第77話 バルコニーのパーティー

 宿泊施設のコテージへ戻る前に、施設内の売店に寄った。

 施設近隣のグルメ情報を見ると、旨そうな焼肉屋や蕎麦屋などあったが、予約が必要らしくどこも満杯だった。まだビールが飲みたいのと、せっかくコテージにキッチンがあるのだから、夕飯は何か作って部屋でのんびり食べるのもいい。みずきに食べたい物を訊くと、なんでもいい、と言う。それだったら、たまには腕を振るって何か作るのもいいかと思い、夕飯を作ることにしたが、フロントで近くにスーパーはあるかと訊くと、車で15分くらいの距離にあるというのだが、これで運転したら飲酒運転になってしまう。仕方なく売店で買えるもので作ることにした。

 売店と言っても、お土産屋だ。軽食のパンとおにぎり、その他に食材と言えるものはカップ麺、瓶詰めや缶詰、干物など。調味料もご当地系のマヨネーズや塩、胡椒と、どれもお土産用なので値段が高い。それに酒のつまみ程度の物しか作れなそうだ。生ハムと、この辺の牧場のものだろうかハムとベーコンがあった。


「おつまみみたいなのしか作れないけど」


「さっきのお店で野菜を買えばいいんじゃない」


 みずきの提案に頷く。さすが女の子だ、ちゃんと見ている。野菜炒めくらいなら作れそうだ。俺たちは売店で、おにぎりとベーコン、瓶詰めのメンマとオイルサディーンの缶詰、オリーブオイルと塩を買った。缶ビールとレモンジュース、みずきにはコーラも買った。缶ビールは、普通のビールも売っていたが、せっかくだから地ビールを3本買った。長野産のご当地ビールで、値段は普通のビールの3倍だった。レジで精算すると、金額は外食するよりも高くなってしまった。うわっ、みずきも思わず声を漏らした。


 それから部屋に戻る途中、昼に寄った野菜と果物のマルシェに寄り、ピーマンとトマト、そしてトウモロコシを買った。これまた普通のスーパーよりも高い値段だったが、こういう雰囲気のあるマルシェで買うと、新鮮で特別なものに感じる。もちろん育て方も丁寧に作られているのはトウモロコシを見ればわかる。粒が揃っていて、綺麗な黄色だった。


「お金のことばっかり言っちゃうけど、お金大丈夫?」


 さっきの売店とマルシェの値段を足すと、ディナーコース2人分のような金額だ。さすがに俺も無理やり笑うしかない。これに作る手間を考えると、やっぱり外食にした方が良かったか。たしか施設内にもブュッフェ形式の店と、フランス料理を出す店が入っていた。宿泊客にはブュッフェの朝食券が付いていたから、明日の夜はフランス料理の店にすればいい。今日のうちに予約を取っておこう。

 学生の頃、ちょっと居酒屋でバイトしてたから、簡単な賄い料理やおつまみくらいなら作れる。料理しながらビールを飲んで、のんびりした時間でも過ごせればいい、さっき見た夕方の空を見てそう思った。空は少し暗くなり始め、もう夜に片足を入れたようだ。風邪も冷たくなってきて、丁度いい温度だ。テラスのなっている2階のバルコニーで、ゆっくりと夜を迎えようじゃないか。


 買い物袋を下げ、部屋に戻った。

 備え付けのフライパン、まな板、包丁、ボウルで調理器具は事足りた。

 まずはフライパンに水を入れ沸かし、トウモロコシを茹でる。ご当地缶ビールを開け、一口飲み、その間ボウルに、レモンジュースと水を適量混ぜる。砂糖は、サービスのドリップコーヒーと一緒に袋状のものがリビングのテーブルにあったので、それを使う。トマトとオイルサディーンをぶつ切りにして、皿に乗せる。その上にレモンジュースで作ったドレッシングをかけて、少しオリーブオイルと塩をかける。これで1品出来上がり。


「もうできたの?」


 キッチンで料理をしている俺の姿を、カウンターから覗き込んでいるみずきが、驚嘆の声を上げた。


「これは、何?」


「これはトマトと魚のサラダだよ」


 トマトとオイルサディーンのサラダをカウンターに乗せて、みずきにフォークを渡した。みずきはオイルサディーンが気になるのか、フォークの先でツンツンつついた。見た目が気持ち悪いのか、初めて見るものなのか、突いているだけでなかなか食べようとしない。


「トマトと一緒に食べるんだよ」


 そう言ってフォークを取り、オイルサディーンを突き刺しそのままトマトも一緒に刺す。焼き鳥みたいな状態にして、ほれ、とフォークのをみずきに向けて渡した。少し気持ち悪そうに眉間にシワを寄せたが、口に含むと目を丸くして、美味しい、と言った。まったく、素直な子供だ。

 次はピーマンの細切りとメンマを炒めて塩を振っただけのおつまみ。余ったピーマンはベーコンと炒める。これで3品だ。炒めるときの油は全部オリーブオイル、少しだけ健康的な感じがする。みずきは一口ずつ味見をして、本当に素直に美味しいと言ってくれる。褒められて、調子に乗って、こちらの酒も進んでしまう。


「凄いね。こんな早く作れちゃうなんて。やっぱ、チャミュエルは魔法使いだね」


 簡単な料理しか作っていなくて、魔法使いは大袈裟だ。ついでに勇者でもなければ、チャミュエルでもない。笑って受け流しておいた。

 皿に盛った料理を2階まで運び、バルコニーに出た。すっかり外は暗くなっていた。料理しながら1缶は飲んでしまったので、もう1度下に降り、缶ビール2本と、みずきのコーラを持ってバルコニーに戻る。もう味見で箸を付けているのだから、先に食べてればいいのに、みずきは行儀良く座って待っていた。


「食べてればいいのに」


「だって、乾杯してないじゃん」


 なんとなく会話の節々に2人の距離が縮まったのを感じる。俺も程良い酔いのせいか、発言にあまり気を使わなくなってきた。


「じゃあ、みずきちゃんも飲む?」


 冗談でコーラではなく缶ビールの方を渡してみた。


「いやだよ。不味まずそう」


 みずきは俺が左手に持っていたコーラを、えーい、と奪い取った。俺が缶ビールを開けると、みずきもコーラを開けた。ふざけ合っていたせいで、両方とも泡を吹いた。2人とも乾杯の前に慌てて口をつけた。

 泡が床にビタビタと溢れて、2人で笑った。普通に笑えた。乾杯をした。みずきはピーマンとメンマの炒め物を食べた。美味いと言った。ビールを飲んだ。みずきが、ビールって美味しいの、と訊いてきた。じゃあ飲んでみるか、と冗談を言った。みずきは黒目だけ上に向けて、悪巧みをしているような顔をした。冗談だよ、まだ子供だからな、と俺が言うと、飲めるもん、とムキになった。俺の手から缶ビールを奪おうとしてきた。未成年に飲ませるわけにはいかないので、俺はビールを持っている方の手を上にあげた。それを背伸びして取ろうとする。俺は後ろに回して、また取れないようにした。みずきは、それを必死に追いかける。ケラケラ笑いながら、みずきが缶ビールを取ろうとし、俺はそれを避ける繰り返し。ビールが溢れて、みずきのワンピースの裾に少しかかった。みずきは濡れた裾を鼻に近づけた。


「お酒臭い」


 顔をクシャクシャにして、眉間にシワを寄せた。その顔がおかしくて俺が笑うと、みずきも笑った。本当の親子のようにじゃれ合っていた。

 みずきはバクバクつまみを食べてくれる。1人で作る胃を満たすためだけの料理と違い、食べてくれる人がいる、その人が美味そうに食べてくれる、それだけで更にビールが美味く感じる。あっという間に2本とも飲んでしまった。塩気の強い料理ばかりだったので、みずきもコーラを飲み干してしまったようだ。料理はまだ半分ほど残っている。外は真っ暗だ。まだ飲みたい。この2人だけのパーティーを終わらせたくない。


「まだ売店やってるかな?」


 時計はもうすぐ10時のところを指していた。


「10時くらいまでは、やってるんじゃない」


「じゃあ、急いで買いに行こう」


 2人で皿を持って1階に降り、とりあえずリビングテーブルに置き、財布を取った。


「チャミュエル、そう言えば携帯は?なんか用事あったんじゃないの」


 べつに電話に用はないが、そうだったね、と言っても携帯を探した。リビングのソファの上にあった。確認すると、着信履歴は会社と井口からが数件、その他に実家からの着信があった。珍しいな、と思い掛け直したかったが、うちの親は9時には寝ているはずだ。もしかしたら、会社の方があまりにも俺と連絡が取れないので、実家に連絡したのかもしれない。入社の手続き書類の中に、緊急連絡先として実家の電話番号を書いた気もする。こんな時間なので、明日掛け直すことにした。


「いいの?」


 俺は携帯を確認して、すぐにポケットにしまったので、みずきが心配してくれた。


「大丈夫。それより店閉まっちゃうから、急ごう」


 売店は、敷地内でもこのコテージの反対側にある。俺たちは走って売店へ向かった。売店に着くと、入り口のガラスには9:00から23:00の営業時間と記されていた。そんなに急ぐ必要はなかった。缶ビールとコーラを3本ずつ、それとピーナッツもスナック菓子も買った。今度は普通のビールにした。帰り道、空気が冷たく感じた。

 コテージへ戻ると、そのままリビングでパーティーの続きをすることにした。外は寒いし、バルコニーでは蚊に刺されるので、このまま部屋で食べよう、というのとになったのだ。室内だと静かなので、テレビを見るのもつまらないので、壁に備え付けてある有線をつけた。チャンネルを替えながら、みずきにどれを聴くか伺った。それ、と言われたのはJ-POPヒットソングのチャンネルで、米津玄師が流れていたところだ。オッサンだが、米津玄師くらいは知っている。

 バルコニーでのテンションと違い、部屋の中だと落ち着いてゆっくり話せる。料理を食べ終わり、スナック菓子に手を出したところ、みずきは自分の話をし始めた。妹の話から始まり、義父の話、それから母親の話。

 母親のことを嫌いになりたくない、頑なにみずきはそう言う。子供なりに母のことを考え、我慢しているが甘えたい自分もいる。ただ甘えると母か困ってしまう。10歳の華奢な体で、名一杯抱え込んで、自分自身でも受け止められなくなっている。でもそれは母親も一緒なんだ、と考えていた。これ以上、一緒に家族でいるのは限界なのだと。

 10歳の子が、それほどまで親のことを考えられるのだろうか。みずきが俺についてきたのは、母親に心配させて、自分に振り向いて欲しいからだと勘違いしていた。この子は本気で母親から離れることが、自分のため、それか母親のためだと信じている。痛い、痛すぎる。


「だからチャミュエルに出会えて、良かった」


 重く感じさせない言葉の響きが、痛烈に刺さる。

 こんな子供が、こんなに母親のことを思えるのだろうか。この子は自分のことよりも、毎日毎時間、毎分毎秒、母親のことを考えているのだろう。こんな子だからこそ、母親に気付いて欲しい。俺はこの子を、ちゃんと母親の元に返してやらなければならない。それには、どうしたらいいのか。酔いが回っている頭では、なんの考えも浮かばない。目蓋も重い。


「みずきも眠くなってきちゃった」


「じゃあ、お風呂入っておいで」


「チャミュエルが先に」


「いいよ、先に入っておいで」


 みずきは買ってきたショップ袋から着替えを出して、風呂場へ向かった。


 その間、肘掛けを頭にし、ソファに体を横にし、少し目蓋を休ませただけのつもりが、そのまま朝まで寝てしまった。









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