第40話 タクシーと取材と地味なワンピース

 タクシーが家に着くと、料金は3.000円近くになっており、普通だったら2.000円くらいの距離なのに、道を間違えたり、めちゃめちゃ話しかけてきたり、信号が黄色に変わる前に減速したりする安全過ぎる運転だったり、とにかくトロい運転だった。

 こちらは焦っているので、凄く苛々いらいらした。苛ついている自分に気付いて、ああ、皆んなは私のこういうところに苛々してたのか、と妙に感心してしまい、運転手に急ぐよう催促できなかった。


 タクシーの中でも何度か電話したが、利喜人は通話中で、いったい誰と電話しているんだ、という疑念がまた苛々するのを加速させた。

 やっとコールした時には、もう家が見えたので1コールで切った。


 タクシーを降りると急いで家に向かった。

 玄関を開けると、リビングでスーツを着ている利喜人くんが、ひかりを着替えさせていた。お出かけ用の薄手の黒いカーディガンを着せている。襟のところが白いレースになっていて、利喜人くんが気に入って選んだ服だ。それがわかるのか、ひかりもこのカーディガンを着せると、嬉しそうな顔をしている気がする。

 利喜人くんが着ているスーツも、仕事用のじゃなくて、薄くチェックが入っているダークグレーのセットアップだ。

 そんなことは置いてといて、どこへ出かけるつもりなのか。この捜索願を出した日に早々、おしゃれをして出掛けるなんて、あってはならない。私は3を守らなければならないのだ。


「ねえ、どこ出掛けるの?」


「なに、さっきのワン切り。どうしたの?」


 こっちが訊いているのに、利喜人くんはなんかな顔を上げて、携帯を見ると、


「うわあ、メッチャ着信あったね。ごめん、電話中だった」


 こういう時、彼は本当に申し訳ない顔をするので、大概のことは許してしまう。


「で、何処へ出掛けるの?今はあんまり出掛けない方がいいと思うんだけど」


 ひかりを着替え終わらせると、利喜人くんは鏡の前に立ち、やっぱりネクタイはしてった方がいいかな、と左右の手に持った色が違うネクタイを首に当てて比べていた。


「どうだったの?警察行って。やっぱり連続誘拐事件なんだって?」


 彼は右手に持っていたマスタードカラーのネクタイを選んで、ジャケットのポケットに入れた。


「どうだったじゃないよ。それよりどこへ行くつもり?」


 私は初めて利喜人くんに腹が立った。虐待を疑われないように警察へ行ったのに、共通点が虐待だと聞かされて、慌てているのは自分だけ。子供が行方不明なんだから、少しはらしくしてほしい。呑気に出掛けるなんて、有り得ないことだ。


「ほら、七海さんも出掛けるよ。着替えて着替えて。写真撮られるかもしれないから、ちょっとオシャレして。あ、でも派手なのはダメだよ」


 言っている意味がわからなかった。なんの写真を撮られるの?今から写真館で家族写真でも撮るつもり?


「今日は軽く打ち合わせみたいな感じで、取材も兼ねて、ちょっと写真撮るかもって。それで、あの、さっきはその人と電話をしてて、まずかったかな」


 利喜人くんは、悪戯がバレた時の子供みたいな顔で頸を掻いていた。利喜人くんはたまに、こういうことがある。私を驚かそうとして、急に旅行を計画したり、黙って車を変えたり、引越し先を見つけてきたり、高価なブランド物の私の服を買ってきたり。全部私を喜ばせようとしてやっていることなのだが、稀に度が過ぎてしまう時がある。そういう時、彼はこんな顔をする。


「取材って何?誰に電話したの?」


 なるべく優しい口調で聞いた。だいたい検討はついてきたが、なんだか嫌な予感しかしない。


「なんかさ、最近テレビ出てるジャーナリストの人いるでしよ。あの事務所に電話してみた」


 テレビ出てるジャーナリストって誰?そういう事務所って、そんな簡単にアポ取れるの?理解していない顔をしている私に説明するために、利喜人くんはビジネスバッグから週刊誌を出して、数ページ捲り、開いて見せてきた。見開きの白黒のページに右上には数人の黒目線で目を隠された子供たちの写真がコラージュ的にランダムに並べられ、その下には髪の長さが肩くらいまでのボブカットの女性の写真。この人ならテレビで見たことある。何に対してのコメントなのか忘れたが、凄い偉そうに喋っていて、司会者の人になにか反対意見を言われて、めちゃくちゃ怒ってた人だ。なんか煩い人だなと、あまり良い印象はない。

 記事のタイトルは『柊木奈津子が語る 連続幼女誘拐事件の真相 共通点は虐待児!!』血の気が引いてきた。利喜人くんはこれを読んで、この柊木奈津子の事務所に連絡したというのか。


「ちょっと、利喜人くん。どういうつもりなの?さっき警察でも誘拐された子、皆んな虐待されてたのが共通点って言われて、うちも疑われてるんだよ。それなのになんで態々、こんな記事書いてる人のところ電話するの」


 私は取り乱して、持っていたハンドバックを彼に向かって投げた。バラバラと中身が落ちて、ハンドバックは彼の足元に落ちた。気づくと、ひかりが赤ちゃん用の低い椅子に捕まり立ちをしていて、キャッキャと喜んで手を叩いた。よちよちと千鳥足で落ちた赤いカードケースを拾い、アウアウと言いながら、そのカードケースを私の方に向けてきた。


「七海さん、落ち着いて」


 利喜人くんは、私の両肩を掴んで、撫でた。私はその手を振り払う。


「落ち着いていられるわけないじゃない。みずきがいなくなったまま放っておいたら、見つかった時、なんで警察に届け出なかったんだって変に思われるから、そしたら虐待してたってバレちゃうから、そのために私、警察行ったんでしょ。それなのに、なに考えてんの、利喜人くんは」


 私が大声を出すと、ひかりはアウアウとそれに対抗して大きな声を上げて、はしゃぐ。多分真似してるのだろう。


「大丈夫だって。ちゃんと考えてるよ。よくテレビで見てると、後ろめたいと感じている奴って、取材でノーコメントだったり、素性を晒されるの嫌がるでしょ。だけど自分で虐待してると思ってる奴は、自分から好んでメディアなんか出ないでしょ。ちょっと厳し過ぎたかもしれないけど、もしかしたらみずきは虐待と感じていたかもしれないけど、愛していたからこそちゃんと育てたいっていう気持ちで余裕がなかったんです、だから誘拐犯の人、娘を返してください、って、ね。そうやって訴えるんだよ。

 それにね、この柊木っていう人、教育ジャーナリストなんだって。こういう人を味方に付ければいいじゃん。最初はどうせ、俺なんか血が繋がってない義父だからなんて言って叩かれるに決まってんだから。先手を打っておかないと、ね」


「そんな、上手くいくと思ってんの?」


 転んで泣いたひかりを、利喜人くんは抱き上げた。ただ足を滑らせただけで、どこもぶつけてなく、驚いて泣いただけだったので、彼が抱き上げるとすぐに泣き止んだ。


「大丈夫。俺、そういうの得意だから。それに、もしみずきが見つかったら、血の繋がらない俺が虐待してたんじゃなくて、みずきのこと大切にしてたから厳しくしてたんだよ、って証拠にもなるじゃん。それに、もし本当に誘拐されてたりしたら」


「したら?」


 私は訊き返した。ひかりは利喜人くんの腕の中で、いったい何に対してなのか、オー、ウー、と言いながら手をパチパチと叩いた。多分、とんでもないことを言うんだろうなと、予想できた。


「誘拐犯を挑発するんだよ。娘を返せ!返さないと殺すぞって。お前みたいな変態はこの世にいちゃいけないって。七海さんだって、早く家族が3人になった方がいいと思ってるでしょ」


 なんて言い返したらいいのだろう。それとも同意した方がいいのか。

 みずきも、ひかりも、私が産んだ子供。私の体の一部。

 もしも医者に、「あなたの右腕が腐りかけています。このまま放っておくと、左腕にもその菌が入って腐ってしまいます。命にも関わります。右腕を切断しましょう」と言われたら、そうするしかないと素直に受け入れられるだろうか。多分素直ではないけど、受け入れるしかない、と思い込むしかない、と無理やり受け入れるのだろう。右腕が無い自分を受け入れられれば、いつか生きていて良かった、と素直に幸せを感じることができるのだろうか。

 少なくとも、今のままでは幸せを感じることはできない。世の中には犠牲も必要なのだろう。

 あっちも、こっちもでは欲張りなのだ。

 私はまた頭の中で白紙を広げ、ありとあらゆる方法を考えた。利喜人くんに従う場合、利喜人くんに従わない場合、色々考えて、また白紙をクシャクシャに丸めた。そして最初に浮かんだ方にした。

 私はクローゼットに向かい、地味でおとなしめだけど、少しオシャレで気に入っている紺色のワンピースに着替え始めた。






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