左手でアシストグリップを握り足を踏ん張っている篠山さんの姿が視界に入る。
「結局、手塚さんの娘さんは殺されてしまったんですね」
沈黙の車中、黙っていられなくて口にした。自分の声だけが響いて、篠山さんの眉間にシワを寄せた顔を見ると、喋ったことを後悔した。手塚さんに娘の由衣さんが遺体で発見されたことを伝えなければならないのだ。監視の結果、身元が一致するまでは手塚さんに連絡できないのだが、いずれ伝えなければならないことを考えると気が重くなる。今回はその監視を山梨か静岡でやるかで時間がかかるかもしれない。まだ報告できないことをもどかしくも思うし、まだ報告しなくていいことに安堵したりもする。僕たち警察官は、このジレンマにいつも悩まされる。事件を解決することが良いことなのか100%言い切れないところがある。この事件がまだ解決しなければ、手塚百合子は娘の帰宅を待ち続けることができるのだ。何度も経験するうちに、割り切って事務的に伝えられる警察官もいる。どんな結果でも事件解決が善と考える警察官もいる。でも篠山さんは、そうやって物事を割り切ることができない人間だ。
被害者遺族に真実を伝える時、泣き崩れる人、憔悴仕切った声でお礼を言い玄関を閉める人、怒りを僕らにぶつけて掴みかかってくる人、色んな対応をされるが有り難がられることは少ない。数年後に様子を伺いに行くと感謝されることは稀にあるが、真実を伝えたその瞬間は皆んな怒りや悲しみのぶつけ所が分からず、目の前の僕たちに感情を放ってくる。それでも篠山さんは、直接伝えることにこだわる。警察の仕事は事件を解決することではなく、事件が起こらない世の中にすることだというのが篠山さんの信念だ。だからどんな対応をされても、事件が起こってしまった罪を自分たちがかぶらなければならない、本気でそう信じている。
葵区役所が見え、もうすぐで中央署に着く頃、また篠山さんの携帯が鳴った。待ち受け画面を見て溜息を吐くと、手塚さんだ、と小声で言った。ふー、と深く息を吐き、携帯に出る。
「篠山です。こんにちは。どうしました?」
極めて普通の声を意識していた。娘さんが遺体で見つかったことはまだ言えない。それを悟られてはならない。かと言って、相手は行方不明の娘の安否を気にしていることに変わりはないのだから、明るい声で対応するのも、相手の気持ちを逆撫でしてしまう。いつもと変わりない声でありながら、捜査が進展していないことに引け目を感じている風合いを醸し出さなければならない。そして嘘を吐かなければいけない自分に腹が立つ。
「え?!」
篠山さんは甲高い声を出した。急に大声を出すので、ブレーキを踏みそうになった。それは確かですか、本当に娘さんの声でしたか、と慌てた声で質問を繰り返していた。暫く篠山さんは相槌を打って相手の話を聞いていたが、娘さんが帰宅したら連絡ください、と言って電話を切った。いったい何の話をしているのか。
「娘さんから電話があったらしい」
「どういうことですか。悪戯電話ですか?」
「娘の由衣さんは、男と旅行に行ってたらしい。百合子さんが由衣さんに、なぜ旅行に出かけると言わなかったのか問い詰めて、娘の方は旅行に行くと言って出かけたと口論になったらしい。状況がよくわからん」
篠山さんは独り言のようにブツブツ言いながら説明した。
「じゃあ井口は、なんで捕まったんですか?」
「長谷の報告だと、死体が車に乗ってたって話なんだが」
「じゃあ、その死体、誰ですか?」
「俺にもわからん」
「今から百合子さん連れて山梨に行きましょうか?死体見分すれば本人かどうかわかるんじゃないですか?僕、山梨なら少しくらい道わかりますよ」
「う、煩い。とりあえず落ち着け!このまま一旦署に戻れ」
僕は言われた通り中央署へ向かった。
刑事課事務室に入ると、田所と亀井が野々村さんと話していた。田所と亀井は僕たちに気づいていなかった。最初に気づいたのは野々村さんだった。お疲れ様です、野々村さんは篠山さんに向かって軽く会釈をした。声色は低くぶっきら棒に聞こえるが、篠山さんのことを尊重した態度に見えた。さっきまでポケットに突っ込んでいた手を田所たちに背を向け、ポケットから手を静かに出して、ほんの僅かな時間だったが気をつけの姿勢をしたのを確認した。若い部下たちの前では威厳を保たなければならないが、篠山さんに世話になったのとは忘れていないのだと感じた。ここが野々村さんと馬場課長の違いなんだと思う。
そんな野々村さんから何を学んでいるのかわからない田所たちは、相変わらずヘラヘラしながら、僕のことをパイセンと呼ぶ。
「パイセンが目ぇつけてた井口。捕まりましたよ、さっき。西川が尾行してたんですけどね。逮捕したのは長谷さんですけど、アイツも大手柄ですよ」
亀井は、あー俺が行けばよかったなー、と態とらしく不貞腐れた態度をとった。
「お前じゃダメだよ。長谷さん、亀井のこと嫌ってるからな」
「俺、あんまり『徹子の部屋』呼ばれたことないぜ」
「だからだよ。お前、無視されてんだよ」
調子に乗る2人を野々村さんが軽く
「パイセン、すみません。なんか横取りしたみたいな感じで」
この状況でなんと返せばいいかわからない。逮捕されてしまったのは悔しいが、さっきの電話のことがある。殺人や死体遺棄で逮捕されたのだろうが、まだそれが手塚由衣だと証明されていない。僕は篠山さんと顔を合わせると、篠山さんは3人に気づかれないよう小さく首を横に振った。
そこへ馬場課長が入ってきた。
「おー、お前ら。大手柄じゃないか。行方不明者の捜索してたら殺人犯捕まえたんだって。容疑者は旦那って言うじゃないか」
馬場課長は田所の肩を叩いて誉めている。
「いや。捕まえたのは、長谷さんと西川です」
「でも助言したのは、お前なんだろ。なんだ、最初から旦那に目をつけてたのか。じゃなきゃ、尾行なんてしないもんな」
いや、まあ、肯定していないように聞こえる返事だが、田所は自分のアピールが上手い。しっかりと点数を稼ぐタイプの人間だ。口が裂けても、最初に井口の怪しさに気づいたのは僕と篠山さんだなんて言わないだろう。
「とりあえず、まあ、いい。とにかく早く容疑者と遺体をこっちに返すよう山梨に言え。
あっちだの、こっちだの、馬場課長の指示は雑だ。そんな適当な指示だけして、さっさとこの場を去った。現場を知らず、机の上だけで事件が解決すると思っている典型的なキャリア組だ。田所と亀井は馬場課長に連れられ、刑事課を離れていった。野々村さんは馬場課長たちが少し遠ざかった後、周りに聞こえない小声で篠山さんに言った。
「篠山さんは、むかしから詰めが甘いんですよ」
「逮捕できたから、いいんじゃないですか」
篠山さんも言葉は敬語だが、会議などの公の場と少し態度が違う。
「情報は共有すべきですが、自分の掴んだネタはしっかりと握っておいてください」
なんだかよくわからない日本語だが、要するに野々村さんも篠山さんが定年を迎える最後に華を持たせてやりたいと思っているのだろう。野々村さんは複雑な表情で篠山さんを見ていた。
「肝に銘じておきます。でも井口の件、しっかり調べてからの方がいいと思いますよ」
「そんなことは言われなくても、わかっています」
野々村さんは、そう言うと刑事課を出ていった。僕は野々村さんの姿が見えなくなったことを確認してから、篠山さんに声をかけた。
「手塚百合子さんの電話の件、野々村さんに言わなくてよかったですかね」
篠山さんは半笑いだった。
「いいだろ。自分の掴んだネタはしっかりと握っておいてくださいって言うんだから」
「そうですね」
「とりあえず、手塚さんの連絡を待とう」
僕と篠山さんは、手塚百合子さんからの連絡を刑事課事務室で待つことを決めた。
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