第32話 理由というものは、無理に聞き出さない方が身のためだ

「帰りたくないのはわかったけど、おじさんと一緒じゃ嫌じゃないの?」


 みずきは天井を見上げて、うーん、と唸ってから、


「おじさんは、変態じゃないよね」


「へ、変態って」


 唐突に言われて動揺してしまった。

 断じて、小さい子に手を出すような変態ではない。

 まったくもって興味はない。ただ、そう勘違いされていると思うと、俺としても心外である。だが、こんな小さい子相手に、どうやって変態ではない証明をすればいいのだ。言葉にして、言えばいうほど怪しくなってしまうもんだ。俺は熟女の方が好きだ。ロリコンではなくババコンだ、と子供相手に熱弁するのもおかしい。いや、ババアは好きではない。ちょっと大人の方がいいし、普通に若い子も好きだ。いや、そんな言い訳をしてたら、逆に変態っぽい。

 適当な弁明の言葉が浮かんでこなくて、違う、その、なんて言ったらいいかな、とか、言葉に詰まっていると、その姿を見てみずきが笑う。


「大丈夫。わかるよ。おじさん、変態じゃない」


「あ、そう」平然を取り繕ったが、脇が異様に汗をかいている。頼む、大人をからかわないでくれ。


「おじさん、目が違うから」


「目が違うって?」


「リキトくんと」


『リキトくん』とは、たしか義理の父親の名前だったか。その彼がどうしたというのか。服の中で、脇に溜まった汗がツーっと落ちる。


「みずき、妹がいるんだよ。名前はっていうの。みずきも、ひかりも平仮名だよ」


 みずきは、さっきフロントマンに貰ったペットボトルのミネラルウォーターの一口のみ、キャップを閉めてソファの脇に置いた。顔を上げ、これありがとう、とサンダルを指差した。どうやら新しいサンダルが気に入ってもらえているようだ。

 彼女は体を前に出して、ソファに浅く腰をかけ、足を伸ばした。両足の踵を付けて爪先を開いたり閉じたりしている。足先を重ねてそれを左右変えたりして、まるで昨日見たテレビや、最近あったどうでもいい話をするかのように普通に話を進めた。


「みずき、本当のパパのことはあんまり覚えてないの。お婆ちゃんがちょっと嫌だったことだけ覚えてる。ママたち離婚したの結構小さい時だったから。だから、うちはそんなにお金なかったから、ママいっぱい仕事してて、あんまり遊んでもらえなかった。それでね、保育園の時、リキトくんが来てママと結婚したの。それでね、みずきが3年生の時にひかりが産まれたの」


 みずきは淡々と話す。要約すると、離婚後、リキトくんなる新しいお父さんができて、その間にできた子供が妹のひかり、ということ。異父姉妹、ということだろう。その妹はまだ1歳くらいで、みずきも可愛いと思っているそうだ。義父のリキトくんは、妹ができる前は、みずきのことを凄く可愛がってくれて、お父さんというよりはお兄ちゃんという感じで仲良くしていたらしい。

 だが、妹ができてから様子が変わってきた。まだ妹がお母さんのお腹にいる時、お母さんが検診か何かで家を留守にしていた時があった。義父といつものように遊んでいると、やたらに体を触ってきたとのだそうだ。初めはくすぐられてると思ってお互いに笑っていたが、あまりにもしつこいので、だんだん嫌になってきたらしい。気付くと笑っていない義父の顔が気持ち悪くて突き放すと、思い切り平手打ちをされたと言う。

 それでねリクトくんが、とみずきが言いかけたところ、ストップ!!!と俺は右掌を前に出して、大人気ない大声で彼女の話を遮断した。その声にフロントマンはチラッと顔を上げ、こちらの様子を伺っていたが、軽く会釈で返すと彼も会釈をした。


「それのせいか、わかんないけど。リキトくんは、ママがいないところだと叩いたり蹴ったりするようになった」


「もういいよ。あんまり話したくないでしょ」


「大丈夫だよ。あ、それとおじさん。みずき、リキトくんに何にもされてないよ。でもね、学校で友達に言ったら、そういう人はっていうんだって」


 何もされてないって言ったって、それなりに心に傷を負ってるだろうし、友達が言ったってって、どの程度までわかって言ってるのか。最初は可愛がってくれていたお兄さんが、そういう人間だったと気づいた時のみずきの心境など想像できない。何事もなかったかのように淡々と話す彼女の話が、鼓膜が圧迫されているように遠くから聞こえてくる感じがした。平坦で意味のわからない映画を見ている気分だ。

 たとえそれが未遂だったとしても、母親は何か気がつかないのか。その男のことはもちろん、鈍感な母親にも憤りと嫌悪を感じる。感情を表に出さないみずきの態度が、彼女の心の傷を物語っているようだ。


「もう、いいよ」


 これ以上聞くに耐えない話を制し、俺は立ち上がった。


「それじゃあ、遠くへ行こう」


 みずきは、スッと立ち、手を繋いできた。今の現実から遠ざかりたい、その点に於いては俺もみずきも一緒なのだ。






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